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謎解き島田、暗闇坂の人喰いの木 [島田荘司]

はじめに

壮大な構想と迷路のような複雑な筋で読者を幻惑し、最後に感動の結末を与える島田荘司さんの「謎解き島田」を提供する。中身はいわゆるネタばれに溢れてる。本作品を未読の方にはすすめられない。

本文

プロローグ・スコットランド

クララの殺害

1945年4月、スコットランド、フォイヤーズ村のはずれの山の中で一人こつこつと建物を造っている男がいた。最初は父が手伝っていたが外郭の完成とともに村の自宅にもどり、男だけが作業を続けた。

建物は入口の他に窓が全然ない不思議な構造であった。入口に立てばネス湖が見降ろせた。

男は非常に内気な性格であったので、特に女性と口を利くのは苦手であった。友達になれるのは十歳くらいの女の子であった。男は30歳、ロンドンで会社を経営していて経済的には豊かであった。

ある時、ダレスという町からやってくるクララという女の子と仲良くなった。金色の巻き毛をしたびっくりするほどの美少女だった。やがて別れるのが辛らくなったので殺して、秘密の家にもどり抱いて眠った。さらに体をバラバラにしてそれを北の壁に釘で止め、しげしげ眺めて満足していた。

それからセメントで女の子の体を壁に塗り込めてしまった。十年近く経過して、ダレス村の警官が行方不明の女の子がここに通っていたことを突き止めた。秘密の家も発見したので、北の壁をくずして調べたが死体は発見されなかった。結局、誘拐犯も死体も不明のままとなった。

ふたたび警告

この後に、ネタばれの内容がつづく。本作品を未読の方に閲覧をすすめない。


暗闇坂の人喰いの木 (講談社文庫)

暗闇坂の人喰いの木 (講談社文庫)

  • 作者: 島田 荘司
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1994/06/06
  • メディア: 文庫




* 1984年、馬車道、9月

森真理子の一方的お見合い

1984年夏の終り、石岡が御手洗と共同生活をしている馬車道の部屋に電話があった。石岡のファンとなのる女性だった。森真理子という名前である。

翌日3時に伊勢佐木町の喫茶店で会った。真理子は25歳、横浜西口のデパート勤務という。石岡の文筆業のこと、結婚歴を尋ね、占いの話しをした。やがて、軽食のできる別の場所に移り、ジョッキでビールを飲んだ。

恋人藤並卓

そのあたりから話がほぐれて、真理子の恋人、藤並卓のこととなった。背が高くハンサムで優しいが、人を寄せつけないところがあるという。7年間付き合って本当のことを教えてくれないことを知った。

ある時、決心して、暗闇坂上の卓のマンションに行った。すると奥さんが出てきた、また、そこに卓も帰ってきた。少し話をして、帰った。送ってくれたとき卓は奥さんがなかなか離婚を認めてくれないといった。おととい会ったとき、離婚届の用紙をもっていたという。

石岡は御手洗にこの話をしたら、皮肉な表情を浮かべて、やんわりと、それは女性が一方的に申し出たお見合いであったという。石岡の合否は次のデートの申し出があるかないかによって判明するといった。

公表の時期

これが暗闇坂の人喰いの木事件の発端である。事件の当事者の要望により公表を控えていたが、1990年の今、書くことが可能となった。

昭和16年、くらやみ坂

淳子の死亡

淳子という少女が失踪した。兄の照夫が他の男の子と暗闇坂で戦車遊びをしていたときであった。淳子は坂を大楠のあるほうに登っていってそのまま帰ってこなかった。学校にいても淳子のことが気になってしようがなかった。校庭の欅を見たとき、突然暗闇坂の大楠のことを思い出して怖くなった。

昔、あの大楠の下でたくさんの罪人の首が切られた。その生き血を吸ってあのように大きく成長したという。そのため、幹の途中にある空洞に耳をつけると恨みをもって死んで人々の悲鳴が聞こえるという。

暗闇坂には八百屋がトラックに野菜を積んで一日おきにやってくる。たくさん集まってきていた主婦たちもだんだんいなくなり、3人だけが残った。そのうちの一人があっと声をあげて、地面を見た。拾いあげてみると赤いリボンだった。そこには血がついていた。驚いて上をみると少女が大楠の枝から垂れ下がっていた。

* 屋根の上の死者、9月23日

1 卓の死

暗闇坂の建物の変遷と大楠

79年当時、暗闇坂の上には蔦のからまった3階建の西洋館があった。これは元々、昭和7年(1932)に建てられた硝子工場の社長の自宅であった。その当時は硝子工場と倉庫があった。戦後、裕福なスコットランド人のジェイムズ・ペインが購入し、ここに外国人子女のための学校を開設した。そのため、西洋館は校長宿舎とし、校舎、グランドが建設された。

昭和45年(1970)、学校は閉鎖された。この原因は校長ジェイムズ・ペインと日本人妻藤並八千代との間の離婚であるという。この後に校舎、グランドが取り壊され、アパート2棟、銭湯が建設された。西洋館は家族の住居となった。

79年当時は、銭湯は閉鎖され、アパート2棟は5階建のマンションとなっている。このようにめまぐるしい変遷をずっと見続けてきたのは、この西洋館と大楠といえる。

徳山涼一郎の発見

1984年9月21日、神奈川県に台風が来襲、翌日早朝、暗闇坂の玩具屋、徳山涼一郎は後片付けをしているときに、昨日の夢を思い出した。

学校があったころの夢である。西洋館の屋根の上で青銅のにわとりが毎日正午に奇妙なメロディーとともにはばたいていた。それが屋根から飛び立つものだった。

不思議な気持で店の前から西洋館の屋根を望むと、にわとりが消滅していた。さらににわとりがあったあたりに人影らしきものが見えた。三角形の屋根の頂上に人が馬乗りに跨がっている。やがて朝の散歩者も気付き、藤並家の人間らしいと大騒ぎとなって警察に通報された。

2 卓の死亡記事

御手洗が石岡に森真理子の恋人藤並卓変死の新聞記事を見せた。それは、21日午後10時ころ、心不全で屋根の上で死亡したというものだった。薄手のグリーンのセーターとコールテンのズボンとい軽装であった。

御手洗は早速、マンションを訪問し、何も知らなかった森真理子に事実を告げ、話を聞きたいと申し入れた。

3 人喰いの木の絵

ある人物が人喰いの木の絵を描いている。そこでは大きな木の幹が縦に裂けてそこから4体の骸骨が溢れでている。幹の一番上はワニ口に裂け、その口に上半身が呑み込まれ、下半身だけが空に突き出ている人間がいる。

大きな木のすぐそばに古い西洋館が建っていて、その屋根の上には馬乗りになった人がじっとこの木が人を喰べているところを見下ろしているものだった。

4 真理子の調査依頼

二人が約束の場所で朝食を終えたころ、森真理子がやってきた。御手洗は真理子の気持を引き立たせるため、石岡があなたのことばかり噂していたという。

気分を良くした真理子に卓のこときく。見た目と異なり女性問題とは無縁。怜悧な人物にありがちな人を寄せつけない人柄。心臓が悪かったとは聞いいない。覗きの趣味などない。

一風変ったところがあった。自分と公園を散歩していたとき何を思ったか池の鯉に怒りだし、石で殺そうとした。

借金はない。仕事は長続きしなかったがお金に苦労はしていなかった。

嫌いなところは、子供のころ猫を生きたまま解剖したり、犬を木から吊してバットで殴殺したりしたところという。

御手洗は、卓がこのような奇妙な死をとげたのに警察にまかせておくと、自殺ないし事故死として処理される。真相は闇に葬りされれるという。

さらに真理子が卓の不可解な人柄にとまどいつつ、憧れていたこと、裕福な家庭の卓と結婚する密かな期待を抱いていたことをさりげなく触れて、卓の調査を自分たちに依頼するかと尋ねた。その際、石岡がこの事件の本を出版するので費用負担はまったくないと付言することを忘れなかった。真理子はすると答えた。

5 暗闇坂を尋ねる

伊勢佐木町から徒歩で長者町を抜け、大岡川を渡り、京急電鉄の日の出町駅から戸部駅に至り、下車。商店街を抜け、御所山という信号を右折して、坂を登る。坂は手前にゆっくりと湾曲している。左手に「くらやみざか」という石碑が立っている。途中で真理子が暗闇坂の刑場には台上にいくつもの首が並べられていた。それらが倒れないよう両側から粘土で支えがしてあったという。

石碑を過ぎて前方に大谷石でできた石垣が見え、その上に巨大な楠が立っていた。

6 建物、敷地の説明

坂の頂上に至り、振り返ると左手前方に平地が広がる。敷地の形状は扇を三分の一ほど広げたもので、手間が縁のほう、奥が要のほうである。ただし要に両側が集約する前にすこし切り取った形となっている。

その手前の右から西洋館、藤棚湯、マンション、その向う残りの平地が駐車場である。西洋館の屋根の嶺は大楠を向いていた。

西洋館の周囲は低い煉瓦塀とその上に植え込まれたからたちの垣根が取り巻いている。正門は南側、坂の反対側に設けられていた。

その南に廃墟となった藤棚湯があった。敷地は壁で囲まれていず、建物はセメント敷きの上に建設されている。道に面した東側の正面入口はしっかりと閉鎖されている。裏側に回るとドアが壊されて容易に中に侵入できる。右手に巨大なかまど、その上に高々と聳える煙突がある。左手に燃料小屋がある。金属扉は簡単に開き、なかには、まだ相当量の石炭と薪があった。

さらに南にハイム藤並があった。

7 郁子を尋ねる

躊躇する真理子をなだめ安心させながら御手洗は4階北西角にある401号室の藤並郁子を尋ね、自ら私立探偵と紹介する。怪訝な顔の郁子に卓を殺害した犯人をすみやかに捜索する必要があることと、その証人を連ているという。真理子を引き合わせ、彼女の依頼で動いているという。

真理子が依頼することに疑問を示す郁子に、妻である郁子が最適であることを認める。そして警察は事故死と考えているようだが、納得しているのか尋ね、真理子は将来的に石岡と結婚する気持であるが、かっての縁で依頼してきた。郁子に調査を依頼する気持があるか尋ねる。

応接間に案内

たちまち、雰囲気が変って、御手洗たちは部屋に案内される。応接間で御手洗は、郁子が9年前に見合い結婚したこと、卓に心臓の欠陥がなかったこと、最近異変がなかったこと、屋根に登るような理由がないことを確認した。

複雑な家族関係

母屋、西洋館の人々に話が移るにつれ、豊かな資産、複雑な家族事情が明きらかになってゆく。

藤並八千代は大正12年(1923)生まれ、ジェイムズ・ペインと結婚し、卓、昭和21年(1946)生まれ、譲、昭和22年(1947)生まれ、玲王奈、昭和38年(1963)生まれ、の3子をもつ。昭和45年(1970)に離婚。昭和49年(1974)に三本照夫と再婚する。ここに連れ子、三幸、昭和43年(1968)生まれがいる。なお、玲王奈は現在、人気モデルのレオナとして活躍している。

母屋には八千代、照夫、三幸が住む。3子とも部屋をもつが譲を除き不使用。マンションの401号室に卓と郁子、その上の501号室にレオナ、さらに下の301号室に譲が住んでいる。

子供の結婚

八千代は子供の結婚には無関心、子供つくれともいわない。郁子には子供はいない。譲は現在、千夏という水商売出身の女性と同棲中。子供はいない。

西洋館、賃貸用のマンション、貸駐車場、廃墟の藤棚湯、これら建物、敷地はすべて藤並家の資産。ただしマンションはローン返済中。卓、譲とも職に就いたが長続きせず、結局無職。譲は世界の死刑制度の研究に従事している。資産の上りから経済的には豊かである。

西洋館の家事は、照夫、三幸が行ない、近くの牧野写真館の夫妻が手伝う。

譲についてきくと八千代が頭蓋骨陥没骨折のため藤棚総合病院に入院、その看護で病院という。八千代の怪我の事情には沈黙。

9月21日の行動

最後に御手洗が、9月21日午後10時前後に郁子が在宅であったことを確認する。卓は8時に部屋を出た。そのまえ7時に電話があったという。

8 千夏に会う

301号室を尋ねると酔った千夏が出る。私立探偵と紹介すると機嫌良く中に案内される。リビングで乾杯してから話をきく。

ここの家族は皆なおかしい。

1) 譲は気味の悪い死刑の研究に没頭している。この前、小鳥をアルコールに漬けて殺した。殺すのが好きらしい。
2) 卓はむっつりとして二枚目を鼻にかけている。
3) レオナは高慢で我侭
4) 郁子は普通そうだが、本心では財産狙い
5) 八千代は良く分からない。これまで一度も喋ったことがない。
6) 照夫は普通
7) 三幸は良い子
8) ジェイムズ・ペインは典型的英国紳士

八千代発見時、卓は屋根にいなかった

八千代は9月21日午後10時ころ、大楠の前で倒れていた。照夫と三幸が発見し、病院に搬送した。そのとき屋根の上には誰もいなかった。

昭和20年(1945)、くらやみ坂

涼一郎の体験

夏、涼一郎、4歳が親戚の光二、7歳と閉鎖された硝子工場跡地で遊んでいた。母親からはきつく止められていたが、母親の目を盗んで遊んでいた。

夕方、跡地の端にある高い煙突のある建物を見にいった。そのとき付設されている竃の扉が突然開いた。なかから子供が飛び出してきて、二人に気付かないまま駆け出していった。涼一郎と同じ年頃の子供だった。

敷地を横切り、無人となった西洋館の角で折れて大楠に向った。後を追い掛て見ると、幹に立て掛けてあった梯子のようなものでたちまち上に登り幹の途中の窪みのところに隠れた。夕闇が濃くなって隠れたはずの子供の様子が分からない。そのまま二人はじっと凝視めていた。

突然、きゃーという女の子の悲鳴が響いた。両手を上にあげてもがいている人影が見えた。だんだん体が沈んでゆきやがて見えなくなった。二人は恐怖の余りそのまま後も振り返らず家に逃げ帰った。

* 飛び去ったにわとり

御手洗が西洋館の門前に佇み敷地内にある大楠が実見できないことを慨嘆する。

涼一郎の話し

藤棚総合病院に向う途中で暗闇坂の玩具屋に立ち寄る。徳山涼一郎の目撃譚、人喰いの木の噂を聞く。

大楠は怖ろしい木である。その土地は祟られている。
1) 大楠は人を喰い殺す。幹の上部に窪みがあり、そこが口となっている。耳を当てると悲鳴が聞こえる。昭和16年に死亡した女の子がその実例である。
2) 巨人が生まれ代ったもの。殺された女の子の指の先は溶けていた。
3) 夢のお告げがあった。それは青銅のにわとりが飛び立つもの。

そして発見時の様子を実演した。

昭和33年(1958)、くらやみ坂

涼一郎の恐怖体験

夏休み、高校2年生の徳山涼一郎と大学生の光二が会った。女の子を喰べたあの大楠をもう一度見ようという話しになった。

その頃には硝子工場はなく、外国人子女のための学校が開設されていた。大楠は校長宿舎となっている敷地に所在した。夜、二人は宿舎の金網を乗り越えて大楠のところに忍び込んだ。

大楠の窪みに登り、空洞に耳をあてると悲鳴が聞こえた。懐中電灯の光のなかに茶色の骸骨が見えた。二人はまた家に逃げ帰った。翌年、光二はバイク事故で死んだ。涼一郎はこのことは誰にも話さない。自分だけの秘密にしようと思った。

* 人を喰う楠

1 藤棚総合病院

御手洗、石岡、森真理子が藤棚総合病院を訪問する。212号室を尋ねると、照夫、譲から敵意に似た応対をうける。御手洗は突然、ウツボカズラ、動植物の食物消化の機構の演説を始める。譲がすこし興味を示す。依頼により調査している私立探偵であることを紹介して、待合コーナーで譲、照夫と話しをする。真理子が二人に引き合わされる。

家の様子が譲から明きらかになる。

1) 西洋館の構造は屋根裏部屋を含めて3階建て
2) 1階は、ホール兼食堂、八千代の居室、厨房、トイレ、物置部屋
3) 2階は、照夫、譲、卓の居室
4) 屋根裏は、レオナ、三幸、物置
5) 屋根裏の窓は嵌め殺し

食事は牧野写真館の老夫婦が作る。譲は資料室として活用、卓、レオナは空き室同然。
死の10日前に、卓は真理子に青銅のにわとりと音楽について面白いことがあると漏らしたという。

2 西洋館へ

やがて5人は藤棚総合病院を離れ西洋館に向う。真理子の関与に不審がる譲に御手洗が、この事件をどう思っているかきく。警察にまかせればよい、とくに不審を追求する気持ちがないというものだった。

藤棚商店街の舗道に2羽の鳩がいた。譲は突然ヨーロッパで鳩を轢き殺した話しを始めた。何かツボにはまったようにけたたましく笑い続けた。真理子が体調不良を理由に辞去した。

なおも御手洗は譲に家族のことをきく。

1) 八千代は偏屈、突然怒りだし家族に当たる。
2) ジェイムズ・ペインは元々、画家。父の軍需物質製造に関わり財を成して、昭和20年(1945)、来日。当時伊勢佐木町の料亭に出ていた八千代に一目惚れして結婚した。
3) 離婚の理由は不詳。仙台の下宿から帰郷すると、八千代が日本に飽きて英国に帰国したという。

3 大楠を見る

西洋館の門からなかを望む。右側に本格的な庭園がある。ゆるやかにうねる石畳を踏んで西洋館に向う。譲がジェイムズ・ペインが英国から職人を呼んで相当改修したという。玄関に立ったとき御手洗が大楠を見たいといった。

大楠は館の裏手にあった。圧倒的な大きさである。樹高26メートル、東西26メートル、南北31メートル、日本最大級である。御手洗が明日これに登るという。

4 応接間に入る

玄関は土間だった。靴を抜いで上がり、廊下に沿って右に進み、応接室と記されたドアを開けてなかに入った。広間だった。長方形のテーブルと椅子があり、その向うの壁には暖炉があった。その横に石炭、薪、固形燃料が置かれていた。

ジェイムズ・ペインの作品はない

全体に古びていた。漆喰の天井にはひび割れがあった。床の四隅はひわっていた。壁には油絵が懸けられていたが黒ずんでいた。石岡の質問に譲がジェイムズ・ペインが描いたものはない。スケッチも残されていないという。

三幸に話しをきく

紅茶をもってきた三幸に話しをきく。大楠の話しが分かる。動物の肉はみな挽肉にして喰べるという。卓の靴は藤棚湯と大楠のところに落ちていた。最後に御手洗に協力すると申し出てくれた。

譲がジェイムズ・ペインについて話す

譲がいう。にわとりは、ジェイムズ・ペインが英国の自宅にあったものを職人を呼び寄せた際にいっしょにもってこさせた。骨董趣味があって毎日定時に街に美術品を漁りに出た。室内の改造、校舎、体育館の設計も自分でやった。

何故、作品が残っていないのか分からないが、子供のころ、抱かれた父の体から油絵具の臭いがしたという。

5 夕食をとる

玄関ホールで夕食が始まる。譲、御手洗、石岡、千夏。郁子が千夏を忌避する。牧野夫婦が給仕し、三幸、郁子が手伝う。

御手洗が牧野省二郎にきく。写真館は自分で三代目。大楠の写真は種々もっているが、自分が撮ったのはペイン校時代のもの。古い刑場の写真もある。

譲が一言述べてから乾杯、食事が始まる。求めに応じて御手洗が犯罪について語る。脳は通常、人間を規律、規制するがたがが外れるとおぞましい犯罪が生まれる。このたがは多くの場合は、貧しさである。美食に飽きたヨーロッパの貴族のおぞましい犯罪にその例を見ることができる。開国以来ずっと貧しかったこの国の民に豊かさが与えれたときに何をするか分からない。さらにフランスの貴族の犯罪、フランス革命の時代の逸話を紹介した。

* 暗号

1 屋根裏部屋でオルゴールの修理

三幸の案内で三階屋根裏の中央の部屋に入る。そこにはにわとりを駆動する機械装置が残っていた。そこで、オルゴールのドラム、拡声装置を発見した。御手洗はその音楽を調べるといいだした。徹夜作業になりそうなので、石岡、御手洗の二人の宿泊の部屋を三幸に依頼した。

石岡は譲に部屋にくるよう誘われた。

2 晒し首とメロディー

二階、譲の部屋で世界の死刑の話しを次々と聞いた。壁には暗闇坂刑場の晒し首の写真が掲げらえていた。気分が悪くなった石岡を救うように音楽、奇妙なメロディーが聞こえてきた。譲が聴き覚えがあるという。譲とともに三階の部屋を訪ずれる。

御手洗が譲にいわれをきく。4、5歳にたしかに聴いた。しかし父から何も聞いていないという。御手洗はこれは暗号であるという。一晩かけて解読すると宣言した。

3 不明人(八千代)の囁き

ある人物がこのメロディーを評する。悪魔の音楽である。大楠が騒ぎだした。枝をするする伸ばし始める。

4 屋根のうえの御手洗

外の物音で眼が覚めた石岡は、窓の外を眺める。霧雨が降っていた。梯子が立て掛けられて、御手洗が登っていった。下には譲と照夫がいた。

譲の隣りで傘をさして見上げる。御手洗が屋根の頂に跨がって譲に卓の位置を確認している。にわとりの台座があるすぐそばった。

いっこうに降りない御手洗に飽きらめて朝食を取っていたが、突然外で鈍い音が響いたので驚いて飛び出した。背後に御手洗が出現した。屋根の上から写生した敷地図をみせ、庭園がbの字を裏返しにした形になっているという。あの音は暗闇坂で自動車が衝突した音だという。

そこに卓の遺体を返還に訪れた2人の刑事が御手洗に呼びかけた。高圧的な口調に大いに反発したが御手洗は物置からピッケルを持ち出し、梯子を大楠に懸けて幹の途中にある空洞のところに登った。そして石岡を呼んだ。刑事は怪訝そうに眺めていた。

石岡が空洞の奥を見る

怖がる石岡を励まし空洞のところまで誘導した御手洗は音を聞けといった。まさに魑魅魍魎の声がした。さらに空洞の奥を見ろという。雷鳴が響いて光のなかに黒い乱れた髪と茶色のしゃれこうべが見えた。

* 木に喰べられていた者たち

1 4体の死体を発見

御手洗がこの大楠は人を喰べるという。あっけにとられる刑事にかまわず、ピッケルで幹の樹皮を剥ぎとっていった。何度か繰り返すうちにぽっかりと1メートル四方の空洞の口が開いた。なかに4体の死体が発見された。

2 暗号の解読

大騒ぎの警察をほうって、玄関ホールの暖炉で暖を取っている御手洗に暗号の謎をきく。

1) 音符を音階に応じて、a、b、c、アルファベット36文字に対応させる。例えば、ドはcである。その2度下のラがaである。

2) この解読表をもとにして、あのメロディーを解読すると、under the tree、となる。つまり「木の下」に何かあるという意味になる。

これで、幹の根元の空洞の存在を推理した。あの死体はメロディーが作られた昭和25、6年(1950、51)より新しいものという。あの死体には奇妙なところがある。頭蓋骨と他の骨を比べると明きらかのように通常は残っている皮膚や脂肪がまったく頭蓋骨に見られない。ところが頭髪は頭蓋骨に付着している。

刑事2人がやってきた。先程の無礼を詫び、御手洗に死体の身元をきく。現在不詳だがさらなる調査により有用な情報を提供する用意がある。それにはお願いがある。八千代の書斎、かってジェイムズ・ペインの書斎であったものを御手洗が調査する必要がある。それを照夫が認めるよう警察から取り計らってほしいという。

* 書斎

1 隠し扉

書斎に、御手洗、石岡、二人の刑事、照夫が入った。なかは東洋美術の優れた集大成といえる品々が納められていた。西洋的といるものは、デスク、椅子、黒電話、ソファーぐらいなものだった。

壁には書画、掛け軸が壁面が隠れるほど掛けられ、デスクの上に青銅の置物、竹籠のなかにキセル数本、印籠数個が無造作に入っている。ことに目を引いたのは窓ぎわのデスクの上に置かれた数々の日本人形である。精密な写実性をもつ優れた作品群であった。

御手洗は人形を見た後、デスク後の本棚の書籍を見る。大半は英文字である。その横にある引き戸式の押入のなかには、色とりどりのボール箱が何段もの棚に納められている。しゃがむと柳行李が三つ、一番下のは南京錠がかかっている。苦労して鍵を見つけだし開けると中には、日記帳、覚書、唐草模様の風呂敷包みがあった。

風呂敷包みのなかには人形制作に必要な部材がばららばのまま納められていた。奇妙なことにその頭の部分が少なかった。柳行李を押しのけて御手洗が床に隠し扉を発見した。打ちつけられた釘を抜いてやっとのことで引き開ける。期待に反してそこには黒ずんだセメントの床があるだけだった。

照夫はこの扉の存在はまったく知らない。昭和49年(1974)再婚時以前のものだった。

* 舞い戻ったにわとり、9月24日

1 レオナとにわとり、遺書

昼食後、御手洗はすぐ書斎に籠った。石岡は玄関ホールで戻ってきた三幸と話す。今度の事件は大楠の怖さを知ってるので納得できるところがある。実は、父照夫の妹が昭和16年(1941)にやはり大楠に喰べられたという。父はパン屋だった。ペイン校に給食のパンを供給していた。再婚は世話する人の勧めに従ったもの。

人形の設計図を発見

御手洗が三幸と石岡を書斎に呼んで、ジェイムズ・ペインが作成した人形の設計図を示す。それは機械装置を収納した箱とその上の4体の人形から成る。機械装置により4体が連動して上下する。連動は自動車の多気筒エンジンのシリンダーのようである。上にあるとき空気弁が開き口から音が出る。

ジェイムズ・ペインは日本では余暇を趣味のこのような機械作りに充てていた。どこかに制作物があるはずという。しかし、三幸はここにはないと断言した。

レオナが登場

書斎に松崎レオナが来室、青銅の青銅のにわとりならみつかったと声を掛ける。御手洗との間で英語でのやりとりがある。二人の間に緊張が走る。やがて、御手洗がにわとり発見の詳細を尋きレオナが説明する。

青銅のにわとりの発見

レオナのもっているfm番組で青銅のにわとりの失踪を話したのが発端で、情報が寄せられた。それによれば卓が死亡したころ、暗闇坂を通ったトラックの背に落ちたにわとりが多摩川土手まで運ばれて発見されたという。

卓の遺書

さらにレオナの部屋のワープロのなかに卓の遺書があったことを知らせた。

その内容は、「とびおり自殺をするわたしを、あわれんでくれ。云々。卓」であった。

これはワープロに保存されず、プリントアウトもされずそのまま残されていたという。卓はレオナから預かった鍵で自由に部屋に入れたという。

4人の検死結果

刑事2人が来室、検死結果を説明する。4人はすべて女児、7、8歳から14、5歳、日本人。 死亡推定時期は昭和29年(1953)から昭和49年の間。頭蓋骨にあった頭髪は膠で人工的に貼りつけたものという。

2 レオナの部屋を尋ねる

御手洗、石岡、レオナ、刑事2人がレオナの部屋に入る。

部屋の間取りは、玄関からホール、向うのベランダ、左手に寝室、その手前に衣装部屋、寝室に隣接して浴室。ホールの右手にトイレ。ホールは白黒で統一され、寝室はアンチックで整えられていた。

1) 玄関ドアの鍵、ベランダのガラスドアの鍵は施錠
2) ワープロは寝室のオルガンの上に設置。場所はいろいろ。今回はたまたまここに置いた。
3) ビニールの安楽椅子は横倒しでベランダに放置
4) 衣装部屋のにわとりの足の部分が強引にもぎ取られていた。

ジェイムズ・ペイン

1 不明人(八千代)がj.pの貧民窟訪問を語る

女、おそらく八千代の手記である。

時には散歩に同行することもありました。ジェイムズ・ペインは、緑の多い場所、見晴らしのよい場所より、日の出町、黄金町の貧民窟を好んでいました。そうでなければ、書画骨董を扱う店に出かけました。

貧民窟にはいつも浮浪者が横行し、病人が横たわっていました。ときには近くの運河に死体が浮いていました。元気なものは酔っぱらいか薬物中毒者でした。

粗末なバラックの小屋が並び、広場では焚き火がたかれ女たちや子どもたちが集まっていました。外部の人間には反感を示し、いたずらや、時にはひったくりの被害に会うこともありました。

ジェイムズ・ペインは教育者はこのような場所も知っておく必要があるといって、けっして嫌がりません。貧しい家庭に缶詰やハムを与えることもありました。特に子どもが好きで、ポケットの中にはいつもチョコレート、チューインガムがありました。薄汚れた女の子に小銭を与えて、この子は可愛い、きっと綺麗な日本人形になるというのでした。

2 スコットランド行き

夕食後、御手洗は書斎に籠り調査を再開した。石岡の他にレオナ、三幸も付き合った。三幸は明日早いので引き上げた。レオナにジェイムズ・ペインの人柄につきいろいろと尋ねた。

調査の一端を示す。蔵書の行間のメモ書きに、英国の業者に水銀10キログラムを注文とある。家族に秘密にしておきたいのか不可解。スコットランドで美少女が誘拐された話しの走り書きが残っている。レオナは御手洗の言葉に父を誹謗をする調子を感じる。少し苛立った。

御手洗が突然、明日、スコットランドに行くと宣言する。呆れる石岡に同行を求める。そこにレオナが強引に割り込んで同行を御手洗に了承させた。

* 壁の中のクララ、9月26日

1 機中で謎を解く

9月26日、成田から出発。レオナはファーストクラス、二人はエコノミークラスに機上する。

調査の結果にもとづき、御手洗が石岡にジェイムズ・ペインについて説明する。彼は二重人格で性格破綻者。これからスコットランドのフォイヤーズに行く。彼の父がその山中にドイツの爆撃防御用建築物を建てた。その際、父は3重の煉瓦で外郭を作り、あとは彼に任せた。彼はロンドンの会社を人に任せ、フォイヤーズでその仕上を行なった。

さらに難解な崩し字のなかから奇妙な物語りを発見したという。

2 手記、ジェイムズ・ペイン

ジェイムズ・ペインの手記である。

おお、クララ、お前は可愛い。
繊細な睫毛、金色の巻き毛、深い深い湖の緑をたたえた瞳
どうか大人にならないでおくれ。
その秘密を永遠にとどめておいておくれ。
ついに私はお前の体をバラバラにして秘密を解き明かす。
二粒の宝石、瞳をもって私は踊り出す。
そして誘拐の家、北の壁の中央に塗り込めた。

* 英国紀行

1 石岡の推理

御手洗はこの誘拐の家の北の壁からクララを発見しようという。石岡はジェイムズ・ペインが日本に立ち戻って卓を殺害、八千代に傷害を与えたと推理する。

2 インバネスに到着

3人は朝7時にガトウィック空港に到着。鉄道で北上し、夕方、インバネスに到着した。

* 巨人の家

1 ジェイムズ・ペインについてきく

翌朝8時レンタカーで南西に向け、ネス湖の近くのフォイヤーズに向う。昼頃、到着。レストランのエミリーズで昼食を取る。女主人からペイン家の様子をきく。

1) 家は廃屋、取り壊された。
2) 父、兄は既に死亡
3) ジェイムズ・ペインは一度も帰村せず。
4) ロンドンの会社は共同経営、現在ペイン家とは無縁
5) 誘拐の家はないが、巨人の家というのがある。

警官エマーソンの登場

警官エリック・エマーソンが犬を連れてやってくる。犬好きの御手洗とすぐ意気投合、いろいろと話しを聞く。ジェイムズ・ペインの手記を見せた。エマーソンがネス湖のほとりから少女をさらって喰べていた巨人の伝説を語る。長い間、巨人の家に住んでいたが飽きて泳いで東の国にいってしまった。そこで巨木に姿を変えたという。

この村出身のジェイムズ・ペインがこの手記を書いたというと、驚いて壁を壊す必要があるという。御手洗が協力を申し出て、二人は霧雨のなかを歌を歌いながら山道を登る。

2 巨人の家へ

途中でエマーソン宅からピッケル、ハンマー、ノミを持ち出した。石岡がそれを載せた一輪車を押す。警官、御手洗は先行する。ようやく頂に着いたころ御手洗が戻ってきて、村の道を指して、bの字を裏返した形となっていることを指摘する。下り坂となりネス湖が見えた。

建物は山の斜面に半分が埋没していた。山側は雨水や不審者防止用にスレートの屋根、鍵がついた扉が付設されている。道がその扉のところ辿りつくようにこれも付設されいる。このとおり建物を尋ねれば、屋根の部分からなかに入ることとなる。

部屋を降りる

エマーソンが天井のランプに点灯した。中央の階段の両側にほぼ正方形の平らなスペースがある。そこにはそれぞれ穴が開いている。落ちれば大怪我が間違いない暗闇への口が開いていた。

階段の踏面と踏面の段差が何と1メートル20センチ以上もある。エマーソンは、脇のスペースにまず乗って、階段を慎重に降りていった。御手洗、石岡、レオナと続く。

一階床にはセメントの瓦礫が多量に散乱している。部屋には巨人も入れるような縦長の開口部が開けられていた。エマーソン、御手洗はその穴から入っていった。石岡は、奇妙なことに気がついた。部屋の床高が1メートル30センチくらいある。両側の部屋は一階床か浮かせて作られている。

小人の気分

部屋のなかの床には横長の開口部がある。その周囲に3つのクッションが置かれていた。エマーソンが巨人がここに腰掛けると解説してくれた。改めて一階の床に降りて、浮かんだ床面の下を潜ってこの開口部に顔を出す。床に引き上げられた石岡は自分が小人になったような気持となった。

死体は見つからない

手記には北側壁の中央とある。セメントを剥した。厚みが10センチメートルである。その下から外郭部の煉瓦壁が顔をだす。これでは死体を塗り込められない。念の為、他の壁も点検した。同じだった。こうして死体発見は失敗に終った。

* 木に喰べられる男

1 エミリーズで少憩

午後3時、エミリーズで遅い昼食を取る。レオナが日本への国際電話を申し込む。食後の紅茶を飲んでいるとき、電話に出ていたレオナが蒼白な顔で戻ってきた。八千代と譲が死亡したという。失神しそうなレオナを部屋に休ませたあと、事情を確かめる。

譲と八千代の死

日本を出発した9月26日に再度台風が来襲した。翌朝、照夫が大楠の根元に倒れている八千代を発見し、そこで思わず見上げた大楠の幹の空洞に上半身を隠し、下半身を見せている譲を発見したという。

1) 八千代は人に呼ばれたとメモを残し失踪
2) 全身打撲で死亡
3) 体の下に「レオナ、男」というダイイングメッセージ
4) 譲は靴下を履いていた。
5) 靴は片方は藤棚湯、もう片方は西洋館
6) ズボンのポケットに遺書。この筆跡は卓のもの

大楠と対決する御手洗

帰国の機中でレオナは御手洗と石岡に家族のこと、とくに八千代のことを次から次へと語り続けた。帰国後、西洋館にもどり、御手洗は大楠と対決した。レオナと石岡は西洋館のかってレオナが使っていた部屋にいてそんな御手洗を見続けた。

午前2時になる。レオナに休むよういうが御手洗が起きているので寝ないという。石岡が事件の経緯を反芻しているとき、突然レオナの泣き声が響いた。そして大楠のところにゆくという。必死になだめていると三幸が顔をだした。あとを三幸に頼んで階下に降りた。

御手洗が雲隠れ

御手洗がいない。幹の瘤にかかっていたブルゾンを発見した。藤棚湯のところにいった。御手洗の靴の片方が落ちていた。西洋館の屋根上に人影はない。急に怒りが込み上げてきて、物置にかけつけピッケルを取り出して大楠の前に立った。

大楠を見上げていると月光が陰るのを感じ思わず背後に月を探した。煙突の天っぺんに人影がある。御手洗と大声で叫んだ。人影は動かない。藤棚湯のところにまたかけつけた。御手洗が降りてきた。そして、ほとんどすべてが分かったと宣言した。

レオナの異常

西洋館に戻ろうとするとレオナの異常な姿を見つけた。大楠の前で歌いながら、突然しゃがんで素手で地面を堀おこし始めた。御手洗が制止してマンションに連れ戻そうとしたとき、そこに放置されていたピッケルに気がついた。

ピッケルをふるう御手洗

突然狂ったように御手洗はそれで大楠の樹皮を剥ぎ取り始めた。呆然とする二人の前に、造り物の大楠の下に隠されていた本物の大楠が出現した。

2 クララの発見

御手洗はジェイムズ・ペインが英国から呼んだ職人が造りあげたものだという。ここを購入しペイン校を建設する間のことだろうという。

マンションのレオナの部屋にゆく。帰国後、部屋にいっさい立ち入ってないことを確認して中に入る。御手洗が黒い金属片をドアノブに差しこんでから開ける。藤棚湯の裏手で拾ったという。ホールの床を注意深く調べてから、わずかに水滴の跡が残っているという。

ベランダに出ると、卓のときと同じようにビニールの安楽椅子が横倒しとなっていた。ベランダにいた御手洗にレオナがエマーソンから電話があった。クララが巨人の家で発見されたという。

* 火事

1 三幸が失踪する

御手洗と石岡が西洋館応接室で少憩していたとき、けたたましい音をたてて照夫が飛び込んできた。三幸が失踪した。このような英文があった。それは、「三幸は自殺する。云々。j.p」と記されていた。

屋根の上を見ている照夫に御手洗が事情をきく。三幸のことを告げる変な外人の電話があった。部屋に行くといない。さっきの英文を発見したといって大楠に向う。

本物の大楠の出現に一瞬驚いたが、すぐ周囲、幹の上の探索に移る。正門の外に出た御手洗が藤棚湯の煙突の先端を見上げ照夫を呼ぶ。先端にかすかな光りが見える。照夫に先端からロープが伸びていると指摘する。照夫はそれを無視したように藤棚湯の裏手の暗がりに向う。

火事の発生

突然、どんという音とかすかな地面の震えが伝わってきた。西洋館の一階から紅蓮の炎が吹き出していた。たちまち、二階、三階へと火が拡がってゆく。御手洗の声で石岡は火の中に飛び込もとする照夫を押さた。

三幸が出現、照夫と抱き合った。なかには牧野夫婦がいると声がした。郁子、千夏が立っていた。野次馬も集ってきた。御手洗は、すべてが終ったといい、レオナの肩に手を置いた。

* 御手洗の行動

御手洗が事件に口を塞ぐ

御手洗は石岡の執拗な問い掛けにもかかわらず、言を左右にして真相を語ろうとはしなかった。小説にしたいという石岡に5年待てといった。

牧野夫妻焼死の事情は新聞記事で分かった。牧野省二郎は週三回腎臓透析をうけていた。将来を悲観しての自殺、夫人はそれに付き合ったことのようだ。

レオナは84年暮れに単身渡米した。それからハリウッドで華々し活躍をみせている。千夏は慰謝料を手に部屋を出た。照夫と三幸がそのあとに入居した。郁子は今も一人暮しを続けている。

レオナの登場

世間の関心もようやく薄らいだ、1986年。その5月11日、レオナが来訪した。華やかなスターの登場だった。英語での冒頭の挨拶からレオナは御手洗へいの思いを伝えるが、まったく受け付けられない。

レオナは23歳と、女優としてはもう中堅である。何があっても驚かない。事件の真相を教えてほしいという。御手洗は石岡にローソク、懐中電灯、長靴を用意するよう頼んだ。

* 怪奇美術館

坑道を潜る

馬車道の事務所からレオナの乗用車で、ハイム藤並の駐車場に停車する。レオナを待って、晴天下の大楠の前に立つ。地面に隠された入口を探しあてた御手洗が先導し、石岡、レオナが続く。坑道は消失した西洋館のほうに向っている。

4体の日本人形

坑道を降りている御手洗の長靴から水音が響いてきた。広い空間に着いたようだ。西洋館の地下室という。石岡が照らし出した天井には無数の大楠の根がからみあい走っていた。ところどころから、老婆のひからびた手のようなものがぶら下がっていた。これから始まる怪奇の世界を暗示しているようだった。

御手洗の懐中電灯が机の上の防水布を照らしている。近づいた石岡に指示し、ゆっくりと防水布を持ち上げた。下から高さ50センチ、4体の人形が表われた。左右1メートル4、50、幅4、50センチ、高さ1メートルの黒い箱の上に立っていた。

設計図があった人形の機械装置だという。音はしなかったが横についたハンドルを回すと人形たちが愛らしい口を上下動に連動させて開閉する。とても可愛いと石岡が感心する。

御手洗は、この顔のは人間の皮膚を使って作ったものだという。南米の食人種が白人宣教師の頭から頭蓋骨を抜きとって、その後に小石を詰める。火で焙って収縮させると、少し小さめの小石と取り替える。これを繰り返してこんな大きさにして保存した実例がある。ジェイムズ・ペインはこれを活用したらしいという。

血管模型

御手洗が石岡に、こちらは死のアートと呼べるような凄いものだといって、子どものミイラを見せた。それは全身の血管がすべて残り、それが骨とミイラ化した薄い肉に密着、絡みついていた。御手洗はこれは、生きている子どもの動脈に水銀を大量に注入して作ったもの。心臓が止まってからでではできないという。

ジェイムズ・ペインのミイラ

レオナが失神した。御手洗が助け起して、どうするかきく。気丈にこのまま続けるよう促す。御手洗はさらに奥に進む。そこでボロボロの衣服をまとったミイラを照らし出した。異様な立ち姿をしている。踊っているように両手を上げ、頭部を少しかしげ、片足を水中、片足は空中に持ち上げている。

ミイラは大楠の根に支えられていた。右側の虚ろな眼窩から根が這い出していた。この大楠は死者を栄養にして生きている。御手洗がジェイムズ・ペインという。

行き止まり

さらに奥に進むとやっと行き止まりの壁があった。上からコンクリートが垂れ下がっている。ジェイムズ・ペインの書斎押入の隠し扉を塞いだ名残りである。

壁画

御手洗が最後に一つ見るべきものがあるという。見事な筆致で描かれた壁画であった。それには、大楠の幹から白骨死体、幹の上部からy字型に足を広げ、上半身を幹の中に埋めた男、藤並家の母屋、その屋根に馬乗りの姿勢でこの殺人大楠を見降ろしている男が描かれていた。

信じがたい絵だと御手洗がいう。おそらく1940年代に描かれたから、40年後に起きる大事件を予言しているという。

御手洗がもう一つの壁画を示す。スコットランドのフォイヤーズ村、巨人の家、金髪の少女が描かれていた。少女は手、足、首が切断されて壁ぎわに立っていた。犯人以外に知り得な事実がここに描かれている。

非常出口

外に出た3人は急ぎこの入口に蓋をし、土、雑草をのせ何もなかったかのように復旧した。

御手洗はこれは地下室から地下坑道を通って脱出するための非常出口であるという。地下室で不要となった死体をそのままできないので、ここに遺棄したという。

幹の間隙

御手洗の謎解きは続く。本物の幹と造り物の幹の間には間隙がある。空洞に耳を近づけると風通が悲鳴のように聞こえた。

チャイムの暗号

チャイの暗号は地下の美術館の存在を近隣に知らせるものだったといった。

* 巨人の犯罪

御手洗、石岡がレオナともに部屋に行く。少憩の後、謎解きが始まる。レオナが巨人の家の謎解きを求める。

元の姿

これは土砂崩れで90度回転したために巨人に家といわれるようになった。そこで元の姿を説明する。

1) 直方体の建物。入口から奥を見ると、奥深い形。外から見て真ん中の下方に入口、他に開口部はない。

2) 中の構造は2階建。真ん中に階段。この両側に各階2室。一階は入口から入り左右方向の通路がら入る。入口あり。

3) 階段を登って2階の床。左右方向の通路から2階の部屋に入る。入口あり。

4) 入口から奥の方向が南北方向である。奥の壁がクララを塗り込めた壁である。

現在の姿

土砂崩れにより建物の南北方向の水平が90度立ち上がり垂直方向に変化した。建物の半分が埋没し、山の傾斜に沿い上半分が姿をみせる現在の姿に変った。

村が設置した入口を入ると、そこから一段目への段差が元通路の幅以上であるので両脇の元一階の部屋の壁に降りる。そこから元一段目の蹴上を踏面として降りてゆく。このように降りて元北側壁の床に至る。

巨人のベンチ

もし巨人が下に降り立ったなら左右の部屋に入ろとすして、浮浪者が階段の元壁に開けた開口部から入り込むだろう。すると元の入口壁と入口を腰掛け部分とする丁度良いベンチとなる。これは警官エマーソンがいっていたこと。

卓、譲の殺害

次に卓の謎に進む。犯人は卓の殺害を決意、嵐の夜に決行した。501号室で待合せ、酔わせ歯と歯茎の間に毒物を注射し、昏睡せしめた。ワープロで遺書を打ち込み、藤棚湯の煙突のてっぺんからの飛び降り自殺を偽装した。

このため煙突の円周に二本の棒を渡し、その棒からそれぞれ大きな網の袋をぶら下げる。石炭を少しずつ運び袋に詰めていく。長い時間をかけて満杯にする。これまでが事前の準備である。

この後、棒を介し長いロープで卓と袋を結びつける。そして棒を壊し、袋を落下させる。するとロープで結びつけられた卓は煙突のてっぺんまで引き上げられる。いつしか結びがゆるみ落下する。このような計画だった。

犯人は、501号室のベランダの長椅子に卓を寝かせ、足をロープの端に結んだ。他の端ををベランダ下の地上まで垂らした。それを煙突の頂上までもってゆき、袋に結びつけた。二つの石炭袋を使ったのは安全策であった。

二本の棒にはあらかじめアルコールなどを染み込ませていた。これに点火し、素早く現場を離れ、アリバイ作りをするつもりだった。

計画の齟齬

実際の犯行には多くの齟齬が生じた。ベランダから卓はブランコに乗せられたように飛び出し、台風の強風より、西洋館の屋根に飛された。その衝撃でそれまであった青銅のにわとりが弾きとばされ、丁度、暗闇坂を下っていたトラックの荷台に落下した。

譲のときの齟齬は、風のあおられ大楠の幹に落下したことである。

実は計画の齟齬はもっと大きかった。譲は別の方法で殺害するつもりだったが、犯人の大怪我で変更を余儀なくされた。

八千代の犯行

暴風雨のなか高齢をおして高い煙突を登り降りした犯人、八千代は梯子から足を踏みずし瀕死の重傷を負った。

八千代は、卓、譲、その次にレオナを殺害する計画だったが、ついに譲のときに大楠の前で力つきて死亡した。ジェイムズ・ペインを殺害したのは八千代である。

犯行の決意

ジェイムズ・ペインは、一見、典型的英国紳士であったが、実は狂気の殺人者であった。八千代はこの夫を殺害した。子どもについてもおそれていた異常性がだんだんと発現した。少くとも八千代はそう考えた。

八千代は、子どもたちに結婚しないように頼んだが、卓は結婚した。次に二人の息子に子供を作らないよう願ったが、妻、愛人ともにそれを承服しなかった。このままではレオナも含め子どもができる可能性が高い。ついに八千代は三人の子どもの殺害を決意した。

色々な齟齬

以上のほかに齟齬はいろいろとあった。卓のとき石炭袋が一つ落ちず、一つ残っていた。また、譲の遺書は卓のために用意したものを転用した。卓のときは気が変わっワープロの遺書にしたが、プリントアウトが分からず、やむなく電源を入れたままに放置した。

最後は、瀕死の転落である。大楠の前で八千代はレオナに、男を作るな、子どもは生むな、という遺書を残したかった。

火事の夜のこと

火事の夜におこった不思議な出来事を石岡に尋かれ、御手洗がいう。

照夫犯人説を否定しきれなかった。照夫には妹をあの大楠に殺されている過去、藤並家の家族への復讐、財産横領の動機がある。

三幸殺害を匂わる状況を作り、マンションに渡されるロープ、煙突の頂の光を見せて、その反応を見た。犯人を思わす反応はなかった。

照夫に渡した脅迫の英文は御手洗が書き、電話の伝言は御手洗が吹き込み、レオナに依頼して然るべき時間に電話してもらった。

* 1986年、暗闇坂

1 レオナの感謝

近くのレストランで夕食を取る。レオナは事件が終結したのに御手洗が沈黙を守っていることを心から感謝する。そうでなければ彼女はマスコミの好餌となりおそらく自殺していたという。

八千代の手記

さらに、先週、藤棚総合病院院長に託された八千代の手記がレオナのもとに送られてきた。犯行の告白を発見し、ひどいショックをうけた。あらためて御手洗に感謝するという。

感謝の言葉には並々ならない御手洗への思いがこめられていたが、御手洗の応対はそっけなかった。遺伝について、親の形質がどのように子どもに伝わるかはまだまだ分かっていない。八千代が信じたことをそのまま信じることはないと付言する。さらにレオナの才能を認め、その成果を大衆に返してゆく必要があるという。

わかれ際、レオナは八千代の手記を手渡す。さらに、あと3年事件の公表を控えてほしいと依頼する。

2 手記作成の経緯

この手記は八千代が、彼女とジェイムズ・ペインについて語ったもの。ペインが死亡後、書斎で書き溜めてきたものだろう。彼女の計画では、3人の子どもの殺害に成功したなら、自分の命とともに手記も抹殺するつもりだった。しかし、譲殺害の夜、落命の危険を察知して、普段から親しかった藤棚総合病院院長に託した。しかし、レオナへの送付は、躊躇により、院長の死後となった。

石岡は、物語をこの手記の紹介により終えるという。

* エピローグ・手記

私がどのような経緯であの大楠に一生を支配されたかをお話ししたい。

八千代の経歴

私は横須賀の商家の一人娘として生まれた。父親のハイカラ好みからピアノ、バイオリンを習い、横浜のミッション系の女学校に入学しました。そのため下宿生活が必要となりました。

取引上の縁のある硝子工場の社長さんに無理をいって社長宅に下宿させてもらいました。それが暗闇坂の大楠のある西洋館でした。社長さんには別に愛人がいるらしく夫婦仲は良くありませんでした。そのため奥さんは、私に八つ当たりをするのです。映画を見るのは駄目、読書も小説は駄目、家に友だちを呼ぶのも駄目、楽しそうにしていると機嫌が悪くなりました。

いきおい、私は部屋に閉じ込もってオルガンをひいたり、読書をする生活となりました。それで私は早く帰って、一人で家の周囲や工場の敷地で遊ぶことになりました。そこによくくる子どもたちや野良犬が私の遊び相手でした。それが思えば私の不幸でした。

野良犬の不幸

皆なに虐められ神経質でよく吠える犬がいました。私は妙に気になって、工場の人の近よらない場所に縄につないで世話していました。あれは金曜日の午後でした。昨夜、犬に餌をあげることができず、ずっと学校で気になっていましたので、すぐ野良犬のところに出かけました。そこで見た光景は一生忘れることができません。4、5歳の女の子が死んでいました。犬にずたずたに噛まれて首などは胴体からはずれそうになっていました。

泣き出しました。人に知らせようとして、はたと困りました。いじわるな奥さん、仕事で父が世話になっている社長さん、父や母を考えるとこのまま隠してしまおうと考えました。

下宿に引っ越してきたとき使った毛布で女の子をくるみ部屋に運びこみました。幸い奥さんは買い物で外出中、2人の息子も別居でしたので見つかりませんでした。 翌朝、女の子は近所のパン屋さんの子だと分かりました。昼、学校が終了して下宿に帰るとき怖くてしかたがありませんでした。しかし何事もなく、部屋に戻りました。死臭がしました。

何とかしなくてはと考えました。あの大楠の下にトラックを停めて、野菜を売る八百屋さんがいました。昼から夕方遅くまでいつも近所の奥さんで賑わったいました。私は奥さんに頼まれて買い物をしたことがあります。そのとき、野菜を傷めないよう運転するのは大変だ。幌がないころ、いつもおっことしていたといってました。

死体の処理

私は大楠の枝の上から女の子の死体を吊るして幌の上に乗せる。すると途中でころげ落ちると考えました。これしか窮地を脱出する方法はないと考えました。

それで実行しました。本当に大変でした。これも引越しのときのものです。長い縄の一方の端に死体を吊るすことにして、大楠の枝の先に苦労してひっかけました。次に二つの端を一つにして、それに石を結びつけました。それを屋根裏部屋の窓から部屋に投げ込みました。やっとの思いで成功しました。

部屋で女の子を結びつけて、窓から落とすとともに急いで片方の端をひっぱりました。無事に大楠の枝に隠れました。そこで下の様子を窺ってしばらく時間を待ちました。八百屋さんが片付けを始める音が聞こえました。今だと思って縄をひっぱりましたが動きません。慌ててもっと力を入れてひっぱると縄が切れました。トラックは行ってしまいました。

その夜から高熱を出して寝込みました。熱にうなされながら両親に遺書を書くことを考えていました。月曜日は風の強い日でした。大楠の枝にぶらさがっている女の子が発見されました。

(その概要は、「昭和16年、くらやみ坂」のとおり)

ジェイムズ・ペインとの結婚

戦争が始まったこともあるのでしょう。一時の大騒ぎも戦争にまぎれて立ち消えとなりました。この頃から私の生活はがらりと変わりました。両親と信州に疎開していたのですが、父は東京で空襲にあい死亡、母は疎開先で病死し、私は一人ぼっちとなりました。財産はあったはずなのに私は無一文となり、おばのところに預けられました。

終戦後すぐ、おばの家を出て横浜の料亭に働きに出ました。ピアノ、バイオリンがひけて英語が喋れる芸者として重宝がられたのです。ここでジェイムズ・ペインに出会いました。当初非常に優しい男と思いました。外国人子女のため学校の土地捜しを手伝ってくれといわれ、通訳を務めました。

土地はすぐ見つかりました。あの硝子工場の跡地でした。購入が決まったあと、ジェイムズは私にプロポーズしました。おかみさんも勧めるので半ば自暴自棄の気持で受け入れました。恐ろしい運命の力で大楠のところに戻ることとなりました。

ジェイムズ・ペインの異常の発見

昭和21年7月、改装の終わった西洋館に移り、結婚式を挙げました。私のお腹には卓がいました。ささやかな幸せを感じました。しかし、ジェイムズ・ペインは仮面を被った英国紳士でした。

非常に規則正しい生活を送っています。朝6時45分起床、朝食。学校で9時に朝礼。午前中勤務。帰宅し三階にあがってにわとりを羽ばたかせてから、昼食。あと4時まで書斎。4時から街へ散歩か骨董品漁り。8時に夕食、また、書斎。二階の夫婦の部屋には10時半に入るというものでした。これは秘密の世界を他人の眼から守る周到な企みでした。

(ここに「1 不明人(八千代)がj.pの貧民窟訪問を語る」が挿入される。)

1年もするとジェイムズ・ペインは私に妙によそよそしい態度を示し始めました。勝手に書斎の掃除をすると不機嫌になりました。ついには鍵をかけ勝手に入れないようにしました。夫の愛情を疑いました。

4時には横浜の街に出ますが、妙なことに気づくようになりました。街で人間の子どもを買っているのではと疑い始めました。私を表に追い払い、十歳くらいの子どもを家に連れ込んいるのです。こっそり帰ってきてみると書斎のなかから子どもの声がする。何とジェイムズ・ペインは日本語を喋っているのです。その子は翌日には失踪しています。こんなことが何カ月おきかに4、5回ありました。

ひそかに書斎の鍵を複製し探ってみました。秘密の地下室を発見しました。そのなかに女の子の死体が転がっていました。生首が4つ置いてありました。地下室の天井には大楠の根っ子がたくさんはえずり回る気味の悪い部屋です。大楠に食べられた人間を描いた壁画もだいぶ出来上がっていました。

ジェイムズ・ペインの殺害

その時私は2人の男の子を生み、3人目がお腹にいました。3人目を産んで数年後、さんざん悩んだ末、夫を殺害しました。私は硝子工場の特殊ガラスを作る際に使う毒薬を密かに入手していました。これをジェイムズ・ペインの歯と歯茎の間に注射して殺害しました。地下室の入口はセメントで塗り込めました。

ジェイムズ・ペインは帰国したことにして学校は閉校にしました。問題にならず何とかできました。その後じっくりと書斎を調べていてジェイムズ・ペインのスコットランドにおける殺人を知りました。その覚書は処分しました。記憶に頼りその内容を記します。

(ここに「2 手記、ジェイムズ・ペイン」が挿入される。)

大楠の意志

私はだんだんあの大楠が怖くてたまらない気持になりました。照夫と再婚して昭和16年のあの女の子の兄としり愕然としました。私の運命はあの大楠にしっかりとからめとられているのです。あの木の怖さは玩具屋のご主人の話しにもありました。これは牧野写真館のご主人から聞いものです。

(ここに「昭和20年、くらやみ坂」と「昭和33年、くらやみ坂」が挿入される。)

私の子どもに父親譲りの異常が芽吹いたのはあの大楠の意志にちがいありませ。ジェイムズ・ペインにあのメロディーを作らせたのも大楠の意志です。だから、私が子どもを殺害すると決意したのもあの大楠が命じる意志です。

私は卓を昭和16年の事件を参考にして殺害しました。すると、御手洗と石岡という男たちがやってきました。あのメロディーをピアノで弾いたと聞いたとき大楠の意志をまた感じました。

(ここに「暗号 3 不明人(八千代)の囁き」が挿入される。)

私は譲を殺害するつもりです。私が死亡したときは、この手記をレオナに渡すよう院長先生に託します。また、私が死んだら牧野写真館夫婦に西洋館を焼却するよう頼んであります。

レオナへの願い

レオナにいいます。どうか子どもを作らないでください。

(おわり)

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