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謎解き島田、溺れる人魚 [島田荘司]

* 0100 はじめに
壮大な構想と迷路のような複雑な筋で読者を幻惑し、最後に感動の結末を与える島田荘司さんの「謎解き島田」を提供する。中身はいわゆるネタばれに溢れてる。本作品を未読の方には、すすめられない。

* 0200 2006年、リスボン
** 0201 ドニゼッティ劇場、愛の妙薬
リスボン。コメルシオ広場。路地。坂をあがる。昨夜は、川向うのホテル泊。フェリーでこちらに到着。サンフランシスコからイタリアを経由して、ここにきた。ここのドニゼッティ劇場にオペラ「愛の妙薬」がえんじられてる。そこでうたわれるアリアの「人知れぬ涙」を作曲者の出身地の劇場できくための観劇だった。

サンフランシスコ、マンダリン・ホテルでUCバークレー校血流制御内科学の教授、ナンシー・フーバーと、彼女の友人の3人で会食した。そこで彼女がポルトガルの水泳選手、アディーノ・シルバの話しをしてくれた。彼女は1972年、ミュンヘンオリンピックで4つの金メダルをとり、たちまち有名人となった。ところが、いつの間にか世間から姿をけした。その事情については、わたしは、しらなかった。ナンシーは彼女に格別の思いももってたようだ。2000年の夏、思いたってリスボンにゆき、もと夫と面談。絶望的な間違いに気づいて愕然とした。学者として責任をかんじてた。自分もその責任感に共感した。それとともにベルガモとリスボンへのつよい郷愁にとらわれた。

** 0202 リスボンの歴史
リスボンは東西2つの丘で構成。わたしは今、西の斜面をのぼってる。18世紀風の建物が散見。紀元前1200年ころフェニキア人が街をきづいた。今ものこるサン・ジョルジュ城の原型が丘の上にあったろう。時代がくだりローマ人が侵入して街を統治した。中世イスラム教徒にかわり、城は拡張整備された。やがて大航海時代、大西洋にひらいた港からおおくの冒険家が船出していった。太平洋の果て、キヨシの国に最初にたどりついたのは、ポルトガルの船だった。思えばあの時がこの国の華の時期だったろう。

インド航路をひらいたヴァスコ・ダ・ガマは国王に表彰され、16世紀マゼランは太平洋への扉をひらいて地球がまるいことを実証した。以降、莫大な富がリスボンの港にはこばれた。大西洋に最初に乗りだしたのはジェノバのイタリア人だったが、実質的な大航海時代をひらいたのはポルトガル人だった。

キヨシの国からの親善使節がヴァスコ・ダ・ガマのインド航路をつかってローマ教皇との謁見を目ざし最初に寄港したのがリスボンだった。もっともその時は隣国スペインに併合されてた。路地も階段もふるくてせまい。最下段にあるアルファマ地区の路地はせまく、意味もなくまがってる。向こうから人がくると建物の戸口の窪みに避難して通りすぎるのを、またねばならない。

** 0203 下町の人情、暮らし、坂の街、市電
下町の女性たちは人なつっこい。けれど暮らしはゆたかでない。共同洗濯場にゆく。中央の水槽の周囲のセメント囲いのうえ、そのところどころが波板につくってある。そこで主婦らは洗濯をする。きけば家に洗濯機がない。アルファマ地区ではシャワーさえないアパート、あってもこわれてる部屋がおおいという。

あたらしい街とちがい道路がせまい。リスボンはおそらくフェニキア人が統治した時代につくられた原型のまま、今日まできてるのだろう。古代、用足しは自分の足だけでおこなう。だから街はどうしてもちいさい。道もせまくなり住宅地区では廊下になる。

坂道はより急坂になれば石段があらわれる。それをのぼっていったら、ふいに電車通りにでた。リスボンの主要幹線たる28番線電車がわたしの目の前を過ぎていく。急坂も苦にせずにのぼっていく。

線路にそい、しばらく市電についていく。家に接近してはしる。ときに壁面ぎりぎりをはしり、窓やテラスの洗濯物をかすめていく。8分から10分おきとかいてあるが、ずっとおおい。わたしのすぐ横を、2、3台の電車がつらなって追いこしていく。路地には電車につづいて自動車もはいれば人もはいる。ゆっくりな電車だ。と、おもったら前に荷物をもつ人がいる。荷物で追いこせない。すると後続も。だから数珠繋ぎに。道端に停車した車のせいで市電が何台もたまる。警笛をならしドライバーをまつ。こんな光景をみた。

産業革命後にあらわれた文明の利器を古代都市に無理にはしらせたから。それでも市電は永遠に廃止できない。急坂にはりついた街だから、ここにくらす老人や肥満の女性たちにとって電車やケーブルカーは日常の必需品だ。

それでも坂の街の素晴らしさは、足をとめるごとに実感される。歩きつかれ背後を振りかえれば常に大西洋がのぞめる。雲間からおちる陽をあび、しろくかがやきながら東洋にまでつづく波間は。この街の若者に東への冒険心をかきたてたろう。

* 0300 ふたたび警告
この後に、ネタばれの内容がつづく。本作品を未読の方に閲覧をすすめない。

溺れる人魚

溺れる人魚

  • 作者: 島田 荘司
  • 出版社/メーカー: 原書房
  • 発売日: 2006/06
  • メディア: 単行本



* 0400 アディーノ、悲劇の部屋
** 0401 ピーニョ・ベルデ通り、アパート、アディーノの記憶
坂をかなりのぼり、ピーニョ・ベルデ通り2006番のアパートについた。わたしはアディーノの知人でない。ナンシーから住所をきいてやってきた。彼女は5年前に拳銃自殺し、看病してた娘も翌月に首吊り自殺した。アパートの前にはセメント、漆喰の袋が積みあげられ頭上から工事の音がきこえた。

通りがかった女性にきいた。ここはアディーノがいたアパートか。誰。もとオリンピック選手。5年前に拳銃自殺。ああ、あの頭のおかしな人。そう、ここ。しかし工事中。そう。市が買いあげ改修中。わたしは扉をおして中に。人数がおりてくる音。アディーノのファン。2階をみせてほしい。中年の男。上にパウロがいる。彼にいえ。2階で。親方にことわった。アディーノのファン。みせてもらっても。いいよ。青年がすわってるリビングルームらしい部屋。寝室らしい小部屋。トイレ。シャワールーム。バスルームはなかった。小部屋には両開きの窓。居間からパティオに。眺望が素晴らしかった。不世出の天才、精神の障害、30年ちかく車椅子の生活。拳銃自殺。普段は感情をうしない、時々、娘に人をのろい感情を爆発させた。

アディーノが人間らしい感情をみせたのは彼女のコーチだった夫、ブルーノ・ヴァレと思い出の曲「人知れぬ涙」をきく時だけ。ブルーノも水泳選手だった。彼は彼女の素質を見ぬきコーチとしての才能を発揮。彼女に献身した。

** 0402 オリンピックの活躍、結婚、スキャンダル、精神障害、幽閉
アディーノの武器はドルフィン泳法だった。イルカのようにするどく身をくねらせて突進した。今も伝説となってる人魚泳法だった。彼女はスタート時にこれを駆使しライバルを圧倒した。30メーターもさきに浮かびあがれば仲間はすでに後方たった。この潜水人魚泳法をうつ伏せでも仰向けでも、まったくかわらず発揮した。これは誰もまねられなかった。この泳法は腰に負担。そのため腰をいためる。天性の肺活量と背筋力、そして抵抗のすくない長身でスリムな体型をしていた。さらに美貌にもめぐまれてた。ブルーノはバタフライと背泳をえらび、彼女をきたえた。アディーノは自由形でも能力を発揮し、72年のミュンヘンオリンピックでは4つの金メダルを祖国にもたらした。

この後、アディーノとブルーノは結婚。新婚旅行の帰路、二人はベルガモに立ちより「愛の妙薬」をみた。それはこのオペラのヒロインの名前がアディーノ。劇中、主役の青年のモリーノが「愛の妙薬」というインチキ薬をのませ彼女を射とめた。自分をモリーノに見たてた。ブルーノは妻をふかく愛し尊敬してた。劇で1番の聴きものが「人知れぬ涙」である。この曲が彼女の生涯の愛聴曲となった。これは、もっともかがやいた青春の記念碑だった。晩年、精神障害から気むずかしくなったが、これをきくと、しずかになった。娘は日に何度もこれをきかせた。ナンシーの話しによると、これをきき涙をながし綺麗な曲といったという。

** 0403 部屋の様子、市電の線路
電車の音。眼下に28番電車。路地いっぱいを窮屈そうにすすむ。路地に線路は1本しかない。下の道に電車がとおるのか。ああ、上りも下りも。でも線路は1本だけ。ここではケーブルカーみたいに、1本で上りも下りも。1両ずつのケーブルカーなら、すれ違う区間もきまってる。たまたま上下が対面したら。そういう時はどっちかが道の入口でまつ。ふうん。そういう場所はほかにも。いくつかある。成程。この手すりは、ずいぶんたかい。わたしの胸まであった。この部屋は特別にたかい。精神をやんだ人がすんでたから。落下を心配。下に電車もくる。ちがうとわたしは、おもった。当時のポルトガルの医師の無知、誤解により、こうなっただけ。取りかえる話しもあったが、予算がない。そのままと。ふうん。

** 0404 栄光と没落、病院の夫
今はずいぶん、なおした。前は牢獄みたい。シルバさんは、動物をかってたか。さあ。君は5年前にすんでたシルバさんは、しってた。名前だけは。どんなことを。70年代の天才的な水泳選手。そう。ほかには。世界的選手、背泳、バタフライ、自由形、メドレー・リレーで金メダル。圧倒的強さから世界の期待がたかまる。スキャンダルをおこす前までは。彼女の人魚泳法は後に禁止。彼女の記録は抹消。

当時は大変な有名人で。ああ、マゼラン以上の。ほかにしってることは。たいして、頭がおかしくなって晩年はここに幽閉。そして聖アントニオ祭の夜、心臓をうって自殺。あと彼女の昔のご主人が、今サン・ホセ病院で危篤状態とか。ブルーノ・ヴァレか。そう。わたしは病院にゆこう、とおもった。

* 0500 アディーノの栄光と悲劇
** 0501 来訪の目的、謎の事件
病院はおなじ西の丘にある。市電でいった。28番市電はまるでローラー・コースターのようにおおきくアップ・ダウンしてすすむ。ナンシーからきいたアディーノのことを思いだした。彼女は2001年6月に自殺。それはオリンピックから29年。51歳。数々のスキャンダルのあと植物人間となった彼女は世間からわすれられてた。しかしナンシーによれば彼女の生涯最大のミステリーはこの自殺のさいにおこってる。わたしがリスボンにきたのもこの謎をときたかったから。

彼女の生い立ちだが、父親はわかい頃サッカー選手だったらしい。傷害事件で刑務所にはいったことがある。

** 0502 生い立ち、両親、水泳との出会い
彼女の過激な性格は父親ゆずりかも。現役を引退して漁師。嵐で難破、死亡。母親はアモレイアスという。市場で夫のとった魚をうってたが、死後、一時、いかがわしい商売に身をおとしたとも。アディーノが高校生の時、交通事故で死亡。兄弟はない。無料孤児院にいれられてた。彼女が頭角をあらわしたのは施設で水泳コーチをしてたブルーノの目にとまってから。その泳ぎにおどろき、国営の水泳強化チームにいれ、寄宿舎にすまわせた。18歳だった。

** 0503 オリンピック、栄光、スキャンダル
オリンピック以降の彼女はシンデレラだった。プールのついた宮殿のようなアパートにすんだ。ヨーロッパのマスコミに追いまわされた。ポルトガルの誇りといわれた。フランスで映画に出演した。これが頂点だった。麻薬で精神と体調をおかしくした。転落ははやかった。練習試合で隣りのコースの女子選手に掴みかかった。リスボン空港で乱闘騒ぎをおこした。これは南仏のリゾートで盗撮されたのが遠因という。カメラマンに怪我をおわせ、相当の慰謝料をはらった。リスボンの水泳協会の事務員を突きとばして、警察に通報された。悪口をいったという。傷害で逮捕された。半年の服役だった。コーチである夫は妻を見すてなかった。24歳。次期のオリンピックへの参加をねらってた。

** 0504 つづく奇行、夫婦生活の綻び
次第に理解不能の奇行をみせるようになった。ナンシーによれば、夫との夫婦生活がおかしくなった。家では勿論、プールの中でも旅先でもレストランでもセックスを要求した。およそ満足することがなかった。いきなり呼吸をあらげ要求した。ふるえ、あえぎ、痙攣をおこした。そして達した。こういうことが1日に何度もおこるようになった。刺激するものもなく性衝動が頻発した。夫は麻薬の影響をうたがった。麻薬は発見されなかった。アディーノの精神は日をおうごとに悪化した。1日中発情した。泣きさけび夫に暴力をふるうようになった。夫は恐怖をかんじた。外出もむずかしく、練習でプールにゆけなくなった。水泳連盟はブルーノに練習にでるよう催促した。

** 0505 コスタ教授の診断、治療
彼は苦慮し、リスボン大の精神科のリカルド・コスタ教授に診断をあおいだ。先天性のニンフォマニア(色情狂)といった。ホルモン抑制剤を注射し、精神安定剤と性欲が減退する薬を処方し、彼女に振動をあたえないように注意した。電車、自転車、低音がよくひびくディスコティークの店をさけるよう助言した。教授は自説を付けくわえた。オーガズムは男性に必要かもしれないが女性には不要。薬物によってこれを抑制しても問題ないといった。薬をつかうと精神は安定したが記録がのびなくなった。モチベーションを維持するため、薬をへらすと、発情し、夫に暴力をふるった。ある晩、奇妙な物語を夫にした。

* 0600 わたしは人魚、ロボトミー手術
** 0601 大西洋の人魚、人間を悪に誘惑、快楽は罪
わたしは大西洋の人魚なの。娘のアメリアに乳をふくませながらいった。レンヌの司教マルボードがかいた娼婦についてという詩をしってる。最悪の囮、それは女だ。この女は人魚のこと。ベッドに横臥したブルーノに近づいた。

オータンの司教ホノリウスによれば水の上で竪琴をかなでる人魚は性欲の象徴。角笛をふく人魚は傲慢、歌をうたう人魚は物欲を象徴してるの。3人の人魚は罪を前にした人間の心をくじき、ついには死の眠りへといざなう3つの誘惑をしめしてる。そして地獄の責め苦へと引きずりこむ。人魚が女の顔をしてるのは愛欲ほど神の崇高な精神にそむかせるものは、ないから。くすくすわらって、愛してるといった。

快楽は罪。性的な行為は夫婦間、それも生殖の目的においてのみ、ゆるされる。行きすぎた快楽はゆるされない。これが聖職者たちが繰りかえし、といてきた神の教え。こういう主張はコスタ教授のような堅物によって繰りかえし、とかれてきた。アディーノの震えが全身におよんだ。ブルーノを押したおし首をしめた。からからとわらい、ねえブルーノ、わたしは人魚。また首を。抵抗した。だからあの泳ぎができるんだ。ブルーノ、人魚は何をたべてるか、しってる。

** 0602 ブルーノの肩肉、ほとばしる鮮血
人の肉よ。そして肩をかんだ。人の肉をたべて、いきてきた。そう。人魚には魂も感情もない。難破した漁師を海底ふかく引きずりこんでたべる。そう。父もそうしてたべた、わたしが。えっ。危険よ、人魚は。そう、だから世界記録を。人魚なら簡単。たべられたら危険。どうすればいいか、しってる。さあ。拘束する。どこかにとじこめる。でも、プールにゆけなくなる。魔女は拘束しなさい。危険だから。ふるえる声でさけぶ。はやくして。痙攣をはじめた。悲鳴をあげ、肩の肉にはげしく、かみついた。鮮血が飛びちった。悲鳴をあげ拳でアディーノをうった。下の床にとばされ、顔面を血だらけに。四肢が痙攣した。ブルーノは懸命に電話にとりついて、住所をしらせた。激痛にたえ朦朧とした意識でエレベーターで1階にたどりついた。玄関をでて車寄せのところで気をうしなった。

** 0603 処置入院
リスボン大病棟の病室。医者が怪我の所見を説明。 犬かときく。ブルーノはうなづいた。その夜パーティに招待されてた。アディーノのことが気になった。彼女は単身、パーティに出席。薬物の影響下にあり、泥酔し、ついには失禁した。彼女もまたリスボン大の精神科に入院した。そこでも大暴れをした。数日後にブルーノは退院。アディーノは強制処置入院となり独房にいれられた。連日の精神テスト。ダイパーをされインスリン・ショック、電気ショックがほどこされ、おとなしくなった。リスボン大神経科ではコスタ教授を中心に連日、ミーティング。今後の処置を検討した。アメリアはまだ赤子でブルーノはもっと低家賃のアパートにうつり単身で子育てを、することにした。

** 0604 ブルーノの子育て、ロボトミー、手術の強行、同意書
ブルーノは謝礼で、あるいは好意で子育てをした。彼女の引退で収入がとだえ生活の困窮がやってきた。彼女が入院したリスボン大である。

そこはかって悪名たかいロボトミー手術の考案者、エガス・モニスが在籍してた。彼は第2次大戦前、リスボン大の教授だった。その前は下院議員、外務省高官、1910年のポルトガル共和国樹立の時には、政党党首、大臣もつとめるという異例の経歴をもつ。医学分野で業績をあげたのは政治家を引退してからの60代からだった。

ロボトミーという考えは、もともとは1935年、アメリカの2人の学者がチンパンジーの前頭葉を切りとったところ性格がおだやかになったと学会に発表した。同年、エガス・モニスは勇敢にも人間にこれを適用。鬱病や不安神経症の患者で劇的な改善をみたと学会に発表した。以来、アメリカに導入、改良され、おおいに発展。第2次大戦後のアメリカで一時期、精神分裂病に処置され世界的ブームを巻きおこした。当時は分裂病の治療薬はなかった。1949年にエガス・モニスはノーベル医学賞を受賞した。

ロボトミーの技術は改善をくわえチングレトミーの段階までたかまった。だが1960年代、危険な攻撃性除去という手術のねらいは、実は人間の無気力化によるものでないかという認識がたかまった。治療薬の登場、人権意識のたかまりもあいまって、ロボトミーは急速におとろえた。他方、リスボン大の神経科においては1970年代においても、エガス・モニスの権威はいきていた。コスタ教授はブルーノにチングレトミーの手術の同意をせまった。

彼は成功例として科学者、作家、医師、技師、大学教授が職場に復帰してること。学会で薬物とならび有用とみとめられてること。アディーノのような重篤な患者には最後の手段であること。彼女の現状はポルトガル国家の威信をきずつけ、彼女にとっても不幸であること。手術の効果により彼女自身が幸福を取りもどせること。1952年にローマ法王エピウス12世が他に代替手段がない場合にかぎり、みとめていること。アディーノはこの条件に該当することをあげた。ブルーノはまよった。教授は粘りづよく説得した。それには有名な患者への施術によりロボトミーを復権したいとの願望もひそんでたろう。ついにブルーノは同意書にサインした。

* 0700 病院のブルーノ、苦闘の人生
** 0701 面会の申入れ
サン・ホセ病院。わたしは、ハインリッヒ・フォン・シュタインオルトと名前をいい、以前、彼とはなしたことのあるナンシー・フーバー教授の友人といった。1時間したら、おきるかもしれない。まつか、という。まつと看護婦にいった。敷地のはずれまでゆき、ベンチから外をながめた。下りの斜面を瓦屋根がうめる。高層ビルはない。大西洋がわずかに、のぞめる。

** 0702 チングレクトミー手術の強行、同意
肝臓検査といつわって全身麻酔をしてチングレクトミーが強行された。術後4ヶ月ほどの回復期間をへて、アディーノは退院できた。その際、もとめられて手術の同意書にサインした。無気力が顕著となった。夫と再会しても感動しない。娘のアメリアの世話をしない。金メダルをみせたが、それは何かときかれた。

** 0703 術後の無気力、無関心、ブルーノの後悔
きくと、オリンピックのこともはなした。人魚泳法を夫婦で作りあげたことも思いだした。夫のたすけなく1人で食事ができなかった。口をあけさすと歯肉がはれていた。練習の意欲は、まったくなくなった。ブルーノは1人でないた。それでも1週間後おだやかに、すごすと、自立して、あるけるようになった。アメリアをストローラーにいれて二人で散歩した。丘から大西洋にしずむ夕陽をみたが、アディーノは何の感慨もしめさなかった。シュタインオルトさん。

看護婦が患者は1度、目をさましたようだが、また昏睡状態になった。どうしますか。まちます。玄関にもどった。

** 0704 面会の許可、彼女のおとろえ、皮膚のたるみ、白髪
ブルーノは肺癌だという。まだ60になってない。また回想にもどる。子育てに関心をうしなったアディーノの乳はでなくなった。ほうっておくと1日中、口をきかず車椅子かソファにすわってた。自分から歯をみがかない。体をあらわない。髮をきらない。テレビをみせれば、ぼうっとみてる。本をみせてもぼうっと。よんでるかと、おもうと、ばたんとおとした。試しに戦争の残酷な写真をみせたが、ただみてた。そうしてるうちに、足がなえ車椅子をやめられなくなった。とわれれば自分の名前も夫の名前もいえるが、早晩わすれそうだ。記憶を保持しようとの意欲がみられない。かっての活気がなく、会話がはずまない。髮の艶がうしなわれ、まだ20代なのに白髪が目だつようになった。

** 0705 低家賃アパートの暮らし、車椅子の生活
顔がたるみ、顎に脂肪がついた。裸身をみて愕然とした。肌が黄ばみ小肥りとなり、いっきょに20歳もふけた。大学の非常勤講師の給与でアディーノとアメリアの世話をする介護士をやとって遠距離を通勤した。半年後、彼女は車椅子からおち、病院にはこばれた。医師は癲癇の疑いがあるという。コーチをしてたから当然、病歴は把握してる。ロボトミーによるとうたがわれた。病院で難治性癲癇の診断がくだされた。はげしい頭痛もうったえるようになった。介護の都合もあり勤務にちかい、リスボン市内のこのアパートにうつった。リスボン大の威光かマスコミから、のがれることができた。一応の安定をえた。介護士の監視のもと彼女は車椅子にすわり1日中、大西洋をながめていた。手術後、10年をへたある日のこと。

** 0706 プールで溺れ、コスタをのろう
ブルーノは彼女を大学のプールにつれていった。水にいれると、ゆるゆるとおよいだ。そこにやってきた主任教授と契約更新の話しをした。その短時間に彼女はプールの底にしずんだ。気がついたブルーノが溺死寸前の彼女をすくった。また1日中、パティオから大西洋をながめる車椅子の生活にもどった。介護士1人で赤子と手のかかる彼女を世話しきれない。大変だったがブルーノは頑張った。彼女の怒りが頂点となった時、かならずリカルド・コスタをころして自分も死ぬといった。

** 0707 20年の苦闘、発病、娘が世話を、古書修繕店を
ブルーノはこのような生活に、その後、20年たえた。娘のアメリアは施設でくらし高校を卒業後に、このアパートに合流した。娘は国立の福祉大学にはいり、専門的な介護をまなんだ。ようやく一息つける頃、父親が病気がちになった。介護は娘にまかせアパートをで、ちいさな部屋をかりた。週に1度だけもどってきて娘と介護を交代した。3人でピクニックにでかけ、携帯電話で連絡を取りあった。何かあればやってきたが、おわれば28番線の市電にのり自分の部屋にもどっていった。もうスポーツコーチの仕事はなかった。友人からおそわって革表紙の古書の修繕という職をえた。二人でウーゴとブルーノの古書修繕屋をひらき、生活をするようになった。

** 0708 肺癌
彼の体調は回復せず、店に毎日はでられなかった。ずっと独身の生活だった。アディーノが50歳となった。アメリアは30直前となった。ブルーノは日増しに衰弱していった。肺癌であった。その頃に彼を打ちのめす事件がおきた。

* 0800 後悔にくるしむブルーノ
** 0801 コスタ教授の発言、ナンシーの来訪
コスタ教授はアディーノの様子を気にしてた。大学の病院への受診をすすめたり、わかい医師を派遣したりした。教授はチングレトミーの処置は報告してないが、ニンフォマニアについて論文で数度、報告した。これがナンシーの目にとまった。彼女の症状がニンフォマニアによるとの見解に違和感をもった。休暇を利用した2000年の夏、アディーノをたずねた。娘にあい、さらに店にいるブルーノと面談した。

** 0802 希少病と診断
まだ一般にしられず非常に特殊な病気がおおく存在する。自分の経験した病気を率直にはなした。彼の顔色がかわった。どんな病気か。Persistent Sexial Arousal Syndrome、持続性性喚起症候群。世間にしられてない。それが原因といった。最初の報告はイギリス。性的興奮がないのり性的快感がおとづれる。自分の場合もそう。職業をもつ女性には非常な精神的苦痛。家庭婦人にとっても屈辱的だろう。隠しきれずに醜態をさらす。警察、あるいは精神科医の世話。地域にしられ、すめなくなることもある。他人にしられなくとも、理解してもらえない。誰かに打ちあけられない。医師に相談もできない。

** 0803 患者の苦しみ、世間の無理解
衝動で掃除機を蹴りつけたことも。それくらい強烈。自分は未経験の頃だからセックスがしたいからでない。困惑し、何故自分だけと怒りが。激烈な衝動におそわれ自分が何をしてるかわからない。貞淑であるべき女性の姿でない。でも道徳でこの病気をみるのは間違い。魔女狩りのような危険をよぶ。彼は衝撃をうけた。アディーノは彼のみをもとめた。ただ病気だった。精神異常でなかった。

** 0804 くやむブルーノ
後悔がわいた。彼女の将来を台無しにした。何故同意書に。あの説明に。だまされた。手術によって改善するとだけきかされた。自分が彼女の行為に恐怖し、冷静な思考と判断がかけてた。この考えが彼をくるしめた。そして最後の事件がお

* 0900 聖アントニオ祭と事件
** 0901 聖アントニオ祭の賑わい
6月12日は年に1度の大祭、聖アントニア祭。その前夜だった。この日ビーニョ・ベルデ通りのあるバイシャ地区もまた深夜まで人通りでにぎわった。イワシを塩焼にする出店がならび、女たちは可愛らしい香草の小鉢をうる。若者たちにとっては恋人の日と、よばれ恋を告白する。すると聖アントニオが奇跡を、おこしてくれると、しんじられてる。

** 0902 コスタ教授の暴言
13日に結婚するカップルは市議会が援助する。近隣の地区、諸外国からも観光客がやってくる。街のアーチがイルミネーションと風船でかざられる。はなやかなフロートが繰りだし娘たちが練りあるく。コスタは名誉教授に昇格し今や精神医学界の重鎮となってた。この夜、前夜祭の特別テレビ番組に出演しチングレトミーの有効性についてのべた。21世紀にはいりロボトミーのような外科処置を否定するようになった。教授は重篤患者の7割が手術に成功し社会適応性を回復したとのべた。司会者が残りの3割を問題としたが、それは性格が、おだやかすぎる。そのため改善の喜びを外部に表出できない結果だといった。

** 0903 アディーノの自殺
被処置者の1割が不平をもってる事実をみとめ、それは私怨の産物であり、実は軽快をかんじてる。同意書にサインし、うけた手術。だがその成果をみとめよう、としてないといった。この番組をアディーノがみてたとおもわれる。その夜の10時15分、隠しもってた拳銃で心臓をうち自殺した。通りに面した部屋には群集の喚声と28番線の市電の騒音がとどいてた。アメリアは通りにでてイワシの塩焼をかって戻ってきた。部屋で死んでる母親を発見し警察に電話した。祭の混雑から刑事は市電を利用せざるを得なかった。部屋で拳銃を車椅子のそばで発見し、膝の上に遺書らしきメモを発見した。解剖して自分の頭部をしらべてほしいと、かいてあった。現場の詳細である。煤の付着から弾丸は2発うたれたようだ。そのうち1発は心臓、車椅子から後ろの壁にとどき、めりこんでた。残りの1発である。発見できなかった。アディーノの手指、着衣の心臓部分、その周囲に、硝煙反応があった。グリップには彼女の指紋もあったから自殺に疑いはない。パティオの大窓はあいてた。

** 0904 コスタ教授の射殺死体
遺体搬送の車は、なかなかこなかった。携帯電話がなった。約2キロはなれアヴェニーダ通り57の高級アパートから射殺死体がでたという。祭の夜には事件がつづく。また連絡がはいった。アヴェニーダ通りの遺体は2階の自室玄関で何者かに射殺されたもの。名前をきいて、おどろいた。リカルド・コスタ。それは、さきほどテレビでみたばかり。それとこの自殺者のロボトミー手術をおこなった医師。さらに彼をころし自分も死ぬといってたことを、しってたから。

教授は心臓を至近距離からうたれてた。パジャマの上にしろい絹のローブをまとってた。背後の壁に弾丸が食いこんでた。ローブの穴にくろい煤が付着、銃口をほとんど押しつけて犯行だろう。妻に先だたれ1人暮らしだったが、自殺の原因はない。他殺だろう。10時すぎでまだ就寝前、ドアをあけたところを、うたれたのだろう。犯行者が現場にのこしたのは1発の弾丸のみ。このアパートの廊下、その突き当たりにはローマ風のテラスがある。そのすぐ下に28番線の市電がとおっている。祭の騒音、教授の部屋がひろいことから、隣家の住人は銃声をきいてない。ここでも遺体の搬送に難渋した。

** 0905 不可能な犯罪
コスタ教授の銃弾とアディーノの銃弾は28番線の市電にのった刑事によって警察署にはこばれた。もっとも不可解なことが判明した。2つの銃弾は、口径、形状、材質がおなじで、旋条痕もおなじだった。つまり、おなじ銃から発射。2つの遺体の発見ははやかった。体温降下により正確な推定が可能。同時刻だった。これで彼女の銃が発射される。そのすこし前にその銃から発射された銃弾が、はなれた場所にいる教授をつらぬいたことになる。捜査陣は冷静にかんがえた。彼女のために犯行を実行する可能性は娘のアメリアともと夫のブルーノだった。同時という判定は10分か20分の誤差をゆるすだろう。

両現場の距離は2キロ、祭の雑踏から徒歩なら往復1時間弱。自動車の使用は不可能、自転車も無理、もともと2人はもってない。28番線の市電である。たしかに両現場のパティオの真下をとおってる。しかし停留所はない。

** 0906 超自然の力か
最寄りの停留所まであるく。人を突きとばしていそぐ。祭の中で目だつ。あり得ない。電車がくるのをまつ。混雑でおくれてる。彼女の自殺をしり即時、復讐を計画する。手袋をし拳銃をもち停留所にむかう。やってきた市電にのり、現場のちかくで下車。階段をあがりチャイムをならし教授を呼び出し。ドアがあいた瞬間に射殺。階段をおり停留所まであるき市電にのってアパートのそばの停留所でおり、また階段をのぼり部屋にもどる。そして警察に連絡する。後日の捜査陣の実験では1時間弱かかった。祭の混雑、市電の到着時刻のタイミングのズレ。さらに時間がかかる。同時の許容範囲におさまらない。28番線の市電の運転手の全員がアメリアの顔をしってる。市電はワンマンカー、運転手と顔をあわせる。28番線の運転手全員が2人の顔をみてなかった。可能でない。これではアディーノの願望を聖アントニオ祭の夜に超自然的な力が、たすけたということになるが。

* 1000 籐の籠
** 1001 面会の実現
わたしはリスボンにやってきて、ずっとこの謎をかんがえてた。何もうかばなかった。こうしてアパートにつきサン・ホセ病院まできた。答えが見つからなければウプサラ大のキヨシにきくことになるだろう。玄関に。女性の声。ハインリッヒさん、あうそうです。はい。看護婦。ロビー、エレベーター。中で、話しができるか。今日明日の命。へえ。ご両親は。いない。友人は。いない。わたしのこと、説明は。した。成程。

** 1002 前客の刑事と同席
ヴァレさんが、わたしにあっていいと。そう。本当に。そう、刑事さんが。ふうん。4階。廊下を。病状が。大声では。承知しました。ノック。中から刑事。紹介する。リスボン市警察のフェルナンド・メイラさん。ベッドに。ブルーノの右手の甲に点滴の針。看護婦がブルーノに。ハインリッヒさんです。無反応。握手。

** 1003 ナンシーの知人と自己紹介
そばに酸素吸入器、脈拍をしめす液晶モニター。ハインリッヒです。アメリカから、フーバー教授の友人です。わずかに微笑む。刑事がいう。何か言いのこすことは。突然、その体が波うつ。看護婦が非常用のボタン。医師が乱入。騒然。

** 1004 籐の籠を託される
咳こむ。鼻と口から血。胸部マッサージ。一応、危機は。わたしは、もう無理とベッドをはなれようとした。いや。刑事が何と。あなたでない。こっちの人に。わたしですか。そう、ベッドの下に籠が。籠か。そう。籐であんだ籠があった。引きずりだして顔の前にもってきた。中にはオレンジがひとつ。わたしは左手で取っ手をもち右手を底にそえた。底には革がはられてた。はった。古書修繕で表紙につかう革。彼にわたす。あんたにあげる。へっ。もってかえって、あの女性の教授にみせてくれ。フーバー教授に。そう、わたしの手形だといって。彼女に。そう。

** 1005 コスタの死は聖アントニオの奇跡
わたしは困惑した。沈黙。腰抜けとおもわれたまま死ねない。だからそれを。刑事が、それだけか。否、ある。ロボトミー、それは魂の死だ。同意書のサインなどもとめるべきでない。あの女性の教授にあった日、それは最悪の日だった。その後、ないた。後悔した。リカルド・コスタが死んだ日、娘がいった。聖アントニオの奇跡だ。母とわたしのために奇跡をおこしてくれた。

** 1006 最後の言葉
彼の声。うわ言のよう。単線だ。何。アヴェニーダ通り57、ビーニョ・ベルデ通り2006。彼の指が窓を。カーテン棒だ。ええ。あんたがうった。そうだろう。否、聖アントニオの奇跡。そして脈がとまった。

* 1100 聖アントニオの奇跡
** 1101 刑事との対話、教授宅へ、市電の線路
刑事からきかれて、わたしはフーバー教授の会話が発端となった今回の訪問を説明した。カーテン棒、籠のことはまったく不知とこたえた。刑事はホテルまでおくるといった。わたしはコスタ教授のアパートをみておきたかった。刑事がおくってくれた。灰色の石積みの6階建の構造物だった。2階に石の手すりがついた張り出しテラスがみえた。そこは路地。市電のレールがみえた。このあたりは金持ちや要人がおおいという。

** 1102 部屋の見学
28番線の市電か。そう。しかしレールは1両分しかない。左手をさして、ここからは二両分となる。さらに路地の彼方をさし、あちらからも二両分。電車がここにさしかかる。向こうからもくる。するとどちらかが、とまって、まつ。成程。コスタ教授のアパートだけ、そのみじかい区間だけが単線となってる。アパートの正面玄関はひろい通りにめんしてた。ロビーの床は大理石。木造の階段室をあがる。これが彼の住居。鍵をだしてあける。室内はほとんど当時のまま。まだうれてない。壁の鏡の脇に血痕と弾丸の跡。床にはたおれてた教授の姿をとったテープの人型。また血液の跡。

** 1103 テラスからの眺め、市電の屋根
中もみるか。否。おもわず、わたしは手にもった籐の籠と豪華な調度品を対比した。刑事が外にでた。わたしはテラスをみたかった。施錠をすませた刑事も同行した。ガラスのドアをおして外にでた。石の手すり。眼下に市電がとおる。パンタグラフが鼻先を。電車のくろくよごれた屋根が。鉄の線路を鉄の車輪がすべる。騒音の源。送電線が、わたしの目の高さ。この眺めは、ピーニョ・ベルデ通りのアディーノのアパートのパティオの眺めとそっくり。市電がうるさいか。うん。この騒音さえなければ、いいアパートだが。

** 1104 帰国へ、ブルーノの店を通過
仕事にもどらないと。ああ。ガラス戸をあけ、廊下。階段。通りにでた。これから。フェリーで港に。そこのコインロッカーから荷物を引きとる。港の近くでホテル。1晩宿泊。それからスウェーデンにもどる。へえ。またアメリカにゆく機会がある。そこでフーバー教授にみせる。あの籠に意味があるのかな。港は反対方向。成程。では。名刺を受けとる。そこまで。ああ。ちいさな店が。あそこがブルーノの店。ほう。ずいぶん教授の住居とちかい。あそこは金持ちの地区。伝来の古書、古文書を所有してる家も。だから商売ができる。

** 1105 下町の習慣、子どものお使い
お世話になりました。気をつけて。リスボンはどうでしたか。有意義だった。と、ここで不思議な光景をみた。目の前の歩道にちいさな籐の籠が。10歳くらいの女の子がそこに、ちいさな包みを。駈けさる。お釣りは。もどって小銭をいれた。見あげると3階から。刑事が説明してくれた。ふるい建物はエレベーターがない。年配者、ふとった人は階段の上り下りはつらい。通りであそんでる子に買い物をたのむ。近所は家族のようなもの。ふうん。1階に店があれば、上から大声で注文。店はそれをつけておいて、月末に請求する。成程。

** 1106 わたしに天啓、聖アントニオの奇跡
突如、天啓が。わたしはブルーノのやったことが、わかった。アディーノとコスタをむすぶ市電、ブルーノの仕事場がちかくに。祭の日にたまたまみたテレビ、そこに出演したコスタ、彼の暴言、祭の雑踏。わたしは籠の底をみた。特製の革をはった籠、彼はあらかじめ用意してたのだ。アディーノが頭でなく心臓をうって自殺した時、娘は父の携帯電話に連絡する。父からあらかじめ、わたされた特製の籠をとる。それをカーテン棒の先に引っかけパティオで市電をまつ。その屋根にのせる。ブルーノはそれおカーテン棒で引っかけてとる。手袋をはめ銃をもって、コスタ家にゆく。玄関のチャイムをおす。1人でいた教授が玄関をあける。即刻うつ。ドアをしめ、ただちにテラスにもどり、拳銃をハンカチにくるんで籠にいれる。上りの市電をまち、その屋根にのせた。そして首尾を娘に連絡した。娘は市電からそれを回収する。籠から拳銃を回収し、もとの位置におく。そして警察に連絡した。

単線だったが、もし複線だったら。祭の雑踏がなければ、自殺の銃声、コスタをうった銃声も気づかれたかも。誰かにきかれ計画が実行できても、はやく露見したかも。市電の速度があがってたら、籠がおちてたかも。さらに警察官も祭で現場到着がおくれた。こまかな時間の整合性など確認できなかった。すべてがかかわり事件は発覚しなかった。それは聖アントニオの奇跡だった。

** 1107 街とのわかれ
どうしましたと刑事の声。いや。何かいわれたと。ああ。気づいたことが。否。リスボンは素晴しい街だ。そうですかな。車にのりこむ。気持のわるい事件だった。何かあれば連絡を。否、あれは聖アントニオの奇跡。リスボンでしかおこらない。車をおり謝辞をのべて、わかれた。
(物語おわり)

* 1200 感想
古代のフェニキア人や大航海の時代に海に躍動したポルトガル、リスボンにうまれ、オリンピックで祖国の名前をかがやかせた女性水泳選手の悲劇を取りあげる。奇跡がおこしたような殺人事件である。天才アスリートとうたわれた主人公、その夫、娘。殺人が薄幸の家族の悲劇を締めくくる。筆者は、そのふるい歴史をのこす街のたたずまい、下町の人情、随所にみえる海への憧れを落日のリスボンで主人公におとづれた奇跡をえがく。まことに、うつくしい物語である。

* 1300 テーマ
不可能とみえる殺人事件、超自然の力がおこしたような事件がどのような偶然にささえられて成立したか。それを、あきらかにすることである。

* 1400 評価
1) 原理的に可能か、には特段の問題はない。2) 現実にあり得るかが問題となる。奇跡とかんじさせるほどの偶然があり得るか、そのような物語が成立してるかを、かんがえる。

リスボンはギリシャ人より先に地中海に雄飛したフェニキア人が建設した街である。大航海時代、まだ地球が丸いとしらない人びとが未知の世界にあこがれて出港していった土地である。神話の人魚は彼らの憧れと不安の象徴である。

1年に1度の聖アントニオ祭は下町をいろどる。イワシの塩焼、香草の小鉢、アーチをかざる風船、山車(フロート)と娘たちの練り歩き、恋人たちの願いをかなえる聖アントニオの奇跡。この日には奇跡がおきる。

彼女はこのリスボンにうまれ、古代の遺構が色こくのこる下町になじんだ。街を特徴づける坂とそこを移動する市電は彼女が泳ぎの世界で頂点を目ざした努力をしめしてるようだ。陽光をあびて斜面に立ちならぶ建物群、その上はるかに、のぞむ大西洋は憧れをしめしてたろう。

60年代に危険な治療法とされたロボトミーを70年代に復活させる。そんなことが学会において可能か。かりに可能として、手術の悲惨な結果がマスコミにもれることなく、また世間の同情も呼びおこすこともなく、ひたすら悲劇にむかってゆくだろうか。疑問なしとしない。

筆者は筋の展開にそって、女主人公の人柄をえがき、その夫、娘、悪の象徴である教授も過不足なくえがいてる。そこに、この上なく美しい悲劇の舞台と聖アントニオの奇跡を用意した。わたしは、主人公の運命はあまりにも苛酷とおもうが、物語としては成立してるのかもしれない。

何故「わたし」があいにきたのか。キョシ(御手洗潔)がどう関係するのか気になった。しかし、これは蛇足である。
(おわり)

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