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謎解き島田、耳の光る児 [島田荘司]


* 0100 はじめに
壮大な構想と迷路のような複雑な筋で読者を幻惑し、最後に感動の結末を与える島田荘司さんの「謎解き島田」を提供する。中身はいわゆるネタばれに溢れてる。本作品を未読の方には、すすめられない。

* 0200 ポルシェの車中でかたる
** 0201 車中でキヨシがかたる不思議な話し
キヨシとメーラレン湖にドライブ。車はポルシェ、ウプサラ大学のバイオ・メディカルセンターに提供されたものをキヨシが運転。その途中で彼が、ハインリッヒ、このCayenneという名前は奇妙とおもわないか。うん。よくしらないが、これがポルシェの利益の大半をかせいでるそう。ふうん。それがどうかした。ぼくは中央アジアにいってきた。ほう、そのどこ。あちこち。ウズベキスタン、 クリミア、タタルスタン。へえ。昔、シルクロードにいった。今回、おおくは、はじめて。で、ウプサラにかえってきたら、カイエンがまってた。なんだか象徴的。どの宗教にも、ぞくしてないが、これは神の意志をかんじた。へえ。君が神様を。ぼくは、いつも神とともにいる。でもそれが誰かときかれても。

** 0202 耳の光る児4人が見つかった
で、どんな話し。まだ公的には秘密だ。だから記事にするのは。うん。ロシアやアジアで耳の光る赤児が4人うまれたという。紫外線をあてると耳たぶ全体がぼんやり緑の蛍光色にひかる。ロシアと欧州の医学界、生物学界が騒然となった。各国の代表者で研究チームが組織、耳の光る児があらわれた病院にむかった。 光る耳は成長するにつれ目だたなくなる。つまりひからなくなる。原因は謎。今のところ知能の障害、運動機能の障害がでてない。だが、みんなが警戒心、特に母親。将来に不安。不可解なのは、4人がほぼ同時期、さらに奇妙なのはユーラシア大陸の各地にちらばってること。各地に1人づつ。広がりの規模が異様。学者が困惑。

** 0203 原因が謎、各地に散在
通常、異常には原因が。たとえばチェルノブイリ原発。奇形児が多数。発電所付近に集中。ところが今回は事情がちがう。ロシア連邦の クリミア自治共和国の首都シンフェロポリ。ここの共同生活所。母親の名前はサライ・ミルザエワ。ここからはるか北東のタタルスタン共和国の首都カザン。母親の名前はニーナ・コザカ。またウクライナ共和国シンフェロポリの東方、黒海沿岸の同共和国のアストラハン。母親の名前はイリーナ・サファエワ。そこからさらに東方、中央アジアのウズベキスタン共和国の首都タシュケント。母親の名前はマミーン・ジャイミエワ。

** 0204 子どもは3ヶ月から3歳
現状は4人だが、気づかれてないだけかも。異常の原因を突きとめ、必要なら治療し、あるいは予防の措置をとる必要がある。異常の検査には病理検査が必要だった。ほかにいくつかの謎が。発生場所がはなれてる。原因究明をむずかしくする。4人に面識はない。一堂に会する機会もない。母親もほぼ生地をでてない。母親は平凡な主婦。軍事産業などの特殊な職にない。過去にかわった経験もない。赤子の年齢は3ヶ月から3歳。すこしずれてる。検査である。子どもは健康。しかし将来の心配はのこる。原因が不明な現状で不安はのこる。そこで欧州の大学が原因究明することに。

** 0205 各国の研究者が調査、共通事項が見つからない
ウプサラ大学からキヨシ。4組の検査をおえてタシュケント大学病院で会合。現状は危険がない。将来のため原因究明が最優先。優秀な頭脳があつまったが、まったく見当もつかなかった。母親は互いに面識がない。一堂に会したこともない。異常な体験もない。X線検査も西欧の女性にくらべて、すくない。母親自身も健康、食をふくめ健全な生活。はなれた場所、人種、言語、宗教、生活習慣もことなる。病院で面会した3人の母親はまったくちがう風貌。共通項はなさそう。タシュケントはアジアン人、カザンは白人、シンフェロポリとタシュケントはイスラム教徒。しかしちがう宗派。アストラハンはネストリウス派のキリスト教徒。

** 0206 激動の人生をおくった母親が糸口と
カザンはロシア正教。共通の言語で意思疎通できそうなのは、シンフェロポリとタシュケントのみ。突破口がここにあったとキヨシがいう。もっとも激動の経験者はシンフェロポリ、彼女がここにすんでた理由。それは母親、祖母の生地、家、土地をもつ。しかしスターリンが1946年、移住命令、祖父母、母親がサマルカンドに強制移住。この命令は密令。大戦中に一部市民がナチに協力したことの懲罰だったらしい。ソ連の軍人が各家にきて移住命令。15分の猶予の後に駅に連行。移住は苛酷だった。祖父はここで死亡。特定人種のみをねらった追放政策。母親は同地で結婚、彼女を出産。そこで死亡。ここで父親がいなくなったという。祖母と彼女は生地への帰還をしんじ困窮にたえた。ソ連の崩壊後に彼女、祖母、夫の3人が帰還をはたした。

** 0207 タタール人に強制移住、生地への帰還
これが1992年。違法だったが家をたて畑をたがやして、くらした。しかし内務省特務機関により家はこわされ、やむ得ず、ちかくの集会所にうつった。祖母はそこで、しんだ。サライはそこで耳の光る児を出産した。彼女たちはクリミア・タタールだった。

彼らは伝統的に政府にうとまれた。 エカテリーナ2世は追放策をとり、スターリン時代はしいたげられた。ロシア社会主義革命のおりクリミア共和国として分離独立をはかったが短命でおわった。ロシアは 大穀倉地帯のクリミアの独立をみとめない。たえず独立を画策するタタールを排除するのは政策の一大目標だった。彼女家族の追放もその一環であった。では、何故、これほどタタールがきらわれるのか。それは歴史の中にある。

かって彼らは強大な騎馬軍団をようする軍事勢力だった。ロシア人に税や貢ぎ物を要求してた。ロシアに軍事力がつけばその追放を目ざすのは当然だった。

** 0208 タタール人の栄光と迫害の歴史
古来 クリミアにくらしてたのはウクライナ人、ギリシャ人、イタリア人などでタタール人ではなかった。スターリンの追放策は自分たちの土地にかえれという意味合いがあった。サマルカンドは現在ウズベキスタン共和国の都市だが14世紀にはティムール帝国の首都、さらにふるくはシルクロードの交易でにぎわったホラズム王国の都であった。ウズベキスタンの首都は今はタシュケント。するとそこで耳の光る児をうんだマミーン・ジャイミエワもおなじくタタール人である可能性がでた。

** 0209 タタール人の末裔が共通するのでは
キヨシは耳の光る児の共通項とは東からきた民であった。という仮説をもつに、いたった。はたしてニーナ・コザカのいるカザンも クリミア・タタールと同民族のくらす地域。国名のタタルスタンもそれに由来する。一時、独立を宣言したが、1994年にロシアに復帰した。 クリミアの独立の事情は複雑である。

** 0210 タタール人は極東からの民族、その歴史
1991年の8月にウクライナがソ連からの独立を宣言した。92年5月に クリミアがウクライナからの独立を宣言する。しかしこれを取りけしウクライナに復帰する。ところが94年に再度独立を宣言した。しかし挫折して95年の4月に復帰する。そしてウクライナ共和国の クリミア自治共和国となる。タタルスタン共和国の基礎をきづいたタタール人は、しらべてみると、その起源は極東地域からの遠征民族であるらしい。するとサマルカンドのタタールもおなじく中央アジアでなく極東が起源ではないか。極東が注目される。するとキヨシは極東で高等教育をうけた自分がこの疑問に回答する立場にあると自覚した。そこでカザンに移動してから街の図書館にかよって歴史資料をよんだ。すると広大な歴史とその関わりがみえてきた。

* 0300 ふたたび警告
この後に、ネタばれの内容がつづく。本作品を未読の方に閲覧をすすめない。

溺れる人魚

溺れる人魚

  • 作者: 島田 荘司
  • 出版社/メーカー: 原書房
  • 発売日: 2006/06
  • メディア: 単行本



* 0400 タタール、モンゴルのロシア征服の歴史
** 0401 十字軍の苦境、東方からの援軍か
ことの起源は13世紀にさかのぼる。時は十字軍東方遠征の時代、欧州のキリスト教軍はイスラム軍団の前に敗走をかさねてた。シリアのクラーク・ド・シュヴァリエ城はイスラム軍の防戦で疲弊していた。その時、朗報がもたらされた。東方のプレスター・ジョンという大王のキリスト教軍が支援のため西にむかってるというもの。

** 0402 伝説のプレスター・ジョンの援軍か
イスラムの強国、ホラズムが降服した。3万2千もの騎兵軍団の威勢は神の鉄槌のように強力だ。二手にわかれた部隊は一方がプハラをおとし、もう一方がサマルカンドをおとした。きいた全軍から喚声がおきた。事実なら神の奇跡である。イスラム軍は皇帝直属の精鋭部隊、その城は金城鉄壁という。このプレスター・ジョンの軍は現在バグダッドまで10日の距離にいる。では敗北はない。おおいに戦意が高揚した。彼らはクラーク・シュヴァリエ城をでて仲間と合流、敵の本拠地カイロに勇躍、撃つてでた。そして歴史的敗戦をきっし全滅した。プレスター・ジョンの軍はバグダッドをおとしダマスカスをおとしたが、十字軍の前に姿をあらわさなかった。

** 0403 その軍の実像は、征服者の要求
東方の軍団は実在した。その中にキリスト教徒がいた。さらに進歩した投石機からはなたれた石が城内に霰のようにふった。さらにつづいて、はなたれた矢は雨のようだった。サマルカンドの城内に進撃した王は、街の有力者を前に、このようにさとした。おまえたちが、あがめてた王は罪人だ。長年あやまちをおかしてた。以降はこの私を王とせよ。

** 0404 欧州でたかまるプレスター・ジョンへの期待
噂は欧州の民にとどきローマ教皇にもたっした。無敵の大王への思慕の念がつのった。イスラム教のあやまちを、ただす姿は伝説のプレスター・ジョンの姿そのものだった。それは1世紀の間、困難にたえて、たたかう十字軍が夢みたところである。プレスター・ジョンの姿は12世紀、オットー年代記にはじめて登場する。13世紀イスラム軍の前に敗走する十字軍の姿はローマ教皇の権威をおとした。民衆のプレスター・ジョンへの期待がたかまった。イスラムの降服がこの伝説の実現かとおもわせた。

** 0405 服従と納税のみをもとめる東方の軍
ところが欧州の民の期待にはんしプレスター・ジョンはサマルカンドの有力者と民衆に服従と納税をもとめキリスト教への改宗をめいじなかった。邪宗信仰をすてない民を放免した。そして 征服軍は街の人口調査をおこない商人と職人たちの頭数を調査し納税額を決定すると城外で移動式の住居にすみ、都市の政治は以前どおりイスラム教徒にまかせた。

** 0406 東方軍の西欧侵略の衝撃、中央アジアへの民族移動
プレスター・ジョンの支配に服従するかぎり商人たちにはアジアへの移動も、のぞむ場所での商いも保証した。国境をこえる際の関税を撤廃し旅の盗賊の危険を取りのぞいた。商業、工業は盛行し街の富はますますふえた。13世紀、欧州の民の期待をくつがえす大事件がおきた。プレスター・ジョンの騎兵軍団がルーシにあらわれウラジミール市にせまった。ルーシとはロシアの一帯をあらわす当時の呼称である。ウラジミール市は数日で陥落した。つづいて当時寒村にすぎなかったモスクワをおそい奪取した。そこで南の草原にひいて首都攻略にそなえた。そこが、現在の クリミア地方、アストラハン地方の黒海沿岸、さらに東のカスピ海沿岸である。そこには兵10万、職人、後方作業員20万、馬50万頭、羊300万頭がいたという。まるで東の一国が西に移動してきたようだった。その土地からも遠征軍におおくの若者がくわわった。

** 0407 ロシアのキエフを攻略、東欧を蹂躙
時はきた。ルーシの中心キエフをおそい手中にした。そこをおさめていたハエル公はハンガリーにおちた。ロシア正教の教皇からの被害報告に欧州が首をかしげた。ローマ法王は熟考の末にプレスター・ジョンは異端の輩に神の鉄槌をくだしたといった。1241年、ポーランドにあらわれた。ポーランド年代記がいう。この東方軍はポーランドとドイツからなる騎士団を軽装の兵士と近代的装備で圧倒した。レグニツァをおとすと首都クラクフをおとし数千人をころした。その余勢をかってチェコやハンガリーに侵入した。マシュー・パリス年代記によれば東方軍の東ヨーロッパ蹂躙は1年半つづいた。しかし極東の母国において大王が崩御する。遠征軍は母国に撤退した。

** 0408 教皇の集まりでタルタル人の侵略と結論
1245年、フランス、リヨンの聖 ヨハネ教会に各国の教皇があつまり、侵略軍がプレスター・ジョンの神軍かどうか討議した。彼らは地獄からの使者タルタル人との結論となった。タルタル人の呼称は欧州人の間に定着した。このタルタル人とはモンゴル人のことである。草原の民の中から一代の英雄チンギス・ハーンがあらわれ騎馬軍団を引きいて空前絶後の世界帝国をきづいた。

** 0409 モンゴル帝国のシルクロード整備
このモンゴル帝国により、シルクロードは整備された。イタリアのジェノヴァとモンゴルの間に通商条約がむすばれた。フィレンツェの図書館に商人セブロッティの記録がある。それによると国内に盗賊はいず夜でも通行は安全である。3.3%の売上税をおさめれば他にいかなる義務もない。国内で盗賊の被害にあっても条約をむすんだ、われわれには弁償をうけるなどという。

** 0410 モンゴル世界の出現
この状況は現在でいえばパックス・アメリカーナ。つまりパックス・モンゴリアである。ところでモンゴルは当時の征服者とちがい自らの思想、価値観、宗教を強制しない。であるなら何故、西方に大遠征したのか。モンゴルは未開地の開拓、運営、商業の振興、都市の政治運営に異民族から人材を積極的に登用してる。異民族征服の際にあった残酷な殺戮と対照的である。

** 0411 強兵、モンゴル軍、異民族からの人材登用
モンゴル兵は、どこに遠征しても移動式のパオでくらす。草原さえあれば活躍できる。乗馬技術とあわせて、彼らの粘り強さの秘密である。征服後も都市内部にすまない。都市運営で地元民との軋轢を最小限にできる。彼らがもとめたのは納税だけだった。

帝国の拡大にしたがい軍隊に異民族がふえる。ハーンおよび将校への服従心があれば寛容に受けいれた。人種による差別はなかった。公平に評価し高位につけた。古参兵ばかりを優遇しない。モンゴルの旗の下に多民族が一致団結できた。このような軍制は、めずらしかった。モンゴルのアイデンティティは宗教、言語、風貌、神話という共有性になく一種の「自由と強さ」という抽象的概念にあった。歴代のハーンは自らの帝国をモンゴル・ウルスとよんだ。ウルスとは人民である。「国家」とは「人」だ。これが強さの秘密だとキヨシがいう。

** 0412 多民族、多宗教のモンゴル帝国、力を尊重
この考え方は時代に先だつもの。アメリカの建国精神につうじる。50の州をたばねるのは「自由」。ここに国民が理想をみて、実現の行動にある種のヒロイズムを共有できる。ここにアメリカ人が結束もし他者に寛容にもなれる。広大な北アメリカ大陸を金銭と戦争で平定統一した過程はユーラシア大陸をモンゴル帝国としてゆく過程と同質である。アメリカが異民族にしめす寛容さはモンゴルの寛容さにつうじる。モンゴルはアメリカがしたように武力により狭量な意見の者を打倒しどんな権威も頓着せず颯爽と進撃した。「偉大なるモンゴル」という言葉は時代に先がける先進の思想であり得た。

** 0413 モンゴルのロシア支配
モンゴルはポーランドとハンガリーからさったがロシアには駐屯した。200年におよぶんロシア支配である。軍事面だけでなく政治、文化、移動手段でもすぐれてた。太平洋岸からモスクワにいたる広大な帝国を打ちたてた。ジャムチという駅伝制度を整備し国境線を廃止し商人の往来を自由にした。パイザという通行手形を発行した。これにより駅ごとに馬を乗りついで移動することができた。植民地に駐留する軍隊は最小規模だった。制度が大軍の移動を容易したからである。

** 0414 徴税権をかりてモスクワが台頭
モスクワはきびしく支配されたがロシア正教は保護された。この時代にその教会の数が倍増した。綿密な人口調査のもとモンゴルは徴税したが、ロシア皇帝イワン一世は賄賂をおくり徴税権を借りうけ、富をモスクワに集中させ、キエフを圧倒した。

** 0415 宮廷にモンゴル系が勢威、苛酷な徴税
モスクワの宮廷にモンゴルの貴族は4分の1となった。チンギス・ハーンの血をひく貴族は権勢をふるった。モンゴル・タタールの軛とい言葉がある。この時代のこと、モンゴルへの納税にあえぎ、モンゴル支配層のおもい車をひいてるという構図である。モンゴルの徴税人はバスカキとよばれる。その苛酷さをうたう歌がのこってる。

** 0416 モンゴルの大都の繁栄
金のない者から子どもを、子どものないものからは妻を、妻もないものからは本人の首をとるという。税金は銀ではらう。インゴットにされた銀が都におくられた。莫大な銀によりカンバリクとよばれる巨大都市を草原に建設した。世界中の商人、商品、富があつまる国際都市である。中央には世界一の宮殿がそびえ大都の敷地内にはラマ教寺院、イスラム教、キリスト教の教会が並立した。宗教の自由がみとめられ、争いはなかった。世界中の歌舞音曲があふれ、うつくしい踊り子があつまった。

** 0417 運河にはこばれた交易品の数々
ギリシャ、エジプトからの品々が船にのせられ内陸部にもかかわらず閘門式の運河をさかのぼって大都の港にやってきた。また青磁の壺などが欧州にむけ大都の港から船出していった。閘門式とは高所に船をはこぶ水門式運河のことである。大都は後の北京である。西の果てのモスクワである。粗末な木造の砦だったクレムリンは広大な全面石造りの城塞となる。モンゴルを後ろ盾としたイワンは西にむかってはツァーリ(皇帝)としょうし、東にむかってはサガン・ハーン(しろいハーン)としょうした。

しかしモンゴルの権勢にも、おとろえがあらわれる。エジプトでトルコ系の民族、マルムークの軍勢にやぶれる。本国、中国では樺太、日本、インドネシアなどへの海外遠征がことごとく失敗する。やがてハーンは壮大なカンバリクをすて北のカラコルムへ撤退する。モンゴル帝国は寸断され残存勢力が割拠する時代となった。ジャムチもまた寸断された。モスクワはモンゴル残存勢力の割拠地となった。15から18世紀においては依然タタール人の割拠地となってた。

** 0418 モスクワの強勢、モンゴルの衰え
およそ4つある。1つはモスクワのタタール、2つは南のウクライナ、 クリミア半島のタタール、3つはその東、黒海沿岸のアストラハン地方のタタール、4つがその北、カザン地方のタタールである。モスクワのタタールは分裂、衰亡しスラブ系の白人はモスクワ周辺からタタール系を完全駆逐に成功した。これによりロシアはタタールが支配してた広大なアジアをそのまま引きつぎ、一夜にして世界最大の帝国となる。

** 0419 帝政ロシアの強勢、残存タタールの変遷
カザンのタタールもアストラハンのタタールも弱体化したが、 クリミア・ハーン国だけは18世紀にいたるまでその勢力をたもった。この地方のタタール人は依然強力な騎馬軍団を組織しモスクワをおびやかした。

しかしエカテリーナ二世の時代に帝政ロシアは絶頂期をむかえ クリミアのタタールに対抗できるようになった。1783年についにロシアが クリミアを併合した。これにより550年間にわたるモンゴルの支配から脱けだした。

** 0420 独立をもとめる現代のタタール
ところがクリミアのタタール人は存在を主張し現在の クリミア自治共和国となった。カザン市のタタール人は現在のタタルスタン共和国となった。両者ともソ連からの独立には失敗したが、なお独自性を主張してる。これがモンゴルのルーシ侵入からロシアのモンゴル支配脱出の過程である。現在世界を二分する勢力はアメリカとならびソ連だが、そこにいたるには、ながい従属の歴史がかくれてる。

** 0421 4人の母親はタタール人の末裔か
この歴史を理解したキヨシは、ここに今回の事件の謎をとく鍵があるとかんがえた。 クリミア共和国のサライ・ミルザエワはタタールの末裔、タタルスタン共和国のニーナ・コザカも末裔らしい。アストラハンのイリーナ・サファエワの地域は15世紀までタタールが勢力をふるってた。ウズベキスタン共和国、タシュケントのマミーン・ジャイミエワも末裔らしい。つまり4人ともモンゴルの血をひく子孫たちらしい。そしてこれが耳の光る児とどういう関係があるのか。ついにキヨシは重大な法則性を発見した。

* 0500 タタールの末裔が出あった事故
** 0501 浮かびあがる法則性
チームがタシュケントのカザン大学病院でニーナ・コザカとその子どもにあった。4組の母子、計8人を俯瞰した際に法則性がみえた。

** 0502 母親の年齢が22歳、夜光クラゲの光り
まず4人の母親たちの年齢である。22歳だった。誕生日が接近してる。9月と10月だった。チームは現在3ヶ月の子どもを診察した。これは夜光クラゲの発光色ににてた。ならばクラゲのGFP遺伝子がかかわってる。この疑惑がうまれた。チーム全体に衝撃がはしった。そこに突然、ロシア政府から要請がとどいた。調査の中止と、すみやかな国外退去である。チームはおおいに当惑した。ソ連共産党時代の悪弊が復活したと憤慨した。

** 0503 調査の中止要請、調査団の出国
みんな不満をもちながらも要請におうじた。キヨシも一同とともにドイツのハンブルク空港まで国外退去した。しかし、そこから尾行の有無を確認し、単身ウクライナのシンフェロポリ空港に舞いもどった。キヨシはこうかんがえた。

** 0504 キヨシがウクライナで単独調査へ
ウクライナとモスクワの仲はわるい。ウクライナでの行動は察知されにくい。中止要請はロシア政府が現象の理由に気づいたことを意味する。しかしキヨシも見当がついてる。なら自分の足で補足するまで。気づいたが、それは受けいれをきめた時でない、中止要請のあたり。おそかったのは、原因が最近のものでない。最近ならすぐ気づく。調査要請をおこなわない。気づいて原因にかかわる事態をしられたくない。そのため突然の中止要請となった。

垢ぬけない方法である。かなり具合がわるい事情がある。赤子の耳がひかった理由がそこにあると判断した。さらにもう一つ。外国の専門家を受けいれたのは、解決に最先端の専門知識が必要とモスクワが判断した。しかし中止を要請。そのような知識は必要ない。また突然の要請には、まずいことをしたとの後悔も。そしてキヨシには独自の知識があった。それはロシア人とタタール人とのながい確執の歴史だった。

** 0505 母親とのインタビュー
空港におりて、そこで時間をつぶし尾行の有無を再度確認した。それからレンタカー屋にいってオートバイをかりた。これも尾行があった場合の便をかんがえてのことだった。高原にあがり畑の中をぬけて、サライ・ミルザエワと夫がすむ家にいった。集会場の一隅だった。畑仕事のため夫はすぐ表にでていった。

** 0506 母親の人生、両親、祖父母、曾祖父母
キヨシがきく。お父さんは馬にのりましたか。否。父のことはまったく不知。自分がうまれてすぐ家をでたという。祖母も話題にしなかった。しかしサマルカンドの都市生活をした人、のらなかっただろう。あなたは13世紀モンゴルから遠征してきたタタール人の末裔か。そう、祖母がいってた。末裔と自覚があるか。ある。馬にのりたいか。はい、それがタタール人のアイデンティティだから。成程、タタール人は馬を自在にあやつってロシアを征服した。長年支配をつづけた。

** 0507 騎馬兵だった曾祖父
ロシア人はうらむ。これをしってたか。はい。だから私たちをサマルカンドに追放。それで祖父も母も死亡。ふむ、今のあなたがたは馬にのれない。馬がいません。タタール人の乗馬技術はいつまで生きつづけたか。きいてるか。曾祖父はロシア軍の騎兵。成程、現在の戦争は馬を必要としない。しかし第1次大戦まで騎兵を必要としたはず。13世紀東ヨーロッパの軍勢はモンゴル騎兵軍団にくっした。ロシアは次第に力をつけ近世になるとタタールの才能を封じこめたが、その力を必要としたはず。第1次大戦までタタール人の騎馬軍団が軍隊にあったはず。どう。

あった。曾祖父はそういう兵隊と。非常に乗馬が得意。タタール人は先天的に乗馬の才能がある。そう。祖母がいった。曾祖父の頃までロシア軍内にタタール人だけの騎馬部隊が。成程。タシュケントのマミーン・ジャイミエワの祖先もそうでしたか。かも。ジャイミエワさんとそのことを、はなした。否。お婆さんにお爺さんやひいお爺さんの戦争体験をきいたことは。祖父はながくレジスタンス活動に協力、病をえて病床に。サマルカンドにおくられる途中で死亡。では第2次大戦のことは。服役と。負傷、家にかえされる。それからレジスタンスに参加。だんだん病気がひどく。病気は何。結核。吐血は。

** 0508 母親のその母親の出来事
そう。ふむ、従軍したのは馬にのって。否、それは曾祖父。成程、では第1次大戦に従軍は。したと、騎兵。ではこの人の戦争体験中でかわったことは。何もきいてない。曾祖父は戦死、第一次大戦で。キヨシは熟考の後に質問。とても大事なことをきく。ぼくの考えでは、あなたとジャイミエワさん、サファエワさん、コザカさんの4人は過去のある日、ある時、かならず非常にちかい場所に集合してる。でなくては理解できないことがある。どうか。否、ない。ふうん、そうではない、あなた方のお母さんです。えっ。そう。お母さんの集合であり、あながたの集合、つまりお母さんのお腹の中にいた時にです。ええっ。

** 0509 22年前、その母親におきた出来事
へえ。そう、お母さんの年齢もお父さんの年齢もばらばら。耳の光る赤ちゃんをうんだ時期も。しかし、あなたたち、お母さんは1982年の9月と10月にうまれてる。はい。だから1982年に何かがあったはず。そう。1982年にお母さんに何がありましたか。母とははなしてない。ああ。お婆さんは何かいってないか。ううん。1982年の春頃でしょう。母は自分をうんですぐなくなった。何故、病気か。事故。どんな。ああ、母は毒ガスの事故にと。どういうこと、どこで。ドニエプロペトロフスク、ウクライナの。ユジマシ工場があった場所ですね。はい、イープルの会という集まりがあって。そのセレモニーに母が出席して。

** 0510 もと毒ガス工場での爆発事故に遭遇
イープルはベルギーのイープルか。はい。それ。第1次大戦中に硫黄マスタード・ガスがドイツ軍によってはじめてつかわれた場所。この毒ガスの被害をイペリットとよびます。それで。ロシア軍でもっとも被害をうけた。それがタタールの騎馬兵団。イープルでですか。いえ、その後、別の戦場で。この会は被害者をわすれないためのもの。それが1982年に。そう、その頃は毎年開催。今は4年に一度。ではお婆さんが。いえ、祖母は出席を拒否された。追放されてたから。成程、ではお母さんが遺族として出席。はい。では、ジャイミエワさん、サファエワさん、コザカさんのお母さんも遺族として。かも。イープルの会はおおきな集まりか。

** 0511 イープルの会の由来、その母親の参加
はい、とても。いつもは各地だったが。女性もたくさん。そのはず。何故ドニエプロペトロフスクか。いつもか。否。その年だけ。どうして。ユジマシ工場がある一角に軍事研究所が。そこではたらいてた人に遺族が。そこには毒ガスの製造工場も。サルファー・ガスでなくて。ホスゲンとか、ルイサイトか。ええ。それを他の遺族の人たちにみせようとした。だからその年だけドニエプロペトロフスクで総会。大勢がその研究所のホールに。ふむ、そうしたら。事故がおきて。どんな。タンクが爆発、ガス漏れ。大量に。はい。何人かの死者、大勢が昏倒。見学中か。はい。それは深刻な。だからタタール人をねらった故意とも。イペリットか。さあ。カラシのような匂いが。したときいた。ではイペリット。水疱は。母にはでなかったが、重傷の人には。イペリット、これは別名びらんガスという。気がつくと母は病院の中と。大部屋で大勢の人が。

** 0512 その母親の入院、馬乳の看護
軍の付属病院、1月間入院。赤ちゃんは。無事、視覚障害、聴覚障害、運動障害なし。よかった。そこではじめて妊娠をしったという。手あつい看護、タタール人としって馬乳。へえ。毎日かかさず。病院内に馬が。だが、出産、死亡。はい。事故はいつ。4月と。爆発は建物の壁をやぶったか。一部は。毒ガス製造工場のちかくに生物化学兵器の研究所もあったか。はい。ふうん、馬は。何頭か死亡も。ふむ。耳の光る児の原因はこの事故が。そう。しかし正確な資料がない。仮説しか。沈黙。このとき3人の母親もいたと。そう、そしてもっと大勢のタタールの女性も。しかし女の子を妊娠してたのは4人だけだったろう。

** 0513 その母親が女子を妊娠中だった
女の子とは。生殖細胞をもつ人間。へえ、何故タタールに被害が。タタール人の慰霊会。イペリットでしんだ人たちの。ああ。イペリットで耳が。否、でも引き金の役割を。自分の息子は大丈夫か。断言したくないが、多分。息子さんは偶然に特殊なタンパク質をもつこととなった。しかし悪影響はないでしょう。本当か。あなたが無事にここにいるから。あなたは息子さんとおなじ。耳が。へえ。たぶん。しかし当時は紫外線のこと問題には。だから気づかない。でも、あなたは無事に成長。成程。

* 0600 遺伝子組み換えのいたずら
** 0601 ほかの3人も参加してた
ウプサラにもどったキヨシは3人の母親の調査をした。ロシア側は最大限の妨害をした。キヨシにきく。3人の女性の母親は会に参加してた。では、材料はそろった。そう。ではときく。私たちはメーラレン湖畔につきポルシェ・カイエンはシアルビィ館の駐車場にある。

これは仮説だ。ハインリッヒ。これは遺伝子組み換え実験中の事故だ。GFP遺伝子のことは。いや。

** 0602 夜光クラゲGFP遺伝子の謎、遺伝子組み換え実験の仕組み
夜光クラゲをひからせてるタンパク質。ほう。これは初歩的な遺伝子組み換え実験でよくつかわれる。大腸菌のプラスミドにこのGFP遺伝子の配列を組みこむ。ウイルスにせっしさせる。ウイルスにはもともと、これににた遺伝子がある。これが組みかわる。クラゲのGFP遺伝子がウイルスに入りこむ。ちょっと、プラスミドとは。

** 0603 運び屋プラスミドのこと
ほとんどの生物は染色体のほかに、独立したちいさなDNAをもつ。代表的な例が呼吸をする生物がもってる。ミトコンドリア。それは呼吸からエネルギーをえる器官だね。そう、この遺伝子は染色体でなく、ミトコンドリア自身のもってるDNAにしまわれてる。ほう。またあるいは植物だ。植物は太陽の光から自分の体をつくる光合成という反応をする。これは葉緑体という器官で。この葉緑体の機能をつかさどる遺伝子もまた 葉緑体自身の中のDNAにしまわれてる。これが代表格だが。ほかにも、非常にちいさなDNA分子を細胞内にもってる。大腸菌のような細菌も。これをプラスミドという。

** 0604 運び屋の仕事
成程、で、それはどんな役割。不明だね。これらの大半はまったく存在理由が不明。そういうものをクリプティック・プラスミドという。ふうん。ところで、これは研究者にとって非常に好都合な性質。大腸菌のプラスミドは形質移転という方法でほかの生物に移動する性質がる。これはあるストレスをうけると大腸菌の細胞膜がよわくなる。するとプラスミドDNAを菌体内に取りこむためだ。通常の遺伝子組み換えはこの性質を利用。つまり遺伝子組み換えは人工的な形質移転。そのためにこのプラスミドを運び屋として利用する。具体的には。

ある目的の機能をもった遺伝子をあるプラスミドの中にいれ、これを大腸菌の中にいれるが、この場合、こい塩分でストレスをあたえる。するとプラスミドが大腸菌内にはいる。

** 0605 移転の成功をどう判定するか
成程、でもいつでもうまく。ゆかない。では、うまくいったかわからない、どうする。ううん。ひとつの方法は、この運び屋プラスミドにまえもって抗生物質耐性をあたえておく。ほう。もともと抗生物質耐性をもつものは自然界にはほとんどない。だから人工的に添加。人工形質移転がおきた。なら、この抗生物質とせっしさせる。生きのこれば遺伝子組み換え実験は成功した、ということ。成程。

** 0606 そのひとつ、GFP遺伝子をウイスに組みこむ
もうひとつ。プラスミドに発現プラスミドというものがある。これは遺伝子組み換えで導入する遺伝子はただ遺伝情報をもってるだけ。何もしない。目的の機能を発揮させるためには遺伝子から、その情報にもとづくタンパク質をつくる。これが必要。タンパク質をつくることを発現させるという。それで導入する遺伝子の運び屋として利用するプラスミドに後にうまく対象にはいったか確認する。そのために抗生物質耐性をもたせる。これは説明ずみ。このほかに遺伝子の情報を発現させる体質までもたせる。こんな方法もある。ほう、もともとそんな性質があれば、それにこしたことはないね。そう。成程、それがGFP遺伝子というわけか。それは発光という機能をもってる。外からみえるね。

** 0607 蚕に注射すると紫外線でひかる
そんな考え方。そこでこの遺伝子を組みこんだウイルスを蚕に注射する。この遺伝子は蚕の生殖細胞にはいる。それからGFP遺伝子をもった蚕がうまれてくる、というわけ。ははん。その蚕はひかる。暗所で紫外線をあてる。緑色に。ほう。で、何故蚕か。蚕は非常に有益な虫。そんなふうなやり方でうまく改造、制御してやれば、人間に有利な物質をつくりだせそう。どんな。たとえば医薬品。糖尿病。インスリンは生物がつくるホルモン。あまねく存在するが生物から抽出は高コスト。だから、現在は酵母にインスリンの遺伝子を組みこんで大量につくる。薬品を安価にするのに成功。

** 0608 遺伝子組み換えの実用性はたかい
ああ。あるいは成長ホルモンがでなくて小人症の治療、遺伝子組み換で供給。そうか。蚕には人工皮膚、これをつくってくれるタンパク質の生成。へえ。そう。戦争に役だちそう。然り。さまざまな人間の損傷を治療させる物質や薬ができるなら。そういう実験をドニエプロペトロフスクの秘密研究所でやってたか。

** 0609 組み換えられたウイルスが感染かも
1982年は遺伝子組み換えができるようになった時だ。ロシアでもさかんに実験を。成程。では、GFP遺伝子をいれた蚕が。そうでない。ウイルスが。へえ、この遺伝子をもつウイルスが妊娠中のタタール人の母親に。そういうことか。ううん、不明。ガス工場の間取り、事故の規模、隣りの研究所との距離、そっちの間取り、研究内容、馬小屋の位置。何ひとつわかってない。そもそも爆発原因も。爆発物、などなど。

注射によっても。ないとは。天山山脈でしにかかった友人の話し、医者がだす注射針がさびてた。ふるえた。ドニエプロペトロフスクの医者がシルクロードの医者と大差なかったとしたら。あるいは。故意か。

** 0610 馬に感染、馬乳から、その母親に感染かも
1980年代はもはやヒトラーやスターリンの時代でない。しかし研究の黎明期、杜撰だったかも。安全性の確保、そのノウハウも。でもうたがわしいのは注射では。いやそれなら、むしろ馬乳。この親切がかえって仇。そこにウイルスが混入してたかも。ああ、馬がしんだね。何故ここに馬が。何の実験。ふむ、この場合、馬はもっとも危険、さけるべき。そう。かりにそうだとして、そのウイルスが人の生殖細胞にはいれるか。できない。もっと厳重、かりにはいれたとして、その場所の環境、さまざまな障害にたえ適応し生きのびる。そのあげくに遺伝子にセットされた機能を無事に発揮する。無理。では、どうして。

** 0611 マスタード・ガスが、その母親の生殖細胞への移転を促進したかも
考えうるとしたら毒ガスによるストレスだろう。ああ、これが細胞膜を弱体化させ、GFP遺伝子の機能発揮の傷害まで取りのぞいた。毒ガスの成分をしらないと。何とも。イペリットか。主成分はそう。だがそれにくわえ種々の成分があり得る。そうか。

** 0612 子どもたちは多分、大丈夫
海洋生物の遺伝子をもつ人間、子どもたちは無事にそだつか。そうしんじてる。断言できないのか。根拠はあるが断言は無理。22年前、ドニエプロペトロフスクの軍事研究所で爆発、巻きこまれ耳の光る児がうまれる。そのロシア人がモンゴルからきた民族の末裔。誰も想像できない。

** 0613 出あったポルシェ・カイエンが神の啓示にみえた
私たちは湖畔を一周しまたシアルビィ館にもどる。のってきたポルシェがみえる。キヨシにきく。君はロシアからもどってきた。あの車がまってた。これを神の啓示とかんじた。そういわなかったか。いった。何故。今回のこの事態にイペリットが関係してるとずっとかんがえてた。もどってきてあの車をみた。何故。匂い、イペリットは別名マスタード・ガスとも。あびた人が全員カラシの匂いだとかんじる。ふむ。 クリミアのサライ・ミルザエワもそういってたね。ガスをすった母親がそういったと。うん。それが。この車の名前だ。Cayenneはフランス領ギニアの首都の名前。ここをはしるに相応の車とい意味だろう。でも英語ではトウガラシのこと。トウガラシはギニアの特産。だから街の名前。首都の名前から車の名前。だからトウガラシ。ああ。だからこの車がイペリットを暗示してた。
(おわり)

* 0700 感想
ここでは殺人はおきてない。しかし、その特徴である壮大な構想、複雑な論理の組立て、その創作の秘密が垣間みえてる気がする。最後には数奇な運命のもとにうまれた女性たちの物語としてまとまる。彼女たちの幸せはこわされなかった。後味のよい物語だ。

* 0800 テーマ
テーマは中央アジアの各地に耳の光る児がどうしてうまれたのか、その謎を解明することである。遺伝子組み換え技術、遺伝子操作という生物工学の領域に踏みこんでいる。その筋をたどるのは、なかなかむずかしかった、という感想である。

* 0900 評価
ア) 原理的に可能かと、イ) 現実にあり得るかに、気になるところがあった。

1) 原理的疑問
母親のその母親の生殖細胞にウイルスが感染した。通常おきない現象がマスタード・ガスにより可能となったと示唆してる。あり得るか。あまりに専門的で評価しかねた。

2) 現実的疑問
何故、中央アジアのはなれた各地に4人の耳の光る児が存在するとわかったのか。どのような経緯であったか。普通の健康診断でおこなわれることでない、とおもう。物語の発端となるのでどうしても気になった。


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