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謎解き京極、塗仏の宴、宴の支度 [京極夏彦]

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この京極作品を未読の皆さんへ
不用意にのぞくことをすすめない。 (この連作の趣旨、体裁は「謎解き京極、姑獲鳥の夏」で説明した)

あらすじ

ぬっぺぽう

1

昭和28年6月、伊豆、小説家関口の回想である。伊豆韮山の淵脇巡査と郷土史家堂島とともに関口がとある廃屋にいた。伊豆には6月4日にはいった。さらに回想する。5月下旬、カストリ雑誌の生き残り、實録犯罪の編集員の妹尾が中野の関口をたずねた。社長の友人の光安という人がいる。かって勤務してた駐在所をたずねたが、その村たなくなってたという。27年再訪した。見おぼえのある家があった。村人にきいたが、まったくしらない。村名もちがってた。不可解にとまどう関口に、ある記事の切り抜きがしめされた。それによると、昭和13年6月20日におとづれた巡回研ぎ師津村辰蔵が村人が全員失踪したことを発見したというものだった。関口は取材のため光安をたずねた。

2

南千住である。しばらく話しをした。光安は「ぬっぺらぼう」という妖怪を研究してるという。「ぼう」は「ほう」である。これは、一名、肉人という。たべれば百人力となる。白沢図にでてくる「封」というものだ。白沢は神獣、漢方薬の守護神である。封と白沢図がこの戸人村の佐伯家にあったという。光安の話しがつづく。

駿豆鉄道の原木駅と韮山駅のあいだ、山にむかい、ひとつ山をこしたところにあった。村の入口には三木屋という雑貨店があった。佐伯家は家族が7人、駐在所はそのちかくにあった。昭和12年9月にこれらがあることをしった。復員後、戸人村をたずねたといった。まだ関口の回想がつづく。

3

関口が淵脇巡査にたずねた。村にむかう人はいない。27年夏、進駐軍のジープがいったのを思いだした。27年秋に光安がとおらなかったかきいた。いた。村がなくなったと興奮してたという。巡回研ぎ師津村のことをしってる古老がいた。さらに10数年前、光安らしき青年が村にむかっていったという古老がいた。駐在所を和服の男がとおった。郷土史家、堂島静軒という。

26年に訪問したが不審なことがあるので再訪する。二人も同行した。熊田という家をたずねた。質問をした。手紙の束をみせてもらった。送り主は熊田要一、住所は下田だが、消印は東京中央郵便局だった。堂島は熊田は15年ほど前に宮城からここにきた。ここにすんでるという記憶をあたえられたといった。さらにすすむ。進駐軍のすてた洋モクらしきものを発見した。佐伯家を発見した。家の中にはいった。奥の間にはいった。床の間の隠し部屋に白沢図と封を発見した。これで事項1の冒頭にもどる。

うわん

1

3月、沼津である。朱美が海岸で自殺に失敗した男をみつけた。家で治療した。夕食の支度で外にでた。隣家の松嶋ナツにあった。新興宗教の成仙道の男を追いだしてた。

2

翌日、訪問販売の薬売り、尾国誠一と朱美が話してる。朱美の夫は尾国の紹介から薬売りをするようになった。村上の話しである。昨日、また自殺をしようとして失敗、病院にはこばれた。自殺の原因の話しとなった。経営してたネジ工場がつぶれた。しかし、みちの教え修身会という団体の会合に参加して元気になった。不可解だ。朱美が昨日きいた村上の話しをする。

村上兵吉、紀州熊野生まれ。昭和14年、ある神社から男にさそわれ家出した。それは徐福縁故の神社だ。徐福は大昔、中国から日本に珍しい薬をもとめてやってきた方士だ。徐福伝説は、佐賀の金立神社、丹後の新井崎神社、熊野の阿須賀神社、富士山周辺にもおおい。平吉の話しにもどる。

東京の中野にいったが、脱走した。板橋にゆき、茨城で工場主にひろわれた。徴兵をのがれ、終戦をむかえた。故郷にもどって戸籍をしらべたが、13年死亡となってた。工場主の養子となった。工場を閉鎖して東京にでた。27年春東京中央郵便局ではたらいた。そこで父親の名前を発見した。差出人は兄だった。集落全員の名前を発見したが差出人の住所は、下田、白浜、堂ヶ島、韮山、沼津だった。たずねたがすべて別人だった。平吉は不安な気持となった。尾国は不審な態度をしめした。朱美は警戒心をだくようになった。

3

翌々日、沼津の病院である。朱美とナツが村上のベッドの側にいる。村上が三度目の自殺をくわだてた。朱美の回想である。昨日、尾国が成仙道の男とにらみあった。報せがきたので病院にいった。村上の意識がもどったのは夜半だった。家にもどって、寝た。ナツにおこされて、病院にもどった。途中で成仙道の行列にあった。何故死のうと思ったのかときかれて、わからないと村上がこたえた。部屋に成仙道の刑部と名のる男がはいってきた。刑部が村上の財産をねらって自殺を誘導しようとしてる。それはみちの教え修身会だろうといった。村上が錯乱する。刑部が呪文をとなえた。禁呪をといたといった。男がはいってきた。尾国だった。謎をとき、刑部のインチキをあばいた。

ひょうすべ

1

ぬっぺぽうの冒頭にもどる。伊豆にいる関口が回想してる。1月3日、古書店京極堂で宮村香奈男にあった。宮村の口から「ひょうすべ」という言葉がでた。ここで京極堂が膨大な蘊蓄を展開した。話しがあらたまって、宮村が雑誌編集員の加藤麻美子の相談事を話す。27年、麻美子はひょうすべをみた。その祟りで子どもをなくした。かって麻美子は祖父只二郎とひょうすべをみた。その時、祟りがあると教えてくれた。ところが只二郎はまったく覚えていない。大丈夫だろうかと宮村に相談した。それには新興宗教が関係してる。昨年、みちの教え修身会にはいった。相当の寄付もした。そこで記憶をけされたのではと疑ってる。

2

事項1と同じ、場所、時期、関口が宮村との第二回目の出会いを回想する。3月初旬だった。近代文藝編集部であった。麻美子もいた。喫茶店で相談された。只二郎は会の指導員となった。会社の財産である山林を会に提供するつもりだという。会の主宰者磐田純陽の写真をみせられた。頬にQQ絆が貼ってあった。二度目の目撃談をおえた時、癇癪玉が破裂する音がした。がしゃんと音がして蜜豆が散乱した。

3

関口が同じく回想する。第三回目の出会いだった。4月下旬、京極堂をたずねると、鉄道唱歌がきこえてきた。麻美子と宮村がやってきた。子どもをなくした当時の話しとなった。京極堂は事情をきいて、謎と陰謀を解きあかした。


おことわり

京極作品を未読の皆さん、どうかここを不用意にのぞいて将来の読書の喜びを損なわないよう、よろしくお願いする。

文庫版 塗仏の宴 宴の支度 (講談社文庫)

文庫版 塗仏の宴 宴の支度 (講談社文庫)

  • 作者: 京極 夏彦
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2003/09/12
  • メディア: 文庫




再度の警告。本文にはいわば「ネタバレ」が溢れている。未読の方には勧められない。では本文である。


塗仏の宴、宴の支度

ぬっぺっぽう

前文............この項目の前に錯乱状態の人物の思いが語られる。

1

昭和二十八年六月、場所は伊豆の某所である。小説家、関口が回想している。六月十日、伊豆の韮山で関口が淵脇という若い警官と堂島という自称郷土史家のさんにんで廃屋の奥座敷にいた時のことを回想する。六月四日に伊豆に入り、六日間を取材に費して、この日、淵脇に会う。さらに回想がさかのぼる。

五月の下旬、中野である。関口の自宅を妹尾友典がたずねてきた。妹尾はカストリ雑誌出版の生き残り、その出版社の編集員だった。實録犯罪という雑誌を出版している。関口は妹尾の部下である鳥口がこないのでどうしたかきいた。鳥口はいんちき占い師の取材で多忙という。用件をきく。突然、津山三十人殺しを知ってるかときく。昭和十三年の事件である。知。話しが進まない。突然、村を探してくれという。説明である。社長の赤井禄郎の友人に光安公平という人物がいる。昔、静岡で巡査をしていた。当時派遣された駐在所のある村がなくなった。それを探してほしいという。廃村になったわけではないという。詳しい事情をきく。光安は昭和十三年五月まで勤務していた。何という名前の村か。へびと村。村には地主あるいは庄屋の佐伯という家があり、全部で十八戸の村だった。光安は一年も勤務せず出征した。復員して村を訪問しようと現地をたずねた。なくなっていたという。不可解なのでさらにきく。光安は昭和二十五年に帰国した。二十七年その村を訪問した。

どうなっているのかをきく。村の入口にあった雑貨屋、三木屋を見つけた。しかし所在する村名が隣村の名前だった。その家の住人はまったく別人だった。事情をきくと、自分たちはここにもう七十年も住んでいるという。混乱したがそのまま村の中心部に向った。道、路肩のお地蔵様に見覚えがある。記憶にある家に入って住人にたずねると、まったく別人である。しかし昔からそこに住んでいるという。廃屋もある。中に入って抽出から写真を見つけた。まるで知らない人々が写っていた。さらに村の中心部と覚しき方に進むと周囲の様子が違っているように思った。しかしそれでも進んでゆくと、佐伯家を見つけた。廃墟となっていた。さらに話しがつづく。

隣村の村名は光安の記憶どおりだった。光安は地図を調べたが記載されていない。駐在所も警察の記録にない。役場で調べたが住所の記録がなかった。住民の戸籍を調べたが知っている人は見つからなかった。佐伯はどうなったか。わからない。存在したかどうかも不明だ。不可解な話しにとまどう関口に新聞記事を見せる。静岡県の山村で村民全員が丸ごと失踪という大事件が発生したという。昭和十三年七月一日付けの記事である。六月三十日付けの地方紙の記事もある。村人全員が忽然と消えてしまったという不気味な噂が広まっている。噂の発端は巡回研ぎ師、津村辰蔵、四十二歳。津村さんは半年に一度、H村を廻る習慣だったが、去る六月二十日に訪れた際、無人に気づいた。H村は他村との交流がほとんどない。屋内に大量の血液がこぼれていた。あるいは死骸が山積みになっていたとも伝わるが真偽不明云々。しばらく議論が交された後に、取材の依頼があった。例によって決断ができないままに、光安を紹介された。

2

回想がつづく。後日、南千住である。光安はしばらく話しているうちに関口が難聴かときいた。自分は爆撃で右耳をやられた。傷痍軍人だという。傷痍軍人の支援団体にも入っている。支援の困難さを話す。突然、自分がのっぺらぼうに似ているという。小泉八雲の貉の話しが出る。のっぺらぼうが出る話しである。光安の故郷の会津では朱の盤という。関口が中国の古い本にその原形が出ている。知人からきいたというと関口にその人を紹介してほしいという。貉の話しに戻る。自分は一介の室内装飾屋だがと断って意見を述べる。これは狸がのっぺらぼうに化ける話しだという。自分はのっぺらぼうその物が登場する話しを探した。ほとんどない。百鬼図の絵を見せる。そこにぬっぺらぼうとある。ぶよぶよしている。浮腫んで皺が寄っている顔の妖怪である。それに手足がついている。「ぬっぺらぼう」は、ぬっぺりとした「ほう」と分解できる。本体は「ほう」だ。ぬっぺらとつづく時にぼうと濁るが、それを外すとほうだという。では「ほう」とは何かときく。長年わからなかった。伯父の遺品の古書、一宵話を見せた。

自分は伯父の遺品を古本屋に処分した。古本屋から手紙が来た。行って、主人から処分した本の話しをきいた。面白い話しだった。三島の駐在にいた昭和十年のことだった。その中に次の話しがあった。家康が駿府城にいた時、庭に変なものが現われた。小児のようであり、肉人という。手はあるが指がない。これがぬっぺらぼうのことだという。ある男がいう。その肉を喰えば百人力となる。白沢図に出ている封(ほう)というものだという。この本はとり戻した。白沢図の話しとなる。これは白沢という神獣が中国の黄帝に語ったことを書き記したもの。一万何千種類の妖怪の名前が書き記されている。しかしその話し自体が神話である。つまり存在しない。白沢という神獣は漢方薬の守護神である。白沢図というのはその神獣自体の姿を書き記した。魔除けのお札みたいなものという。光安が白沢図と封が佐伯家にあったという。関口はやっと光安の話しの意図がわかった。

光安は昭和十二年の春から、へびと、戸人村の駐在として派遣された。関口に最新の地図を見せる。場所を説明する。田方の辺り、韮山村、そこに駿豆鉄道がある。下田街道沿い南北に走る。原木駅から南下、韮山駅、両者の間に山に上る道がついている。その道をたどり毘沙門山を通り越した辺りからさらに北上した辺りだという。関口が疑問点をただすが不可解さが解消しない。光安が今思えば変なところがあった。話しがつづく。どうしてあんなところに駐在所を置くのかと思った。村の入口に三木屋という雑貨屋があった。娘が韮山に嫁いでいるといった。孫もいたという。小畠という家、久能が六軒、八瀬が三軒あった。佐伯家は家族が七人、当主が癸之介、その妻が初音、先代の隠居の甲兵衛、当主の弟、乙松、跡取り息子の亥之介、分家の子で使用人のような扱いの甚八。そして娘が布由。山に向う出口のところに甚八の父、漢方医の玄蔵がいた。駐在所は佐伯家のそばの小屋だった。村での生活を話す。

閉鎖性を感じたが特に支障がなかった。佐伯の人たちは親切だった。十二年の秋には、亥之介と仲良くなった。甚八は酒を持ってたずねてくれるようになった。甚八は祖父の悪評でまともに嫁取りもできないと文句をいった。それは医者の玄蔵の父に当たるが、名前は不知。それは甲兵衛の弟である。若い頃揉め事を起して村を追いだされた。蛇ガ橋辺りの旧家に養子に入ったがそことも揉めて飛びだした。明治の終り頃息子玄蔵を連て村に舞い戻った。しかし揉め事を起し出たり入ったりしている。玄蔵は父親に愛想をつかし大正の半ば親子の縁を切って、佐伯家の養子となり村に居ついた。甚八は村の娘と玄蔵の間に生まれた。その祖父であるが、年に一度か二度舞い戻り大喧嘩をする。それが悩みの種だった。

十二年の九月遅くだった。見知らぬ男がやって来た。旅廻りの薬売りだという。以前回ってきた者が病気なのでそれを引き継いだという。玄蔵をたずねてやって来た。いわゆる富山の薬売りだった。亥之介が声をかけた。甚八によれば玄蔵は富山の漢方医に師事し年に二度師匠のところから丸薬、とんぷく、万金丹などが送られてくるという。亥之介と男の話しをきいていた。そこで白沢図という言葉が飛びだした。亥之介の顔が青くなった。薬屋が慌てた。ひそひそ声で亥之介が薬屋を叱責している。職務意識もありその内容をきいた。薬屋が白沢は漢方の守護神である。縁があるから耳に入ったのだろう。こちらには何やら古い薬の処方があるとかきいたがという。亥之介はそのことを口外することをきつく叱責した。男は転がるように村を去った。光安が駐在の部屋で亥之介を問い詰める。

白沢図がここにあるのか。不答。旅廻りの薬売りに話して自分に話せないのか。甚八が入ってきた。亥之介にいう。いつも古い因習はもうこりごりだといっていた。その大本があれだろうという。亥之介が白沢図のことは口外しないのが佐伯家、戸人村の決まりだ。しかしそれが甚八のいうように古い因習の大本だという。光安は気の毒になり、正直に自分の事情を告白し、くだらないと思うなら無視してくれてよいといった。亥之介は白沢図は代々佐伯家当主に受け継がれている秘伝の古文書だ。それは入らずの奥の間に納めてあり佐伯家の当主だけが見ることができる。あの薬屋はそれを見せてほしいといったのだという。昂奮した光安の話しがつづく。その他に人に似た形の死なない生き物を安置している。それはくんほう様というという。光安が伊豆は駿河の隣国である。これは一宵話の封のことに違いないという。言い伝えによれば、選ばれたお方が戸人村を訪れる。それまでくんほう様を守るのが佐伯一族の使命である。そこで当主は何年かに一度奥の間にひとりで入り、白沢図に記された処方どおりにくんほう様のお世話をする。その時に少しだけくんほう様のおこぼれを頂戴できる。だから佐伯家当主は長生きするという。関口が驚いてきく。光安が本当だと信じるという。

光安は戦争中大陸で数々の不思議なことに出会ったといって、ぬっぺらぼうに似た視肉、地中にありどろどろして眼を持つ太歳のことを話した。亥之介は自分が当主となったら光安に見せると約束したという。光安はその言葉を信じ戸人村に行った。くんほう様は自分も含めた傷痍軍人のために役立つかもしれないといった。

3

回想がつづく。韮山の駐在所である。淵脇巡査が関口が行なった調査の様子をきく。役場には当たったか。然り。収穫は。無。この辺りの老人にきいたか。不確かな反応。淵脇が自分で作成した個別に名前が書いてある地図を見せる。想定される場所を指していう。熊田さん。田山さん。空き家。空き家、須藤さん。この辺りの住人はみな老人、仕送りで暮らしている。佐伯家はない。この駐在の前の道がその場所への唯一の道だ。住民以外でこの道を通るのはほとんどない。郵便屋が月に一度通る。熊田、須藤に親族がいる。正月に帰る親族はいるか。無。淵脇が市、県を調べたかきく。然り。成果は。無。なぜか薬売りという言葉が急に浮かんだ。関口が行商人、刃物の研ぎ師、薬売りが行かないかきく。無。本当に誰も通らないか。淵脇がしばらく考えていて、二十七年の夏に進駐軍のジープがこの道を過ぎたという。基地はない。測量でもない。なぜ通ったのか不審さが増す。関口は二十七年の秋に光安という人物がやって来たかきく。光安の特徴を説明する。通ったという。そして半日くらい後で血相を変えてここに来た。村がなくなったと昂奮していったという。変な人だったという。関口が新聞記事の切抜きを見せる。

淵脇は当時九歳だった。事件は知らないという。新聞社にきけという。きいたが成果がなっかったと関口。しかし、もう一つの新聞の津村辰蔵について、土地の老人に知っている人が複数いたという。淵脇はその老人の名前を確かめるとその証言は信用できるという。居心地の悪い不審な顔をする。老人によれば津村は十三年の夏、憲兵に勾引された。共産主義だったからという。関口はどう思うかと淵脇に迫まる。淵脇が地図で戸数を数える。十八戸である。関口がいっていた数に合致する。関口が興味深い事実がもう一つあるという。豆腐屋の隠居が十何年前にこの駐在所に来て、当時の駐在と話していた。その時、警官らしい若者が一人、大きな荷物を持ってやって来た。駐在に挨拶を済ますと山に登っていったという。老人は郵便料金の値上げを話題にした時だったといった。それは十二年四月一日だ。これは光安が赴任した時期であるという。淵脇が与太話と思っていたのに、ここに来て本当かもしれないという気になった。必死に事態を理解しようとした。最後に光安氏は錯乱したといって、机の方を向いた。窓の外を見る関口の目に通り過ぎて行く和服の男が見えた。

関口が慌てて外に出た。どこに行くのかきいた。この先の集落。淵脇が出てきて、どのような用件かきいた。自分は堂島静軒という。郷土史を調査している者である。調査の目的である。昭和二十六年にも訪問したという。堂島から何かあったのかときく。うまく説明できない関口を置いて歩きはじめた。関口は自分もそこに行くといった。淵脇も行くといった。途中で淵脇は自転車を放棄した。関口が途中でこれまでの事情を説明した。これに淵脇が加わった。堂島は時々相槌を打ってきいていたが、きき終わって関口に真実を知ってどうするのかきいた。記事にするだけだという。堂島はそれだけでは済まない。そんな気持になっているという。堂島は幻想と現実についての独自の理論を展開して、本当に知りたいかきいた。知りたいというと歩きだした。山中に突然建物が出現した。

三木屋という雑貨屋である。関口が堂島が二十六年に調査した。腑に落ちないことがあるので再調査するという話しをした。どのようなことかときく。習俗や習慣のささいなことという。一軒の家に入る。堂島が熊田さんと声をかけて、家の中に入る。梁に飾ってある御幣のようなものを指して、これは何かときく。便所の飾り。仏壇か位牌を拝見したいという。拒否。堂島が関口に質問を促した。十六年前この村に駐在が派遣された。覚えているか。不知。この辺りの名前は何か。韮山村。手紙がそれで屆く。通称のようなものがあるか。不答。ずっとこの村、この家で育ったのか。然り。息子さんはどうしてるのか。金だけ送ってくる。どこに住んでいるのか。不知。老人は箪笥の抽出から封筒の束を出して関口に差しだした。中には紙幣が入ったままのようだった。送り主は熊田要一。住所は下田。堂島が消印を確かめるよういう。東京中央郵便局だった。すべて同じだった。堂島に促されて外に出た。何が何だかわからないというと堂島が笑った。堂島があの熊田という人はここの人ではないという。といって嘘をついたわけではない。あの便所の飾りは、この伊豆では見られない。あれは宮城県で見るもの。あの人はたぶん宮城県出身。息子からの仕送りだが、あの束は十四、五年分くらいある。たぶんその時出ていったのはあの人だ。宮城の家を出たという。堂島はここはきっとその戸人村だ。淵脇が嘘をついたのかときく。否。あの人は過去を与えられたのだ。そんなことができるのかと驚く淵脇に可能という。たぶんここに住んでいる人たちは同じような規模の集落からここに集団で移住させられた。信じられないという淵脇に堂島がではこの村の墓はどこにあるかきく。この村には墓がない。麓の寺にも墓も過去帳もない。話しがつづく。

堂島がたぶんこの村から未だ死人が出ていない。淵脇がむきになって反論しようとする。堂島がここの住民が不老不死といってるのではない。全員が十四、五年前に移住して来た。それから未だ誰も死んでいない。だから墓が存在しなくても不都合はない。位牌、仏壇がない。彼らはそれらを持ってここに来なかった。だから見せられない。それを不自然と思いたくない。仏壇、位牌が家にある。見ないよう考えないようにする。そうして、あると自分たちを納得させている。だから外部の人間が頼んでも絶対に見せない。それは虚構が明らかになって、自分たち自身の存在も信じられなくなってしまう。それを避けたいためだ。仕送りの話しとなる。十四、五年も下田在住の人間が東京中央郵便局に投函するはずがない。熊田の息子は下田にも東京にもいない。この村に送られてくる仕送りもすべて東京中央郵便局に投函されているだろうという。関口、淵脇が呆然とする。

堂島がこれからどうするか、ふたりに声をかけてから進む。もし佐伯家があるとしたら、その敷地内に墓があるかもしれない。調べに行くという。十五分歩いた。淵脇が地面に洋モクを見つけた。進駐軍の連中かという。山側の薮に入っていった。有刺鉄線を見つけた。土嚢があった。堂島がこの辺りに立ち入らせないため閉鎖した。占領が解除されて、放置したまま撤収した。光安氏は錯乱してなかった。あれがその佐伯家だという。立派な門構えの大きな屋敷である。敷地は土塀で囲まれている。門前横に光安がいた駐在所がある。坂を下り門前に堂島が立った。淵脇がその横で佐伯という表札があると関口にいう。淵脇が不可解な事態に困って、誰がどんな目的でやったのか、堂島にきく。門扉を開きながら、不知。淵脇が大量の虐殺があった。警察が捜査したと記事にあった。どうして事実が発覚しなかったのかときく。別に村人を用意して隠蔽したからという。堂島が昂奮する淵脇に取り合わず家の中に入る。何もかも元のままだ。玄関に生けた花がそのまま朽ちているという。堂島がどんどん奥に進む。長い畳張りの廊下、紅殻格子。漆喰細工の窓。襖。襖。堂島がこの奥に探していたものがあるという。奥座敷に障子越し、欄間越しに夕日が入っている。床の間の前に立った堂島が掛け軸を外し強く壁を打った。開いた。燻んだ小部屋だった。部屋の中央に祭壇があった。その前に干からびたものが転がっていた。死体かもしれない。祭壇の上に古びた本が置いてある。その奥にぬるりとした質感の塊が鎮座していた。首のない胴体の短かい手足のついた、くんほう様だ。その時関口は肩を叩かれた。振り向くと薬売りがいた。これで事項1の冒頭に戻る。

後文............関口の独白である。肩を叩かれた後の記憶が途切れた。樹の上を見あげている。女が吊されていた。大勢の男たちに取り囲まれていた。警官に逮捕され、警察の一室で取り調べを受けている。丸二日経った。
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うわん

1

三月、沼津である。朱美が海岸にいる。逗子で事件に巻きこまれ、そこの借家から東京、さらにこの土地に移ってきた。夫は旅ばかりする仕事だった。潮風が渡る。一面の松林である。夫は今相模を回っている。置き薬の巡回販売をしている。富山の実家が薬屋である。犬が鳴いている。一丁ほど先の松林の中に人がいる。 首を吊ろうとしている。近寄った。どこからか樽を持ってきて、その上に乗った。箍が外れて転げ落ちた。腰を強打したようだ。朱美は遠慮する男を自分の借家に誘った。海鼠塀の家並み、大きな通りから脇の路地に入る。三部屋しかない借家である。男の腰にはくっきりと青痣ができていた。膏薬を貼った。男は村上という。魔が差したという。朱美の夫の職業が薬売りときいて妙な顔をした。子どもを攫ってすり潰し薬にして売る。子どもの時は怖くてしかたがなかったという。人攫いは怖いという。まだ立てないのに家を出るという。止めてもきかない。朱美が村上を置いて家を出た。村上に家を出る出ないを任せた。それに夕食の用意に買い物が必要だった。外に出ると隣家から男が飛びだした。妙な風体である。首から丸い飾りを下げていた。隣りの女が大声を上げた。赤ん坊の泣き声がした。その女、松嶋ナツがいう。突然入ってきて長生きはしたくないかといって宗教の勧誘をしたという。赤ん坊を寝かせて話しだす。

ナツが成仙道という宗教だという。お喋りが一段落して朱美に何の用かきく。やむ得ず千本松原で出会った首吊り男の話しをする。世話してるその世話代の代わりにナツが自殺の動機をきこうという。自分の母が間も無くして帰るから自分もききに行く。朱美にまず買い物に行けという。外に出てすぐ帰宅することにした。道の向こうに大きな荷物を担いだ男の姿を確認した。薬売りだった。その行く手には行列を成した大勢の人間がいた。その行列がこちらにやって来る。犬が騒いでいる。横を向くと胸に飾りを下げた男が板塀の横に立っていた。

2

翌日昼、沼津である。朱美の借家、その入口の三和土に腰をかけた尾国誠一と朱美が話している。その村上は今どうしているのか。病院。昨日の話しとなる。朱美が家に戻って奥を見ると、村上が庭先の鴨居で首を吊っていた。大騒ぎの後に病院に運びこんだ。医者の診断では骨にひびが入っていた。よく首を吊れたものだと尾国がいう。朱美の回想である。昨夜騒ぎが一段落して帰宅したのは深夜のことだった。浅い眠りのうちに昼前に目が覚めた。そこに尾国がやって来た。尾国は同じ薬売りである。昭和二十四年に知り合った。それがきっかけで薬売りに転職した。この家を周旋してくれたのも尾国である。二日前に沼津に入り、ここにやって来たという。尾国が村上は何が原因で自殺しようとしたのかきく。何かが欠けていたからといったという。不可解である。経営していたネジ工場が潰れた。それでみちの教え修身会という団体に行った。やる気が出てきたのに自殺したくなったという。尾国がその団体は中小企業の経営者を対象にするインチキ団体だという。話しがつづいた。尾国が病気だろうという。朱美が村上が薬売りが怖いといっていたという。尾国が自分たちは村の人から見ればよそ者だから怖いかもしれないという。人攫い、児肝取り、脂搾りの話しをする。モモンガの話しをして、自分の生国佐賀ではガンゴウというという。朱美が昨晩きいた村上の話しをする。

村上は紀州熊野の生れである。昭和十二年頃、十四歳で家出をした。家族、農業を嫌っての家出だった。早春だった。激しい父親との口論の末、近くの阿須賀神社の上御備(おんび)という神域に逃げこんだ。二本の神木の真ん中に立石が祀られていた。その石の後に隠れた。そこで突然声がした。ここは神域である。みだりに立ち入ってはならない。村上兵吉君といった。不思議な木を指してこれは天台烏薬という不老長寿の薬だ。まがい物だがといった。村上の先祖がこの木を捜し求めてこの地にやって来た。自分は不老不死の薬を求める薬屋だといった。父親の声がきこえた。兵吉の顔を見て逃がしてやるといった。奥の岩屋の割れ目に隠れた。兵吉の意志を再度確認した。そして家族はいなくなるかもしれないといった。男は兵吉を自分の下で働け。まず伊豆に、いや東京に行ってもらうといった。そのまま汽車に乗り船に乗って連れ出された。尾国がその神社は徐福縁故の神社といった。徐福は大昔の中国の方士、珍しい薬を求めて日本にやって来た。徐福が海を渡って有明の海にたどり着いた。そこから上陸して佐賀の金立山に着いた。その山にある金立神社が徐福縁故の神社という。徐福が求めた薬は黒蕗だという。万病に效くというがそうではなかった。それから徐福は他にも上陸した伝説が残っている。丹後の新井崎、新井崎神社は徐福が祀られている。それから熊野の阿須賀神社。熊野には徐福の墓まである。墓だけなら甲州富士吉田にもある。富士山麓には徐福伝説が多い。富士山が徐福の目的の地だったというのもある。富士山の別名が蓬莱山という話しまである。人買いの話しが出る。兵吉の話しに戻る。

移動に丸三日かかった。着いたのは東京の中野だった。村上は今考えるとそうだったといったという。一人の教官について読み書きを学んだ。三ヶ月後そこを脱走した。板橋に流れて芸人の手伝いをした。故郷に帰りたくなった。町を渡り歩いた。戦争中には赤紙が屆かなかった。身分を詐称して茨城の町工場に働いた。徴兵されないのは不自然である。工場主に正直に告白したら匿ってくれた。軍需景気で工場は大変忙しかった。工場主の息子は徴兵され戦死した。終戦後、養子の話しが出た。そこで故郷に戻った。家族、親類、知人もいなかった。役場で自分の戸籍を調べた。昭和十三年死亡とあった。茨城に戻った。工場主は手段を講じて兵吉の戸籍を創設し、相続できるようにした。工場主は二十七年に死亡した。尾国が話しをきき終って朱美に世の中には質の悪い連中もいるから注意するよういった。朱美が村上の人柄から信じかねていると、尾国がなぜ沼津で自殺しようとしたのかきく。理由が説明される。

兵吉は工場を閉鎖して東京に出た。たまたま募集していた郵便局に勤めた。二十七年の春、東京中央郵便局だった。そこでの仕事は手紙の検閲だった。そこで熊野の隣人の名前を発見した。差出人の名前を見るとその息子の名前と同じだった。偶然と思った。ところがまた向かいの家の主人の名前を発見した。差出人はその息子の名前だった。それで注意して見ていると、ついに自分の父親の名前を発見した。差出人は兄の名前だった。こうして集落の一角全部の名前が見つかった。それがすべて東京中央郵便局に投函されていた。差出人はすべて伊豆、住所は下田、白浜、堂ヶ島、韮山、沼津だった。尾国が実に不可解な顔をした。みちの教え修身会の話しとなる。村上はこのことを相談し、さらに研修を受けた。それで親兄弟と会う決心をしたという。尾国が何やら考えている。朱美の話しがつづく。まず兄のところに行った。そこには別人が住んでいた。伊豆の別の住所を次々とたずねた。別人だった。沼津には須藤という人物がいるはずだった。それも別人だった。それで何かが欠けているという喪失感を持ったという。尾国がしばらく沈黙した。それを見て朱美はこれまでの尾国の反応から不信感を抱くようになった。朱美は親切な人という以外に尾国のことをほとんど知らないことに気がついた。尾国がその話しをきいたのは朱美だけかときいた。然りと嘘をついた。尾国は朱美の方に手を伸ばしてきた。外で騒音がした。犬が鳴いた。尾国がそちらを見ているすきに朱美が立ち上がり、玄関の戸を開けた。そこに胸に丸い飾りを下げた男が立っていた。

3

翌々日、沼津である。病院である。朱美とナツが村上のベッドの側にいる。村上は三度目の自殺を企てた。朱美が昨日の午後からのことを回想する。借家の玄関先に立つ成仙道の男と尾国が睨み合った。その時に報せがきた。朱美はそのまま病院に駆けつけた。村上は寝台の鉄の桟に腰紐の一方を括りつけ、もう一方を輪にして首に掛けて窓から飛び降りようとしていた。看護婦が慌てて制止した。村上は昏倒し意識が戻ったのは夜半のことだったという。村上が眠るのを待って家に戻った。尾国の姿はなかったが、三和土にはくれぐれも御用心という置き手紙があった。すぐ眠った。冒頭に戻る。また回想がはじまる。自宅で寢ている朱美をナツが起した。赤ん坊を実家に預けるのでいっしょに見舞いに行こうと誘った。外は成仙道の行列でうるさかった。大通りにの沿道には二つ巴の飾りを首から下げた男女がずらりと立ち並んでいた。人垣に添うように病院に向かった。村上は寢ていた。冒頭に戻る。朱美はこれまでのことを考えている。朱美が村上に死のうと思ったのははじめてかきいた。

死にたくなるような辛い状況があったが一度も死のうとしたことはないという。朱美が何かが欠けているという喪失感はそれではないのかという。よくわからない。朱美が窓を開けた。成仙道の信者が空き地の向こうに一列に並んで立っていた。成仙道の男が部屋に入ってきた。呆気にとられるふたりを尻目に、成仙道の刑部と自己紹介して、村上を救いに来たという。先月、富士吉田にある本部において刑部の師である曹方士が奇怪な卦を得た。急きょ科儀をとり行なって村上のことを知った。曹方士は多忙につき、村上の居所の調査を弟子に命じた。思いのほか時間がかかったがやっとここに至った。成仙道の理論をひとくさり述べて村上が大変危険な状態であると警告する。村上が刑部に自分はどうなっているのかきく。

刑部は村上が禁人の術にかかって自殺を強要されているという。刑部が財産を持っているかきく。遺産相続したとき全財産を処分したら少し残余のお金ができた。それは大家に預けて旅に出たという。伊豆に来てはじめて死にたいと思ったのだろうと刑部がきく。然り。生き物は生きるようにできている。自殺を強要するのは殺すより難しい。しかしその人の性格を利用して仕向けることができる。鉦の音がした。それを合図に太鼓や笛が鳴りはじめた。鬱病の話しとなる。重度の鬱病は死を願うようになる。村上は強制的に鬱病を発症させられた。村上が納得したような顔となる。刑部が胸の丸い飾りを弄んでいる。村上が誰が何のためにときく。死んで得する者の仕業である。そういいながら朱美の側に来た。窓の前に立った。西陽が丸い飾りで反射した。犬が吠えている。刑部がたぶんそれは大家の背後にいるみちの教え修身会だ。研修に出席した時に術をかけられたという。村上が「いやだ、いやだ」と叫んだ。村上が泣く。犬が吠える。錯乱する村上をナツが抑える。刑部に村上を救えという。刑部は懐から小さな茅の輪を出した。呪文を唱え窓に茅の輪を翳す。村上が落ち着いた。禁呪を解いたという。ナツがいんちきだという。茅の輪を下す。また村上が錯乱する。刑部が勝ち誇ったようにまた茅の輪を窓に翳そうとした。ところが刑部に動揺の表情が現われた。窓の外を凝視する。音が止んでいる。廊下から騒ぎの音がきこえる。男が部屋に入ってきた。

尾国だった。村上にみちの教え修身会の磐田が術をかけた。犬の鳴き声がすると鬱状態になるというものだ。磐田は二十七年暴漢に襲われた。それ以来、番犬を常時そばにはべらせている。研修で磐田と会った時に術をかけられたのだろうという。ところが刑部はこのからくりを見抜いた。空き地に犬を用意した。胸の飾りを合図に犬笛を使う。尾国が犬笛を見せた。これを吹くと犬が鳴く。村上が鬱状態になる。その茅の輪を翳すと、犬を宥める。こんな仕組みだ。犬笛を取りあげ、犬を逃がしたという。刑部と尾国は睨み合う。刑部は部屋を出ていった。尾国が村上の頸部を軽くつかんで、もう大丈夫だといった。尾国が村上の父親はたぶん韮山にいるだろうといった。

後文............関口の取り調べが四日目に入った。

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ひょうすべ

1

ぬっぺっぽうの冒頭に戻る。六月、伊豆の某所である。関口が宮村香奈男のことを回想している。第一回目の出会いである。一月三日、中野の自宅から関口が妻を連て京極堂に向った。京極堂は仕事は古書店の店主、家業は武蔵清明社の神主、副業に憑き物おとしをしてい人物である。京極堂に先客がいた。川崎で古本屋を経営している宮村であった。話しがつづく。妻と京極堂夫人が出てゆく。京極堂から宮村の店、燻紫亭の品揃えを褒める言葉が出る。雰囲気がやや改まった。何か相談事があるらしい。突然、宮村が京極堂にひょうすべは河童のことかときく。否。ひょうすべはひょうすべである。しかし根岸鎮衛が耳嚢で河童の別称といっている。記述振りからそのような解釈も可能だが、鎮衛は結局わからないといっていると解釈すべき。宮村が柳田國男が「河童の話」で河童はひょんひょんとなくから日向辺りではそう呼ぶといっているが。それは「河童の話」しではそのことを懐疑的に紹介している。「河童の渡り」で「ひょうすえ」と呼ぶと断定している。宮村が「ひょうすべ」あるいは「ひょうすえ」は河童のことですねという。京極堂が首を捻っていう。妖怪は呼び名がすべて。だからひょうすべはひょうすべである。京極堂の蘊蓄の開陳がはじまる。

河童、河太郎、水虎、あるいは妖怪、これはそれ自体が上澄みである。話しが狸のこととなる。四国は狸の本場である。大陸の妖怪研究家の多々良氏の調査結果である。オッパショ石という伝説がある。おっぱしょとは。背負ってくれという意味。馬琴の「石言遺響」にある遠州の夜啼き石のようなものか。声を出す石の系統としで考えれば然り。ところがバウロ石とかウバリオンとも呼ばれるおんぶお化けの系統でもある。これはおぶると重くなるという怪異である。路傍にあって背負ってくれとせがむ石である。ある時、ある力士が通りかかった際に小癪な石とばかりに背負って、だんだん重くなるので堪え切れずに投げ捨てた。石はその時割れて、それ以来何もいわなくなったという。狸の話しが長い。宮村が先を急がす。地元の人たちがそれを狸というという。声を出す石もおんぶお化けも狸ではない。オッパショ石を説明するのに、狸を持ちだす必要はない。しかし四国では狸である。最近そうなった。その方が本当らしく納得しやすいらしい。妖怪としては狸ということになる。しかし化ける狸の怪異では石に化けていたのが、割れた後も石のままではおかしい。しかし場合によってはオッパショ石は狸の妖怪だという説明も成立している。宮村が河童とは違うかといきく。違う。

両者は共通するものが多いが、別物だ。京極堂がここで喜多島薫童、楚木逸巳、華厳滝彦の筆名と京極堂、宮村、関口という作者が種々の合作を造るという例え話で再度説明する。さらに天狗倒し、空木返し、古杣という怪異の説明をする。宮村が名前が違う以上同じにしてはならないといって納得する。例え話がつづく。ひょうすべの場合は合作でしかも正体が百人くらいいる。河童の正体を探ってゆくとひょうすべと同じものがたくさん出てくる。九十人くらい。ところが河童の正体は二百人もいる。例え話がつづく。物事は根から茎、茎から枝と進むように見える。だから現象を整理するには枝葉末節部分を整理し本線を遡れば本質に至ると考えられている。しかし妖怪は違う。毛先がくっついて、根の方が分れている枝毛だ。この毛先がさっきいった妖怪だ。つまり名前である。この毛は根元の方に遡ると毛根の方に向けて枝分れしている。たどりつづけるといずれも根にたどりつくが、それはたくさんある根のうちの一つに過ぎない。その根から幾本も毛が生えている。その毛は別の根から生えた毛と融合して幾つもの毛先を作っている。河童という毛先には多くの毛根がある。水怪の多くはそのほとんどの根を河童と共有している。完全に同じ毛根でできてるなら毛先も完全に同じとなる。つまり同じ名前となる。わずかの差、地域性程度なら近い呼び名となる。しかし決定的に違う毛根を持ってしまうとまるで異なった名前を持つ。話しがつづく。

ひょうすべという名前自体は佐賀のものだが、似た名前が宮崎県に集中している。大分でも福岡でもひょうすべで通るが、もうそうは呼ばない。宮村は納得したらしい。そして、ひょすべどういう意味ですかときく。京極堂は画図百器夜行を持ってきてひょうすべの絵を見せる。全身毛だらけ、頭頂部のみが剥げている。猿のような仕草をしている。太田全斎もひょうすべは河童としている。しかしこの絵の作者鳥山石燕は別に河童の絵を用意している。その絵を見せる。河童の持つ属性を抽出してひょうすべを作りだしたのかもしれない。でも石燕の種本である妖怪図巻、化け物尽くしの影響が大きい。これらは狩野派に伝わる化け物絵巻である。ひょうすべにまつわる呪文の話しとなる。耳嚢には「ひょうそべよ約束せしを忘るるな川だち男氏は菅原」とある。菊岡沾凉の「諸国里人談」には「ひょうすべに川たちせしをわすれなよ川たち男我も菅原」とある。諸国里人談は耳嚢より百年も古い。関口が菅原とは誰かときく。菅原道真、天神様と宮村がいう。沾凉はひょうすべは兵揃(ひょうすえ)で、地名である。この村に天満宮があり、菅原という。さらに長崎に渋江文太夫という者がいて、やはり河童除けの御符を出すという。沾凉は和漢三才図絵を引用したと思われる。百井塘雨の「笈埃随筆」にも同じような記事がある。こちらは渋江久太夫、天満宮の守人とある。これを引用した「さえづり草の葉」にはこの天満宮は肥前諫早兵揃村にあるという。渋江の話しがつづく。

渋江一族は肥前各地の水神社と親交があったらしい。その先祖は左大臣兼太宰帥、橘諸兄という。この孫である島田丸というのが渋江氏の祖という。史実上では橘島田麻呂だ。この人は兵部大輔として朝廷に仕えている。神護景雲の頃、春日大社を常陸鹿島から三笠山に移すことになりこの島田丸が工匠奉行を仰せつかった。肥前杵島郡橘村の潮見神社の縁起によると春日大社の造営に当たり工匠頭が人手不足、工期短縮のため木屑で人形を作って働かせ、これを川に捨てた。それが害を為すので島田丸が鎮めた。これにちなんでその水怪を兵主部と名づけた。以降、兵主部は橘家の眷属となった。出典は「北肥戦志」である。「菊池風土記」には天地元水神を氏神に付属する勅許を与え、島田丸は以降、水部の主として行事をとり行なったとある。関口が橘が出るが菅原との関係はどうなってるのかきく。

この潮見神社の社家である毛利家に河童除けの呪文が伝わている。「ひょうすべよ約束せしを忘るなよ川たちおのが後は菅原」とある。柳田國男の「河童駒引き」に「ひょうすえに約束せしを忘るなよ川立ち男我も菅原」とある。これらで大きく違うところがある。ひょうすべに、とひょうすべよ、の違いである。前者はひょうすべは水怪でなく、それを使役する者、後者は水怪である。橘、毛利でなく、いつも菅原である。菅原一族の話しとなる。関口が河童の性質をきかれて、おかっぱ頭、皿、皿が乾くと弱る。川に馬を引きこむ。胡瓜を好む。相撲をとるという。京極堂がその相撲好きが菅原氏と関係しているという。菅原氏は本来は土師氏、土師氏の祖は野見宿禰だ。野見宿禰は当麻蹴速と日本で最初に相撲をとったといわれる。大和国の穴師神社に相撲神社がある。祭神が野見宿禰である。碑文から類推すると穴師神社の大宮司だったらしい。この穴師神社は「延喜式」神名帳によれば穴師坐兵主神社だ。だから兵主神を祀っている。宮村が兵主神についてきく。

古事記、日本書紀には出ていない。初見はたぶん「三代実録」だ。「延喜式」には但馬、因幡、播磨、壱岐に合計十九社ある。どうやらそれは蚩尤(しゆう)らしい。黄帝と最後まで争った怪物である。鉄を食らい人面獣身、額に角を有し相撲では誰も敵わなかった。史記の封禅書にその名前を見ることができる。八神、天主、地主、兵主、陽主、陰主、月主、日主、四時主の一つである。そこに兵主は蚩尤であるとある。兵主神とひょうすべの関係の話しとなる。折口信夫が、兵主神は武神であり山神である兵主神が水神となり田の神となることにより零落したと考える。柳田國男はひょうすべは元は河童でなく、河童退治の魔除けの神とする。結論として_外来の神が信仰されていたという。蚩尤を我が国に持ちこんだのは秦氏らしい。このことは外来の兵主とい神がいて、それを奉じる渡来人の技能集団がいた。それは製鉄技術者らしい。そしてもともと埴輪を作ることに従事していた氏族である土師氏は製鐵に関わることで勢力を拡大する。土師氏も兵主神を信仰していたらしい。その末裔が菅原道真だ。道真は天満宮、太宰府の天満宮では兵主神が祀られている。だから菅原一族は兵主神を奉じていた。河童除けのまじないに、必ずひょうすべという言葉と菅原という名前が一組で出てくるという。ひょうすべとの関係の話しがつづく。

大和の兵主神は年に一度山から里に降りてくる。春、山の神が下ってきて田の神になる。秋になると山に帰ってゆくという。河童も冬は山に登って山童(やまわろ)になるという。河童は春と秋に渡る。山にいる間の河童はだいたい名前も性質も変わる。しかし変わらないのもいる。ヒョウスンボだ。これは宮崎の水怪である。年に一度、大群を成して山から川へ、空を飛んだりして移動する。ただしこれは兵主神ではない。折口信夫が「翁の発生」で、大和では山人の村があちこちにあり、それを穴師山では穴師部または兵主部という。京極堂が推論がはじまる。菅原氏が兵主神を奉じる神職にあるとする。その配下には大陸渡来の技能集団がいたとする。その場合、菅原一族が使役した者たちは兵主神に仕えた部の民、兵主部と呼ばれたという。宮村が呪文の混乱は仕えている神と使っている部の民が、名前が近いために起きたものと納得する。兵主部の話しとなる。

古代の製鉄は砂鉄を原料とする。この場合、山で砂鉄を含む土砂を掘り、川に流して沈殿した砂鉄をすくうという作業が必要だ。山から川へ、山人であり川の民でもある異人である。共同体から見たら妖怪だ。彼らが奉じている兵主神は山の神、水の神、製鐵の神、武器を作る神だ。妖怪への変化の話しとなる。宮村が兵主部の民はその地を追われたか、移動した。その後、彼らの足跡が妖怪となったという。然り。兵揃村には過去に兵主部の民がいたのだろう。それが移動して、その村はなくなった。兵主神が移動し、その民も移動した。しかし残った民もいた。それが渋江氏により使役された。この他に金丸という神官の一族もひょうすべを使役してたらしい。妖怪の話しとなる。使役される異人はおおむね妖怪となる。各地に移動した兵主部たちはその地に伝わる水怪の伝承と自分たちの伝承を習合していった。北の河伯と南のひょうすべが出会い、河童が生まれる。そして河童は多くの属性を抱えこんだ水怪の総称となった。ちなみに兵主の地名を残すのは近江の国の兵主神社のある一帯で、そこは兵主十八郷と呼ばれ、もっとも神位が高い。これで京極堂の蘊蓄は終った。宮村が話しだす。

宮村が自分は軽い気持で、ひょうすべは河童で、落ち穂を食べるとか、見たら高熱を発するとか、あるいは死ぬとかいうふうに覚えていたので、そんな河童がいるのかきいたという。京極堂がこれに解説を加える。関口が宮村が何かいい淀んでいると思ったので、何か事情があるのかときく。自分が世話になっている女性がひょすべを見たという。だから妖怪の専門である京極堂を年始の挨拶がてらにたずねてきたらしい。詳しい話しをききたいという。昨年出版社を辞めた加藤という女性らしい。宮村が事情を説明する。加藤麻美子、「小説創造」の編集者である。二十七年の暮れ燻紫亭をたずねてきた。元気がない。祖父の様子がおかしいという。彼女は幼い頃、祖父と一緒にひょうすべを目撃したという。最近になってまったく知らないといっているという。八十となっているが矍鑠として老人性痴呆のおそれはない。それは昭和八年六月四日のこと。見たのは人間、小柄な猿のような顔の男だった。二十年前、麻美子は祖父と夜の山道を歩いていたところ、怪しげな男が歩いているのを見た。すると祖父が麻美子の顔を覆い、みるな、あれはひょうすべだ。あれを見ると祟があるといったという。最近きくと山道を歩いたことはあったかもしれないが、そのようなものを見たことはないという。祖父は只二郎という。日付がはっきりしているのは、翌日、麻美子の父が亡くなった。実際に祟があったのではっきり覚えている。死因は脳溢血だった。京極堂がなぜ二十年も経って祖父にきいたのかきく。麻美子がまたひょうすべを見たからという。二十七年に見たという。その後に子どもが亡くなった。昨年は、子どもの死、退職、離婚と不幸がつづいた。麻美子は祖父の記憶が消されたと心配している。只二郎は昨年は怪しげな宗教団体に入信した。資産家の祖父はお布施以外にも相当額の寄付をしているらしい。京極堂がそれは「みちの教え修身会」。訓練や講話で人格を改造するといいう団体、宗教団体ではない。さらに麻美子が只二郎にひょうすべの話しをしたとたんにそこの人間が麻美子を勧誘に来た。麻美子は断固断わっているという。京極堂がこの団体について宮村に解説をしていた。

2

六月、伊豆の某所である。関口が宮村との第二回目の出会いを回想する。三月初旬だった。二月は箱根山僧侶連続殺人事件に巻きこまれて何も手がつかなかった。追い込まれて小説を書いた。これまでの縁を頼って稀譚社に原稿を持込んだ。近代文藝編集部の小泉女史をたずねた。間をおかず編集長の山嵜がやって来た。それに稀譚社の看板雑誌、奇譚月報の編集長の中村、京極堂の妹で編集者である敦子までが加わった。箱根山僧侶連続殺人事件の発端は稀譚社の企画だった。それに関口が取材とい形で関わり巻きこまれた。それへのお詫びの姿だったようだ。関口は原稿のことをいい出しかねていた。敦子が目敏く原稿の入った風呂敷包みに気がついて、声をかけてくれた。短編小説、「犬の逝く径」が四月の近代文藝に掲載されるはこびとなった。関口が帰ろうと腰を上げたとき、喜多嶋先生とい編集者の声がきこえた。衝立の陰から小柄な女性が出てきた。山嵜も何度もお辞儀をしていた。その後に関口さんという宮村の声がきこえた。挨拶する関口に後の女性を加藤麻美子と紹介した。関口はこの女性が喜多嶋かと思った。一月、京極堂と宮村の間の会話に入ってゆけなかったことを思い出した。加藤は二十七年まで「小説創造」の編集者だった。喜多島薫童を世に出した雑誌と同じである。予定の広告が入らなかった。原稿の頁数が予定より少なかったなどの事情でその空きを埋める必要が生じる。そこに掲載された短歌が評判となる。それも他の出版社にまで取りあげられる評判となることは十分ある。そこで編集部との確執が生まれ退職に至る。関口は自分で納得した。さんにんで喫茶店に入った。

関口が喜多島薫童の正体についてきこうとしたが、制止されてそのままとなった。麻美子が騙され易い家系だという。だから今回は只二郎が騙されるのを防ぎたいという。宮村がみちの教え修身会から脱会するように勧めている。会は麻美子にしつこく入会を勧めている。麻美子が宮村に相談した経緯を話す。関口が京極堂が前回説明した会の概要をほとんどきいていないことに気がついたので概要を話す。会は人生を深く考え明るく健康に、社会に貢献して前向きに生きるための勉強会だという。これが巧くできているという。講習は初心者向けから中級、上級と段階に分れる。中級以上はさらに細かくコースに分れる。最初は「自分を語る集い」という集会があり、そこで会員は現在抱いている不満や不平を述べ合う。これで会員は目先の憂さが晴れる。それでは満足できなくなる。次に「自分を探る集い」というものがある。ここで不平不満、懊悩不幸を会員同士が徹底的に探り合う。全員で対応策を考える。さらにそれを実践してみる。宮村が解説する。人間というものは自分自身のことには目が曇る。自分の不幸の原因を外部に求める。しかし他人事となると誤魔化しが効かない。不幸、不運というがしょせん自分が原因だと互いに指摘し合う。それで気づき、不幸の芽はある程度は摘まれる。ここまででも効果はある。しかしそれで満足できない人がいる。次のステップが用意されている。

「真実の幸福を見極める集い」である。ここには導き役といわれる指導員が入る。ここまでで会員同士は秘密を共有した連帯感が芽生えている。そこに指導員が問いかける。これまで不幸の原因を探り合ってきたが、会員が不幸なのは幸福が何たるかを履き違えているからではないかという。ここまで来た会員は不幸について大変深いところまで考えさせられている。指導員は巧みに、例えば金銭、経済力とかいいうものが幸福をもたらすわけでない。愛情や名誉というものも同様だと教える。これまでの議論の前提になっていたものの確からしさを遠慮会釈なしに取り払ってしまう。これは考えてみればとても怖いことだという。中級編の締め括りは、「誤った世界観を葬り去る合宿」というものである。十日ほどの瞑想合宿だ。麻美子が、断食したり、正座したり、風穴のような穴に入ったりするという。京極堂によればこれが肝心なところ。拘束し、反復し、それを延々と継続する。会員から価値観、考える力を奪う。宗教のあるやり方だという。関口がそれが神秘体験をもたらす。しかし神秘体験は実体験ではない脳のまやかしだと思う。宮村の話しがつづく。この合宿はこれで終りである。会員にとってこれまでの生き方の中核を成していた部分が破壊され、そのまま世間に放りだされる。悲惨であるという。まだ話しがつづく。

これでは満されないという気持になるのだろう。ここで脱落する人はほとんどいない。解決編が用意されている。会長が磐田純陽という。上級になると会長の講義がある。そこでさんざん駄目だといっていたのを、あっさり許す。あなたたちが否定した考え方は本当は正しいのだという。欲を持ちなさい。人を怨みなさい。妬みなさい。憎みなさい。悲しみなさい、泣きなさい。苦しみなさい。それが自然なあり方ですという。それでは、はじめに戻っただけではないかと関口が唖然とする。そこで会長は、あなたたちは最初は不幸と思っていたではないか。ところがそうした自分のあり方が正しいと知らなかった。それをここで知ったでしょうという。会員は涙を流して安心するらしい。それでは何の解決にもなっていないと関口がいうと、これからが彼らの商売がはじまる。それぞれの要求に合わせて設定された人格強化講座を受けさせる。京極堂によれば、この講座が本業の商売であり、その前段階は客寄せという。関口がこれは結局社会人向けの道徳講座だ。一度受講者を廃人として、リハビリテーションの一環としてそれを施す。無性に腹が立った。宮村がいう。

会員の中には何となく不幸だという人がいる。不幸の原因もわからなければ、何をすれば幸福になるかもわからない。こういう人には会長の託宣がある。巫女になれとかいうという。これはこれまでの講習で個人の嗜好、性質、地位、待遇までわかっているから、けっこう適切な助言ができる。麻美子が只二郎のことを話す。元々林業をしている。今も会社の役員である。韮山に山林を持っている。自分以外には血縁の家族はいない。古くから仕える使用人や会社の人間がいるので日常の不便はない。何かものたりなさがあったらしい。只二郎は富士の裾野の訓練だとか、樹海の合宿だとか噂をきいて会の行事に参加した。はじめは半信半疑だったが、ある雑誌に会長の談話が掲載された。磐田純陽は只二郎の尋常小学校の同窓だった。だんだん熱心となってきた。ある時、指導員となってくれといわれたという。只二郎は見違えるように元気溌剌となった。肌の艶もよくなったという宮村に麻美子が強い反発を示した。財産目当てだという。只二郎は会社の財産を処分する。山林を道場建設のため提供するつもりだという。関口が相続についてきく。相続人であるが、家を出たから相続の意志はないという。ただ長年お手伝いとして世話してくれた女性、木村よね子のことが心配だという。只二郎は入会以来、よね子に冷たくなった。麻美子が只二郎の話しをする。

自分の家は逆縁の家だった。昭和八年、ひとり息子の父が急死し、十年母も亡くなった。このため半ば隠居していた只二郎が一家を支えて働かなければならなかった。当時多額の借金があったので只二郎は懸命に働いた。しかしそれは祖母とよねという家族の支えがあったからという。麻美子は只二郎に父が亡くなった頃の話をした。亡くなる前は只二郎は麻美子とよく山に行った。そこでいつも鉄道唱歌を歌ってくれた。自分はそれを全部覚えてしまったという。その時、宮村がその二十五番より後はどうしましたと、不可解な発言をした。麻美子はきっと覚えているといった。話しが戻る。只二郎もその頃の思い出をいろいろ語ってくれた。麻美子が思い出せなかったことまで話した。しかしひょうすべのことはまったく記憶がないという。麻美子は皺の寄っただぶだぶの背広を着て千鳥足で歩いている。左の頬にQQ絆創膏を貼っていた男を見た。只二郎はあれを見ると祟りがあるといった。しかし只二郎は記憶にないという。宮村が部分的に記憶を消すことができるのかという。関口が京極堂がどういったきく。できないことはない。しかしその必要があるとは思えない。もうすこし事情を調べるべきだ。麻美子への勧誘については断固断われ。只二郎については本人の意志に任せてあまり干渉をするなといったという。関口が脳科学のことを話す。

研究の発展、記憶のこと、催眠術、後催眠のことを話す。後催眠は催眠状態でかけた暗示が、催眠の解けた後に効力を発するものである。例えば、あなたは催眠が解けた後に、手を叩いたら跳び上がると暗示をかける。それで催眠を解く。術をかけられた本人はそんな暗示のことはぜんぜん思いださない。普通にしているが手を叩くと跳びあがる。催眠状態が深くなると記憶を操作することができる。思いだせなくすることができる。深い催眠状態にするために頸動脈法がある。これは頸を軽く絞めて気が遠くなった時に暗示を与える。危険な方法だが、一瞬でかけられる。磐田の話しとなる。カストリ雑誌生き残りの出版社の編集者、鳥口から貰った写真だという。頬にQQ絆が貼ってあった。写真を見て麻美子が昂奮する。この男が父を殺し娘を殺したという。二度目にこの男を見たのは四月七日という。QQ絆も貼っていた。麻美子は自分の記憶に自信がある。目撃の直後、知人にそのことを克明に話した。それは尾国という置き薬の行商をしている男性だという。その人に確認してもらってもいいという。日頃から親しくしているが、あまりおかしな男だったので尾国に話してしまったという。その男を目撃した時間と場所は、浅草橋、夕方四時半頃である。亡くなった子どものことをきく。娘は盥の中で溺死したという。磐田に戻る。路地裏をひょこひょこと歩いていた。変った人だと思ったという。ひょうすべとは思わなかったかときく。一瞬、言葉に詰まったがひょうすべだという。尾国もひょうすべを見ると悪いことが起きるといっていたという。宮村が尾国がひょうすべを知っていたのかという。知っていたのだろうと麻美子がいう。この時ぱんぱんと癇癪玉が爆発する音がした。窓の外に嬌声をあげて駆け去る子どもの姿が見えた。がしゃんと音がした。部屋の床に蜜豆の残骸が広がっていた。麻美子が強張った顔で細かく痙攣しながら両手を伸ばして固まっていた。

3

六月、伊豆の某所である。関口が宮村との第三回目の出会いを回想する。四月下旬だった。関口が呼ばれて京極堂をたずねた。迎えられた時に夫人から唄わされないよう注意された。廊下の奥から鳥口の唄う声がきこえた。鉄道唱歌だった。京極堂が時間を測かっていた。六分二十秒だという。関口が奇妙な行為の理由を京極堂にきくが言を左右にしてこたえない。代わって鳥口が、問題がある霊媒師を調査している。その関係で必要となった。京極堂がこの測定が霊媒師の犯罪性を暴くきっかけになるかもしれないという。このことについては鳥口が積極派、京極堂が消極派だった。そこに加藤麻美子が、つづいて宮村がやって来た。京極堂が楽しい話しではない。すぐはじめましょうという。麻美子にたいし自分がきくことにこたえてくれという。二度目にひょうすべに会ったのは昭和二十七年四月七日午後四時三十分か。然り。これが鳥口の調査結果と合致することを確認する。磐田を目撃した後、麻美子が家に帰った。その頃、麻美子は小川町のアパート河合荘に、夫と亡くなった娘と三人で暮らしていた。一○二号室だった。隣りは一○一号室の下沢夫妻、今でもそこに住んでいる。これは鳥口が確認した。話しが麻美子に戻る。戻ると部屋には置き薬行商の尾国がいた。尾国はひと月ほど前から頻繁に通ってきた。本当か。然り。二十七年はじめに子どもが誕生した。実家で産んだが二月にアパートに戻った。三月に尾国がやって来た。最初は断わったが強引に薬を置いていった。次に夫に会って意気投合し、利用することとした。尾国の出身は佐賀である。尾国はどれほどの頻度でたずねてきたか。尾国は近所に住む。二日に一度の割合だった。その時は果物、お菓子を持ってきた。子どもが好きだった。来る時間は決まっていたか。まちまち。迷惑と思わなかったか。否。しかし沐浴、授乳時は困る。麻美子は時間に几帳面か。然り。授乳、沐浴の時間も定時か。然り。そのため、その時間は避けるよう尾国に頼んだ。沐浴は何時か。夕方五時。尾国はこの時間は避けたか。然り。京極堂がしかし磐田を目撃した時は、ちょうど五時に部屋の前にいたのではないか。然り。その時の沐浴は中止した。では何時に沐浴をしたか。沈黙の後に七時という。その時、ひょうすべの話しを尾国にしたか。然り。二十年前に目撃したことも話したか。返答に詰まる。浅草橋で目撃したことを克明に話した。京極堂が補足するように、麻美子が二十年前に見たということより、異様な容姿が印象的だった。そのことを話したのか。浅草橋での目撃を話しているうちに二十年前の目撃のことを思い出した。その目撃の後に父が死んだことをいった。すると尾国はひょうすべを見ると悪いことが起きる。誰か縁者が死ぬといった。尾国はそのひょうすべの話しを何分くらいしたか。たぶん三十分。ここで鉄道唱歌の話しとなる。

麻美子は鉄道唱歌を全部覚えていた。本当か。然り。しかし今忘れたところがある。然り。そこはどこか。東海道編の二十四節より後ろ。その後は。山陽編、九州編も忘れた。東北編はすこし、北陸編、関西編はすべて覚えている。隣室の下沢夫妻の話しとなる。夫妻にきいた話しである。麻美子は五時丁度に帰ってきた。尾国といっしょだった。尾国はいつも三十分くらいなのにその日は長かったという。どうか。否。三十分。でも沐浴は七時だ。そうすると尾国が帰った後の一時間半は何をしていたのか。混乱。不答。下沢夫妻の話しとなる。里芋をお裾分けしようとして、隣りの様子をうかがっていた。尾国と顔を合わすと薬を売りつけられそうなので避ける必要があったという。下沢家では六時過ぎが夕食だった。里芋を食べていると銃声のような音がきこえた。慌てて表に出た。すると尾国がにこにこして出てきた。麻美子も子どもを抱いて見送っていた。そこで里芋を麻美子に渡したという。次は推測である。次の日も尾国がやって来た。そこで麻美子にある人を紹介するといった。違っているか。否。霊媒師、華仙姑処女を紹介された。今も信じている。お金を払ってお伺いを立てているという。宮村が知らなかったと不満を漏らす。

麻美子が話しはじめる。このことを隠していたわけではない。華仙姑処女は言い触らすようなことを嫌う。他の怪しげな宗教や、胡散臭い 自己開発講習会とは違う。信じているか。然り。尾国の助言に従えば、娘は死ななかった。だから離婚もした。会社も辞めたのか。みちの教え修身会も華仙姑処女が非難したからそれに従ったのか。然り。麻美子が話す。尾国が翌日やって来て、磐田はよくない男だ、気をつけなければ遠からず子どもに禍いが及ぶという。事情をきくと、知人に占ってもらった。水難の相があるといった。どうすればよいかきいた。お祓いを頼め。そのために一万円を寄進するようにいった。その時は出せなかった。尾国は熱心に勧めてくれた。京極堂が静かにいう。死因は麻美子の不注意からか。然り。子どもを湯につけたら両腕が硬直した。溺れた我が子を助けられなかった。尾国に頼んで華仙姑処女に会った。やさしい言葉をかけてもらった。しかし夫とは別れるだろうといわれた。夫婦仲が悪くなり離婚した。仕事に復帰してそれなりの成果をあげられた。華仙姑処女のお蔭である。しかし、辞めたのか。然り。なぜか。あのまま会社にいればきっと災厄に襲われる。京極堂が華仙姑処女は悪質な詐欺師だと断言する。

結論をいう。記憶をいじられたのは只二郎ではなく麻美子である。麻美子は二十年前磐田を見ていない。二十七年四月、異様な姿の磐田を見た。尾国が麻美子が五時きっかりに沐浴をさせるかどうかを偵察に来ていた。そこに麻美子が帰ってきた。麻美子は尾国に後催眠をかけられた。尾国は華仙姑処女の手先である。尾国は訪問を重ね、機会を狙っていた。麻美子に印象に残るような出来事が起きるのを待っていた。それが不吉の前兆だと吹きこむ。磐田は関係ない。話しをきいて、即座に磐田を妖怪に仕立てあげた。麻美子が信じられないと言葉を漏らす。たぶん麻美子は去年の四月七日五時三十六分か七分に催眠状態に落された。そこで尾国は、麻美子が今まで一番悲しかったのはいつかきいた。麻美子は父が死んだ時とこたえた。尾国は麻美子の不幸は今日見た男のせいだ。父が死んだのもそのせいだ。見てはいけない。ひょうすべだ。あれを見ると祟りがあると暗示をかけた。ひょうすべは九州の妖怪である。尾国は佐賀出身だ。ひょうすべの記憶を人生最大の不幸の前に持ってくることにより、再度それを見た麻美子がそれに負けないほどの不幸が訪れるだろうという強迫観念を植えつけた。初見に過ぎない磐田の目撃、不幸な父の死、ひょうすべという妖怪から尾国が作りあげた麻美子を罠に落すシナリオだった。麻美子が信じられないと抵抗する。

京極堂が只二郎の記憶がいじられたと主張する麻美子が自分の記憶がいじられた可能性を否定するのは一方的であると指摘する。鳥口から磐田の写真をもらって二十年前にこの磐田を見たのかと確認する。然り。頬にこの救急絆創膏が貼ってあったか。然り。しかしこのQQ絆が開発さたのは昭和二十三年である。磐田は東京大空襲で大火傷を負って頭部がこの写真のように禿げた。そういって昭和十三年当時の写真を見せる。髪の毛がふさふさしている。磐田はその日暴漢に襲われた、麻美子が見たのは襲われた直後の磐田だった。麻美子がその目的は何かきく。麻美子が華仙姑処女のいいなりになるようにする。それだけという。尾国は麻美子に強迫観念を植えつけ、華仙姑処女のいいなりになるように働きかけたが、失敗した。突然、癇癪玉が爆発した。驚く一同の見る中で麻美子の両手が硬直した。京極堂が癇癪玉が爆発したら麻美子の両手は曲がらないと後催眠をかけていた。一分間継続するようだといいつつ、麻美子、宮村に驚かせたことを詫びた。このような仕掛けを施して尾国は麻美子に迫ったが失敗した。子どもが亡くなった日である。隣室の下沢がパンパンという音がしたと証言している。一同言葉を失なう。

京極堂がこれは立件が非常に難しい殺人事件であるという。宮村がどうしてわかったのかきく。鉄道唱歌の話しとなる。鳥口が昨日、隣室の下沢から鉄道唱歌が唄われているのをきいたという証言を得たという。二十七年は鉄道開通八十周年だった。鉄道唱歌全節を唄う傷痍軍人がいる。延々と唄って客寄せをしてお金をもらう。近所の人にも確認して、丁度五時三十分にはじめる者がいたことをつきとめた。だから五時半からはじめると、二十四番では五時三十六、七分になる。ここで術をかける。深い催眠状態に落して意識下に暗示をかける。さらに運動機能に後催眠をかける。三、四十分かかる。後催眠の時は、催眠中に耳にしたことは覚醒後は忘れるように暗示しなければならない。目が覚めたら今きいたことはすべて忘れる。このような暗示をかける。宮村がそのため実際は二時間近い接見時間が麻美子の記憶で三十分となると補足する。さらに麻美子が覚醒した時、傷痍軍人の唄う唱歌が東北の半分くらいになっていたという。麻美子が涙を拭ってこのような非道なことは許せないという。鳥口も見過すことができないという。京極堂も華仙姑処女を糾弾するために協力を求める。そしてなぜ、華仙姑処女が只二郎にみちの教え修身会から脱会するよう麻美子に求めたのか、みちの教え修身会がなぜ麻美子に執拗に入会を求めたのかがわからないという。両者には何か関連性があるのではと思うといった。宮村が麻美子が敦子が勤める稀譚社の新雑誌の編集者として採用されることが決まった。短歌の頁も作るという。麻美子がその際には、よろしくお願いします。喜多嶋先生といった。

後文............関口が裸女を樹に吊して逃げたことを思い出している。五回目の取り調べを受ける。

(つづく、あと一回で完結する)

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