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謎解き京極、塗仏の宴、宴の支度その2 [京極夏彦]

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その2

この京極作品を未読の皆さんへ
不用意にのぞくことをすすめない。 (この連作の趣旨、体裁は「謎解き京極、姑獲鳥の夏」で説明した)

あらすじ2

わいら

1

昭和28年5月、世田谷である。雑誌編集員の中禅寺敦子と女がいる。敦子が半日前を回想する。銀座で韓国気道会にねらわれている時にこの女にすくわれた。冒頭にもどる。敦子が韓国気道会との関係をきいた。今日、会に拉致されたが、逃走した。華仙故処女という。未来を予知し、かえる力があるというが、本当は誰かが自分をあやつってる気がする。突然、韓流気道会の連中が襲撃してきた。

2

翌日、世田谷である。敦子がめざめると華仙故処女が手当をしてくれた。敦子が一月前のことを回想する。韓流気道会の道場を取材した。師範代が掌をむけるだけで弟子がたおれた。科学の作用反作用の原理にはんすると思った。率直な記事を掲載すると、厳重な抗議があった。いつしか眠っていた。さめると男がいた。漢方薬局、条山房の宮田といった。自分の師、通玄が昨夜の暴漢を退治したといった。また眠った。華仙故処女が雑誌掲載予定の妖怪をみてた、わいらという。華仙故処女が自分のことを話す。

相談者から謝礼をもらって生活をたてている。しかし、相談者の氏名、住所、身分をしらない。相談をうけた時に何をいうかもわからないのに、あうと言葉がでてくる。それがあたるという。自分の経歴を話す。

昭和13年、上京、女給、女工、女中をやった。高給料理店の仲居となった。いつしかその能力が評判となり有名となった。料亭をやめ、有楽町に隠遁生活をはじめた。韓流気道会が自分に何をさせようとしてるのかわからない。会は政治団体という。過去の記憶はかたれない。実名は佐伯布由といった。

3

翌々日、神田神保町である。ふたりは榎木津探偵社で榎木津とあった。探偵助手、益田が過去の事件で関わりがあった人物の血縁、羽田製鐵、羽田隆三が来訪するという。敦子は榎木津の特殊能力に期待して華仙故処女をあわせることとした。榎木津がやってきてお前は誰だ、といった。自分のことを告白した。

15歳の時、家族と村人全員をを殺害したといって、部屋からでていった。それをおっていった敦子は布由をみつけた。そこに韓流気道会の岩井がいた。そこに榎木津が登場して悪漢を退治した。調査した結果、華仙故処女のところに薬売りの男が出入りしてる。その男のことはしらないというが、写真をみせると、殺害されたという。それが生きているとしって布由は驚く。これから霊能者華仙故処女の謎がときあかされる。

しょうけら

1

4月、池袋、警視庁刑事、木場が酒舗の女主人、お潤が紹介した女の相談事をきいている。はじめ無愛想に応対したら、照魔の術をつかう藍童子に相談するというので、相談をうけることとした。

女は三木春子、26歳、静岡出身。上京し縫製工場につとめてる。家族はいない。工場の宿舎にすんでる。近所の新聞配達員、工藤信夫という男が、27年秋から自分に付きまとって迷惑してるという。いったん注意されて離れたが、2月から手紙がきはじめた。春子の一日の行動が克明にしるしてる。一々合致した。本人は真面目に勤務してる。監視はできない。しかし手紙が的確に指摘してる。気持がわるい。工藤のことである。

工藤が春子のことを見そめたのは長寿延命講でである。それは健康法をおしえ、施薬し、話し合いをする。昔の庚申講のようなものである。60日ごとにくる庚申の日は体内にすむ虫がぬけだす。ぬけだすと寿命がちじまる。そのため眠らないでおきてる。主宰者の通玄が次の庚申の日までの詳細な健康指導をする。これをまもらなかったら次の庚申の日に一々指摘される。そして薬が処方される。高価である。4月10日に庚申の日があった。それでやめた。それは藍童子に長寿延命講のいかがわしさを指摘されたからという。

藍童子は健康をねがう参加者につけこんで高価な薬をうるのが目的と指摘した。詳細な健康指導をすべて守るのは不可能である。高価な薬を購入することとなる。自分も遺産を売却して薬代にあてようかと思った。財産は土地であるといった。木場は藍童子も同類だといった。

2

4月、中野である。木場が京極堂をたずね、庚申のことをきいた。庚申の日の定義、体内の虫が抜けでて天帝に告げ口する。それをふせぐため徹夜するという庚申講の話し、さらに仏教、道教との関係など膨大な蘊蓄がかたられた。最後に木場に、工場、寮、長寿延命講の道場の現場調査をすすめた。工藤の手紙に春子が工藤の手紙をよんだという記載があるか、調べるよう助言した。

3

4月、池袋の近く、東長崎である。木場が春子の寮の部屋で話す。工藤の手紙がそれをもらった春子の様子にふれてないことがわかった。春子もふくめ、通玄の細かな指示をすべてはまもってない。道場のやりかたを、もう一度ききなおした。庚申の日の午後四時に講がはじまる。参加者は条山房に集合。二時間の講義、健康体操、その時、呼ばれて個室で診察。ひとり十分くらい。全員が終了するのは深夜。診察の時に指示に違反したことを指摘される。薬の処方箋が弟子にわたされる。その後、修身部屋に移動。朝まですごす。弟子から処方された薬をもらい、注意事項が口頭で伝達。メモはゆるされない。後で、メモしたりする。春子は記憶力に自信があるので記憶できる。木場が再度、きいた。

仮眠室がある。そこで仮眠するが、弟子がやってきて一時間、呪文を唱えさせられる。真相はわからないまま、ふたりは寮を出て、工藤が勤務してる新聞販売店の前をとおった。工藤が窃盗容疑で逮捕されたのを目撃する。ここに藍童子がやってきた。条山房のからくりが暴かれる。

おとろし

1

5月、千葉の興津町である。「絡新婦の理」の事件で家族をうしなった織作茜は、館を羽田製鐵の羽田隆三に売却することとしてる。羽田がやってきた。羽田は経営コンサルタントとしてやとった泰斗風水塾の南雲正司について、不審なところがあった。調査を榎木津に依頼したい。その仲介を依頼した。不審とは本社社屋のため伊豆に土地を購入するという提言だった。話しがおわって、羽田は自分が関係してる徐福研究会を手伝はないかと打診した。研究会は東野という男にまかせたが、伊豆の山中の土地を購入するよう提案した。不審だといった。

2

東京の目黒である。ホテルで多々良勝五郎とあう。茜が京極堂に依頼した。そのために多々良がやってきた。屋敷神である石長比売命を適当な神社におさめたい。どこがよいかときいた。西伊豆の雲見と烏帽子山の雲見浅間神社をおしえられた。羽田の屋敷をたずねた。南雲と東野が推薦した土地は同一場所だといった。その土地は、三木という女性、加藤という男性の所有だった。

3

6月、下田である。羽田の秘書、津村と茜は下田富士にやってきた。あるきながら茜が話す。一昨日、甲府で東野にあった。津村は隣家をかりてると指摘した。また巡回研ぎ師津村辰蔵は父親だと指摘した。津村は身の上話をして、父親が惨劇をしり、官憲に尋問された後に自殺した。自殺に追いこんだ首謀者をしりたいと動機をかたった。茜が事件は昭和13年6月20日におきた。この6月20日で時効となる、と考えた。頂上で郷土史家と名のる男とあった。屋敷神の奉納のことを話した。ここは不適当だろうといわれた。

4

6月、下田である。茜は蓮台寺温泉の露天風呂にはいってた。ここで悲劇がおきた。

おことわり

京極作品を未読の皆さん、どうかここを不用意にのぞいて将来の読書の喜びを損なわないよう、よろしくお願いする。

文庫版 塗仏の宴 宴の支度 (講談社文庫)

文庫版 塗仏の宴 宴の支度 (講談社文庫)

  • 作者: 京極 夏彦
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2003/09/12
  • メディア: 文庫


再度の警告。本文にはいわば「ネタバレ」が溢れている。未読の方には勧められない。では本文である。


塗仏の宴、宴の支度その2


わいら

1

昭和二十八年五月某日、世田谷区上馬町である。敦子の部屋に敦子と女がいる。ふたりは部屋のこと、この部屋での生活のことなどを話す。敦子が昼間のことを思い出す。敦子は女のことは何も知らない。半日前、敦子は銀座にいた。日本橋高島屋で我が国初のカラー式テレヴィジョン実験公開放送を取材した帰りだった。敦子は奇譚月報という雑誌の編集部に勤めている。半月前の兵庫で開催された科学博覧会に行ったことを回想した。銀座に戻る。横道に入った。床屋の大きなガラスに自分の姿が写っているのを見た。さらに狭い路地に入った。路地は行き止まりだった。引き返した。路地の真ん中に女がいた。危ないというように唇が動いた。路地の入口まで戻ったら最初に曲った路地の入口を横に駆け抜けていく数人の男たちの姿があった。女を見返ると私も追われているといった。敦子が危険だといいたいようだった。人の気配がした。横の木戸に手をかけて女の手を引いて中に連れこみ木戸を閉めた。一時間そこに潜んでいた。女がもう大丈夫でしょうといった。女が敦子が追われていたことを話す。敦子を見つけると彼らは敦子を目がけて駆けだした。しかし敦子が横道に入ったので見失なってしまった。あの男たちは韓流気道会だという。敦子はその名前をきいて納得した。冒頭に戻る。

敦子が女の名前と韓流気道会との関係をきいた。会は自分を利用しようとして今日無理矢理に連れだした。連行されている途中で敦子を見つけた。三人が駆けだしたので、そのすきに自分は逃走した。女が自分のことを語りだす。自分は未来のことがわかるといわれている。しかしそれは嘘だ。誰かが自分のために細工をしている。それで予知能力を装っいる。誰も未来のことがわかるはずがないという。敦子がきく。予言を予言者が実現させるのか。否。自分が何かをいうと誰かがそれを実現させる。自分が望む望まないは関係がない。予言という言葉も自分の意志より生みだしたものではない。誰かに与えられたようだ。その誰かとは。不知。最初、自分が感謝されることは少し嬉しかった。また自分に予知能力があると信じてもいた。敦子がきく。あなたは華仙姑処女か。然り。華仙姑処女は時の人である。百発百中の予言をするだけでなく、悪運を良運に変える神通力を持っている。素性、年齢、顔が知られていない。評判がだけが密かに広まり、政財界にまで及んだという。カストリ雑誌の生き残り、その編集者の鳥口守彦が先月の末に華仙姑処女の尻尾を捕まえたといった。極悪非道の偽占い師だといっていた。バンと大きな音がした。昼間の暴漢たちの襲撃だった。

2

翌日、世田谷区上馬町である。部屋で敦子が覚醒する。華仙姑処女がもう大丈夫といい、敦子にもう少し休んだ方がよい。まだ夜明け前だ。破られた窓は修繕してもらったという。敦子がひとつきほど前の取材を回想する。気道会の道場に行った。新橋に道場を構える古武術の一派である。二十七年の夏頃から人々の口の端に上りはじめ、一月頃には評判になっていた。普通の拳法ではない。手を触れずに相手を倒すという。敦子は取材の前に調べた。中国式古武術と称しているが気道会は伝統流派の流れを汲むものではない。出自由来が不明である。会長の韓大人の素性も日本人であること以外は不明である。取材を申し入れ取材した。稽古を丹念に見学し、師範代に説明をきいた。師範代が頭上に手を翳すと立っている弟子はばたりと倒れた。師範代が掌を向ければ大勢の弟子が後方に飛ばされた。師範代が気の力という。しかし、納得できなかった。作用反作用の法則からもおかしい。敦子はこれは継続的なイメージトレーニングと型の反復練習により得られた自己暗示によって、ある一定の状況や情報にたいして無意識に肉体的な反応が引き起されるものと結論づけた。正直に記事を書いた。記事が今月号に掲載された。発売は四日前だった。抗議の電話が入ったが謝罪、修正を拒否した。眠りについた。

覚醒した時、小男がいた。自分を宮田と紹介する。三軒茶屋の条山房という漢方薬局の処方をしているという。華仙姑処女が入ってきて条山房に助けられたという。宮田が実際に助けたのは自分の師、通玄である。通玄がこちらに通りかかって異変を知って駆けつけた。暴漢を倒して弟子二人を残して条山房に戻り、自分をこちらに派遣したという。また明日といって去った。華仙姑処女が用意した朝食を食べた。また眠った。目が覚めると華仙姑処女が京極堂の本から複写した妖怪の絵を見ていた。次号から掲載予定の民間民俗学者多々良勝五郎の連載頁に掲載する予定である。「わいら」という絶滅した妖怪である。自分みたいだという。敦子が華仙姑処女がいつから占い師をしているのかときく。いつ開業したかいうのは難しい。今でも看板を掲げているわけではない。しかし自分のところに相談に来る人々から謝礼をもらって生活を立てていることは事実である。相談者はどのような方法で華仙姑処女のところに来るのか。不知。自分は相談者の住所、身分をほとんど知らない。繰り返し来る人についても自分の方から連絡をとったことがない。相談者のことをよく知らないという言葉に敦子が占い師の実情を京極堂からきいているので不思議なことだと思った。自分がいうべきことを知っているのか。不知。初対面の時、会う直前まで何をいってよいのかまったくわからない。ところが、会うと、話してしまう。話すことが決まっていたと思う。例えば、その就職は止めた方がよいとか、失くした指輪は居間の箪笥の裏にあるとかいってしまう。皆真実となる。これまでの経歴についてきく。

自分は昭和十三年頃、上京した。東京には身寄りも知人もいない。手当たりしだいに仕事をした。女給、女工、女中とやった。結局親切な人の周旋で築地のある高級料亭に住込みで勤めることとなった。十五年のことだった。十七年に仲居となった。最初に華仙姑処女の能力に気づいたのは料亭の馴染み客だった。よくあたるので評判となった。その人が色々な人に引き合せてくれた。どんなことをいったのか。不知。憶えていないのか。然り。山で育ってろくに教育も受けていないから難しことはきかれても答えられない。敦子は精神に障害を持つのではないかと考える。現在の自分はその頃そのままであるという。戦後も相談者は絶えなかった。しかし疲弊した。料亭を辞めた。有楽町に家を買って隠遁生活をはじめた。しかしひと月ももたずまた相談者が訪れる。また元の状況に戻った。もう嫌だといった。自分はどうすればよいのか。気道会は自分に何をさせようとしているのかときく。気道会は表向きは武道の道場だが、実体は政治結社らしいという。敦子が不可解な華仙姑処女のことを理解しようとする。あなたは過去の記憶を失なっているのではないか。否。ただ語れない。語れない理由があるという。そして自分の名前は佐伯布由だという。

3

翌々日、神田神保町である。敦子と華仙姑処女が榎木津探偵社をたずねる。榎木津は敦子をみて例によって珍妙な挨拶をした。しかし華仙姑処女を見ると、何だその変な男はといって、黙ってしまった。さんにんは応接セットに座っている。そこに秘書、安和寅吉がお茶と林檎を持ってくる。近況を語る。これから客が来るという。最近はもっぱら助手、益田が依頼人の話しをきいて、帰った後に榎木津が、その話しをきくことにしている。今日の依頼人はこの春、千葉で起きた織作家の事件にゆかりがある。その家の先々代の婿養子、織作伊兵衛の実家である羽田家の人物である。羽田製鐵の取締役顧問、羽田隆三である。伊兵衛の弟にあたる。訪問者はその代理人だろうという。敦子が華仙姑処女が本名を名乗った時からのことを回想する。迷ったが兄には相談せず榎木津に会に行くことにした。榎木津の特殊能力のことを考えた。京極堂の持論である宇宙論から、物質に潜む記憶について、人間の脳の働き、榎木津の能力について思いだした。話しが戻る。突然、榎木津がお前は誰だといって立ちあがり、自分の私室に入った。華仙姑処女、布由が榎木津には隠し事ができないという。告白をはじめる。

自分は十五の時、家族、村人全員を殺した人間だという。敦子にもう自分に関わらないでくれといって事務所を出た。敦子が追ってゆくと横道に入った。路地を抜けた。空き地があった。そこに布由が男たちに囲まれていた。敦子を見て気道会の岩井と名乗る男がいった。会長があの記事を読んで殺せといったという。男たちが襲ってきた。そこに高笑いの榎木津が登場した。男が倒れている。榎木津と岩井が対決する。瞬時に岩井が倒され、さらに男たちが倒された。益田がやっと路地を抜けでた。榎木津が布由の写真を益田からもらったといった。益田が華仙姑処女失踪という報せがあり、鳥口から調査協力の依頼があった。華仙姑処女は誰かに操られていると疑いはじめたという。十日ほど前に鳥口はセールスを装って華仙姑処女に会った。華仙姑処女宅に毎日のように出入りしている男、薬売りの男がいる。これが相談者の斡旋をしている。ところが華仙姑処女自身はその男を知らない。鳥口がその男の写真を見せて確認した。布由はその男は十五歳の時の事件で死んでいる。益田が尾国誠一だ。尾国は生きている。しかも頻繁に布由の自宅を訪れているという。驚く布由に説明する。

尾国は催眠術の達人である。後催眠を使う。相談者を見つける。綿密に調査をする。その情報に基いて、予言を考える。それを布由に教えこむ。話すきっかけを教える。これを催眠状態の中で行なって、その時の記憶を消す。それから予言をする。その通りのことが起きるよう工作する。その際も催眠術を使うらしい。布由が信じかねる。鳥口は布由が操られていることに気づいて記事の公表を控え、再調査を開始した。榎木津が布由のところにきて、まだ騙されている。家族は亡くなっていない。その変なものは何か。クラゲだ。敦子に京極堂が心配しているといった。

後文............関口が第六日目の取り調べを受けている。


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しょうけら

1

四月某日、池袋である。木場が酒舗、猫目洞の女主人お潤が連てきた女と話している。女が人一倍記憶力がいいといった。木場が回想する。この春にそれまで抱えていた大きな事件が一段落した。苦手な書き物仕事もやっと終った。気がつくとここに来た。地下の店には誰もいなかった。待っていたという言葉に迎えられた。やがてお潤は店を出た。ひとり手酌でやっているところに知人という女を連て来た。相談に乗っあげてといった。女はのぞかれていると頻りに訴えた。木場は女の顔も見ず、黙っていた。お潤が文句をいった。木場が刑事は町の悩み事相談員ではないといった。女が自分が知っている霊感少年のところに行くという。木場がその子どもとは誰かときく。お潤が照魔の術を使う神童だ。どこかで犯人の検挙に貢献したという。女が藍童子様に相談するという。木場が警告する。お潤も止めるよういう。女は偶々忠告を戴いた。信用ができると思ったという。冒頭に戻る。

女は三木春子という。二十六歳である。静岡の出身。戦後上京し二十六年から東長崎の縫製工場に勤めている。家族親類はいない。工場の宿舎に住んでいる。一人暮しである。近隣に住む工藤信夫という新聞配達員のことである。工藤が二十七年秋から春子に付きまとってしつこいという。木場がそれが嫌なのかときく。然り。だがそれは我慢できる。監視されているので怖いという。この正月に工場長から販売店の主人を通じて注意してもらった。それで宿舎の周りをうろついたり、工場の裏門で仕事が終わるのを待ち伏せたりするのは止んだ。しかしのぞかれているようだという。なぜそう思うのかきくと、工藤は注意されて以降、つきまといは止んだ。それからひと月した二月頃手紙が自分宛に届いた。怨み言の後に、自分は春子のことを何でも知っている。例えばといって、春子のある一日の行動を克明に記してあった。肌着の種類、色を記していた。その時期は春前だから温暖の変化により変える。だから外部から推測できるものではない。自分は人一倍記憶が良い。自分の記憶と合致している。食事の内容もあてた。社員食堂だから定食であるが選択ができる。あたずっぽうはできない。手紙の話しに戻る。その末尾に自分はすべてお見通しだから用心するようにとあった。一週間経ったらまた手紙が来た。便箋一枚に一日の行動が克明に書かれていた。これで先週の分まで、合計七週間分が来た。宿舎の天井、床下、外部の工場からのぞいているかもしれないとチェックした。あり得ない。工藤の勤務振りもチェックした。真面目にきちんと働いている。まったく不可解である。木場が近所の駐在にきいたかきく。然り。警邏中に不審人物を見かけたことはないという。木場が工藤のことをきく。

性質は粘着質だ。工藤が春子を見初めたのはどこかきく。長寿延命講。宗教ではない。健康法を伝授されたり、薬をもらったり、話しをきいたりする。昔あった庚申講のようなものだという。庚申講の話しとなる。庚申の日は六十日ごとにやって来る。その日は眠らずに起きていなければならない。それで近隣の人が集まって互いに眠らないように監視し夜を明かす。眠ってはいけないのは、悪い虫が身体から抜けだして、寿命を縮める。その虫が悪さをできないように起きていると春子が説明する。木場がそれでは身体に悪い。延命講にならないという。ここでは主宰者の通玄という先生が健康診断をしてくれる。それで参加者ごとに次の庚申の日までどう過ごすとよいか、これをしてはいけないとか注意される。その後にいろいろの健康法を伝授されて、それぞれに合った薬を調合してくれる。通玄は漢方薬の薬剤師だという。参加料と薬代をとられる。木場が怪しげだというと同意する。もう止めたという。効果がなかったからかときく。否。あたる。庚申の日から次の庚申の日までの間、先生から健康指導がある。それは極めて細かな指示である。お芋は何月何日まで食べるな。朝は何時に起きろ、焼き魚はいいが煮付けは駄目だとか。さらにこの方角には行くな。赤いものを身に着けよとかいうもの。これを守らなかった場合、次の庚申の日に診察してもらうと一々指摘される。それがぴたりとあたる。これを守らなかったから、ここが悪くなっと指摘される。処方される薬は非常に高い。守りさえすれば不要だがなかなか守れない。その薬は高価で効き目があるという。持病を消して長生きできるという。木場が身体から抜けだす虫の話しをしようとするとお潤が春子はもう止めたという。何時かきく。四月十日に第二回目の庚申があった。その時に参加したが、それで止めたという。工藤の話しとなる。

工藤は二十七年の十一月の終庚申に初参加した。その時に声をかけられた。それから付きまといがはじまった。初庚申は一月九日である。その時もしつこかった。そこで注意してもらった。ひと月後から手紙が来だした。最後の庚申は三月十日である。その時にも工藤と会ったのか。然り。気持が悪かったが身体の方が心配で薬だけでももらおうと思って出席した。工藤はこちらを見るだけで何もいわなかった。どうして延命講を止めたのか。藍童子の託宣か。然り。延命講は深夜を過ぎると男女別々の部屋に行くが夜明けまでつづく。朝になって帰ろうとすると門のところに工藤が立っていた。躊躇っていると自動車が近寄ってきた。中から藍童子が出てきた、何か工藤に注意したらしい。そのまま立ち去った。すると春子のところに藍童子がやって来た。工藤は邪悪な人だといった。それが照魔の術か。然り。それでこの集りも正しいものではないといった。藍童子も同類だという木場に春子が説明する。

藍童子は長寿延命講の本当の目的は高い薬を売りつけることだという。そのからくりを説明してくれた。なるほどと思った。自分のことを考えると、最初は参加すれば健康になれると思っていた。薬は念頭になかった。ところがいつの間にか高価な薬が目当てになってしまった。薬は高価とはいえ効き目はある。そこで参加した以上はその場で断りにくい。健康が目的で参加しているとはいえ、病人ではない。少し心配なところがある普通の健康体である。その人たちが争って高価な薬を買い求めというのは変だ。そこに邪悪なからくりがある。誰しも少し不健康な部分がある。そこに目をつけて薬を勧める。さらにもっとよくしましょうといって、健康願望を煽る。最後に助言どおりにしないと悪くなるという。集団の中でこの傾向を煽る。さらにうまくできているのは、細かい指示である。これを完全に守ることは至難の技である。それを指摘されれば負い目ができる。春子は六十日分の薬を買うのは自分の給料だけでは不足である。父からの遺産に手をつけようかと思ったという。財産はどれくらいか。土地である。木場が藍童子も同類だと警告した。

2

四月、中野である。木場が敷地の竹林の中にいる京極堂に会う。早朝である。午後から鳥口が来るという。竹林を抜けて京極堂の住まいに至る。裏木戸を開けて中庭を過ぎ縁側に竹の束を置く。木場が縁側に腰をかける。待っているとお茶が出てきた。京極堂が伐った竹を吟味している。庚申の話しがはじまる。木場が宗教かときく。否。習慣。猿とか手の多い仏を拝むだろうという。それは三猴、青面金剛。それは記念碑とか供養塔のようなもの。決められた回数講をつづけられた記念に寄合の場所に祀る。それは宗教だろう。否。教義も開祖もない。祀れば宗教だろう。否。誰でも正月に神棚にお神酒と灯明くらいをあげる。それを信仰といえそうだが、習慣か。でも年中行事のようなものか。然り。日待ち、月待ちという習俗は昔からあった。庚申待ちと限定しても、平安時代までさかのぼれる。では正月と一緒、深い意味はないのか。京極堂が縁側に来て木場の横に座った。意味はある。憂さ晴らし以上の意味があるのか。話しがつづく。

木場が庚申とは何かときく。十干十二支。甲乙丙丁戊己庚申壬癸(こうおつへいていぼきこうしんじんき)と子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥(ねうしとらうたつみうまひつじさるとりいぬい)を組合せると六十通となる。日にも年にも適用、庚申は六十日ごと、あるいは六十年ごとに来る。戊辰戦争、壬申の乱など。丙午を「ひのえうま」と読む。これは五行、木火土金水と陰陽、兄(え)、弟(と)を組み合わせてる読み方。丙は「ひのえ」となる。庚申は「かのえさる」となる。それは猿のことか。然り。でもそれだけではない。庚申講の根源は比叡山延暦寺の守護たる日吉大社。日吉山王七社の神使は猿。三猴自体が天台宗開祖最澄の創作という。また、庚申塔は道祖神とも混同。道祖神は塞の神、これは記紀神話に対応させると猿田彦になる。それから猿は帝釈天の神使でもある。帝釈天は柴又にあるのか。然り。その昔、庚申詣で賑わった寺。不明だった本尊が庚申の年、庚申の日に見つかったという伝承もある。江戸時代に流行したのか。然り。そもそも帝釈天は仏教では仏法を守護する十二天の一人。天帝に比定される。天帝とは何か。中国の神様、北斗の紫微宮にいる。神様の中の神様。天帝は隣国の神様、どういう関係があるのか。中国で一番偉いということは宇宙で一番偉いということ。世界の創造神。柴又の帝釈天も一番偉いのか。否。仏教の序列では相当位が下がる。なぜか。仏教は一神教の基督教と違う。何でも取りこむ。周辺の神も取りこみ眷属とする。すると仏様より位が下がる。話しはまだつづく。

青面金剛とは何か。説明しずらい。庚申講には本尊もなければ教義もない、習俗だけが長くつづいた。ある時期爆発的に流行してすぐに止んだ。柳田國男は庚申を二十三夜の石塔信仰と結びつけた。それを村を中心とした習俗と規定した上で、信仰の対象は作神であると想定した。あまりあたっていない。折口信夫は道祖神から遊行する神の姿を導きだした。これも納得しがたい。旧来の方法論では扱いかねるものがある。そこここでやり方が違う。寝ないでいるといことは不変だろ。然り。大雑把にはそのとおりだが、細かく見るとまるで違っている。講の進め方、禁忌、呪文、呪具、供え物、までまちまち。それに三宝荒神、岐神(ふなどのかみ)という類似の信仰があって、混同、同一視されている。これを旧来の民俗学の方法では結論を出しかねている。話しがまだつづく。

「二十三夜塔」は優れた論文だが、庚申待ちを我が国固有の習俗と見た。その点では折口信夫も大差ない。大陸の風習が輸入されたと考えなかった。庚申待ちは江戸や畿内など、都市部で流行している。にもかかわらず村社会固有の民俗神とする。出発点で間違ってしまったようだ。我が国固有でないのか。然り。それで天帝か。ではシシ虫という虫は何か。これはシヤ虫、ショキラ、ショウケラともいう。「精螻蛄」とか「青鬼ら」と書く。文献にあるのか。全国各地の庚申塚を持つ寺、庚申堂に伝来している「庚申縁起」にある。また呪文として口碑でも伝わっている。呪文とは何か。徹夜しないでさっさと寝る時に誦えるもの。藤原清輔の「袋草子」に、「しや虫は、いねやさりねやわかとこを、ねたれそねぬそねぬそねたるそ」と誦えると記してある。どんな姿か。石燕の絵を見せる。瓦屋根に天窓のような開口部がある。そこに異形の者が張りついている。全身が真っ黒、筋肉に沿うように白い筋がはっている。皮を剥いた人体のようだ。怪物は天窓に取りつきじっと中の様子をうかがっている。木場がこれは虫ではないという。京極堂が認めつつなぜこのような絵を描いたのかを話すという。京極堂が木場に煙草を出す。そして閻魔の仕事を知っているかときく。死人の罪を捌く。然り。この虫はその仲間だ。善行、悪行によって人を裁くのは閻魔だけでない。閻魔は元々印度の冥王。陰陽道ではは生死を司るのは泰山府君。和漢三才図会では閻魔の他に帝釈、大将軍、行役、司命、司禄などがある。後に閻魔や泰山府君は仏教に取りこまれて十王となり、冥界に下った。そのため死後に裁定を下すものとなったが、それ以外の裁定者は生きているうちにそれを下す。話しがつづく。

人の行いによって寿命を決める。そうなら警察は不要。長生きの悪漢もいる。死刑囚も執行までは寿命延長。死刑は冤罪かも。人が人を裁くのには限度。廃止もある。疑問。ある。社会的に不適合といってたた排除するのは短絡的、いわんや生命を奪うのは疑問。そうしたものの処罰は人間以外がもたらす。健全な考えだ。もたらしてくれない。警察が必要。社会正義もあてにならぬ。それはともかく悪事に対して正当かつ超然的裁定を下す超越者が必要。権力者、民衆も願望。それが生死を司る、司命神、司禄神だ。それは納得と木場。この虫も寿命を司る神の眷属。中国では人の体内に巣食う虫を三尸九虫という。九虫は寄生虫。三尸は上尸、中尸、下尸の三匹。それぞれ頭、腹、足に棲息。これが精螻蛄。上尸は彭倨、中尸は彭質、下尸は彭矯という。それぞれ病をもたらす。中国の古書「抱朴子・内篇巻六微旨」で体内の三尸は霊のようなもの。宿り主が早く死ぬことを願うという。なぜか。宿り主が死ぬと三尸は幽霊となって抜けだし葬式の供え物を喰うことができる。しかし積極的に宿り主を食い殺すことはしない。で、どうするのか。庚申の日にこっそり天に登って司命神に注進する。なるほど、春子のいうことに納得がいった。大罪は三百日、小罪は三日、寿命を縮める。木場に長生きしたいかきく。然り。悪人も善人も、貧者も金持ちも同様。不老不死の話しとなる。

広義の道教にはこれに対する憧憬が強い。様々な秘法がある。秘薬を練って修行を積んで神仙となる。不老不死の肉体を得る。閨房指南、食事療法をして長生を願う。三尸への対策もある。「老君三屍経纂」、「紫微宮降太上去三尸法」に駆除する法があるが根絶できない。そこで三尸が身体から抜けられないよう見張る。それが徹夜する理由か。然り。中国では守庚申。庚申の日に天帝が開門、鬼神より衆生の罪科を聴聞。庚も申も金の日、天帝がその日に決断するという伝承がある。これと三尸説を組み合わせる。これが日本の庚申待ちの起源。それで帝釈天か。然り。ここで京極堂がひとくさり柳田、折口の批判をする。三尸説は巷間に浸透していない。民俗学者が山村で採集した語彙の中に三尸はない。だが現地調査も重要だが、庚申縁起などの文献調査も軽視してよいわけない。批判が一区切りしたところで石燕の絵を示す。これが三尸虫だ。庚申縁起の中に精螻蛄は一説には三尸虫のこととある。これと江戸時代の文献、嬉遊笑覧の但し書きから江戸時代の都市部に精螻蛄と三尸虫が同一との認識があったとわかる。木場ばどう見ても虫には見えない。三尸虫が天帝に直訴する話しは古老には難しい。京極堂の話しがつづく。

長生の願望は裕福な権力者ほど強い。最初は宮中ではじまった。貴族たちの遊びだった。それが農村部に波及したか。否。簡単にはしない。もっとも不眠の風習があったと柳田がいう。では入り混じったか。否。荒神と庚申の読みが似ているから混同するというのはない。荒神信仰の話しとなる。三宝荒神は修験道、日蓮宗、天台宗が祭祀した神。本地仏は大聖歓喜天、文殊菩薩あるいは不動明王とか。民俗神としては作神、火伏せの神、お産の神とまちまち。信仰対象として竈神とされる。庚申信仰の話しとなる。その本尊に竈神を祀る例が多い。これから、竈神信仰が庚申信仰に先んじてあったとう考えはあたらない。実は逆。その理由である。先に伸べた抱朴子には司命神に注進に及ぶのは三尸だけでないと書いてある。竈神が同じく注進の及ぶという。こちらは晦日だ。大晦日に夜明しする習慣が現存する。ここから日が統合されたといえる。中国では守庚申、守甲寅もあった。大黒天を祀る甲子待ちもあった。何がいいたい。荒神には庚申尊となり得る性質を持っていたと考えるべき。それが同一視された理由である。荒神の説明となる。

たぶん総称だ。荒神とは荒ぶる神。一定の基準を満すいろいろな神様を総じて荒神と呼んだ。山、畑、道、家、竃に荒神がいる。竈神とは別物か。然り。荒神信仰の話しとなる。その背景は既述のとおり。荒ぶる神を静めめる荒神祓いは天台系の琵琶法師の役割でもある。これは民間宗教者の役割。すると教団は民間信仰に乗っただけという感。そもそも荒神は仏教に登場しない。これはそ(鹿が三つ)乱神、奥津彦、奥津姫、陰陽道の歳神の三神を併せたもの、仏法僧の三宝を護持する三面六臂の神ともいう。腕が多いか。然り。多腕の神は仏教に多い。決めかねる。しかし天台宗が行う回峯行の中で誦える真言の中にその名がある。話しがずれる。角大師を知っているか。不知。旧暦の十一月二十三夜に来るという神。京都では元三大師という。比叡山延暦寺中興の恩人良源こと慈恵大師の別名。正月三日に亡くなったから元三大師という。良源がある日厄神に襲われた。翌日、良源が弟子を集め鏡の前で禅定し鏡に写った姿を書き写せと命じた。鏡には角を生やした真っ黒い怪物が写っていた。描かれた絵を見て、良源は我が影像を置く所には必ず邪魅災難を祓うといった。それで降魔の姿として御符に刷られることとなった。後の書架の中ほどに設けられた抽出を開けて一枚のお札を取りだした。

全身真っ黒の裸体の男の版画。頭に角が二本。これが精螻蛄だ。この角大師のは一説には比叡山の山の神。山の神の話しとなる。比叡山の守護神社は神仏習合、天台神道の山王一実神道の日吉大社。つまり日吉大社の祭神、山王権現。これが全国庚申講の総元締めである。この山王権現とは、大山咋神。この神は古事記によれば大年神の子。同じく大年神の子としては兄神、姉神が奥津日子神と奥津比売命、それに父神の大年神を併せて荒神になる。また奥津比売命は竈神とある。話しが回峯行に戻る。これは山内の各霊所で祈りながら一日で叡山中を隈なく廻りそれを千日間つづける。叡山の奥の院の慈恵大師の御廟前では九頭竜印を結び仏法僧大荒神摩訶迦羅耶莎訶と誦える。荒神という言葉が入っている。然り。この摩訶迦羅耶莎訶は大黒天の真言。大黒様は七福神のか。然り。この真言は大荒神こそ大黒天と告げている。それは比叡山の山の神に変化した慈恵大師に手向けられている。不可解。大黒天という神様は我が国では大国主命と習合したが、元々は印度の戦闘の神。人の生き血を啜り人肉を食らう夜叉の総大将である死に神。さらに一説では閻魔と同体、冥界の神。閻魔か。然り。三尸の同類、寿命を司る神のひとり。さらに中国に渡った時点で厨房の神、糧食の守護神として台所に祀られるものとなった。竈神の横に並べて祀られた。荒神は大黒様か。否。日本の大黒様はあくまでも福の神、荒ぶる神ではない。元々の荒ぶる神となった姿で現われた時人々は大黒様と思わなかった。違う名で呼んだ。話しがつづく。

大黒天は日本の神の名で呼べば大国主、大己貴命(おおなむちのみこと)。この神の和魂である大国主を既述の大山咋神と合祀したのが大比叡神社、今の日吉大社の大宮。開祖最澄をはじめ天台宗は大黒天と縁が深い。延暦寺には三面大黒が祀られている。これにまつわる逸話の中で比叡山の守護神が大黒天といっている。ならばこのお札に描かれた角大師も大黒天。中国では大黒天像は牛に座す。この角は牛の角、これは本来の死に神である大黒天の像だ。良源は山王権現の信仰に力を入れた。山王の神使は猿。庚申の三猴を最澄の創作としたのは良源の工作と思う。天台止観に不見不聞不言の理論から作った。木場がまあわかったといって、精螻蛄は元三大師で比叡山の山の神で大黒天で三尸の虫でもあるのか。さらに大黒天が閻魔で閻魔と三尸が同類で、それからその天台宗と庚申信仰が浅からぬ縁があるといのもわかる。京極堂がいう。延暦寺では三面大黒天の左を弁財天、右を毘沙門天としているが、これはこじつけ。四臂、六臂、八臂のもある。曼荼羅の上の大黒天は三面六臂。これが本来のもの。正面の顔は憤怒相、眼が三つ。象の生皮を広げ剣を戴き山羊の角と裸女の髪を掴んでいる。木場がそれに似ている本尊があるという。京極堂がそれは青面金剛だという。

庚申の本尊とした最も有名。顔の数が違うがよく似てる。その神様は何か。青色大金剛夜叉辟鬼魔法の本尊とか、帝釈天の家来、毘沙門天の眷属、庚申の本尊というのがあるが、仏教の仏と認めるに至らない。本当か。執金剛力士、金剛夜叉、金剛童子がある。これらは金剛杵という武器を持つ仏像だ。これを持ってない。顔の色は金剛の性格から青黒くなるので同じだが決め手として弱い。青面金剛は庚申堂の掛け軸、ある仏典に記載がある。それは一面四臂。六臂、八臂、剣などの武器を携え、裸女の髪の毛を持っている。それは大黒天と木場。ここで京極堂が青面金剛がぶら下げている裸女は何かときく。当然、不知。ある場所では半裸の女性像を祀っている。これは精螻蛄と呼ばれるらしい。だから精螻蛄だ。木場が不可解な顔をする。三尸虫を退治するのが青面金剛だからおかしくない。木場が考えを整理する。大黒天の原形、荒神と青面金剛はよく似ていて庚申尊。庚申尊は三尸、精螻蛄を退治する。精螻蛄は角大師、角大師は大黒天の原形。それではどこまでいっても正体がわからない。京極堂がさらにきく。

庚申の晩に懐妊した場合、その子どもは泥棒になるという言い伝えがある。知っているか。五右衛門がその例だ。然り。これは男女同衾を禁ずる戒めだ。しかし本来の三尸説にない考えだ。京極堂が石燕の絵を指す。精螻蛄が人々を眠らないかどうか監視している。これは石燕が本末転倒して庚申信仰をからかう意図があったという。三尸説が輸入されたのは奈良時代までさかのぼるかもしれない。江戸時代、三尸説は知識階級に普及していた。庶民の中の三尸説はどうか。虫はたんに天帝に報せるだけが本来の姿なのに、寝ると悪い事が起きる。鬼が来る。虫が悪事を働くとなった。さらに同衾を禁ずる。式次第がだんだんと複雑になる。守れば願いがかなう。庶民は徹夜で騒ぎたて願をかける。本来と掛け離れた姿となった。そんな庶民をからかったのか。否。庶民の講組織を利用して勢力拡大を図った天台宗をからかった。本当か。天台宗は計画的、意図的に流行させた。表面上は無関係で雑多な庚申行事を結びつけるのは天台宗だけだ。庚申堂のほとんどは天台系。庚申縁起を書いたのはたぶん天台僧。山王一実神道の縁起と庚申縁起はよく似ている。木場が元三大師のことをきく。

角大師は元三大師とは離れて別の形で信仰されている。大師講という信仰も盛ん。大師講は弘法大師だけでない。職人たちには聖徳太子の太子講、その他に角大師、片足子沢山の客人神、はては女を本尊とする大師講もある。子沢山で苦労した寡婦だという。これは青面金剛がぶら下げている精螻蛄との関係を考えざるを得ない。タイシという名の話しとなる。タイシは道教の神、中壇元帥、別名那託太子(これらに口偏がつく)だった可能性がある。この神は一本足の来訪神の伝説と符合するもの。青面金剛はこれに由来すると考えている。青面金剛はまず、童子の姿で現われる。青面金剛となる以前は青光太子と呼ばれる。この太子も多く童子形で表わされる。戦闘中は三面六臂である。「封神演義」では托塔天王の子とされている。この神は仏教では毘沙門天に対応する神。毘沙門天は天台宗で重要視されれる神、夜叉の長。大黒天の属性と重なる。毘沙門天が守護する須弥山の中央には帝釈天が住む。話しがつづく。

この太子は我が国に古い時期に入ってきた。中国天台山は道教が盛んな土地。開祖最澄を筆頭に比叡山の僧は道教を学び持込んだ。江戸に庚申が大流行するのは、天海僧正と幕府との関係から納得できる。庶民は現世利益で動く。本来個人的な健康法、長命法だったものが、ある信仰に形を変えさせられている。巧妙だ。流行り神と伝統宗教は一見無関係だが、稲荷社と真言宗、白山神社と曹洞宗に同様な関係がある。木場が長寿延命講のことを考えた。京極堂の壮大な蘊蓄がどこかでつながっていると思う。木場がわからないという。京極堂が外れを捜せという。さらに現場調査を勧める。工場、寮、長寿延命講の道場。了解。しかしハズレとは何か。工藤の手紙に書いてないことはないかということ。その工藤の手紙に春子が工藤の手紙を読んだという記載があるか。外れを捜せという。京極堂が立ち上がって本を戻した。

3

四月、東長崎である。木場と春子が寮の部屋で話す。茶箪笥と卓袱台があった。茶箪笥の上に小ぶりの花瓶があった。花はない。きくと一週間前に捨てたという。窓ガラスには新聞紙が貼りつけてあった。通玄はこの方角に開口部があるのはよくないといったという。木場が窓を開けて外を見た。春子が側にきて工藤が窓のすぐ近くにまできて中をのぞいていたという。二十七年の暮れだった。そんなことが五回ほどあったという。目張りをしたのは二回目の手紙が来てからという。窓からの窃視は不可能だろう。押し入れを春子に断わって開けた。天井を見た。のぞける場所はない。工場や食堂の方もさっき見たが監視するような場所はない。手紙を見たいというと抵抗を示した。封筒だけでも見たいといった。七通が束ねてあった。中身を見らるのがなぜ嫌なのかきいた。例えば赤い服を着た時、それはどんな気持で着たのかが書かれている。それがいやらしいという。あの花をなぜ捨てたのかも書いてあった。朝起きて花の水を替えようとするが、無性に花が嫌になり、まだ幾日も保つ花を捨ててしまう。それは赤い花に気持が昂奮して淫らな気持となった。それを振り切るために捨てたと書いてあった。どんな気持かという指摘はともかく、自分がとった行動については全部当たっている。だからのぞかれていると確信したという。春子が自身の気持を反省して話す。

何故、あの花を捨てたのか。なぜ食堂で手紙に指摘されたような献立を選んだのか、わからないという。木場がそれは偶然だという。京極堂の指摘を思い出して、二通目の手紙に最初の手紙のことが書いてあったかきく。ある。「この前の手紙は読んでいただけましたか」とあるという。その書き振りはおかしい。すべて見ていたのなら、春子が手紙を受けとってびっくりしたことも知ってるはずだ。それなのに「いただけましたか」はおかしい。春子が手紙を出して確認する。この後に「きっと君は驚いたと思う。君の強張た顔が目に浮かぶようです」とつづくという。木場がその後のことを確認するよういう。春子は人一倍記憶がよい。郵便は共同の郵便受けに来る。この日は夕食後、七時に同僚がこの手紙を部屋に持ってきてくれた。「君はそのまま真っ直ぐ部屋に戻った。それは君が云々」とある。「その後、用意を整え七時丁度に銭湯に出かけ、持った物は桶と糸瓜と梅の柄の手拭い、着替えの下履き、色は云々」とある。この辺は当っている。でも手紙のことは書いてない。春子はショックが大きく銭湯に行ったのは八時だった。春子は次々と手紙を確認した。どれも手紙を受けとった状況に触れていない。ふたりが考えこむ。

木場が春子が通玄の指示を受けて窓を塞いだといった。こと細かな指示を受ける。例えば、魚の煮つけを食うのか、焼魚を食うのかまで指示されていたという。工藤が長寿延命講でその指示をきいていた。それをもとにして手紙を書いたという。真相に達したと興奮気味の木場に春子は通玄のいいつけを守らなかったという。六十日の期間、細かな指示をすべて守るのは困難なこと。誰もそのとおり守っている人はいない。自分も同じであるという。だから皆んな薬を買って自分の不摂生を補う。花の話しとなる。通玄は期日を指定して花を買え。それを部屋の北東に飾れという指示をした。もう辞めるつもりだったから守る必要がなかったが、何となくその通りした。捨てろという指示はなかった。しかし自分は捨ててしまった。なのにその事実を工藤が知っていたという。木場が推理の行き詰まりを感じる。もう一度事実を洗いだしたいという。

団体の規模は。男性十五人、女性二十人。通玄の他に何人いるか。助手が七、八人。どんな建物か。道場のようなもの。板張り。そこは講堂という。別の部屋は板張り、大な棚が並ぶ。薬草が整理収納。薬を調合する部屋。診察用の部屋。その他に修身房、男女別々なので二部屋。活動振りは。庚申の日の午後四時に講がはじまる。参加者は三軒茶屋の条山房に集合。最初は講義がある。二時間くらいつづく。その後健康体操を指導。指導のお弟子がつく。その間にひとりひとり呼ばれて個室で診察。診察は。ひとり十分くらい。全員が終了するのは深夜までかかる。診察の内容は。普通の医者の診察と大差ない。ただ、参加者がいいつけを守らず何回魚を食べたとか着てはいけないといった白い着物を着たとか正確に指摘される。質問したが、どうしてそれほど正確にあてられるのか木場の疑問は解消されなかった。薬の処方箋が別室の弟子に渡される。その後修身部屋に行く。そこで朝まで過ごす。そこにいる間に弟子が処方された薬を持ってくる。その際、細かな注意事項が伝えられる。口頭である。だから守れない。修身部屋には物を持って入ってはいけない。皆は必死に思い出してメモにする。自分は記憶がよいので必要ない。なのに守れないのはなぜか。不明。謎が解けないままだった。

春子に何でもよいから言い忘れたことがないかきく。仮眠室で仮眠する。小部屋、畳半畳くらい。中には机。そこにつっ伏して眠る。弟子が向かい側に座って一時間、しし虫が抜けでないように見張っている。呪文を誦えるのか。然り。細かい字が書いてある書物を渡される。それを読む。そのうちに眠る。春子に木場がそれが庚申の夜に眠っても虫が抜けでないように誦える呪文だという。皆んな本気にはしていない。弟子も一時間経ったら起すためにいる。木場はそれなら一時間後に来室して起せばよいこと。効率が悪いと思った。依然真相は不明のまま木場は新聞販売店に行くことにした。周囲の女工員は警察に気づいたようだった。ふたりで門を出た。

五分ばかり歩いてごみごみした町並みのなかに新聞販売店の看板が見えた。様子がおかしい。木場が人混みを掻き分けた。店の前で主人らしい男と若い男が数人立っていた。中から制服の警官が数人出てきて、つづいて工藤が引きだされた。隣りに見覚えのある刑事が立っていた。木場と所轄時代は同僚だった岩川真司だった。今は目黒署に勤務している。容疑をきく。窃盗容疑。条山房から書類を盗んだ。岩川が内ポケットから茶封筒を出す。木場が奪いとった。そこには三木春子の宛名があった。これは八通目の手紙だといった。この手紙は明日屆くはずのものだ。春子の今日就寝するまでのことが書かれているはずのものだ。どうして今日の分が書かれているのか。木場は岩川に春子を紹介し事情をきかせてほしいという。岩川の話しである。

長寿延命講から高額のいんちき薬を売りつけられたという被害届が目黒署にあった。詐欺性があるか微妙なところ。しかし被害者は催眠術をかけられたという。捜査は難航していたが有力な情報提供があった。この詐欺性を証明するある書類を、この工藤が盗みだして隠匿しているという。捜査の結果、それが出てきたという。岩川が紙の束を示した。春子がそれは仮眠する時に条山房から渡される書類だという。そこには、「彭候子、彭常子、命児子、去離我身」という文字が並ぶ。木場がその紙を捲った。「一月十日大安定刻起床後スグニ厠ニハ行カズ床モ上ゲズ下履キハ寒キ暑キニ拘ワラズ毛織ノ赤キモノヲバ穿キ腹巻キノ類ヲ身ニ着ケ顔ヲ洗ヒテ後ニ一度屋外ニ出デテ背伸ビ運動ナドヲシ云々」とあった。また三月二十日の項には「三月二十日先勝定刻起床ノ後着替ヘ等致ス前ニ二日前ニ買イ求メタル花ノ水替ヘヲ致サントスルモソノ際一度躊躇ヒテ止メ後ニ再ビ立チテ花瓶ノ花ヲバ取リテ打チ捨ツベシ云々」とあった。木場がこれは春子の実際の行動だ。しかしこの記載は行動が起される前になされたという。木場がこの事実に驚愕する。

突然子どもの声が響く。然り。岩川が藍童子様という。木場に藍童子、彩賀笙が今回の情報提供者であるという。藍童子が邪悪な長寿延命講のからくりを説明するという。春子に財産を持っているかきく。ある。藍童子が長寿延命講の会員はすべて資産家である。工藤も父が資産家である。社会勉強として新聞配達をさせられたという。長寿延命講は巧妙である。けっして強要はしない。その仕組みである。通玄はある日に赤い服を着ろと指示を出しておいて一方でその日には赤い服は着ないと暗示を与える。その暗示内容がさっきの書類だ。徹夜して睡魔が極限に達した時に会員は仮眠室に押し込められる。訳のわからない呪文を誦えさせられる。ここで会員は後催眠をかけられ暗示が与えられる。人間の記憶力は馬鹿にできない。ほとんどすべてを覚えている。しかし意識の上に登場しない。そして何か物事を決める時、その普段意識されてない記憶が、左だ、右だと頭の奥でささやく。だからここに記されたとおり行動することになる。藍童子は春子を木場から離し岩川の方に送った。そして木場に丁寧に会釈した。

後文............関口が取り調べにより人格がほとんど破壊される。


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おとろし

1

五月、千葉の興津町である。織作茜が自分の部屋の鏡の前にいる。女の化粧、装いのこと、女性運動のこと、自我のこと、幸福のこと、妹のことを考える。やがて訪れる訪問者のことを考える。黒いシャツ、黒いスラックスをはいて部屋を出た。すでに四、五度会っている老人である。名前は羽田隆三。玄関で迎える。老人は応接用の大広間に入る。茜はこの春に起きた事件の間接、直接の影響で、家族のすべてを失なった。この館を売却するつもりである。事前の交渉が進み今日が正式の契約となるはずである。これまでの経緯を回想する。不動産の売却を決意したらすぐ買手が登場した。それが羽田だった。製鉄会社の取締役顧問だった。たぶん好色な男である。会話の端々にそれが出た。川崎製鐵の千葉製鉄所の話しが出た。これは最新の溶鉱炉を有する。自社の社長を批判する。これに対抗するため風水を使う経営コンサルタントを雇った。それなりの実績をあげたが、新本社社屋のため伊豆の土地を買いたいといってきた。馬鹿なことをいうと思った。このコンサルタント、「泰斗風水塾」南雲正司について調査したところ、経歴のほとんどが虚偽であることがわかった。なぜこんな助言をするのか考えた。不明だ。そこで織作家の事件で実績をあげた榎木津に依頼したい。紹介してほしいという。

茜が羽田が榎木津の父君に話しを通しておくこととを依頼し、柴田勇治には自分が周旋することを約束した。茜の将来の話しとなる。自分が関わっている「徐福研究会」を手伝わないかという。徐福は秦の始皇帝の命で不老不死の仙薬を求めて大海に乗りだした中国の方士である。羽田が説明する。私財を投じて設立した民間団体だ。郷土史家、民俗学者、在野の学者を中心におよそ五十人いる。各地に伝わる徐福伝説の比較研究をする。昭和二十三年に作った。羽田の本家は京都にある。元は秦という字である。元をたどれば丹後半島の伊根というところにたどりつく。そこの新井崎というところに徐福が来たという伝説がある。新井崎神社は徐福を祀っている。「義楚六帖」という中国の書物に徐福の子孫は秦氏を名乗っているという。秦氏の来歴の話しとなる。「古語拾遺」に応神天皇の世に弓月の君が多くの民を連て日本に渡来したとある。「新撰姓氏録」にはこの弓月の君は秦の始皇帝の末裔だとある。秦氏が持つ技術、技能が珍重された。求められ全国に拡散した。後にそれを集めて京都の太秦に集めた。茜がそれでは徐福伝説と矛盾すると指摘すると、それは正史に登場しなかっただけという。ところが、漂着伝説は全国にある。北は青森秋田、信州甲州静岡に名古屋、広島山口、四国は土佐、九州は宮崎佐賀鹿児島福岡、それに紀州熊野である。徐福は大勢を引き連れてきた。それが仙薬を求めて全国に散らばった。漂着伝説を伝承する者は自分たちが正しいと他の場所を無視しようとする。これでは真実の究明ができないと思い研究会を設立したという。茜が感心すると別の目的もあるという。

徐福の仙薬だ。それを命じた秦の始皇帝が求めたのは回春の仙薬だ。徐福縁故の地には仙薬が伝わっている。丹後伊根には黒い茎の蓬、九節菖蒲、熊野の新宮には天台烏薬、富士山には珍しい高山薬草がある。説明が終り。茜に手伝うよう強引に迫まる。東野という男に研究会を任せている。在野の学者で信頼していた。資料館を作る計画を進めていたところ、東野が伊豆の山中の土地の購入を提案してきた。不信感を持つようになった。羽田が茜が研究会を手伝うことが織作家の土地を購入する条件だといった。茜によい返事を待っているといって立ち去った。

2

五月、東京目黒である。茜がホテルの喫茶室入口の扉のガラスに写っている自分の姿を見ている。扉が開いて若い女性が出てきた。それを避けてから中に入った。洒落た喫茶室である。そこで待合せをすることとなっていた。相手らしき人物が窓際にいる。近寄って声をかけようとすると男が茜に気がついた。挨拶をした。多々良勝五郎と名乗った。京極堂は来られないといった。鞄の中から手紙を出して茜に渡した。それは京極堂からの手紙だった。多々良は奇譚月報に連載の原稿を書いていたといった。見ると妖怪の絵だった。鳥居の黒い笠木の上に怪物が載っている。大きな口。大な眼。鋭い牙。どろどろと長い豊かな髪の毛が棚引きとぐろを巻いて顔を覆っている。鋭い爪で鳩を捕まて、たぶん食おとしている。これは「おとろし」という怪物という。形や名前が残って意味の失なわれたものを連載しようとしている。これもその一つだ。蘊蓄を述べる。茜が用件を持ちだす。多々良が自分の話しに熱中したことを詫びる。茜が話す。

自宅を処分したが、屋敷神の処分が残った。どこかの神社に納めたいので適当なものを教えてほしいという。すこし驚いて何かときく。石長比売命と木花咲耶毘命である。多々良が木花咲耶毘命は神武天皇の曾祖母神という。自分の家の祖先は石長比売命の方であるという。二体の朽ちた神像は捨てられず、茜が今宿泊しているホテルに運び込んだ。木花咲耶毘命は全国の浅間神社に祀られている。どこにあるか。富士講のあるところ、山梨、静岡、伊豆など富士山を遥拝できる場所にある。本家本元は富士山である。たぶん滋賀の草津の伊砂砂神社である。神社の祭神は案外はっきりしていないことがある。蘊蓄が語られる。姉と妹の昔話が語られる。富士山は妹である。姉妹は離れて暮らしていた。妹は姉の顔を見たいと思って、背伸びした。背伸びしつづけて、あんなに高くなったという。伊豆の下田にある下田富士にも同じ話しが伝っている。この話しには石長比売の嫉妬の話しが加わる。

石長比売は美しい木花咲耶毘命に嫉妬して顔も見たくないといって身を屈める。天城山を屏風代りして隠れる。妹は背を伸ばす。姉は背中を丸める。ますます小さくなった。それから西伊豆の雲見、烏帽子山の雲見浅間神社にも同じ伝説があるという。多々良をおいて店を出た。幅の広い緩やかな坂を下り人影の疎らな広小路を進む。四辻を左に曲がると羽田の屋敷が見える。門前で津村に迎えられる。応接用の部屋で羽田が待っていた。羽田が榎木津探偵のことを話す。羽田が榎木津の父君に会って依頼した。津村を探偵事務所に派遣して依頼しようとしたが榎木津はいなかった。その上で資料館への協力を再度依頼した。建設予定の土地の話しをする。その選定理由に不審を持った。伝説が残っている土地を選ぶのは真実を追求しようとする会の目的にふさわしくない。それを外して選んだというのは根拠が弱い。東野の身許を改めて調査させた。知られている経歴は虚偽、名前も偽名であることがわかった。東野が会の主宰者となった経緯、発足の会員の選定の経緯、これまでの東野の活動状況が語られる。不審さは解消しなかった。羽田が南雲が推薦した本社社屋の候補地を地図で示す。そこと東野の推薦した土地が同じだ。この土地は所有者が複数いる。里に近いところは三木という女性、山の方は加藤という男性の名義である。真ん中の所有者は不明だ。米軍が撮った航空写真を示す。そこに大きな屋敷が写っていた。

3

六月、下田である。下田富士を茜と津村が登ってゆく。十一日にふたりは下田に入った。韮山にある土地の現地調査が目的である。茜は無理をいってまず下田に直行した。それは二体の神像を納める場所が決まれば羽田に協力するといって認めさせた。参道横の祠で足を止めて津村を待った。津村が提供した地方新聞の記事の話しをする。よく見つけた。どのようにしたのか。偶然。否という顔を見せて茜は再び上りはじめる。あの記事は全国紙にも載っていたという。また小さな祠があった。茜はそこで立ち止まった。この前の羽田訪問時に雨が降った。慌てて傘を買った。その傘を置き忘れたようだ。津村に心当りがないかきく。否。茜が津村が訪問の後尾行していたことを示唆し話しをつつける。茜が一昨日東野に会ったという。東野は甲府の出身ではなかった。隣家をいつ借りたのかきく。驚く津村に、巡回研ぎ師の津村辰蔵は父親かときく。認める。茜が津村のことを話しはじめる。

津村は下田で誕生。昭和十三年に父親が死亡。母とふたりで上京。母は十六年の開戦直後に死亡。徴兵、復員し二十二年甲府に行った。葡萄酒会社に入社。二十三年退社。羽田隆三のところに押しかけ秘書となる。羽田に憧れて秘書にしてもらったという津村に、茜が別の目的があったという。東野の悪事を暴きたかったという。津村が認め、隣家から東野の様子を探っていたところ羽田が東野をたずねてきた。様子を知り秘書になったという。茜が津村の秘密を守ることを約束し、事実を有りのままに教えるよういう。津村が語りはじめる。父は巡回研ぎ師、母は蓮台寺温泉で働いていた。昭和九年、父と一緒に伊豆を巡回した。韮山に回った時だった。立派な御殿のような屋敷で食事をさせてもらった。少し年上の少女と遊んだ。新聞記事にある惨劇が発生した。吹聴する父を母が心配した。十三年警察に勾引され翌年の夏に解放された。その時は廃人となっていた。ひと月後に自殺した。母とふたりで東京に逃げた。自分は父を陥れた人間がいると確信した。母が持っていた新聞切抜きを手がかりにつきとめようとしたという。話しがつづく。

惨劇は自分がご馳走を食べた山村だろう。自分は東野をあの屋敷で目撃した。甲府の町で東野を見た時驚いたが、やがて東野が犯人だろうと思った。東野が提案した土地は惨劇のあった場所だ。そこにまだ事件の証拠、多分屍体が残っているという。茜は考える。あの場所は何らかの理由で軍部や米軍に封鎖されていた。それが解除された。事件は昭和十三年六月二十日に起きた。この二十日には時効になる。津村が南雲の動きが気になるという。何故あの土地をほしがったのかという。ふたりは歩きはじめる。頂上に着く。トタンで補修された小さな社があった。その横に不思議な男が立っていた。参拝かときく。自分は郷土史家と名乗る。茜が到着する。男は茜を知っていた。浄蓮の滝を見てきた。浄蓮の滝に女郎蜘蛛の妖怪が住んでいる。昨晩下田に泊って土地の古老からこの山に伝わる昔話をきいた。それでここにやってきたという。茜がどんな話しかときく。姉はおせん、妹はおふじという。山の神だった。妹が自分はこうして背伸びしたら見える富士山が好きだ。大きくなったらあそこに登りたい。富士山は女人禁制だった。十四になったおふじは富士山に向った。山の氏神にいった。この山に登ってみたい。氏神が、お前は不浄がかりはしないか、つまり初潮はないかときいた。なかった。氏神は見て見ぬふりするから気をつけて登れといった。おふじは喜こんで登って帰ることを止めた。下田富士にはひとつ禁忌がある。ここから富士山が見えるというと、海に投げ落とされるという。津村が茜に神像を渡した。男が関心を示したので石長比売の神像だといった。話しがつづく。

男が首をかしげた。茜が奉納することについて氏子総代に断る必要があるかきいた。断られるだろう。ここに祀られているのは木花咲耶毘命であるという。富士こそが生殖の必要のない不老不死の山である。石長比売だという。富士山の浅間神社には木花咲耶毘命が祀らえているという茜にそれは噴火したから、元々は富知とか不二とかいわれる神を祀っていた。ところが噴火が起きたので富士山本宮に祀るようになったといった。

4

六月、下田である。露天風呂に入って茜が回想する。遠ざかってゆく男を、ふたりは眺めてしばらく放心していた。奉納を諦め蓮台寺温泉の宿に入った。石長比売はどうやら西伊豆の雲見浅間社に祀らているようである。韮山の大量殺人事件について考える。人の気配がする。誰何する。背後から襲われた。茜は頸を絞められ絶命した。

後文............関口が新しい係官により取り調べを受けている。係官がいう。お前は伊豆に行って静岡三島沼津を廻り県庁市役所郵便局と歩いて、それから韮山で民家七軒に立ち寄り駐在所に行って、淵脇巡査と話しをした。淵脇は堂島という郷土史家を名乗る男は知らない。関口と山に登ったこともないといったという。また駐在所を出て、その足で蓮台寺温泉まで行って一泊し、翌日下田をぶらぶらして本屋で万引して逃げそれから温泉に戻り民家の納屋から荒縄を盗みだして夜まで潜み、近くの露天風呂に忍びこみ入浴中の被害者を盗んだ荒縄で絞め殺し、裸の遺体を担いで高根山中に分け入り頂上近くの大木に荒縄で吊りあげそれを眺めているところを逮捕された。被害者とは面識があった。計画的な犯行だ。関口はやっとここで織作茜を殺害したと係官がいっていたことに気がついた。

(本文おわり)

幸福への願い

京極堂作品には心の闇とそれに対照的な幸福への願いが常に取りあげられる。本篇では不老長寿、健康増進、企業の繁栄、国家の隆盛といった願いの成就を掲げ、様々な団体、宗教が登場し人々を勧誘する。この願いにまつわる様々な場面に多くの人物が登場し生彩ある筋が展開される。

ぬっぺっぽう

傷痍軍人、室内装飾業の光安公平が、かって駐在として勤務していた村の旧家にあった「くんほう様」を探し求めている。それは健康長寿の仙薬であると信じている。自らの探索には失敗し、関口に依頼する。見つかれば自分のため、多くの傷痍軍人のために活用しようと願う。

うわん

茨城の工場を整理して再出発を模索している村上兵吉は、戦前に別れた父や兄に再会したいと思い伊豆にやって来た。将来について「みちの教え修身会」に相談している。沼津で自殺騒ぎを起した村上をそこの住人朱美が助けた。朱美の夫は置き薬の行商をしている。その道の先輩に当たる尾国は何かとこの夫婦を助ける。朱美の住んでいる辺りには延命長寿にご利益のあるという新興宗教の「成仙道」が盛んに勧誘をしている。村上は成仙道の刑部の奸計により四度目の自殺騒動を引き起こした。これを尾国が救った。

ひょうすべ

編集者、加藤麻美子は、人格強化の訓練を行なう団体、みちの教え修身会に取りこまれた祖父、只二郎を心配している。麻美子は最近不幸に襲われた。我が子を失ない、離婚し、退社した。それがきっかけで霊感占い師、華仙姑処女に頼っている。

わいら

雑誌の編集者、敦子は韓流気道会という古武道を標榜する道場を取材し、その記事を掲載した。これが彼らが唱導する気の力を否定することとなったので彼らから狙われている。敦子を襲撃から助けた霊感占い師、華仙姑処女も韓流気道会から追われている。彼女は自分の霊感能力に疑問を持ち苦しんでいる。さらに彼女が原因で一家、故郷を失なったと信じて、苦しんでいる。

しょうけら

縫製工場の女工の三木春子は体調不良を気にして長寿延命講の集いに出席し、そこで処方される薬を服用していた。そこには近所の新聞販売店の従業員、工藤が出席していた。このことが彼のつきまとい、嫌がらせの手紙のきっかけとなって彼女を苦しめている。彼女は酒舗の女主人、お潤を通じて刑事の木場に相談した。さらに集いの帰りに苦境から彼女を救ってくれ、この講のあやしさを指摘してくれた霊感少年、藍童子に頼ろうとする。

おとろし

羽田製鐵は競争相手の最新式溶鉱炉に対抗するため泰斗風水塾の南雲正司をコンサルタントとして雇った。その役員、羽田隆三は不老不死の仙薬を求めたという徐福を研究し、回春の仙薬を得るため徐福研究会を創設し活動している。その事務局長として東野鉄男を雇った。その秘書、津村信吾は東野を父を自殺に追いやった犯人と信じ追い詰めようとしている。この南雲、東野は韮山の同じ土地をそれぞれ新本社社屋、あるいは研究会の資料館の敷地として推薦している。

日程表

京極作品の作者が展開する筋に沿って、その謎を解明するという意図で、筋をできるだけ忠実に追った。しかし膨大複雑な筋を追うには本篇作者は非力である。止むを得ず次のような日程表を作成し助けとした。これを参考に添付しておく。

なお、一覧性を確保するため、用語には省略が多い。各項目となる、ぬっぺっぽう、うわん、ひょうすべ、わいら、しょうけら、おとろしが「ぬうひわしお」の一字を略称とする。一月の項は「ひょうすべの事項である。一月三日中野である。関口が京極堂を訪問する。先客に古書店主、宮村がいる」、三月の項は「ひょうすべの事項である。三月上旬、出版社稀譚社である。関口が稀譚社を訪問する。そこで宮村と編集者の加藤麻美子に会う」と読む。

一月
「ひ」三日中野。関が京、宮。
三月
「ひ」上旬稀譚社。関が宮麻。
「う」某日、朱が兵。兵が当日、翌日、翌々日、自殺企。落着。
四月
「し」十日(春が講退)
「し」某日、池袋。木が潤春。その後、中野。木が京。その後、東長崎。木が春、木春が工、岩。藍。落着。
「ひ」下旬京極堂。関が京、宮麻、鳥。落着。
五月
「お」某日千葉興津。茜が羽、津。
「わ」某日上馬。敦が華。翌日。敦が華、宮。翌々日神保町。敦華が榎益。敦華が襲、榎益。
「お」後日目黒。茜が多。茜が羽、津。
「ぬ」下旬中野。妹が関。後日南千住。関が光。
六月
「ぬ」四日伊豆。関。十日韮山。関が淵。堂が関淵。
「お」十日、伊豆下田。茜が津。十一日蓮台寺。関が茜。
十八日、関が殺人認識。
二十日、殺人の時効。

(おわり)

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