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謎解き島田、占星術殺人事件 [島田荘司]

はじめに

壮大な構想と迷路のような複雑な筋で読者を幻惑し、最後に感動の結末を与える島田荘司さんの「謎解き島田」を提供する。中身はいわゆるネタばれに溢れてる。本作品を未読の方にはすすめられない。

本文

1 平吉の手記

私、梅沢平吉は、自分のためこの小説を書いた。遺言書としてこれを残す。もしこの創作が遺産を産むならば、然るべき相続がなされるよう希望する。

昭和11年2月21日(金) 梅沢平吉

私は内なるデーモンに狂わされ、揺り動かされて生きてきた。私は部屋を横切る子牛ほどの蛤や、部屋の陰という陰に潜むやもりを幻視した。地面に転倒し体を硬直させ口中に泡を生じてデーモンの爆笑を幻聴した。

デーモンは私に、神であり、魔女であり、完全な女であるアゾートの制作を要求する。このアゾートこそが私が30年以上キャンパスの上に追い求めてきた理想の女である。

私は、人間の体を頭部、胸部、腹部、腰部、大腿部、下足部の6部分に分けて理解している。

西洋占星術では人体を宇宙の投影物であり、縮小形と理解する。従ってこの6部分を守護する惑星、太陽、月が存在する。

1) 頭部は牡羊座であり火星が守護し、
2) 胸部は女性の場合、蟹座であり月が守護し、
3) 腹部は乙女座であり水星が守護し、
4) 腰部は女性の場合、蝎座であり冥王星が守護し、
5) 大腿部は射手座であり木星が守護し、
6) 下足部は水瓶座であり天王星が守護する。

次にある私の5人の娘、1)から5)、および、弟の2人の娘、6)から7)の星座は次のとおりである。

1) 和栄が明治37年の山羊座
2) 友子が明治43年の水瓶座
3) 亜紀子が明治44年の蝎座
4) 夕紀子が大正2年の蟹座
5) 登紀子が大正2年の牡羊座
6) 冷子が大正2年の乙女座
7) 野風子が大正4年の射手座

従って、アゾートは次から構成される。

1) 頭部は牡羊座の登紀子、
2) 胸部は蟹座の夕紀子、
3) 腹部は乙女座の冷子、
4) 腰部は蝎座の亜紀子、
5) 大腿部は射手座の野風子、
6) 下足部は水瓶座の友子、

次の秘儀を行ない、アゾートを制作する。

1) 鋸により切り取られた各部を、十字架をレリーフした板の上に組み合わせる。
2) ある種の塩と香である隠された火を用意する。
3) 12星座の羊、牛、乳児、蟹、獅子、乙女、蝎、山羊、魚等のうち、手に入る限りの肉片と血、それにひき蛙と蜥蜴を鍋で煮る。
4) 呪文を唱える。
5) 鍋により作成された混合物を哲学の卵に密封する。
6) 魔術的万能薬となった混合物によりアゾートを不壊とし、ここに完成する。

私は芸術家として創造に命を懸けてきた。アゾートを創造しようとするのは、狂気の産物ではない。芸術家として当然の行為である。

ここで私自身について語る。

十代に私の運命を西洋占星術師に占っもらった。ことごとく当たっていることに気付いて西洋占星術にのめり込むこととなった。

私の生年、星は次のとおりである。

1) 明治19年1月26日、午後7時31分、東京で誕生、
2) 太陽宮は水瓶座、上昇宮は乙女座、上昇点に土星

私の運命はこれらの星に支配されている。それが次の事実に表われている。

1) 魚座の妙を初めての妻とし、やがて離縁し、獅子座の勝子を第二の妻とした。28歳の時、結婚前の勝子に子、夕紀子を生ませ、同時に妙の子、登紀子を生ませた。

妙は都下、保谷に煙草屋を営んでいる。こちらに引き取った登紀子がときどき訪問している。私は前妻に負い目を感じている。従って、アゾートがもたらす資産の全てをやっても良いと思っている。

2) 私は現在、庭の隅の土蔵を改造したアトリエに一人こもり、母屋には足を踏み入れることさえ稀である。

3) 19歳の時、日本を旅立ち、仏蘭西を中心に欧州を放浪した。この生活が私に神秘主義的な人生観を植えつけるに至った。

4) 私の周囲の女たちは運命的因縁に翻弄される。妙は離縁された。二度目の妻、勝子にとり私は二度目の夫であるが、私は現在死を決意しているから勝子は二度目の夫も失なうだろう。私の母も父との結婚に失敗している。祖母も失敗しているらしい。勝子の連れ子の長女和栄も先頃離縁された。

5) 友子はもう26歳、亜紀子も24歳。どうやら結婚を諦めている。私は他人の眼を気にしないでアトリエ生活に満足し、その静謐を乱すことに反対である。しかし、勝子と娘たちは600坪の土地を活用した文化長屋建設を私に迫っている。弟良雄夫婦も賛成である。私は家族、弟から疎まれている。

土蔵は敷地の北西隅に所在し、生来孤独を好む私の気に入りの場所であった。これをアトリエに改造した。天窓を作った。すべての窓を鉄格子で保護した。2階の床を抜き高い天井の平屋とした。室内に流しを付設した。北と西の窓を塗り潰し広い壁とした。東には扉の横に便所を付設した。窓は南にのみ所在することとなった。

仕事場のみならず、生活にも快適なので、室内には軍病院用車付き金属製寝台を据え付け寝泊まりできるようにした。私は高い窓が好きである。改造前の2階窓が残っている。私は気分が良くなり、思わずカプリ島や月下の蘭を口ずさむ。

北と西の壁には百号の11の大作が並べてある。遠からず12番目が加わるだろう。

明治39年、巴里で初めて富口安栄に会った。孤独な二人はたちまち恋に落ちた。22歳のとき、帰国した。結婚するつもりであったが、安江の奔放さに別れた。26歳で妙と結婚した。結婚後銀座で画廊カフェを経営している安江と再会した。離婚していた。息子の平太郎は私の子供であると匂わせた。妙は人形のような大人しい女である。芸術家の激しさが勝子という対称的な女に私を向かわせた。

私は若いときに理想の女に出会い。それを生涯追い掛けているようである。府立高等(現在の都立大学)の近くの洋装店のショウ・ウィンドウのマネキンに魅了された。駅前に行くときは必ず見た。遠回りをしてでも眺めていた。多いときには、日に5度、6度も見た。

私は煙草の煙がわずらわしいのであまり酒場には行かないが、柿の木という店で、マネキン人形工房の経営者を知った。その縁で工房を覗かせてもらった。しかし勿論、登紀江はいなかった。私はあのマネキンをこう呼んでいた。忘れもしない、3月21日、登紀江はウィンドウから消えた。衝撃を受けた。渡仏したのは登紀江に会えるかもしれないという気持もあったからである。

後年、初めて、娘をもった。くしくも3月21日生まれであった。私は迷うことなく登紀子と命名した。私は登紀子に完璧な肉体を与えようとしている。登紀子の頭部に他の娘の優れた肉体の部分を与えようとしている。

私はオランダ人の無名彫刻作家、アンドレ・ミヨーの作品に衝撃を受けた。男の首吊り死体、母と娘の死体、水死断末魔の男。会場の水族館の暗い室内から見ると、これらが明るい水槽の中に浮かび上がる。圧倒され虚脱感が1年間続いた。これに対抗するのはアゾートしかないと確信するに至った。

アゾート制作の場所は厳密に数学的計算により決められる。それは新潟県の某所である。

制作により残された娘たちの肉体は日本帝国のなかの星座に所属する場所に帰される。即ち次のとおりである。

私は、土地が産出する金属により星座が決まると考えている。即ち、火星、鉄は牡羊座、もしくは蝎座、月、銀は蟹座である。

従って、次のとおりとなる。

1) 登紀子は、鉄を産する場所
2) 夕紀子は、銀を産する場所
3) 冷子は、水銀を産する場所
4) 亜紀子は、鉄を産する場所
5) 野風子は、錫を産する場所
6) 友子は、鉛を産する場所

アゾート制作は個人の為ではない。日本帝国の為である。従って帝国の中心に置かれねばならない。

大陸を飾る美しい弓として日本列島は弧状に展開している。東北から南西に伸び、矢が南北に番えられている。その範囲の確定は困難だが次のようになる。

1) 東北端はハルムコタン(東経154度36分、北緯49度11分)
2) 南西端は与那国島(東経123度0分)
3) 南端は硫黄島。矢尻に当たる(北緯24度43分)
4) 真の南端は波照間島(北緯24度3分)

日本帝国の南北を貫く中心線が東経138度48分である。この北端に位置する弥彦山は重要である。私を呼んでいる。この中心線の南から4、6、3の数字が並ぶ。これらの合計がデーモンが喜ぶ13である。この中心にアゾートは設置されるであろう。

(終り)

再度の警告
ここからはネタばれの内容がつづく。未読の方にはすすめられない。


占星術殺人事件 (講談社文庫)

占星術殺人事件 (講談社文庫)

  • 作者: 島田 荘司
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1987/07/08
  • メディア: 文庫


2 綱島

1979年春、この物語の語り手、石岡和己は、一年前の事件で知りあった御手洗潔の占星術教室で助手をしてた。そこに飯田美沙子という女性がやってきて、資料をしめし占星術殺人事件の解決を依頼した。当時、御手洗は極度の鬱状態だったので、もっぱら)石岡が事件の概要を説明した。

石岡は熱烈なミステリーファンである。この手記にある梅沢家・占星術殺人は日本の未解決事件のなかの最大の謎といって過言でない。ミステリーファンの一人として推理論争に加わり解決を試みたが早々に撤退した。

最大の謎は、娘たち6人を殺害し全国各地に埋葬したという戦慄すべき犯行において、平吉を除く関係者の誰にもアリバイが成立し、動機もないことと、唯一犯行が可能な平吉は、この事件当時既に死亡していたということである。いきおいミステリーファンの論争は外部犯行説に傾むいた。しかし、ここでは、精密で大掛かりな犯行の実行には、事前に平吉の手記を熟知している必要がある。どうしてこれが可能だったのかとい難問にぶつかる。従ってこの事件は未解決の最大の謎とし現在に至っている。

三つの事件

次に三つから事件から構成される。

1) 平吉が目黒区大原町のアトリエで昭和11年2月26日朝10時過ぎ死体で発見
2) 長女一枝が世田谷区上野毛の自宅で死体で発見。暴行された痕跡
3) その後、6人の娘たちを含むアゾート殺人が発生

関係する人物

関係する人物は次のとおり。

1) 平吉と妻昌子、その娘たち、長女一枝、次女知子、三女秋子、四女雪子
2) 平吉の前妻多恵と娘時子
3) 平吉の弟吉男と妻文子、娘たち、長女礼子、次女信代
4) 昌子の前夫村上諭
5) 平吉のかっての恋人、画廊カフェ経営、富田安江、息子平太郎

手記との異同は、一部を除き氏名の用字が異なるが読みは同じ。野風子は信代、富口安栄は富田安江

関係者の親疎は次のとおり。

1) 平吉と安江は親しかった。
2) 昌子と安江は疎遠であった。
3) 平吉と多恵は疎遠であった。
4) 文子と昌子は親しかった。

平吉殺しの詳細

25日から26日にかけて東京は30年振りの大雪であった。時子は25日昼外出し、保谷の多恵を訪問、宿泊していた。翌朝10時前に朝食をもってアトリエを訪問、平吉の死体を発見、女たちで開扉。平吉はフライパン状の凶器で殴打、脳挫傷で死亡。貴重品は手付かずのまま残っており、引き出しから手記が発見された。

雪中の足跡

男女靴二筋の足跡が残っていた。次のことから女靴が先、男靴が後からやってきたと思われる。

1) 足跡が重なっている。
2) 並走していない。
3) 男女で足跡の連続が異なる。即ち、男靴は南側窓下に踏み付けたたくさんの跡と、そこから木戸に向かう跡である。女靴は、アトリエの扉にやってきて、そこからすぐ木戸に向う跡である。

雪は25日午後2時から夜11時半まで降雪。翌8時半まで中断。再度15分程度降雪があった。

この降雪状況と、うっすらと降雪のある足跡から、少くとも11時半より30分前にアトリエに入り、11時半から翌朝8時半の間に、女靴が先、男靴が後とという順序で帰っている。

これから単独犯、共同犯の説が出るが、どちらとも決めかねる。さらに複雑にするのが、平吉から睡眠薬が検出された事実である。犯人との親疎により状況がさらに複雑となる。

ここまでで、男の単独犯、女はこれを目撃、さらに女はモデルと考えるが、このモデルが今に至るまで判明していない。

密室

扉にも独特の問題がある。外に開く洋式の一枚ドアである。スライド・バー式のカンヌキが付設されていて、カンヌキを横に滑らせ壁の穴に固定する。バーについた舌状のものを下方に廻すとドアに穴の開いた突起部分があって、それにかぶせる。ここでその穴にはカバン型の錠が降りていた。つまり完全な密室が出来ていた。

3 綱島

秘密の抜け道の可能性は警察が徹底的に調査、ないと判断された。死亡推定時刻は25日23時から26日1時の間である。
奇妙な点として、鼻の下のひげ、顎のひげが刈り取られていたこと、ベッドが斜めに置かれ、平吉の足がその下に入っていたことがある。

密室の問題に関しては、天窓は十分高く、室内の物を動かして細工した跡は発見されなかった。

平吉と親しい、平太郎、吉男についてアリバイはほぼ成立した。ただし、女たちは、肉親の証言が根拠の時子を含め全員不成立だった。

動機の不在

動機は文化長屋建設推進の障害の除去、アゾートの犠牲となることを恐れた娘たちの反撃とあるが、いずれも薄弱である。

戦後、絵が高値を呼び、本がベストセラーとなったことから、遺族である多恵、吉男は相応の利益を得たようである。

ベッド吊り上げ説

多くの人々を巻き込み世間は大騒ぎ、はては新興宗教まで登場する。しかし迷宮入りとなっていると石岡が結ぶと、密室のなかのトリックは明きらかといい、御手洗はベッドを吊り上げ、そこから落して殺害すれば良いといった。

4 綱島

手記が示唆するよう自殺でなく、後頭部の殴打による他殺が明きらかとなった。御手洗は、これは犯人の失敗と断じる。

足跡のトリック

さらに御手洗は、足跡のトリックは、女靴の足跡をつけた後、いったん、爪先立ちで戻り、男靴により踏み付ければ可能という。バレーの素養がある娘たちが爪先立ちするのは簡単なことと指摘した。

石岡は明敏な推理を賞賛するが、それは既に指摘されているという。

平吉生存説

翌朝、石岡が平吉と吉男の酷似から、吉男殺害、平吉生存説を説くが、御手洗は近親者を騙すことの非現実性を指摘、言下に否定する。せいぜい、第三者殺害、平吉生存説がわずかな可能性という。

一枝殺しの詳細

石岡が次の事件の説明に移る。

3月23日、一枝が上野毛の自宅で殺害された。死亡推定時刻は夜7時から9時、凶器は隣室にあったガラスの花瓶である。奇妙なことに凶器の血痕が拭き取られていた。

一枝の体内から精液が検出された。死後の行為と判断された。この男の血液型はO型である。

平太郎がO型であるが、アリバイから無理がある。石岡は無関係の第三者による行きずり殺人説を取る。

一枝は鏡台の前で後頭部を殴打された。着衣に乱れはなかった。これから親しい男の可能性、あるいは女の偽装の可能性が議論された。

関係者に確かなアリバイはなかった。

5 綱島

石岡がいよいよ、アゾート殺人の説明に入る。

弥彦旅行

1) 3月28日朝、葬式を済また一行の昌子と娘たちの合計7人が東京を出発し、夜に弥彦に宿泊
2) 29日、弥彦山に登り、夜、近くの岩室温泉に投宿
3) 昌子は30日の朝、会津若松へ出発。6人は30日も滞在し、31日朝、出発、夜に帰宅の計画
4) 昌子は4月1日に出発、夜、帰宅したが、娘たちは不在、家内は弥彦に出発したままの状況

昌子の逮捕

やがて、娘たちが無惨な姿で発見された。この状況で、昌子は警察に平吉殺害の容疑でひっぱられた。これはベッド吊り上げ説を指摘した投書によるらしい。さらに娘たちの失踪が次々と判明、殺害を手伝った娘たちを口封じのため殺害した可能性も否定できないとも考えた。なお、付言するが昌子は否認のまま昭和35年に獄死した。

死体発見の状況

第一番に発見された知子の死亡推定時刻は3月31日午後3時から9時まで。このときの昌子のアリバイは必ずしも確かではなかった。

否認にもかかわらず拘留が続いたのは、捜査の結果、鈎つきロープと三酸化砒素の瓶を発見したからである。天窓が破られた可能性がある。しかし数日前に天窓を修理したので、パテが新しくなってた。事件当日に破られたかどうか、たしかでない。

三酸化砒素が水に溶けて亜砒酸になる。これが娘たちを殺害した劇薬である。これをジュースに混ぜ一同に会した場で娘たちに飲ませたと考えられている。この後、星座に関連する金属の化合物が口中に押し込まれている。手記が記した方法を忠実になぞっている。ここに至ってそれまで否定していた御手洗も平吉の生存を考えた。

御手洗が死体の出現状況を尋く。

発見場所、埋葬状況、月日は次のとおりである。

1) 知子、宮城県、不埋葬、4月15日
2) 秋子、岩手県、50cm、5月4日
3) 時子、群馬県、70cm、5月7日
4) 雪子、秋田県、1m5cm、10月2日
5) 信代、兵庫県、1m40cm、12月28日
6) 礼子、奈良県、1m50cm。翌2月10日

場所はいずれもそれぞれの星座に対応し鉄、鉛などを産出する鉱山である。

死体の特定

死体の特定は、服装、頭部、痣など肉体的特徴、バレリーナ特有の足指の変形などと、実母による確認によった。

旅行時の個々の手荷物が一切発見されていない。これは重要かもしれないと石岡がいった。

3月31日の関係者のアリバイにつて、御手洗の質問に、石岡は、多恵、富田安江、平太郎、梅沢吉男は確かであり、文子はやや疑問があるが、動機まで考えて犯人とすのは不合理であるという。

飲み屋柿の木の常連

さて、これで、アゾート制作の条件が整った。梅沢家・占星術殺人の推理競争の最大の目標がアゾート捜しとなったと話題を転じようとする石岡に御手洗はなおも犯人捜しにこだわる。平吉の数少ない知人を探して柿の木という飲み屋の常連に話しが及ぶ。しかし、平吉が手記の存在を打ち明けるほど親しくはなかった。ついに、御手洗は不可解の言葉を漏らす。

アゾート存在場所の特定

しかし思い直して、埋葬の方法に犯人の意図を探ろうとするが確たるものはない。ついにアゾートに心が向くが、石岡は手記がいう南北中心線は350Kmにも及ぶ、そこのどこかにあるはずという。御手洗はその特定は一晩もあれば十分と嘯く。

6 綱島

2日後、綱島の事務所で御手洗の説明を聞く。

埋葬地点の東西の平均経度を求める。手記のいう南北中心線とぴったり一致する。これで埋葬場所選定の意図が明確となる。次に、次の4つの平均緯度を求める。

1) 北緯36度37分、ハルムコタンと波照間島
2) 北緯36度57分、ハルムコタン、硫黄島
3) 北緯37度27分、6鉱山の平均緯度
4) 北緯37度42分、弥彦山

これから、1)、2)、3)、4)の緯度の差を求める。

これが、4、6、3の比になるので、この南北端の中心を地図から求める。

アゾート存在地点の指摘

新潟県十日町北東の山中となる。ここにアゾートが設置されたと指摘する。

石岡は気の毒そうに御手洗に、現地は騒然、穴ぼこだらけにして探したが、期待に反しまったく何も発見されなかったという。得意の絶頂の御手洗は、これだけの殺人を犯しながら犯人が何の結末も残さなったと非難し、自らの虚しい努力を嘆く。

なだめる石岡に御手洗は冷静さを取り戻す。犯人は完全に平吉の意図を理解し死体を埋葬した。その地点が調査しつくされたことを確認して、御手洗は何故、アゾートを作成しなかったのか不可解といった。

東経138度線の秘密

東経138度48分は単なる思い付きに過ぎなかったと示唆する御手洗にたいして石岡は、松本清張のいう卑弥呼以降の邪馬台国の移動、高木彬光のいう幕末の東征軍への小栗上野介の迎撃作戦、第二次大戦末の本土決戦の作戦においてここを通る南北の線が重要な役割を果したことを強調し、日本の歴史のおいて重要な一線であると指摘した。

竹越文次郎の手記

御手洗は、では飯田美沙子の資料にとりかかろうと提案した。

美沙子が発見の経緯は説明する。亡父、竹越文次郎は明治38年生れ。昭和11年当時は高輪署勤務。住居は上野毛。先日、父の書棚を整理していたとき、父の手記を発見した。父はこの事件の一枝と警察官にあるまじき行為をしたようである。真面目一方の父が生涯この出来事に苦しんだことは間違いない。父のため事件を解決してほしいと依頼するもの。

7 竹越文次郎の手記

手記を残す理由

34年の警官人生において私を絶えず怯えさせてきたものに、あの梅沢家・占星術殺人の一枝との件がある。この手記を残す危険性を感じつつも、いざというときに焼却すればよいと心に決めて、書き残すこととする。

当時、私は高輪署の探偵係長であった。昭和11年3月23日のことである。係長になってから定時退庁が可能となったのであの場所にはいつもどおり、7時過ぎ通りかかった。そこで黒っぽい和服の女がうずくまっているのに遭遇した。求められるまま近所の女の自宅に連れて行った。そこですがりつく女に抗しきれず情交に及んだ。通常より2時間遅い9時半過ぎに帰宅した。

翌々日の朝刊で女の死を知った。死亡推定時刻は23日夜7時から9時であった。強姦されており、犯人の血液型は私と同じのO型であった。もっと若いとの印象をもったが、31歳はやや意外であった。

文次郎への脅迫

私は女に憐憫の情をもち犯人にたいし密かに闘志を燃やした。4月1日、牛込局消印の速達が自宅に届いた。差出人は皇国の利益のために行動する雉機関と称し、あるきっかけで一枝殺しが私の所業であるとの確証を得た。甚だ遺憾な行為である。しかし、事情があり次の条件で恩赦する用意があるという。

同機関は6人の中国人女スパイを処刑した。日支戦開戦の端緒ともなる惧れがあるので、民間次元の猟奇事件として処理される必要がある。このため、私の個人的責任で自動車を調達し、所定の場所、方法、日時にこの6死体の遺棄を命ずるという。

死体は一枝宅の物置に保管されている。日限は4月3日から10日までである。無用な外部との接触は厳禁である。地図を同封するという内容であった。

死体の遺棄

私は絶望に陥った。このとおりやる外ないと決意した。死体をバラバラに遺棄することを知り、これは容易なことではないと覚悟した。自動車はある詐欺事件で知り合った建築屋に借りた。妻を病人に仕立て実家のある東北で療養させたいとの理由で一週間の休暇を取った。

順序は、奈良県の大和、兵庫県の生野、群馬県の群馬、秋田県の小坂、岩手県の釜石、宮城県の細倉が指定されていた。埋葬の深さもそれぞれ指定されていた。

4月4日の夜に関西に向った。大和、生野を済ませて、8日にいったん帰宅した。妻には電話に出ることを厳禁し、また出発した。9日に群馬を済ませ、11日に花巻に到着、そこから15日までの休暇延長を願い出た。秋田、岩手、宮城と済ませ、14日夜に東京に帰還した。

この間、握り飯以外はほとんど口にせず、ろくに寢むっていない。後半に入って行動が狂気に支配されていると自覚した。翌15日出勤したときは、眼は落ち窪み、頬はこけ、体は針金のようになっていた。回復に一週間かかった。

体が回復してたちまち疑惑が生じた。犯人は私が無実を知っていながら利用した。私は罠にはめられたというものである。

4月15日、宮城から死体が発見された。二番目の死体が発見された頃、私はこれがアゾート殺人の一連であることに気が付いた。これでスパイ容疑は怪しくなった。単なる私怨に利用されたということに私の自尊心は大いに傷ついた。署内はこの死体発見の話題でもちきりであった。私はいたたまれない思いであった。しかし、5月20日、阿部定が管内旅館で逮捕された。この快挙に私は大いに救われた。

アゾート殺人か

6月頃、平吉の手記を閲覧する機会を得た。それまで詳細な平吉の考えを知らなかったからアゾート殺人には半信半疑であった。なるほど全国の然るべき場所に死体を遺棄することは理解できる。しかし手記にはない埋葬深浅の指示は何故なのか。

さらに、疑問がある。この犯人は随分酷薄な人物である。一枝が私をたくみに誘惑して事件に巻き込み、殺人、脅迫と発展し、私の死体処理につながった。ここで一枝の役割は重要である。犯人と一枝は相当の信頼関係があったはずである。犯人は一枝の殺害を密かに決意しながら、何喰わぬ顔で一枝に女性の名誉を傷つける協力を求めていたということになる。この酷薄さは現実にあり得るだろうか。

苦しみの開放としての退職

どんな重大事件でも時間が経てば忘れられる。不運なことに、この事件はまるで逆であった。一連の事件が梅沢家・占星術殺人として周知され、出版物を読んだ大衆は意見を担当の一課に寄せるようになった。その度、私の不安は掻き立てられた。私は高輪署の勤務が評価されて一課の詐欺担当に転任していたのであった。

私は昭和37年に苦しみに満ちた警察官人生を終えた。そして、この年は昌子が2年前に獄死して、この事件の推理ブームが最も盛り上がった年であった。私は意を決し出版物を渉猟し、テレビ、ラジオを視聴した。しかし私が知っている以上の情報は得られなかった。

余生の目的

昭和39年夏、私は余生をこの事件の解明に費やそうと決意した。梅沢家・占星術殺人に直接関わった人物で当時生存していた2人、梅沢吉男の妻、文子、富田安江に会った。また品川に住む
昌子の前夫村上諭にも会った。一課の捜査は村上まで及んでおり徹底したものだった。一課が白と判断した人物ははずすべきとの教訓を得た。

アゾート殺人の関係者

私はアゾートについては懐疑的であるが、平吉の思想の信奉者ならば、あるいはあるかもしれない。平吉が交流をもった数少ない知人は一課によれば次の7人である。

一杯飲み屋の柿の木の常連で、マネキン人形工房経営者の緒方厳三、その職人の安川民雄、日曜画家石橋敏信である。画廊喫茶メディシスの関連では、彫刻家徳田基成、その後輩の画家安倍豪三、画家山田靖である。この人柄、経歴から平吉が心を許してアゾート計画を打ち明けるか、あるいはアリバイの有無を検討してみた。私は一課が白と判断した結果に異論を唱える気になれない。

犯人は誰か

この事件において犯行の動機と容疑者の関係が奇妙である。三つの事件のそれぞれでは動機をもつものがいるが、死んでいたり、後に死んでいる。

平吉殺しに関しては、家族全員が動機をもつといえるが、娘たちは後に殺されている。この娘殺しの犯人は当然別にいる。

一枝殺しでは関係者で動機をもつものはいない。物盗りの賊だけだろう。

アゾート殺人については動機をもつのは平吉だけである。しかし平吉は既に死亡している。

犯人は誰か。三つの事件を引き起こした一人の犯人はいない。こう考えるよりなさそうだ。

1) 平吉殺し

昌子、ほかの家族である。ただし、時子は除いてもよいかもしれない。

2) 一枝殺し

ゆきずりの犯行でなければ、次のアゾート殺人の犯人である。

3) アゾート殺人

平吉に親愛の情を抱き、復讐をもくろんだ者である。時子と一枝が参加してないかもしれないが、犯人はそう信じ込んだ。一枝の場合はその自宅が死体保管で必要だったと考えることもできる。

しかし一枝について既に述べたように犯人像が異常である。もしかりに殺害を知りながら一枝が私を誘惑したのなら、これも異常である。

しかし、あえてこの点を無視して、犯人を求めてゆく。関係者7人のなかからなら、安川民雄が浮上する。人付き合いが少なく、職人肌の民雄に平吉が心を通わせたことは十分考えられる。実際、実行できたかと考えると、無理がある。特に娘たちを一所に集め毒殺するという点である。娘たちとまったく面識のない民雄が実行するのは不可能であろう。

私は苦しみに満ちた警官人生ですっかり胃を悪くしてしまった。遠くない将来人生も定年退職するであろう。この問題が唯一の心残りである。誰かに解いてもらいたいと強く希望している。

(以上)

8 綱島

御手洗はこの手記の底を流れる悲しみに感動し、自らの名誉を犠牲にしても真相解明を求める勇気に答える必要があるという。

文次郎説への批判

御手洗は、文次郎の手記の説を批判する。平吉殺しを昌子ほか家族の犯行と考えているようだ。この家族共謀説と遺留品の鈎つきロープから推理される吊りあげベッド説は両立しがたい。

即ち、家族の口裏合せが完全なら、このような大袈裟なトリックは無用である。実際、梯子を使って積雪のある屋根に登る危険性、平吉やモデルに気付かれるおそれもある。

遺留品の罠説

御手洗が鈎つきロープ、三酸化砒素の瓶は罠と示唆する。せっかく分かってきたわずかばかりの事実が消滅すると怖れる石岡はでは誰が罠を仕掛けたのかと反論する。

平吉生き残り説

石岡が平吉は2月26日に自分と酷似した別人を殺害し自分を消す。これがアゾート制作の第一段階だった。それまでのアトリエでの隔離された生活も、この考えがあったからという。昌子はアトリエの設営場所などを悟られそうだから警察に逮捕させる。

あり得る考えだが、実行に無理がある。また、何故12枚目を完成させなかったのか、一枝殺しの理由は、手記を残した理由は、と難問を提示した。石岡はそれぞれに反論した。手記については平吉の失策と推理した。

しかし、最後に御手洗が指摘した問題、どのような方法で平吉がカバン錠を施錠したのかということについて、石岡が問題と認めつつ、これから解明に全力をあげると宣言した。

9 綱島

家族の平吉身代り殺害説

石岡がベッドのなかで考え、突然、天啓を得た。平吉の身代りを昌子たちに殺害させる。その後、一枝を脅迫、あるいは使嗾して竹越文次郎を取り込む。その後の一枝殺害は異常だが、元々平吉は異常であるから、不合理でない。

御手洗の明敏さを十分認めるが、今までのところ衆知を凌駕するほどの冴えはない。また、現在、鬱状態にある。明日はこの考えをぶつっけてみようと思った。

翌日、綱島で御手洗に話す。御手洗が早速、非現実的と否定する。石岡は一枝の問題が見事に解決していることをあげ、これより外にないと主張する。

さらにシャーロック・ホームズならもうとっくに解決しているとつい口が滑った。すると突然、御手洗があのホラ吹きで無教養なイギリス人がかと非難を始めた。石岡もむきになって、どこがそうかと反論した。このやりとりのなかで、御手洗がシャーロック・ホームズに詳しいこと、他の有名な私立探偵を殆ど知らないこと、最新の天文学の知識があることが判明した。

竹越の来訪

突然、ドアがノックされ、竹越と名乗る警官が入ってきた。そして、手記の返還を求めた。御手洗にたいする強い反感が、口調、態度に明きらかであった。御手洗も敗けず反発した。とげとげしいやりとりのなかから、飯田美沙子の夫の刑事をとおして、御手洗への依頼を知ったと分った。

警察の捜査資料として重要であるという竹越に、御手洗は、事件を解決し、亡父の名誉を守るため、警察引渡の猶予を求めた。一週間待つと約束して手記とともに足音高く去っていった。

心配する石岡にこれから京都に向かうという。あわてて石岡もそれに従うこととなった。

10 京都

新幹線車中で御手洗が、石岡に多恵の経歴を尋ねる。

多恵の経歴

多恵は、京都嵯峨野落柿舎あたりで成長。一人娘。大きくなった頃、両親は今出川で西陣織の店を始める。経営不振のなか母親が死亡。父親も絶望し、多恵に満州在住の兄を頼るよう言い残して自殺。しかし、上京し府立高等近くの呉服屋に住み込みとなる。そこで縁談が持ち上がり平吉と結婚に至る。22、3歳の頃である。

離縁後、保谷で煙草屋を営む。多恵は西陣織の袋物屋を嵯峨野あたりにもつのが生涯の夢だったらしい。戦後遺産も入り生活の余裕もできたが、嵯峨野にはゆかず、保谷で死亡。遺産は父親の兄の親族が相続したそうである。

御手洗は京都でとりあえず安川民雄に会いたいという。宿泊は京都の友人の部屋。板前という。

11 京都

京都駅で江本という長身の若い男性が出迎。西京極のアパートに落ち着く。

引越しの安川を追う

翌朝金曜、二人は阪急四条河原町駅から、高瀬川沿いを歩く。早い昼食を住ませ目的のアパートに向う。一階がスナック、2階が住居。尋ねるとだいぶ昔に引越したという。大家に尋けという。北白川の白い蝶というスナックに向う。不審顔のマスターに会う。現在多忙につき5時に電話してほしという。街を歩いて気が付くと四条河原町に向っていた。

御手洗は、はじめまじめに取り組んでいなかった。そこで見落しがあったから、五里霧中の状態になったという。

12 京都

安川の死亡を知る

5時、早速電話して住所を知る。今度は京阪四条駅から香里園に向った。飲み屋の集まった駅前を抜けてアパートに向った。すっかり日が暮れていた。大家を尋ねて、安川の死亡を知った。娘夫婦と暮していたという。御手洗に失望の色が浮かんだが、引越しを扱った運送屋から教えてもらうこととし、アパートに帰宅した。

13 京都

安川娘に拒否される

御手洗の情報で、阪急上新庄駅に向かいそこからバス終点の富里町でおりる。淀川に掛る鉄橋を前方に見て横道に入り、アパートに着く。廊下にぶら下がっている洗濯物をよけて、目的の加藤とい表札の部屋を尋ねる。

食器を洗う音がして、中から赤ん坊を背負った女性が出てくる。御手洗が説明をし始めると明きらかにドアを開けたことを後悔したようだ。そして、何も話すことはないとドアを閉めた。御手洗は意外にあっさりと諦めた。亡き竹越文次郎の意志を尊重してここまできたが、これで打ち切る。そしてこれからは一人で考えるという。石岡に嵐山、嵯峨野を散策することを勧める。別行動となる。

嵐山に行き、渡月橋を渡った。そこで軽い昼食をとった。路面電車をみつけた。珍しさに乗って終点で降りた。三条大宮だった。四条河原町に近い。そこから清水寺に行く。三年坂の石畳を歩き、茶店で甘酒を飲んだ。京都らしい雰囲気に満足する。四条河原町に戻り、結局、西京極に帰った。

14 京都

京都観光

アパートでは江本が待っていた。別行動だったと説明した。御手洗が帰ってきた。夢遊病者の顔だった。江本が明日の日曜日について京都案内を申し出た。御手洗には付き合うだけでいいからというと、同意した。

翌日、二人は、江本の案内で、大原三千院、同志社大、京大、二条城、平安神社、京都御所、太秦の映画村を巡った。その間、御手洗は約束どおり喋らなかった。昼食は大原で懐石料理、夕食は河原町で寿司をご馳走になった。楽しい一日だった。

加藤を再訪する

翌朝、石岡が目覚めたとき、二人は外出していた。外に出て、軽い朝食をとった。散歩をした。本屋を覗いた。小川を渡り、西京極球場にきた。幾組かのランニングをする少集団に会った。その間にも事件のことが頭を離れない。事件の謎解きに熱中して引き起かされた数々の悲喜劇を思い出した。

散歩の種も尽きたので、四条河原町に出ようと思った。駅で急行が突風を巻き起こして通り過ぎるのを見ていた。突然、昨日の加藤宅を訪問する気持になった。そうしなければいけないと思った。竹越文次郎の手記があるので、話は聞いてもらえるように思えた。

アパートを尋ねた。狭く開かれた戸口に慌てて訪問の趣旨を告げた。午後4時だった。子供を探さなければいけないといって、淀川の土手に出る女と一緒に出た。父親のことを話し始めた。

父親は、あの事件の後、兵隊にとられ、右腕を負傷して復員した。好きな仕事ができなくなり、生活が荒れた。アル中のようにもなって、母親は離婚した。しかし女は自分には優しかった父を見捨てることができず、父親と一緒に暮したという。

平吉生存の手掛りを探している石岡に、事件は嫌な思い出でがあるといった。父を尋ねて得体の知れない人物が尋ねてくるようになった。狭い部屋を覗かれるのが嫌で、それもあって京都に引越した。父親は平吉が生存していると考えてるようだが、どれだけ正気だったか怪しい。アル中や薬物の影響で幻影を見ていたかもしれないといった。

吉田秀彩が浮上

なおも手掛りを求める石岡に、四柱推命の占い師、吉田秀彩を教えてくれた。人形作りを趣味としている縁から知りあったという。京都の烏丸車庫の近くに住んでいるという。この情報は警察にいっていない。夜であったが、石岡は烏丸車庫を尋ねて住居だけを確認して、帰宅した。

15 京都

翌朝、石岡が目覚めたとき、二人は既に外出していた。すぐ、阪急烏丸経由、バスで烏丸車庫、吉田秀彩の自宅を尋ねた。応対の老婦人によれば、今日夕方帰宅するという。石岡は在宅を確認して再訪すると辞去した。そこから、賀茂川まで歩いて、また事件のことを考えた。午後2時に電話したが、まだ不在だった。夕方5時前に在宅を確認し、すぐ自宅に向った。

秀彩、明治村を語る

秀彩は銀髪の魅力的な人柄だった。石岡は竹越の手記の説明から切り出した。平吉生存説を説明したうえで、安川がどういっていたか尋ねた。秀彩は、安川が主張していたことを認め、さらに明治村の宇治山田郵便局の女のマネキンがアゾートであり、同じく同村の京都七条巡査派出所で明治時代の巡査に扮している梅田八郎が平吉と信じていたといった。

ただし、秀彩は晩年の安川の精神が正常でなくなっていたといい、どちらも否定した。

帰宅し、江本に明日、自動車借用を依頼し早々に就寝した。

16 愛知

朝6時に出発、名神高速で小牧インターから明治村に到着した。5時間かかった。駐車場から中心部は専用バスで行く。入鹿池を見下ろす場所で降車した。そこから明治村を徒歩で鑑賞する。ブロック塀のない町並みが新鮮であった。

明治村の町並み

大井牛肉店、ヨハネ教会堂、森鴎外、夏目漱石宅。白猫がいた。広場に出ると、市電がよたよた走っているのが見えた。若い娘たちの歓声が聞こえた。ジョンブルひげで腰にサーベルを下げた梅田八郎がポーズをとっていた。撮影に時間がかかりそうなので、後にして、京都市電に乗った。親切な車掌に好印象をもった。

宇治山田郵便局

鉄道寮新橋工場、品川硝子工場。ついに宇治山田郵便局が見えた。飛脚のマネキン、何台もの郵便ポスト、郵便夫。部屋の隅に女の人形が和服を着て、直毛の髪を額まで垂らしてひっそりと立っていた。

石岡は人形を凝視めた。目は明きらかにガラス玉である。手は人間のものではない。顔はどうか。光のぐあいか小皺があるようだ。思わず柵を乗り越えようとしたとき、清掃員が入ってきた。

外に出た。パンを買って帝国ホテルの玄関が見えるベンチで食べた。どうしても人形を確かめたいと思って再度覗いたが、次々に数人が見物してゆく。断念して梅田に会いに行った。

梅田巡査の人柄

吉田秀彩の名前を告げて、秀彩や加藤にした説明を繰り返した。安川のことを覚えていた。さらに、安川が自分を平吉だと言い張ってきかなかった。乃木大将や明治天皇と間違われるならありがたいがと、あっけらかんとした口調で答えた。石岡は梅田の人柄から平吉である可能性がないと確信した。

梅田は人形作りを趣味にしていた。その縁で秀彩を知ることとなり、人柄に惹かれて、仕事の手伝いをすることになった。万博では徹夜をしてまで秀彩の手伝いをしたと懐しそうに語った。安川をひきつけ、また梅田をひくつける秀彩の人柄に感銘を受けた。突然、秀彩こそが平吉の変身した姿ではないかとひらめいた。

人形の秘密

その後、館長に面会できたので、秀彩がミステリーと語ったあの人形の存在を話すと、笑いながら、人形はディスプレーが淋しいと思ったので急きょ知り合いに頼んで運びこんでもらったものと教えてくれた。

帰路、秀彩にぼろを出させる方法がないか考えたが、何をいっても安川に聞いたといえば死人に口なしである。確たる方策は見つけられなかった。アパートに帰り江本に明治村のお土産を渡した。御手洗は帰宅していなかった。

17 京都

哲学の小径に向う

石岡は6時に眼が覚めた。隣はもぬけのから。布団は昨日のままだ。帰ってないと分かった。戻らないで活動している御手洗を考えた。寝ていられないので、外に出た。スポーツ公園まで歩いた。時間を見計らって帰った。江本が起床。やがて外出。8時となった。

御手洗からの電話が鳴った。哲学の小径の入口にパンと牛乳をもって来てくれという。慌てて飛び出し、四条河原町からタクシーをひろって向った。浮浪者のような男がベンチで寝ていた。黒犬がそばで尻尾を振っていた。2、3日、食べるのを忘れていたという。

次々と意味不明の言葉を発する。衝動的行動を制御し考える。まったく進展していないと確信する。少し冷静となった御手洗が石岡にどうだったと尋く。吉田秀彩と明治村の梅田八郎について話すが、ぼんやりと反応がない。

天啓が訪れる

近くの喫茶店でコーヒーを飲む。少憩の後、石岡が秀彩のところに行くという。御手洗が先に出る。一万円を出しお釣りの九枚の千円札をいつものように同じ方向に揃えながら追い付く。また、あの黒犬が御手洗に尻尾を振っていた。

千円札の一枚を見せながら、このとおりセロテープで貼り付けていると見せた。御手洗はそれを見て、不透明なら偽札の可能性があるという。どうして不透明なら可能性があるのか尋ねていると、御手洗がこれまで見たこともない異常な表情を見せた。そして30メートルほど走り、まと戻ってきて、うずくまった。近くのアベックも犬も驚いた。
謎は解けたと宣言した御手洗は、新幹線の最終の時間を確認し、さらに石岡にアパートに戻り連絡を待つよう指示し、颯爽とどこかに向った。

18 京都

石岡は元気になった御手洗を喜んだが、事態が解決に向うと期待していなかった。しかし、帰宅後20分で電話があった。渡月橋横の琴聴茶屋に人に会わせるからこいという。

琴聴茶屋

茶屋の中は客が少なかった。窓ぎわに御手洗と背中を見せた和服の女性が座っていた。御手洗は桜餅を注文した。向かい側に座った石岡は女性は50歳、若いときは美人だったと思った。餅をもってきた店員が離れると、御手洗は女性に石岡を紹介した。そして、石岡に、この方があの梅沢家・占星術殺人事件の犯人である須藤妙子さんだと紹介した。

石岡は一瞬気が遠くなった。外では春雷が光った。雨が一気に強くなった。人々が右往左往している。激しい雨音で大声を出さなければ聞こない。時間が過ぎた。やがて激しさが納まり始めた。

女性は、誰か私のところにやってくると思っていたという。御手洗が、どうしてあのような目立つところにいたのかと尋ねる。見つけてもらいたかったのだと思うという。

お会いできて嬉しかったといった女性に御手洗はその三倍嬉しいと答える。女性の誉め言葉にめずらしく御手洗が謙遜する。

そして、もうお別れします。約束なので明日、竹越文次郎の息子の刑事に、あなたのことを教える。おそらく、明日の夕方に警官がやってくると告げる。

別れ

雨を心配する御手洗は石岡に江本の黒い傘と白いビニールの傘をもってくるよう頼んでいた。そのビニールの傘を女性に渡した。女性はバッグの中から赤と白の糸が複雑にからんだ非常に綺麗な袋を取り出しお礼といって渡した。

男二人は黒い傘で橋の方向に、女性は白い傘で落柿舎の方向に歩きだした。別れ際におじぎをし、離れて振り返ったときにまた、おじぎをした。

19 京都

帰京する

御手洗は西京極のアパートから飯田美沙子に電話して、犯人が見つかったと告げ、明日にでも教室に来るよう依頼した。そのときかならず手記をもってくるよう念を押した。

京都駅で江本に見送られながら二人は新幹線に乗車した。石岡は早く真相を知りたくて我慢できない。教えるよう迫ったが御手洗は明日一度に教えるといって、妙子に貰った袋を取り出し眺めていた。やがて眠りについた。

20 綱島

前日眠れなかった石岡は午前早くに事務所に着いた。二人は来るはずだからとコーヒーカップの用意をした。緊張が高まる石岡と対称的に御手洗は気乗りがしない様子だった。

電話があり、午後1時に飯田美沙子とその夫の刑事がやってきた。御手洗が説明を開始する前に手記を求めしっかりと握り締めた。

犯人の指摘

犯人は須藤妙子である。三つの事件すべての犯人である。現在、京都で袋物を扱う小さな店を経営。新丸太町通り清滝街道上ル所在の「めぐみ屋」であるという。

40年間、多くの人々の努力にもかかわらず判明しなかったのは、この事件特有のトリックがある。しかし事件全体を説明する必要があるので、時間を追って説明するという。

平吉殺し、その状況

まず、平吉殺しの状況である。

1) 建物は密室。周囲も大雪
2) 平吉は殺害直前に睡眠薬を服用、ひげを短かく刈り取られる。
3) 雪上に足跡2筋、男靴と女靴。男靴が後から立ち去る。
4) 降雪は午後11時半中断。死亡推定時刻は午前零時頃、前後1時間の巾
5) この時の絵のモデルは今なお不明
6) アトリエにくる足跡がないので、男女は顔を合せているはず。

平吉殺し、方法の検討

どのように殺害されたか、降雪状況から次の場合が考えれる。

1) 11時1分過ぎに来訪、殺害、足跡を残して逃走
2) 女靴のモデルが単独犯
3) 男靴が単独犯
4) 二人が共謀

5) モデルが単独犯、トリック
6) モデルは無関係、降雪中にの立ち去り、男靴が単独犯、トリック

なお吊りあげベッド説は偽装工作として意味があるので必要に応じて検討する。

平吉殺し

これから、実際を想定すると、それぞれ問題がある。ベッド吊り上げ説が時々顔を出し混乱させる。結局最も蓋然性の高い5)に絞られる。

人物像

5)から浮かび上がる人物像は、モデル、親しい間柄、トリックに使った平吉の靴を戻しておける人物となる。

犯人はポーズをとっている間に予想外の大雪に出会い、対応策として足跡のトリックを考案し次の事情から決断した。

a) 昌子、娘たちを巻き込む吊りあげベッドの偽装に好都合
b) 一枝殺しを男の犯行と偽装するのに好都合

犯人は優れた能力をもつとはいて子細に見れば綻びが出ている。それを見極めることにより犯人に辿りつけると思う。

平吉の靴をどうして戻したのか、カバン錠をどうして施錠したのか、問題が残るが、これはもって真相が明きらかとなった段階で説明する。

一枝殺害

御手洗は真相を簡明に説明する。犯人は一枝を殺害、7時半、竹越文次郎を連れ込み、文次郎と情交、その精液を入手、偽装に使用。

文次郎を巻き込んだのは、死体処理のためと男の犯行とする偽装である。これは昌子が白となったとき、自分に疑いを向けさせないための措置でもある。

行きずりの犯行

一枝の自宅は、次の事件の犯行場所、死体保管場所に必要。行きずりの犯行なら警察の注意も薄れ、次の犯行のため好都合である。

アゾート殺人

このトリックは極めて単純かつ大胆なものであると前置きして、御手洗は警察関係者のために3、4年前の起きた一万円詐欺事件から話すという。

一万円札詐欺事件

これは20枚の一万円札を巧みに切断し、それから21枚の偽造一万円札を作るというものである。本物より横幅が少し短かく、左右の通し番号が違っていた。

この作り方は次のとおりである。

1) 1枚の一万円札を21等分することを考える。これは20本の等分線を切断することである。

2) 次に20枚の一万円札を左から右へと並べ、左から順に切断する。このとき!枚目は左から1番目の等分線を切断する。2枚目は2番目、3枚目は3番目と続ける。これで20枚の切断された一万円札が出来る。

3) 次のように偽造一万を

1枚目は1枚目の右側片のみ
2枚目は1枚目の左側片と2枚目の右側片
3枚目は2枚目の左側片と3枚目の右側片

...

20枚目は19枚目の左側片と20枚目の右側片
21枚目は20枚目の左側片のみ

これで合計21枚の偽造一万円札が出来た。

御手洗はアゾート殺人事件は、この方法を利用した。即ち、5人の死体から、6人の偽造死体を作り上げた犯行であると指摘した。

21 綱島

アゾートへの利用

まず、犯人は6人の女の体の一部を集めて完全な女、アゾートを作り出すという虚構を信じ込ませるため、平吉の手記を偽造した。

次に5人の女の死体から、体の一部に欠損のある6人の偽造死体を作り出した。

偽造死体の作成

占星術の理論から切り取られるべき体の部位をもつ死体を偽造する。それぞれの偽造死体の構成は次のとおりである。

1) 時子。頭部欠損
1人目の下半身
2) 雪子。胸部欠損
1人目の頭部と2人目の下半身
3) 礼子。腹部欠損
2人目の上半身と3人目の下半身
4) 秋子。腰部欠損
3人目の上半身と4人目の下半身
5) 信代。大腿部欠損
4人目の上半身と5人目の下半身。
6) 知子。下足部欠損
5人目の上半身

これらを偽造するには、
1)雪子、2)礼子、3)秋子、4)信代、5)知子、
と並べて、然るべき位置で切断すれば可能である。

この時、登場しない時子が犯人、須藤妙子である。

偽造死体(発見順)

偽造死体のそれぞれは犯人の思惑どおりに特定される必要があるとともに、偽造が発覚しないよう配慮する必要がある。そのため、埋葬の場所、深浅により調節を図った。当然のことながら、着ている服もそれと矛盾しないよう着せ替えている。

6人の偽造死体を発見順に示す。

1) 知子、下肢欠損、4月、宮城県
2) 秋子、腰部欠損、5月、岩手県
3) 時子、頭部欠損、5月、群馬県
4) 雪子、胸部欠損、10月、秋田県
5) 信代、大腿欠損、12月、兵庫県
6) 礼子、腹部欠損、翌2月、奈良県

死体埋葬への配慮

死体を、1)雪子、2)礼子、3)秋子、4)信代、5)知子、と並べて比較されると、偽造が発覚しやすい。

時子は、この連続で発見されないよう配慮した。

このため埋葬の地域分散と埋葬の深浅による発見時期2分化を図った。

偽造死体の発見時期が、時子は前期、雪子は後期となっているのは次の事情による。

1) 偽造死体が時子と特定されなければ犯行の意味がない。しかも特定に時間がかかって疑問が生じる事態も避けたい。

2) 時子の特定は頭部がないので、雪子の下半身による。時子は雪子に痣があることを知っており、平吉の手記に時子の痣を言及しておく。さらに痣により時子と特定するよう、時子の偽造死体を浅く埋めて発見を容易にし、雪子のほうは深く埋める。なお、実母多恵がこれと矛盾する証言をしないよう、時子は自ら痣をつけて母に見せるなどの工作を行なったと思われる。

昭和11年の犯罪

御手洗は、この犯罪は昭和11年だから可能となったという。現在のように、科学が発達して種々の方法で死体の特定が可能となった時代には成立しないという。

母への愛情

御手洗は動機は薄倖の母多恵のための復讐と指摘する。多恵は嵯峨野で袋物の店を開くことが夢であった。時子はその所縁のある土地で身を潜めるようにして暮していた。発見は容易であったと御手洗はいう。

平吉殺しのトリック

平吉のモデルを務めているとき、平吉は睡眠薬を飲んだ。その後、時子は平吉を殺害し、ベッドの偽装工作をした。カンヌキに細工して外に出て、窓のところから糸か紐でカンヌキを掛けた。

それから木戸のところまで女靴のままで出て、次に爪先立ちで大股に引き返し、入口で平吉の靴に履きかえて、窓のところの足跡を徹底的に踏みつぶし、先程の爪先立ちの足跡を踏み消しながら表通りに出た。その後どこにいたのかは不明である。

翌朝、平吉の靴をもって帰宅し、朝食をもってアトリエに向った。窓のところで発見を装った時、窓から靴を土間に投げ込んだ。大勢が部屋に乱入する騒ぎを利用してカバン錠を密かに掛けておく。時子は皆を窓に近寄せないようにしたので掛かっていなかってことに気付く者はいなかった。

竹越文次郎を巻き込んだのも時子であると指摘して、御手洗は手記を皆の見ている前で焼却した。

22 綱島

時子の自殺

石岡が新聞で昨夜、須藤妙子が自殺したこと知る。各紙をもって御手洗の事務所に行く。自殺を告げる。警察の地道な捜査が今回の解決云々かと、ニヤリと笑って新聞の束をテーブルにほうり投げた。

石岡はもっと色々と尋きたいがったが、御手洗は、知るべきことはすべて知ったので必要ないという。時子と琴聴茶屋で会ったときも殆ど尋かなかたという。ただ事件後、しばらくして大陸に渡ったと聞いたという。

多恵と時子の共謀の可能性はあるかとの石岡の問に、ないと考えると答えた。

最後に石岡が時子が何故自分のことを黙ったままで死んだのかというと、御手洗は、新聞の記事に触れ、罪が発覚したので観念して死んだと断定して疑わない。新聞は大衆の要望に答えて物語りを作る。40年も生きて死を選んだ人物にいうことか。時子は黙って死んで当然だと言い放った。

23 綱島

竹越刑事の来訪

竹越刑事が綱島の事務所に来訪し、時子の手記の写しを御手洗に手渡した。その際、先日の無礼を詫び、父の分も含めて感謝していると述べた。

24 時子の手記

時子の手記は、嵐山で会ったお若い人へ、と題してあった。

手記を残した理由

強くて怖い男性が私の犯した大罪を糾弾するという夢に怯えつつ母が愛した土地で露命をつないでいました。優しい貴方に感謝するとともに、懺悔の証しとしてこの手記を残します。

義母昌子、その娘と暮した生活は地獄でした。そのため本当の意味で自分のしたことを後悔していません。父は懇願にもかかわらず、自分を母から引き離しました。義母も自分を愛してはいないのに母との同居を世間体をはばかり認めせん。そればかりでなく、体のよい家政婦として扱き使いました。しかし、このような事情は世間にはまったく理解されませんでした。

自分は母のもとに頻繁に通ったといわれます。しかし、それには理由があったのです。ひとつには、体の弱い母が一人で煙草屋を営むのは無理があり、自分の援助を必要としたこと。ふたつには、母を口実に外で働いて金銭を稼ぐ必要があったことです。

大学病院の勤務

勤務は大学病院でした。身近に生死のはかなさが実感できました。自殺しようと決意しました。別れを告げに訪れた母の家で今川焼を饗応されました。母が自分よりもっと不幸であることに初めて気付きました。母をおいて死ねない。自殺を断念しました。

母はいつも煙草屋の店先にしょんぼりと座っています。私はそれ以外の母の姿を思い出せません。これからもずっとそうであると考えると、薄倖の母への同情と絶望が、いつしか梅沢家の人々への強い怒りに転換していきました。

殺人の決意

ある時の思いやりのない昌子と一枝の行為が犯行を躊躇する私を決断させました。自分の身を捨てても母に幸せをあげようと思いました。

思い立ってから懸命に計画を練りました。竹越さんのことを知ったのもこのときです。薬品、父を殺害した凶器は大学病院から調達しました。

平吉殺し

父にはモデルを申し出て事件当日となりました。最後まで迷いが生じましだが、延期することは父の作業が進み、モデルが自分と特定されること、昌子に翌日、バレエのレッスンを約束していたことから、決行しました。

決行後、あらかじめ決めていた場所で一夜を明かしました。思いが交錯し不安と後悔の一夜を過ごしました。警察の捜査は峻烈でしたが自分には動揺がありませでした。母は勤務先で何かあったのだろうと、私が当夜同宿していたと証言してくれました。

一枝殺し

一枝殺害の話しです。事前に一度訪問し、二度目に決行しました。一枝の着物に着替えて竹越さんを誘いました。竹越さんの当夜の時間が狂うと計画が破綻に頻します。危うい綱渡りが幸運にも成功しました。

弥彦旅行のあとに娘たちが一枝の家に立ち寄るよう、一枝葬式時に座布団を汚し、立ち寄る口実を作りました。不平をいう娘たちをなだめすかして、何とか一枝の自宅に誘い込みました。3月31日午後4時でした。毒入りジュースを飲ませて殺害しました。その後、梅沢家に戻り、鈎のついてロープ、亜砒酸の壜を義母の部屋に置きました。これは義母に疑いを向ける工作です。

翌日夜、一枝の家の浴室で死体を切断しました。もしこの時点で発見されたら自分も砒素を飲み死ぬ覚悟でした。でも発見されませんでした。

脅迫状の投函

6人の偽造死体を物置き小屋に保管しました。旅行荷物は錘を入れて多摩川に沈めました。事前に用意していた竹越さん宛の手紙を4月1日、梅沢家から都心に出て投函しました。

痣作りの工作

痣は自分で鉄の棒を使って作り母に見せました。

それから、川崎、浅草などの木賃宿を転々とし、職を得て国内で暮していましたが母には知らせませんでした。潜伏中に知り合った女性の縁で大陸に渡りました。大陸で良い思い出はありません。

敗戦後、帰国しずっと九州にいました。この事件が有名になって母にお金が入ったことを知りました。だから母は京都嵯峨野で袋物の店をやっていると信じていました。我慢できず京都に母を捜しましたが見つからず、東京に出ました。ちょうど東京オリンピックを控えた頃でした。

母を再訪

まず目黒に行き、近隣を徘徊した後、保谷に向いました。母の家は周囲と比較し際立って古びて見えました。応対に出た中年女性には大陸から引き上げてきた親戚と説明しました。母は奥の間で寝ていました。眼も良く見えないらしく、いつもすいませんね、と挨拶しました。近所の人と思ったのでしょう。

私は次から次へと涙を流しました。何てことなのか、母は少しも幸せになっていない。自分の罪を後悔する気持が初めて湧いてきました。

痴呆が始まっている母に時子と呼んでもらうのは、4、5日かかりました。母のため当時珍しかったカラーテレビを購入しました。近所の人が見にきました。母はオリンピックの開会式の日に亡くなりました。

嵯峨野の店

母に代わって嵯峨野に店をもち、ささやかな幸せを感じました。しかし、ただ一人の男性を愛したい。その男性に出会いたいと思いました。占星術で運命を占いました。真相を探知し糾弾する男性が現われる。私はその男性を愛する。必ず現われるほうに賭けました。しかし時は過ぎ、むなしく年老いてゆきました。私は賭けに敗れました。

貴方にお会いして自分の賭けが少くとも間違っていなかったと思います。賭けに敗れたら潔く死ぬと決めていました。貴方の今後のご活躍をいつまでも祈っています。

4月13日 金曜 時子

付録、時子の青春

時子の母は薄倖の人生を送った。夫に裏切られ、代償に与えられた煙草屋の人生を受入れた。時子は母の諦観に満ちた生き方に反発し怒りを覚えたが、母への愛を捨てることができなかった。異母の娘たちに反発して、独立を模索した。

何故、自分や母が、こんなに不幸なのかと考えた。考えれば考えるほど、父、異母、その娘たちへの怒りがたかまった。社会の不条理にやりばのない鬱憤をためた。もしこの謎を解明してくれる人がいるならば会いたい。きっと、この謎を解明してくれる男性があらわれる。もし会えたらもう死んでもよいと思った。

どうしようもない衝動にかられて大罪をおかした。罪に問われることもなく満州にわたった。そこで、よりおおくの不幸と不正をみた。戦後日本にもどり、昔のままの小さな煙草屋で母と再会した。痴呆がはじまっている母は薄倖な人生をおえようとしていた。母を幸せにできなかった自分に泣いた。母の死後、その生涯の夢だった袋物屋を京都嵐山で営み、小さな幸せを得た。

運命に翻弄されながら、全身全霊をかたむけて愛することのできる男性に会えると信じていたが、かなわなかった。今ある幸せはいつまでもつづかない。自分の大罪を糾彈する男性がかならずあらわれると感じてた。春の嵐で雷鳴が響く中、御手洗潔があらわれた。もう死んでもよいと思った。

(おわり)

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