謎解き京極、絡新婦の理 [京極夏彦]
この京極作品を未読の皆さんへ
不用意にのぞくことをすすめない。 (この連作の趣旨、体裁は「謎解き京極、姑獲鳥の夏」で説明した)
あらすじ
1
第一日目、昭和28年2月、東京、四谷である。警視庁の刑事長門、木下、木場が両眼をつぶされた女をみて、連続殺人の容疑者、平野祐吉が犯人だろうといった。刑事、青木が犯人は大柄、禿頭だったといった。
平野の犯行は27年の初夏から年末にかけて発生した。信濃町の地主の娘、矢野妙子、平野の借家で発生。10月半ば、川野弓技、水商売の女。千葉の興津町。師走、千葉の勝浦町、山本純子、女学校教師。木場ば部屋の窓をしめようとした時、女郎蜘蛛を発見した。千葉、警視庁、所轄の合同捜査本部が設置された。
木場が目撃者であり事件発生の旅館の主人、多田マキと話した。あまりおきるのが遅いので部屋にいった。そこで発見。女は奥様風、男は大男、禿頭。木場が川島新造を思いだした。服装は鳥目でわからなかった。部屋にはいったのは夜11時すぎ。男がいつかえったのかわからない。いってみたら中から鍵がかかってた。蹴りたおしてはいった。木場は外にでた犯人が外から、鍵のかかった状況にもどすのは無理だと確認した。隣家との間に黒眼鏡がおちてた。捜査会議後である。
長門と木場が信濃町に聞きこみにいった。平野の友人、酒井印刷所勤務の川島喜市は一月前にやめてた。被害者の身元が判明した。日本橋の呉服店の妻だった。警察の不審尋問に夫、前島貞輔がひかかった。妻を尾行してた。妻の電話を傍受したことから疑うようになった。売春行為を確信した。旅館は四谷暗坂。坂の入口で大男にあった。兵隊服をきてた。男がはいったのは夜の11時、でたのが午前3時、午前7時に多田がでてきた。さらに貞輔の話しである。
いったんでて、10分ほどしてもどってきた。またはいってすぐでた。それからもどらなかった。6時半頃、多田がでてきた。またもどったようだ。隣家の間にかくれてたので推測だ。手に風呂敷をもって、でていった。しばらくして警官をつれてもどってきた。8時半だった。もどりが遅い、どこかによったと推理された。死亡推定時刻は午前3時。木場の友人、降旗弘は精神科の医者をしてた。医者をやめる直前、平野の犯行の前日に診察をしたとしった。
信濃町の屋台でのんだ後、池袋の騎兵隊映画社に川島新造をたずねた。ビルから川島がにげた。その時、蜘蛛にきけといった。刑事がおってきた。事務所に踏みこむと女を殺そうとしてたといった。
2
第一日目、千葉の勝浦町である。美由紀は全寮制、基督教系の女学校に在学してる。図書室の壁の基督は泣くという。図書室の入口の横に渡辺小夜子がたってた。庭にでて話す。小夜子は黒い聖母の噂は嘘だ。師走に殺害された教師、山本の犯人は変質者だった。麻田夕子が噂の火元だ。夕子が売春をしていたのを山本が知った。厳しく調べられた。自主退学をすすめられた。夕子は政治家の娘。こまって13番目の白羊宮の星座石に殺すよう願をかけた。
星座石とは学校の敷地内に埋めこまれている一尺四方の平たい石である。礼拝堂を取りかこむようにほぼ円をえがいてならんでる。白羊宮は礼拝堂の裏手、お宮の前にある。お宮には真っ黒い仏像のようなものがある。それが黒い聖母である。聖母は夜に徘徊するという。小夜子がいう。
満月の夜、儀式をする。呪いころしたい相手の名をいう。すると次の満月の日までに必ず相手は死ぬ。前例があるという。夕子に儀式のやりかたをきく。小夜子の実家は昨年経済状態が悪くなった。教師、本田はその弱味につけこんで小夜子を陵辱したという。学校の話しである。坂本百合子の話しである。
聖ベルナール女学院は大正期の創立である。房総半島の先端に所在する。美由紀は小夜子が夕子に会うのに立ち会うことにした。呪いの儀式である。黒い聖母は女だから対象は男だけ。七不思議が説明される。血をすう黒い聖母、十三枚の星座石、涙をながす基督の絵、開かずの告解室、血のしたたる御不浄、ひとりで鳴る洋琴、十字架の裏の大蜘蛛である。この大蜘蛛が目潰し魔である。儀式は満月の夜の12時に、そこの星座石の上に立って呪いころしたい相手の名前をいう。儀式は集団でおこなわれる。美由紀は呪いころしたい人がいるのでその集団の人を紹介してほしいといった。百合子が思わすもらしそうになってやめた。振りむくとそこに厨房職員の男がたっていた。小夜子はあれは、学院創設者の孫、学院一の才媛のことかときいた。人の気配がした。お宮の脇の壁に指の跡がついてた。
第二日目、放課後、美由紀と小夜子のところに百合子がくる。仲間になる必要がある。美由紀が小夜子をおいて百合子と星座石にむかう。姿をみせない相手に証拠をみせてほしいという。夕子があらわれ、たおれた。小夜子が本当かと夕子をせめる。夜、夕子の部屋にいく。
夕子が蜘蛛の僕の集団について話す。それは呪いの儀式をする。売春をする。基督を汚すためだ。あの方が魔法書をもってきて実行することとなった。売春もある筋にたのんで実行した。あの方は悪魔と契約した。悪辣な淫売はしんだ。山本もしんだ。疑う美由紀に三人目の呪いが本当かどうか今夜わかるという。対象は淫売の仲間、前島八千代だ。そこに織作碧がはいってきた。注意をしてさった。新聞の切り抜きがあった。それは八千代殺害の記事だった。
小夜子が本田に呪いをかけたと恐怖におののく。興奮して外に飛びだす。おっていった美由紀は碧にあう。中庭にたつ。校舎にたどりつく。女の着物がひるがえる。碧が黒い聖母だという。夕子が小夜子が校舎の二階にいるらしいという。悲鳴がきこえる。美由紀、夕子、碧がつづく。屋上に出る。そこに本田の死体が横たわっていた。小夜子がわめきながら屋上から身をなげた。
3
第10日目、千葉の興津町である。町田で釣り堀屋をしてる伊佐間が葬列をみてる。元漁師の呉仁吉老人がいる。織作紡織機の織作雄之介の葬式である。毒殺との噂がある。織作家には天人女房の祟りがある。女房の怒りが祟りとなって入り婿を殺すという。明治以降の話しである。明治、大正にかけて織物でもうけた。明治35年、蜘蛛の巣館を建設。勝浦町に女学院を建設。ここに仁吉の孫娘が在学。昨年死亡した財界の大物、柴田燿弘と先代は密接な関係をもっていた。雄之介の代に織作紡織機は柴田グループの傘下にはいった。雄之介自身も柴田の片腕として活躍した。話しがつづく。
雄之介は越後の出身、大正14年に婿養子縁組。先代も先々代も婿養子。毒殺の噂である。去年の春に長女の紫が急死した時も噂がでた。葬列の話しである。喪主、妻の真佐子、次女の茜、三女の葵、四女の碧がつづく。昭和25年、茜が婿をとった。使用人の息子、是亮という。是亮は柴田財閥の系列会社の経営に失敗、昭和27年、別の子会社に出向。退職。昭和27年の秋に学院の職をあてがわれた。現在、当主が不在。織作家の使用人の出門耕作がはいってきた。
是亮の父親だ。是亮は葬式に参加してないといった。釣りの話しとなる。出門が釣り場、茂浦の首吊り小屋に灯りがついていた。昨夜のこと。かって芳江という女がすんでた。今は廃屋だ。芳江は昭和8年ころきた。8年前に首をつった。男の子がいたが、昭和10年、どこかの跡取りとして引きとられた。そこは淫売小屋との噂もあった。仁吉が海からひろいあげた仏像の話しとなった。昭和2年のことだった。仁吉は金がいる。仏像などの蒐集品をうりたい。伊佐間が知人の今川を紹介した。今川が来訪する予定だ。出門は今川に織作家によってほしいとたのんだ。辞去した。夕方、今川が到着した。
今川が蒐集品を鑑定した。仏像は神像だった。言い値でかった。明日織作家によることとし、今夜宿泊することとなった。酒宴の後、ねた。
第11日目、朝、傘と蓑、女物の着物をきた男がとおった。朝食後、7時に二人は辞去。坂の上の館についた。前庭に桜がうえらてた。通用門で女中のセツと悶着をおこし、出門にむかえられた。中の構造は複雑だった。今川が立体的かつ放射状に部屋があるといった。伊佐間がならば、蜘蛛の巣の中心はどこかと思った。部屋で真佐子にあう。出門に是亮がどこかきいた。出門はひかている。隣室の書画の部屋、陶磁器の部屋にはいった。今川に言い値で引きとってほしいという。伊佐間が窓の外の墓場をみつけた。今朝みた蓑がひかった。是亮と茜がはいってきた。是亮が骨董品の売却を非難し悶着となる。真佐子が叱責した。でていった。葵が昼食の案内をした。廊下にでた。窓から書斎がみえた。是亮がいる。女物の着物から手がでてる。是亮の首をしめてた。廊下を何度もまがって書斎についた。是亮が死亡してた。
4
第12日目、神田である。元神奈川県の刑事、益田が榎木津探偵事務所にやってきた。探偵にやとってくれといって、断わられた。弟子にしてくれというと、この後にくる依頼人の尋ね人をみつけたら、やとうといわれた。
依頼人、杉浦美江がやってきた。夫、杉浦隆夫が、たぶん昭和27年夏に失踪。自分は現在別居中。結婚は昭和26年4月、隆夫は小学校の教員、2ケ月後に生徒に怪我をさせて、部屋に閉じこもるようになった。昭和27年2月に別居した。この2月にもどったらいなかった。何故さがしたいのかきくと、離婚したいからとみとめた。男女平等運動の話しとなる。千葉の勝浦で運動に参加。興津町に売春を斡旋してる酒場がある。経営者が川野弓技。昨年10月、殺害された。その容疑者に隆夫がはいってた。進駐軍の通事をしてた知人からこの事務所をきいた。雑司ヶ谷の久遠寺医院の事件をしってた。久遠寺涼子と面識があるといった。榎木津が織作葵から離婚をすすめられたと指摘した。葵は婦人と社会を考える会の中心人物である。榎木津は益田に隆夫をさがすよう指示した。弁護士の増岡がはいってきた。
依頼を多忙と断られたので、中野の古書店主、京極堂をたずねた。益田も同行した。依頼事項は京極堂にも関わる。柴田財閥が関係してる。榎木津が受諾するよう仲介を依頼した。依頼主は柴田グループの最高責任者、柴田勇治である。
房総半島の先端に聖ベルナール女学院がある。そこで殺人事件が連続した。柴田はかって理事長をやってた。柴田と織作の関係である。織作紡織機の創設者、織作嘉右衛門は柴田燿弘が会社を創設した時、援助した。二代目、伊兵衛も親密な関係だった。この伊兵衛が女学院を創設した。三代目、雄之介の時に柴田傘下にはいった。勇治は27年秋まで理事長をつとめた。その後任は織作是亮だ。27年の年末、山本という女教師が殺害された。この2月に本田という男教師が殺害された。この時、同時に生徒が投身自殺した。自殺した生徒は妊娠三ヶ月だった。話しはつづく。
生徒の証言が混乱してる。本田殺害は黒い聖母だ。柴田は学院の不穏な空気を一掃してほしいと願っているという。是亮の無能に放置できず、また勇治が乗りだした。そこで昨日、是亮が殺害された。この犯人も黒い聖母といってる。次に益田の用件にうつる。
事情を説明する。葵の名前がでる。関係が浮かびあがる。増岡が職員名簿の中に杉浦隆夫の名前を発見する。厨房の臨時職員に昭和27年9月に採用とあった。京極堂はこれはあらかじめしこまれたもの、杉浦が疑わしいというのが、あらかじめ用意された答という。
日目 | 勝浦 | 奥津 | その他 |
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27年 | 12月、目潰魔純子殺害 |
4月、紫死亡 10月、絞殺魔弓技殺害 |
5月、信濃町、目潰魔妙子殺害 |
第1 | 28年2月、四谷、目潰魔八千代殺害 | ||
第2 |
絞殺魔本田殺害 夕子、小夜子投身 |
||
第8 | 雄之介、死亡 | ||
第9 | 是亮脅迫、小夜子約束 | ||
第11 | 海棠、美由紀脅迫 | 絞殺魔是亮殺害 | |
第12 |
四谷、志摩子逃亡 神保町、美江榎木津依頼 中野、増岡京極堂依頼 |
||
第14 |
榎木津絞殺魔指摘 絞殺魔小夜子殺害、海棠負傷 隆夫捕縛 |
目潰魔志摩子殺害 | |
第15 | 生徒帰宅 | 今川、依頼、京極受諾 | |
第18 |
京極堂、憑き物おとし 2名死亡 |
京極堂、憑き物おとし 3名死亡 |
|
4月 | 京極堂、真犯人指摘 |
おことわり
京極作品を未読の皆さん、どうかここを不用意にのぞいて将来の読書の喜びを損なわないよう、よろしくお願いする。
再度の警告。本文にはいわば「ネタバレ」が溢れている。未読の方にはすすめられない。では本文である。
謎解き京極、絡新婦の理
1
前文............項目1の前に謎の男女の会話が付されれる。
第一日目、昭和二十八年二月、東京、四谷である。東京警視庁の刑事の長門五十次、木下圀治、木場修太郎が被害者の女を前にしている。その両眼が潰されている。連続殺人の容疑の平野祐吉と同じ手口である。木場はたぶんこれで四人目の被害者であると思った。長門が被害者には情交の跡があった。平野の手口と違うという。刑事の青木文蔵が戻って来た。目撃証言を報告する。ここの婆さんは鳥目だが、影形から大柄で禿頭だったという。平野は小柄である。木場には気になる友人がいた。部屋から死体が運び出された。木場は窓を明けた。隣りの壁が見えた。平野の事件を思い出す。
平野の犯行と目される連続殺人事件は去年の初夏から年末にかけて発生した。最初は信濃町の地主の娘、矢野妙子、十九歳だった。昭和二十七年五月二日彫金細工職人の平野の宅で母親により発見された。血だらけの鑿を持った平野が目撃された。平野は当時三十六歳、昭和二十三年に妻を亡くし、以来独身であった。二十六年にこの借家に引っ越してきた。当時平野は軽い神経衰弱状態だったらしい。青い顔をして自宅に戻った平野を心配して矢野が訪問したのだという。十月の半ば頃に二人目の犠牲者が出た。川野弓技、三十五歳、水商売の女だった。場所は千葉県の興津町である。両眼が潰されていた。川野は矢野と対照的に自堕落な女で、その情夫も三人、四人といた。矢野の事件と関連づけられた経緯を木場は知らない。師走に三人目の犠牲者が出た。場所は千葉県の勝浦町、被害者は山本純子、三十歳、女学校の教師だった。同じく両眼を潰されていた。平野と年格好が一致する不審人物が目撃されていた。一月末日に国家警察千葉県本部と信濃町の所轄、東京警視庁による合同捜査本部が設置された。木場が窓を閉めようとした時、女郎蜘蛛を発見した。
千葉からやって来た刑事が連絡がないと文句を言ったので木場との間に悶着が生じた。長門がなだめに入った。木場は目撃者の老婆の部屋に行った。名前は多田マキという。多田の話しである。あまり起きるのが遅いので割増料金を取ろうと部屋に出向いて発見した。はじめての客だ。高い友禅を着ていた。どこかの奥様の密会だという。連れの男のことをきく。大男で禿頭で黒眼鏡をしていた。木場は川島新造、小さな映画会社を経営している友人のことを思い出していた。川島なら兵隊服を着ている。多田に服装のことをきいたが鳥目でわからない。二人がやって来たのは夜の十一時過ぎ、女が料金を前払いした。多田は朝までここの部屋で寢ていた。男が何時帰ったのかわからない。玄関の鍵は掛けない。客の部屋は自分で掛ける。引っかける仕組みの小さな鍵が襖に取りつけてある。朝になって行ってみたら鍵が掛かっていた。呼んでも起きてこないので襖を蹴り外して中に入ったという。
木場は多田の証言の真偽を確かめた。襖を内部から施錠して外から開けようとする。鍵を付けたまま襖を桟から簡単に外すことができた。内部からこの襖を外すことは簡単だろう。しかし部屋の外から鍵が掛かったままの状態で元に戻すことはできなかった。つまり内部にいる犯人が脱出したとして、この鍵が掛かった状態を作りだすことは不可能という結論だった。窓を使って脱出することは困難であると判断した。窓から顔を出した。隣家との隙間に黒眼鏡が落ちていた。木場がそれを拾った。四谷署に午後二時に入った。
捜査会議が終っても木場は拾った黒眼鏡を提出しなかった。川島のことが気になった。木場と長門は平野が働いていた信濃町に聞きこみに出むくこととなった。会議の内容をきいていなかった木場のために、聞きこみの目的を説明するとともに長門は監察医の里村により凶器は平野が使った鑿と同一の形状の物と断定されたことを説明した。平野の友人、川島喜市、二十九歳、酒井印刷所勤務に会いに行くという。川島は平野の神経衰弱を心配して精神神経科の医者を斡旋したという。聞きこみは無駄足だった。川島はひと月前に辞めていた。転居したらしい。その後の足取りは不明であった。四谷署に戻った。
被害者の身許が判明した。前島八千代、二十八歳、日本橋の老舗呉服店の妻である。結婚して三年になるという。現場にいた不審人物を訊問したところ妻の跡を尾けてきた亭主、前島貞輔だった。それにより判明した。貞輔は八千代が隠れて売春をしていると疑っているという。その話しである。偶々出た電話であった。男が八千代の旧姓は金井かときいた。そうだというと、手紙を裏の神社の賽銭箱に置いておく。旧悪を亭主に漏らされたくなければ取りにこいと伝言するよういった。名前をきくと、蜘蛛の使いだといった。その伝言を八千代に伝えるよう使用人にいわせた。貞輔は神社にいって八千代の様子を窺った。手紙を手にして、しばらく呆然としていたが手紙を丸めて捨てた。それには五、六人の男の名前があった。その後、八千代の様子を窺っていた。夜半に不審な電話をかけた。それは売春の交渉である。八千代は値段の交渉をしていたという。一昨夜の電話ではずいぶん乱暴な口振りで電話を切った。それで貞輔は売春を確信した。八千代が持っている匂袋の中から相手の連絡先、昨夜の密会の場所を探知したという。場所は四谷暗坂、時間は午後十時三十分だった。密かに八千代を尾行した。暗坂の入口に大きな男が立っていた。多田の証言どおりの風体で、兵隊服を着ていた。この時木場はそれが川島だと確信した。
青木がその男の連絡先は判明しているので遠からず身許が割れるという。青木はその男が犯人だという。前島が尾行しこの宿を見張っていた。そこでその男しか出入りしなかったという。宿に入ったのが夜の十一時、出てきたのが午前三時であった。それからさらに四時間待った。次に出てきたのが多田だった。その後、警官が来て、さらに刑事がやって来たという。
凶器の線からは平野の犯行、貞輔の線からは売春にがらみの殺人とまったく違う線が出る。木場は長門とともに貞輔から話しをきく。本当にはっきり見たか。然り。鋭い目付きだった。眼鏡をかけていたはずだが。尾行してた時は不知。旅館から出た時の様子では眼鏡はかけていなかった。それから十分ほどして戻って来た。また旅館に入ってすぐ出てきた。そらから出ていって戻らなかった。その時間は三分。それから新聞配達、牛乳配達が通った。六時半頃、多田が出てきた。人目が気になったので、右隣の家との間から裏に隠れようとした。裏は隣接した家との間隔が殆どない。そこで多田が戻ってきたようだ。音がした。時間は三分。しばらく様子を見て、表に出て、反対の左側の路地に入った。こちらは勝手口がある。その路地に潜んでいた。また音がした。多田が出てゆくのを見た。七時半頃だった。手に風呂敷包みを持って出ていった。しばらくして警官を連て戻ってきた。八時半だった。長門が警官とともに八時半に戻って来たのは時間がかかり過ぎているという。どこかに寄ったのかという。警官が来るまでは誰の出入りもなかったか。然り。青木が木場に死亡推定時刻は午前三時だという。木場は八千代に騙されたと非難する貞輔の態度に腹が立った。貞輔にも十分な殺人の動機があることに気がついた。青木が木場に四谷署の刑事が元精神神経科医師の降旗弘のことで探していたといった。降旗は木場の幼馴染であり、昨年十二月、木場が関係した逗子湾金色髑髏事件にも関わった人物である。その刑事によれば降旗は医師を辞める直前に平野の診察をした。それが犯行の前日だったという。その刑事はさらに事情をきこうとしたが東京に戻ったが現在の所在がつかめないという。逗子湾金色髑髏事件を知るその刑事が調べるうちに木場が降旗の所在を知っていると思ったらしい。木場は知らないといってその話しは終った。木場は青木を誘って信濃町の屋台で飲んだ。
四谷の細民窟、売春、赤線の話し、事件の話し、密室、川島新造の話し、木場が持っている黒眼鏡の話し、犯人、大男か平野のかという話し、 四件の殺人に黒幕が存在する話し、また話しが戻って川島、川島と木場、榎木津の関係の話しをした。酔い潰れた青木を置いて木場は騎兵隊映画社の川島新造に会いにゆくこととにした。
木場は池袋の堀之内、雑居ビル五階にある騎兵隊映画社の事務所を訪れる。扉を開ける。階段から男が走り下りてきた。川島新造だった。木場を認めた。犯人はお前かときいたら、女、蜘蛛にきけといった。四谷署の刑事がやって来た。前島八千代の残したメモに川島の電話番号が残っていた。踏みこんだら女がいた。その女を殺そうとしていたという。娼婦らしい女が下てきた。刑事を振り切って外に逃れた。
後文............男女のからみあいを説明する。
2
第一日目、千葉の勝浦町である。美由紀は全寮制、基督教系の女学校に通っている。学校の図書室の横の壁にティツィアーノの複製がある。その中の基督は泣くという。図書室の入口の横に渡辺小夜子が立っていた。ふたりは庭に出てゆく。小夜子は黒い聖母の噂は嘘だった。さらに教師の山本が死んだのは呪いだったという。山本は去年の暮れに目潰し魔という変質者に殺害された。それが呪いによるものであるという。麻田夕子が火元だ。夕子が売春をしていたのを山本が知った。そのため厳しく調べられた。舎監を努めていた山本にとっても重大な責任問題となる。内密に済ますかわりに自主退学を勧められた。政治家の娘だから、体面がある。困って十三番目の白羊宮の星座石に願をかけたという。星座石とは学校の敷地内に埋めこまれている一尺四方の平たい石である。礼拝堂を取り囲むようにほぼ円を描いて並んでいる。十二星座を象った刻印がなされている。それは礼拝堂の裏手、お宮の前にある。お宮には真っ黒い仏像のようなものが安置されている。それが黒い聖母である。その黒い聖母は夜な夜な徘徊するという。小夜子がいう。
黒い聖母が願いをかなえてくれる。きっと呪いの神様だ。満月の夜、あの石版の上で儀式をする。呪い殺したい相手の名をいう。女なら礼拝堂に向って、男ならお宮に向っていう。そうすると次の満月の日までに必ず相手は死ぬという。納得できない美由紀に小夜子は前例があるという。美由紀は態度のおかしい小夜子が気になる。小夜子が夕子に呪い殺す儀式のやり方をきいてみようと思うという。小夜子がそれは本田のことかときく。小夜子の実家は昨年経済状態が悪くなった。それにともない小夜子の学校での立場も弱くなった。本田はその弱味につけこんで小夜子を陵辱したという。この学校は聖ベルナール女学院という。大正期の創立で名門である。房総半島の先の人里離れたところに所在する。美由紀は小夜子が夕子に会うのに立ち会ってもいいといった。ふたりは敷地の中を徘徊した。図書室に戻ってきた。部屋の中にいた坂本百合子を誘って外に出た。美由紀が百合子が噂をしていた十三番目の星座石のことを知りたいという。はじめ渋っていた百合子が呪いの儀式について語りだす。黒い聖母は女だから男の人だけという。七不思議が説明される。血を吸う黒い聖母、十三枚の星座石、涙を流す基督の絵、開かずの告解室、血の滴る御不浄、ひとりで鳴る洋琴、十字架の裏の大蜘蛛である。この大蜘蛛が目潰し魔である。儀式は満月の夜の十二時に、そこの星座石の上に立って呪い殺したい相手の名前となぜ殺したいのかをいうという。儀式は集団で行なわれるという。美由紀は百合子に呪い殺したい相手がいる。自分たちの願いをきいてもらえるかその集団の人にきいてほしいという。
百合子が重い口を開いて、集団の中に麻田夕子がいたという。夕子が山本を呪った。その儀式は山本が殺害される前だった。これは百合子が別の友だちからきいたことだという。夕子は売春をしていたのが山本に知られて責められていた。このことを悪魔に申告したという。美由紀が夕子に会いたいが会えないので誰か他の人はいないかときく。百合子は「おり...」といって驚いて口を閉ざした。美由紀が後を見ると作業服姿の男が立っていた。厨房棟の職員だった。百合子が立ち去った後に小夜子があれは織姫のことかという。美由紀が否定する。それは学院一の才媛、学院創設者の孫にあたる。現理事長は義理の兄である。ふたりは礼拝堂の裏のお宮の前に出た。小夜子が星座石の上に乗って叫んだ。誰でもいいから本田幸三を殺してくださいといった。美由紀が慌てて止めた。誰か見ている気配がした。お宮の脇の壁に指の跡がついていた。美由紀がまた明日考えようといって小夜子と別れた。
第二日目、翌日の放課後、美由紀と小夜子が中庭の泉の石の縁に腰を掛ける。小夜子がこれから本田に会うという。百合子がこちらに向ってくる。少し脚を引き摺っている。百合子が蜘蛛の僕の人たちが会いたいといっているという。本当に憎い人がいるなら殺してあげるが、そのためには仲間になる必要があるという。しばらく考えていた美由紀は自分だけが蜘蛛の僕と会うという。不安気な小夜子を置いて百合子と星座石のところにゆく。声が邪悪な念を抱いているのはあなたかときく。美由紀が姿を見せるようにいう。姿を見せない相手に呪い殺せるという証拠を見せてほしいという。突き飛ばされたように生徒がひとり出てきて、倒れた。それが証拠だ。彼女が美由紀を導く。すぐにこの場を立ち去れという。彼女を抱えるようにして礼拝堂の横に戻る。小夜子が駆け寄ってくる。麻田夕子であることがわかる。夕子はふたりに仲間になるな。自分は仲間から抜けだそうとして制裁を受たという。小夜子が本当に呪いは効果があるのかきく。自分は呪いをかけたい。どうするのか教えてほしいと夕子を迫める。止める美由紀を振り切ってなおも夕子に迫まる。夕子が本当かどうかわかる。明日は満月だからという。自分はもう戻れないという。美由紀が視線を感じる。夜、夕子の個室棟に行くと約束して別れる。厨房の裏に行って美由紀が何があったのか小夜子にきく。しかし答えはなかった。美由紀が本当に本田を殺したいのかきく。認める。美由紀はそれを確認してその場を去った。
夜、礼拝堂の前で小夜子と会う。個室棟の扉を開けて中に入る。二階の部屋で夕子に会う。改めて自己紹介をする。美由紀が売春は事実かときく。認める。蜘蛛の僕から夕子に呪いの方法をきけといわれたからといって、美由紀は夕子にきく。夕子は仲間からふたりを仲間に誘うようにいわれた。自分はたぶん仲間から抜けだせない。ふたりを巻きこみたくないという。美由紀が小夜子の事情を説明する。夕子は話しだす。自分たちは蜘蛛の僕という集団を作っている。それは呪いの儀式をする集団であり、売春をする集団である。だから仲間に入ることは売春を強要されることだ。これは基督を穢すための行為だ。はじめはたんなる遊びからはじまった。あの方が何処から魔法書を持ってきて、そのとおりにすることとなった。そのためある筋を頼って売春を行なうこととなった。そこで問題が生じた。あの方が解決してくれた。あの方は悪魔と契約をした。だから魔力がある。あの方のいうとおりにしたら悪辣な淫売は死んだ。それは悪魔が力を貸してくれたからという。抜けたくなった。しかし山本に知られてしまった。進退極まって山本を呪い殺すように願った。すると本当に死んだ。だから自分は魔女となった。魔女のようなあらゆるおぞましいことを行なう。呪うなら小夜子は魔女になる覚悟が必要だという。美由紀が事情はわかった。そんな呪いは嘘だという。夕子が実は三人目の女を呪った。それが本当に実現するかどうかが今夜わかる。それは最初の女の仲間、名前は前島八千代であるという。美由紀が嘘だと断言した時、部屋の扉が開いて織作碧が入ってきた。室内にいるふたりの名前を確かめる。恐縮する夕子にかまわず、静かにするように注意して立ち去る。その間際に扉の下に挟まっていた紙片を拾い上げて夕子に手渡した。それは新聞の切抜きだった。目潰し魔に前島八千代が殺害されたという内容だった。
小夜子が自分が呪いをかけたことに驚愕する。宥める美由紀に、妊娠したことを本田に告げた。本田は誰の子どもかわからないといったという。話しているうちに昂奮が進んでついに死んでやるといって外に飛びだした。それを追っていった美由紀は階段の中程で碧に会う。いっしょに探してほしいと声をかけて階段を駆けおりる。中庭に立って小夜子を呼ぶ。碧が校舎の横を示す。校舎にたどり着くが見当たらない。月明かりの下に女の着物がひるがえる。着物を頭から羽織っている人物だった。着物の下は漆黒だった。碧が美由紀に声をかける。黒い聖母たという。夕子が小夜子が校舎の二階にいるらしいという。悲鳴がきこえる。美由紀が階段を駈け上る。夕子と碧がつづく。屋上に出る。そこに本田の死体が横たわっていた。小夜子が喚きながら屋上から身を投げた。
後文............男女の会話が付加されている。男は女に匿まわれている。
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第十日目、千葉興津町である。町田で釣り堀屋を営んでいる伊佐間一成は長い人々の葬列を見ている。側にいた元漁師の呉仁吉老人がこの地方の資産家、織作雄之介の葬式であるという。旧家の当主、年齢五十歳、死因は毒殺との噂もあるという。ふたりは外に出て人を待っていた。仁吉が部屋の中でさらに語る。織作家は昔悪事を働いて金を儲けた。代々祟られて入り婿は早死にするという。祟は天人女房の伝説に関係する。伊佐間が知っている話しは次のようである。ある男が水浴中の天女を発見し、木の枝にかけてある羽衣を隠す。天女は帰れなくなって、そのまま男の妻となる。子を生して後、隠していた羽衣を発見した天女は天に帰る。仁吉はその話しがすこし違っているという。織作の先祖は羽衣を隠して天女を妻とした後にその羽衣を高く売った。それで長者となった。ところが女房がそれを後で知って怒り狂う。悔しいから騙した織作の血筋を絶やそうとする。だから入り婿を祟り殺すという。つまり織作家を呪っているのは織作家の女だという。明治以降の話しとなる。織作家は明治から大正にかけて織物で儲けた。織作紡織機が会社の名前である。明治三十五年、御殿を建てた。明神岬の突端に建つ洋館である。織作の先代が地元にいろいろと寄付をする他に隣町の山の方に女学校を建てた。ここに仁吉の孫娘が入学している。今の雄之介の代の話しである。去年亡くなった財界の大物、柴田耀弘は先代と密接な関係を持っていた。雄之介の代に入って織作紡織機は柴田グループ傘下に入り、雄之介自身も柴田の片腕といわれるまでになったという。話しがつづく。
雄之介は越後出身、婿養子である。過去にも多く婿養子を迎えている。先代も先々代も婿養子だった。雄之介の婿入りは大正十四年だった。毒殺の噂に戻る。去年の春に長女の紫が急死した。そのときも毒殺の噂が立った。焼香が終ったらしい。門前に人々が集っている。仁吉が窓から顔を突きだしていう。雄之介の妻で喪主の真佐子、四十七歳である。三女の葵である。四女の碧である。次女の茜である。次の当主の話しとなる。昭和二十六年次女の茜が婿を取った。婿養子の是亮である。これは使用人の息子である。真佐子は反対だったが雄之介が決めたという。是亮は柴田傘下の会社の経営を任されたが失敗した。会社は昭和二十七年の春に倒産した。別の子会社に出向したが他の者の下で働くのを嫌い辞職した。夫婦仲も荒れた。いつまでも無職では世間体が悪いので昭和二十七年の秋に聖ベルナール女学院の職をあてがわれた。紫は死亡、茜の夫の是亮は無能、二十二歳の葵は自分の考えから結婚を拒否、碧はまだ十三歳である。次代の当主を誰にするか問題となっているという。また毒殺の話しとなる。長い行列が進んできた。
御輿のような立派な棺、喪服の人々、葵、碧、真佐子、茜が通る。仁吉が真佐子を綺麗だから女郎蜘蛛といった。織作の内情を知る情報源がやってきたという。大柄な老人が引き戸を開けて入ってきた。織作家の使用人で是亮の父親、出門耕作である。出門は是亮が葬式に参加していないので肩身が狭いという。世間話の後に仁吉が釣りで伊佐間を泊めたという。釣り場の話しとなる。出門が茂浦という釣り場にある首吊り小屋に昨夜通りかかったところ燈りが灯いていたという。ここは安江という女が住んでいたが、今は廃屋となっていた。安江は昭和八年頃に住みついて、近所とのつき合いはなかった。八年前に首を吊って死んだという。はじめは男の子と二人で暮らしていたが、その子は昭和十年、跡取りとしてどこかに引き取られたという。そこは淫売小屋との噂もあった。海の怪談話となる。仁吉が海から拾いあげた仏像の話しとなる。伊佐間は一昨日、仏像他の仁吉の蒐集品を見て驚いた。仏像は昭和二年だといった。仁吉と伊佐間は人が来ることを気にしている。それは仁吉が伊佐間に蒐集品を見せた時に近々金が要るので売るといった。伊佐間がその前に知り合いの古物商に鑑定して貰えといった。そこでその古物商を待っているのだった。出門はその古物商に織作家の屋敷まで寄ってほしい。真佐子が雄之介が蒐集した書画骨董を処分したいからという。真佐子が雄之介、その他の柴田関係者に不信感を持っているという。出門はそれからしばらくして立ち去った。夕方、古物商、今川雅澄が到着した。
今川と伊佐間は戦友である。最近ひょんなことで再会したので、鑑定を依頼した。納屋で蒐集品を見た今川は面白い。しかし値はつかないといった。仏像を渡されて、これは神像だという。しばらく考えて言い値で買うという。仁吉が今川の態度に当惑したようだが、やがて金額を耳打ちした。伊佐間は織作家の書画骨董を扱えば十分元がとれるのでこれでよいと納得した。今川は日を改めて織作家を訪問するといったが、仁吉が無理に引き止め宿泊することとなった。夕食は酒宴となり、さんにんは酔って寢た。
第十一日目、翌朝、目覚めた伊佐間が板戸を開ける。笠を被り蓑をまとった男がこちらに進んでくる。女物の着物を着ていた。悪寒がした。背中の方から仁吉の声がした。今川も起きていた。朝食を済ませ七時に仁吉の家を出た。海岸に迂回してのんびり向った。途中で家格のこと、男と女のの区別のことを話した。海岸を離れ、人家の横を抜けて勾配のきつい横道に入る。林を抜け、坂の上に洋館が見えた。これが目的の蜘蛛の巣館だった。全体に黒い洋館だ。前庭に桜が植えられ、館につづく道に背の低い樹木が生えていた。後は断崖だった。
門前に到る。鉄の門扉、石の門柱の正門に煉瓦造りの壁が広がる。横の通用門に向った。中をのぞくと突然大声が響いて、中から女中らしき女が飛びだした。今川を泥棒扱いした。出門が出てきた。女中はセツという。昨日も誰かが見ていた。今朝も見ていたという。人違いとわかり謝った。出門がふたりを案内する。館の中に入り、廊下から吹抜けのホールに到る。そこにはペルシャ絨毯が敷かれ、洋卓、椅子八脚が置かれていた。中を突っ切ると螺旋階段である。二階にはホールを巡る回廊がある。奥につづく廊下へと折れる。三階もあるようだ。出門が複雑なようだが慣れるとわかりやすいという。今川が立体的、かつ放射状に部屋があるという。伊佐間はそれならどこかに蜘蛛の巣のような中心があるのだろうと思った。
黒い扉を開けて入った部屋に真佐子がいた。真佐子が是亮はどこか出門にきく。答えられない。この部屋で控えているよういう。挨拶が交される。隣室の書画の部屋に案内される。今川が唸った。雪舟、雲谷、山楽、牧谿などの名前が出る。隣室の陶磁器の部屋に移る。偽物もあるという。今川の言い値で引き取ってほしいという。驚く今川に真佐子がそうしないと偽物が本物として市場に出回る怖れがある。それでは織作家の名前が穢されるという。伊佐間は真佐子が是亮のことを念頭に置いていっていると了解した。窓から外を眺めた。墓石群がある。今朝見た蓑が光った。セツの声がしたと思うと是亮が入ってきた。茜が必死に制止しようとしていた。真佐子がいいたいことがあるならきくと是亮にいった。是亮は雄之介の亡き後は自分が家長だ。勝手に書画骨董を処分するのは許さないという。出門が是亮を制止しようとする出門を口汚なく罵しる。真佐子が是亮を叱正する。黙ってしまった是亮はしばらくして部屋を出ていった。出門がひたすら恐縮する。つづいて茜が謝る。そこに葵が入ってくる。茜を批判するが、非難しているようになる。真佐子がたしなめる。葵が気をとりなおして昼食の用意ができたことを知らせ部屋を出る。
真佐子が黒い扉を開けた。そこには部屋がなく廊下だった。階下につづく階段を下りると廊下になった。そこの窓から庭が見える。建物の前方が張り出しているのが見える。書斎だった。そこに是亮がいる。はっとする。窓の端に女物の着物が見えた。その袖から手が出ている。是亮がもがいている。首を絞められていた。茜が大声をあげて駆けだした。伊佐間もつづく。ホールに出る。葵と碧が洋卓に腰掛けている。茜は螺旋階段の下の廊下に向う。伊佐間もつづく。何度か廊下を曲って、突き当たりに出る。茜がそこの書斎の扉を叩いている。真佐子が合鍵を持って来た。焦るばかりで開けられない茜に代わって伊佐間が扉を開けた。割れた窓ガラスの下に是亮が倒れていた。死亡している。
後文............男女の対話が付加されている。女は男をいたぶっている。
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第十二日目、東京の神田である。元刑事の益田龍一が神保町の駅で下りて、迷ったあげくに榎木津ビルディングの前に立った。その三階の薔薇十字探偵社で、すこし逡巡の後にその扉を開けた。秘書が出てきたので取次を頼んでいる時、探偵の榎木津礼二郎が出てきた。榎木津は他人の記憶が見えるという特殊能力を持ち、依頼人の話しをきかないで、ずばり失せ物をあてる。犯人をあてるという天下無敵の探偵である。益田は箱根の事件でお世話になった者と自己紹介をした。榎木津は待っていた来客でないと知って部屋に戻ろうとする。益田が慌てて用件を切りだす。益田は国家警察神奈川県本部の刑事だったが二月に起きた箱根山僧侶連続殺人事件を担当したが、その時の不手際で左遷され、刑事を辞職し、探偵になる決心をしたという。榎木津は探偵は特殊な能力が必要だ。無理だという。ではその弟子にしてくれというと、それではこれから人を探してほしいという依頼人が来る。それを見つけることができれば雇うといった。扉が開く音がした。
二十八歳くらいの女性だった。杉浦美江と名乗り、用件を話しはじめる。配偶者杉浦隆夫がたぶん昭和二十七年夏に失踪した。自分は現在別居中である。結婚は昭和二十六年四月、隆夫は小学校の教員だった。その二ケ月後、受け持ちの生徒たちと遊んでいたが、弾みで怪我を負わせた。強度の神経衰弱から職場を放棄した。誰とも口を利かず、誰にも会わず、部屋に閉じ籠っていた。昭和二十七年二月、美江は世話に疲れはてて家を出た。この二月に戻ったらいなかった。近所の人にきくと昨年八月まではいたらしいという。益田がなぜ探したいのかきく。榎木津がそれは離婚したいからという。認める。ここで男女対等の議論がはじまる。益田が美江が女権運動に参加しているのかきく。自分の故郷、千葉の勝浦で行なわれる集りに参加している。そこで隆夫の噂をきいたという。興津町に酒舗を隠れ蓑に売春を斡旋している店がある。その経営者が川野弓技という女性である。それが十月半ばに目潰し魔の手により殺害された。警察の捜査で数人の容疑者が浮かんだ。その中に隆夫がいたらしい。そこで自宅に戻り不在を確かめた。進駐軍の通事をしていた知人から評判をきいてこの探偵事務所を尋ねることとしたという。二十七年夏、雑司ヶ谷の久遠寺医院の事件を知っていた。美江は久遠寺涼子と面識があるといった。榎木津が美江がその女の人から離婚を強く勧められたのかときく。目を丸くして織作さんを知っているのかという。榎木津がそれにかまわず、離婚は本当に美江自身の意志かときく。然りという。その女性は織作葵という、婦人と社会を考える会の中心人物である。益田が事実関係を確認した。杉浦夫妻は、都下小金井町に在住した。美江の現住所は千葉県総野村である。興津町にある弓技の酒舗は「渚」という。榎木津は益田に聞き込みも調査も不要だ。二、三日でかたづけろといって出ていった。益田が困っていると、また扉が開く音がした。
弁護士の増岡則之が入ってきた。榎木津に依頼がある。榎木津も関係した武蔵野連続バラバラ殺人事件、逗子湾金色髑髏事件で現在多忙だ。その上にこの依頼があるという。いつ帰るかわからない榎木津を非難しつつ秘書の助言を容れて中野の古書店主、京極堂に話すことにする。益田も同行する。本業が古本屋、家業が神主、副業が憑き物おとしをしている京極堂に向う。引き戸を開けると奥の帳場に京極堂が座っていた。骨休みという木札を入口に下げて、奥の屋敷に案内した。増岡が話しはじめた。多忙にかかわらずやむ得ず榎木津への依頼事項が発生した。神保町の事務所には榎木津はいなかった。そこで京極堂に仲介を務めてもらいたい。嫌がる京極堂に武蔵野連続バラバラ殺人事件に端を発することだから関わりがあるという。京極堂が現在の柴田グループの頂点に位置する柴田勇治からの依頼だろうという。説明に入る。
房総半島の先端に大正時代創立された聖ベルナール女学院という学校がある。最近、そこで次々と目潰し魔、絞殺魔に殺害される事件が発生した。目潰し魔に反応した益田を指して、最近刑事を辞職したという。話しがつづく。柴田はかって聖ベルナール女学院の理事長を務めていた。柴田と織作の関係の話しとなる。織作紡織機の創始者、織作嘉右衛門は柴田耀弘が柴田製糸を興した時、資金援助をした。二代目の織作伊兵衛も耀弘と昵懇の間柄であった。この伊兵衛が女学院を創立した。三代目の織作雄之介の代に柴田グループの傘下に入り、雄之介はその中枢で活躍した。勇治は耀弘が亡くなる二十七年の秋まで女学院の理事長をしていた。その後任は織作の次女の入り婿、是亮である。是亮が理事長に就任してから、去年の暮れに山本という女教師が目潰し魔に、二月に本田という男教師が絞殺魔に殺害された。この事件には同時に生徒が投身自殺している。増岡は自分でいって絞殺魔のことを知らないという。京極堂が木更津で起きた連続殺人事件の犯人につけられた渾名だと解説する。学院経営の問題がある。生徒は妊娠三ヶ月だった。男教師が父親の可能性がある。犯人について増岡と益田の間で議論となる。京極堂が榎木津にどのように伝えればよいかきく。増岡の話しはつづく。
現場にいた生徒の証言が混乱している。本田殺しの犯人は妖怪、黒い聖母だという。黒い聖母について京極堂の蘊蓄が開陳される。京極堂が日本に黒い聖母が渡ってきたという話しはきかないという。増岡がそれらしき像があるという。目撃者は三人、二人が犯人らしき人物を見たが、もうひとりは黒い聖母であることを否定しているという。どう伝えればよいのかという京極堂に柴田からは学院の不穏な空気を一掃してほしいといわれているという。柴田がこだわるのは、本人の誠実な人柄、生徒の中にはその父兄が柴田グループと関わりがある者がいること、さらに後任の是亮の無能さがある。捨て置けなくなった柴田が事件処理に直接乗りだしている。ところがこともあろうに昨日、是亮が絞殺魔に殺害された。これには先ほどの生徒がまた黒い聖母の犯行である。自分がそのように頼んだといっているという。増岡が経緯を整理する。本田が殺害された十日前、雄之介が亡くなった四日前、是亮が昨日である。その生徒は緊急職員会議でそう主張したという。ここで増岡ははじめて気がついたように京極堂のほうが適任であるといって、依頼できないかきく。京極堂がにべもなく断る。諦めた増岡に京極堂が榎木津は女学生が好きだから引き受けるかもしれないという。次に益田に用件は何かきく。
二十七年の夏頃、小金井で男が失踪した、それが千葉の目潰し魔の事件に関わっているかもしれない。調査してほしいという依頼を受けた。それを見つけることが益田が探偵助手に採用される条件である。増岡がそれは教師山本のことかときく。益田が酒舗の女主人であるという。美江のことを話した。フェミニストの話題が出る。葵のことを話すと増岡が織作家の三女、女性運動をしているといった。偶然の暗合に驚く益田に、京極堂がふたりは見えない蜘蛛の糸に操られてここにやって来た。偶然の要素がたくさんあるが早晩ここに来るように仕掛けられていたという。京極堂が益田に調査対象者の名前をきく。名前に心当りがあるらしい。増岡が鞄の中から書類を取りだす。学院の職員名簿の中から厨房棟臨時雇用職員、杉浦隆夫、三十五歳、二十七年九月採用という項目を見つける。京極堂がこの段階では杉浦隆夫を疑えというのが用意された結論だといった。
後文............男女の対話が含まれる。男に非難されて女が縊死する。
(つづく、あと二回で完結する)
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