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謎解き京極、魍魎の匣その2 [京極夏彦]

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この連作の趣旨、体裁は「謎解き京極、姑獲鳥の夏」で説明した。

あらすじ2

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9月22日、中野の関口宅に鳥口がやってきた。御筥様の正体をさぐろうと潜入したがばれて、追いかえされた。助けをもとめる鳥口をつれて京極堂にいった。はじめて、であった鳥口をみて、京極堂がそれと指摘した。さらに故郷や子供時代のことを奇跡のようにあてた。驚く二人に種明かしをした。霊能者の手口であった。やがて壮大な宗教論がはじまる。鳥口は意外な理解力をしめし京極堂をよろこばせた。京極堂が明治時代、東大助教授福来友吉が御船千鶴子という千里眼の能力をもつ女性を発見したが、強い非難をあび、自身は学会を追放され、御船は自殺したという。やがて鳥口に何を取材しようとしてるかきく。御筥様だという。その話しである。

8月22日鳥口の社に情報の売りこみがあった。御筥様の信者名簿だった。喜捨額がすくない信者には不幸がくるよう工作してると示唆した。そから取材を考えていた時期にバラバラ事件がおきた。それは、8月29日から9月21日にわたった。各所に9件が発生した。鳥口は警察から被害者4人の身元情報を入手した。名簿と照合すると、該当者がいた。これで御筥様に取材を試みたが、見事に失敗した。事情をきいて京極堂が相手側のからくりを説明した。しばらく考えていた京極堂が鳥口にその教主の詳細を取材するよう依頼した。関口に監察医の里村に名簿の情報をながすようたのんだ。関口はそこに新進作家久保の名前があるのに気がついた。

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9月24日、小金井の下宿で木場が謹慎してた。研究所での命令無視の結果だった。あらためて加菜子誘拐の詳細を回想した。混乱した中でそれぞれの行動を思いだした。須崎の死が美馬坂からつたえられた。雨宮が失踪した。陽子が混乱し助けを木場にもとめた。そこから木場は神奈川県警により拘束された。同僚刑事の青木がやってきた。

青木が神奈川県警の動きを説明した。加菜子と財界大物との関係に配慮し大袈裟な警戒態勢をしいたが、誘拐予告状は狂言とみてた。だから事件が発生して驚愕した。青木が武蔵野連続バラバラ殺人事件の概要を説明し助言をもとめた。四人の身元はわかった。そこに同一宗教の信がいるのがわかった。木場は監察医里村をたずねた。

加菜子がバラバラ事件の被害者の可能性があるかきいた。血液型から即座に否定した。里村が関口がこの事件のことでやってきた。被害者に穢れ封じ御筥様の信者の可能性があるという。木場に名簿をわたした。木場は中野の関口をたずねることとした。

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9月24日、神田。榎木津の事務所に柴田財閥から増岡弁護士がやってきた。加菜子をさがしてくれといった。事情を説明した。柴田燿弘は柴田財閥の創設者である。燿弘の家族は死亡し加菜子が惟一の相続者である。加菜子は当時無名女性、後の女優美波絹子と燿弘の嫡男弘明の息子弘弥とのあいだの子どもだった。昭和12年に駆け落ち騒ぎをおこした。燿弘は養育費をはらうなどの条件で二人をわかれさせた。条件を監視する役目で雨宮が絹子のもとに派遣された。ところで今年の7月である。

燿弘が脳溢血で倒れた。柴田財閥は後継者として養子をむかえていたが、燿弘は加菜子にすべての財産をゆずるといいだした。陽子は相続を拒否したが加菜子の意志確認が必要となった。しかし失踪してしまった。そこでさがしてほしいと依頼した。燿弘は9月22日に死亡したといった。資料をわたし辞去した。

9月24日、中野の京極堂である。榎木津が増岡の依頼を話した。関口の回想である。鳥口は御筥様を調査した。関口は稀譚社の編集者小泉からの手紙と新進作家久保のゲラをみた。本日朝、監察医里村をたずねた。鳥口とともに京極堂にやってきた。回想がおわる。

関口が京極堂に話す。武蔵野連続バラバラ殺人事件の犯人は、解体するために殺したという里村の見解をつたえた。鳥口が話す。御筥様の教主は寺田兵衛。父が三鷹で大正に人形の箱製作をはじめた。兵衛は昭和8年に家業をついだ。腕のよい職人だったので、人形だけでなく精密な箱をつくれる。大学、軍隊からの注文もうけた。軍隊に召集され復員した。箱屋を再開した。妻と息子がいたはずだが失踪していた。昭和26年御筥様が誕生した。隣家の風呂屋の話しである。

昭和25年暮れ、寺田家からあずかった箱をみつけ、兵衛に返却した。事情をきいて京極堂は、それは千里眼を鑑定する福来助教授の箱だといった。箱の中に壺があり、そこに魍魎と書いた紙がはいっていた。翌年から信者が出入りするようになった。教義は風通しの悪いところには不浄がわく。心も同じ。不浄な財産は御筥様に喜捨せよというもの。京極堂が膨大な魍魎についての蘊蓄を語る。魍魎はどう論破してよいかわからないという。鳥口が東京通信工業の携帯用テープ式録音機で録音した呪文を紹介した。京極堂は、御筥様には背後に関与してる第三者がいると指摘した。榎木津が加菜子と関係する頼子にあいにゆくので関口の同行をもとめた。やりとりの中で頼子の母君枝が信者であることがわかった。そこに木場が登場した。

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9月25日、榎木津と関口が小金井の楠本君枝宅をたすねた。中からの応答がなかったので近くの喫茶店にはいった。そこに新進作家久保がいた。不審がる久保にかまわず榎木津が話しかけた。加菜子の写真をみせると、それをくれ、心当たりがあるといった。さきにでた久保について、榎木津は待合せをしてるといった。君枝宅にもどった。

頼子がいた。きくと母は中にいるという。待ち合わせがあるからと立ちさった。君枝があらわれた。中にはいって身の上話しをきいた。不幸な生い立ちから男にであい、この家を手にいれた。家に執着して不幸になった。娘にもわるいから自殺しようと思ったという。関口が信者となった経緯をきいた。信者をやめるようにいったがきかない。榎木津が頼子の命が危険だと指摘した。

小金井の女学校の前で福本巡査が女学生に、天人五衰、屍解仙、羽化登仙という言葉をならったかきいている。ないとわかった。これは木場の依頼だった。木場が陽子宅をたずねた。

陽子が話す。雨宮のこと、弘弥のこと、相続拒否のこと、さらに美馬坂のこと、母のことを話した。木場は増岡弁護士との交渉のことをたずねた。これは自分の事件だと感じた。

おことわり

京極作品を未読の皆さん、どうかここを不用意にのぞいて将来の読書の喜びを損なわないよう、よろしくお願いする。

文庫版 魍魎の匣 (講談社文庫)

文庫版 魍魎の匣 (講談社文庫)

  • 作者: 京極 夏彦
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1999/09/08
  • メディア: 文庫


再度の警告。本文にはいわば「ネタバレ」が溢れている。未読の方には勧められない。では本文である。




謎解き京極、魍魎の匣その2

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九月二十二日、中野である。関口は短編集の校正作業を二十日に終了し、来訪した編集者に原稿を手渡した。その後打ち上げの酒席が持たれた。その影響がまだ残っていた。久遠寺医院の事件以来、京極堂を訪れていない。この短編集の各編の順序について意見をききたいと思っている。表で声がした。月刊實録犯罪の編集者、鳥口だった。また出た。バラバラ事件は、いまや武蔵野連続バラバラ殺人事件となっているという。相模湖の帰路、遭遇した建物、研究所については、敦子が相当調べたという。当初狙っていたこの事件は雑誌報道各社が注目するところとなったので、三鷹の穢れ封じ御筥様に狙いを変えた。先日、鳥口は御筥様を調べようとしたが正体がバレて追い返された。宗教は苦手なので関口に相談に来たという。関口は鳥口を連て京極堂をたずねることとした。

京極堂は今日は休みだった。京極堂の妻千鶴子によれば先ほどまで友人の釣り堀屋、伊佐間が来ていたという。鳥口は初対面である。書斎に上がると、すぐさま京極堂が月刊實録犯罪の鳥口と指摘する。つづいて、武蔵野連続バラバラ殺人事件は早期解決は望めないので次号の締切には間に合わない。この取材には編集長は乗り気ではないと指摘する。関口は一方的に喋る京極堂にすこし反発してどうして鳥口のことが解ったのかときく。鳥口もどうしてかときく。京極堂はさらに鳥口の子供時代のことを指摘する。ことごとく当たっているのでますます驚く。京極堂が知っていたから解ったのだと種明かしをする。三十分前、厠に立ったとき妻と二人の会話をきいた。昨日敦子がやって来た。鳥口についての情報源を明きらかにする。研究所についてもきかれた。それには深入りするなと警告した。関口がそれだけで納得しない。京極堂が神社のお宮の数、杉の木の数を当てたが何故かときく。京極堂がいう。

敦子から鳥口が若狭の遠敷郡(おにゅうぐん)、納田終(のたおい)の出身であることをきいていた。それに関連する知識がある。納田終は、名田庄村。名田庄は土御門家の知行地。これは安倍晴明の血統を受け継ぐ家系、応仁の乱のころ、土御門家は清明の分霊をここに遷宮して祀った。京極堂はここで武蔵清明社の宮司をしている。この関連知識を持って、あとは顔色を見ながら指摘したというわけだという。京極堂のいたずらめいた行為にとまどうだけの関口のかわりに鳥口が御筥様の手口の説明に関連していることに気がつく。京極堂が敦子から鳥口があやしげな祈祷師のところに潜入取材を企んでいることをきいていたという。千鶴子が水羊羹を持って来た。これは伊佐間の手土産である。これから山陰の方に行くそうである。関口が京極堂の他の祈祷師、占い師もいまと同じような手口かときく。榎木津のような特別な能力を使うのは別にして同じという。ここから京極堂の霊感、占い、宗教、超能力についての壮大な議論が展開さるる。

これらはとかく、いっしょくたにして考えがちだ。例えば宗教を批判する方法論で超能力を批判しても的外れだ。その逆も然り。敵はこの混乱に乗じて煙に巻く。いよいよ胡散臭くなる。批判する側にはどこが違っているか解っていないので批判のしようがないという。どこが違うのかと鳥口がいう。便宜的に宗教者、霊能者、占い師、超能力者と分ける。ひとりの人間の中に重複して存在することがある。例えば、宗教を持つ超能力占い師などである。そこで奇跡という事柄に関して論じる。これで四者を明確に区別して議論できる。定義を明確にする。

奇跡は、通常起こり得ないと考えられている現象。この四者全体にたいして、活動の一環として奇跡を取り扱っている人々と考える。いろいろある奇跡にうち、四者で共通するものを考える。未来のこと、過去のこと、自分の知らない事実、第三者には解らない事実、こういう通常知り得ぬことを探知して告げること、「秘密の解明」と取り上げる。四者の違いはそれぞれの目的、起きた奇跡にたいする説明体系に違いが現われる。京極堂の弁舌が冴えてくる。

宗教者の場合である。信仰すること、それに伴なった布教が目的である。奇跡はその過程で起きたという位置づけである。説明の仕方は二つある。神が起こしたという説明。次に信仰心、真摯な信仰心が起こしたという説明である。次に霊能者の場合である。修行して霊能者となる場合などは宗教者と区別がつきにくい場合があるが、霊能者は信仰や布教を目的としない。目的は救済である。この特殊技能にたいし対価を得るという考えが生じる。説明の仕方は、霊能者に奇跡を起こす力があるというものである。さらにそれは何故かという説明では修行、信仰により、あるいは生来備わっていることによるなどの説明がある。次は占い師である。占いは中国の易とか西洋占星術である。これは理論を学びさえすれば誰にでもできる。営業しているから目的は営利である。説明の仕方はそれぞれの占いの理論による。それだけである。関口が近頃は霊感占いといわれるものがあるという。それは理論の部分に宗教や霊能者のそれを持ってきただけ。占いとしては成立していない。最後に超能力者である。これに目的というものはない。なろうとしてなれるものではない。説明の仕方といっても説明のしようがない。榎木津のようなもの。話しがさきほどの種明しに戻る。

京極堂が超能力者として鳥口のことを当てたといったらどうだ。関口はそれは嘘だったし、まず信じないという。榎木津はどうだという。それはないことはないと認める。では未来予知をしたらどうか。これは簡単に検証できるからすぐ破綻するだろう。これで見極めがつくという。

次に占い師を標榜したらどうかという。まあ占いの理論を簡単に否定できないから、ありそうだと信じるだろう。ところがこれも未来予知をしたらどうか。例えば、鳥口は非常に悪い運気に入る。災難がどんどん襲ってくるといったらどうか。関口は過去を当てたから、未来も当たると信じるだろうという。そうかもしれない。しかし未来のことなど誰もわからない。当たることもあれば、そうでないこともある。ところが悪い未来が幸いにしてはずれたら用心したお蔭で運勢が変ったと占いに感謝する。また占い師のところにやって来る。やり過ぎるといけないが、これで見料が稼げるわけだ。このあたりで見極めをつければよかろう。

では。霊能者はどうか、悪い未来予知をする。霊障を取り除きましょう。法外に高価な壷を買わされたりする。見料より高くつく。しかし売りつけて終りである。これで救済されればよしとする。ここで見極めをつける。

これが宗教者ではどうか。例えば鳥口がどこかの宗派に入信したとして信者になったらどうか。最初の入信を誘うときいった嘘も、未来予知も、霊障を取り除く加持祈祷も嘘だったとしても信じることにより救われるのならそれでよい。これは際限がない。生活全体が破綻するかもしれない。しかし信ずることで救われるならこれもよい。ここが見極めをつけるところだという。関口がどうも納得しがたい。宗教も詐欺と変らないと文句をいう。

この四者がいわゆるペテンを働いたらどうなるかを考える。超能力者である。これは基本的な能力自体を偽っている。完璧なペテンといえる。占い師である。過去現在ではペテンだが、未来予知をしたとしたら当たる場合もある。これは占い師の全否定にはつながらない。過去現在の指摘は客寄だと割り切ることもできる。霊能者はどうか。彼らの本分は祈祷、お祓いによる救済である。最初の部分にペテンがあっても差し支えない。要するに効き目があればよい。首を傾げる関口に京極堂がこういうものだと断言する。心霊術は説明し難い霊というものに便宜的に形を与える機能を果している。これはけっして不可解でも、非科学的なものでもない。その方法を公開することにより占い師と同じように客寄せを行なっていると割り切ることも可能である。さらに、占い師と違い、未来のことについては、お祓いをしないと悪いことが起きるという漠然とした表現に止める。これは未来予知ではない。だからけっして外れないともいえる。しかし霊能者は人を救えなければ霊能者といえない。そのために事前調査を行ない、信者の過去現在を当てる。またその情報を一番よいた時機に公開する。こうして信者の信頼を勝ち得ることが重要だという。榎木津の特別の能力はさることながら、その公開の時機はまったく無茶苦茶だ。これとは違う。霊能者の救済能力を問題にするのはわかるが、その説明のペテンを問題にするのは意味がないという。鳥口が感心したように、だから霊能者は占い師と違い苦情が出ないという。京極堂の話しがさらにつづく。

最近の霊能者はこの理屈を知らない。すぐに手口がバレる。だから効き目がないと苦情が出る。だから占いより、投機的、一発勝負の面が強くなっている。祈祷料が高くなり、高額の壷を売りつけたりする。ヘボな霊能者は情報収集のネタが簡単にバレる。本来明きらかにすべきでない霊能の由来を明かすという体たらくであるという。鳥口が本来霊能者は未来予知をしないものかときく。そのとおり。未来の予知ではなく、ほとんどは現在の状況を招いた過去の因縁の解明である。それを取り除けは今より未来がよくなるといっているだけだ。未来予知はリスクが高い。鳥口が宗教者はどうかときく。予言しないというが関口が予言者がいるという。あれは預言者、神の言葉を預かる者だという。予言の話しがつづく。予言が外れると神様が外したことになる。神様の面子が丸潰れだ。危険である。釈尊は瑞兆、天変地異、観相、夢占いを止めるようにいっている。しかしお経の中に何万年も先、同時代の人間には確認しようがない先を予言したものはあるという。予言する坊主は破戒坊主である。たしかに存在するが、たくさんいる僧侶の中で毛色の変った色物のような扱いを受けている。教団の主流にはならない。鳥口が祐天寺でお祓いを受けたという。京極堂が説明する。

目黒の祐天寺のことである。鬼怒川の羽生村、累(かさね)の怨霊を祓い鎭めたことで有名な祐天上人に因んだお寺である。祐天上人は怨霊調伏、水子供養の草分けのような人だ。この人は浄土宗の大巌寺、伝通院(でんずういん)を経て、増上寺の住職からついには大僧正に上り詰めた人だ。大巌寺の住職に大抜擢されるまでは教団とは無関係の宗教浪人だった。それは浄土宗のような由緒ある宗派では悪霊祓いなどは色物で論外だった。しかし完全に切り捨てたわけでなく、民間の実践者として評価していた。納得しかねる関口を無視して、鳥口のアフリカあたりの呪術者はどうかときく。ここからさらに宗教論が展開してゆく。

今までは普遍宗教のことを話していた。鳥口のいうのは民族宗教というものである。仏教、基督教、回教が前者であり、世界宗教とも呼ばれ人種、国籍を問わず誰でも入信できるもの。布教して勢力拡大を図るものでもある。普遍宗教は個人を救済するのに、民族宗教は民俗、国家、集落、血縁集団といった特定の集団を救済する宗教だ。本邦の神道もそれである。これに入信するにはその国に国籍を置くなり、村の住民になるなり、血縁関係を結ぶなりするほかない。基本的に布教する必要はない。民族宗教の場合は宗教的象徴として呪術者が必要だが、その機能は霊能者とほとんど変らない。たんに神の代理人である。教義を説いて布教活動に勤しむ宗教者としての性格はまったく持っていない。関口が京極堂は神主だ。宗教者であり、霊能者ではないと反論する。京極堂が自分も含め神主は霊能者である。日本独自の発展を遂げて現在の姿があるが、もともとの姿を見れば秘境の呪術医と変りはない。もともとは、神主は持ち回りでやっていた。これは合理的なシステムである。世襲制なら断絶の危険がある。在職中に災害、天変地異があったら神主は責任を取る。つまり死なねばならない。制度が整い神職が世襲となったころに未来予知を託宣することを止めたという。鳥口が話しをまとめるようにいう。

超能力者にはペテンは一切許されない。占い師の場合、導入部分でのペテンは容認できる場合がある。しかし本来の領分にない祈祷、供養などを求めるのはその範囲外の行為であり、注意が必要である。霊能者の場合、バレないかぎりペテンは許される。これを糾弾してもしかたがない。しかし、救済できない霊能者は無能と非難されても文句はいえない。無責任に予言をしたり、やたら料金の高いのも要注意だ。最後に宗教者の場合は、教義に問題がなければ、むやみに批判糾弾すべきではない。ただし教義と無関係のところでの活動は宗教活動と見るべきでない。それはそれとして批判すべきだという。京極堂は大いに共感する。

関口は議論で置いてきぼりになった。腹いせにのように、京極堂のようにペテンは放置し容認する態度がオカルティストの増長を招いていると非難する。京極堂が溜め息をついた後、その用語の説明をはじめる。オカルトは隠されたという意味の言葉。十六世紀に初出、その考えはルネッサンス以降にさかのぼる。オカルトサイエンスは隠された知識である。サイエンスは科学と訳すことが多いが誤訳となることがある。これには、ヨーロッパ中世に捨てられていたギリシャ、ローマ、オリエントの知識が含まれていた。その後基督教により反基督教的とされた。十九世紀に復活し占星術、数秘術(カバラ)、降霊術も含まれるようになった。その頃、勃興してきた自然科学に敵対視され、反自然科学の烙印を押された。今世紀に入って、かってオカルト糾弾の先鋒だった基督教まで、ここに含めようとする動きが出てきた。ここには玉石混淆の雑多なものが含まれることとなった。これが日本に伝来して関口がいうような無理解な見方も生じているという。関口があらためて自分の理解は京極堂のものと異ならないとむきになる。京極堂がその真贋の見極めが必要だという。関口が真贋を見極めるために中をのぞくことが必要だというと。京極堂はさきほどの四者を例にあげて話しをつづける。

手品にはタネがある、それを承知で楽しむから、タネがあることを問題にしない。超能力は手品でないからその来歴を明きらかにしなければならない。これらは本来のオカルトではない。本当の霊能者が守ってきたオカルトの秘儀がある。真の宗教者は奇跡が起きる仕組みをぜったいに語らない。これは真のオカルトだからだ。議論に熱が入るが京極堂が関口のいわんとすることもわかる。箱に蓋をしたままで、中身を確認しないで信用せよといわても、そんな気にならない。そうかもしれないという。しかし、箱は箱として存在価値がある。隠されているからこそ意味のあるものがあるという。関口はついに折れて自分の方から鉱石ラジオの喩えを持ち出した。中に小鬼がいていろいろな声色で浪曲を唸っているという者がいる。これを糾弾することとラジオを糾弾することとを取り違えている。関口はこれをやっていたというと、京極堂の機嫌がよくなる。さらに話しがつづく。

いたずらに批判を加えて問題を残した例があると明治の末の福来事件のことを話す。福来友吉は東京帝国大学の助教授だった。催眠心理学の草分けといえる人物だった。福来は友人の紹介で御船千鶴子という千里眼の女性を紹介され、数度の通信実験の末、この能力を確信するに至った。その際、念写という新しい能力の可能性まで見出した。その後、有名な「十四博士の公開実験」などの実験を経て、長尾郁子、高橋貞子と千里眼の女性を発掘した。しかし多数の批判、糾弾の後、学界から放逐された。三人の女性のうち御船は自殺、高橋は心労の果ての病死という悲劇があった。当時は近代化政策の一環として迷信撲滅運動がしきりに行なわれていた。現在の科学では説明のつかない事象を、霊魂や祟などの説明を用いず、説明しようとする新しい試みに、終始色眼鏡を持って批判、糾弾したという。話しが転換する。

京極堂が鳥口に何を取材しようとしているのかたずねた。鳥口の説明がはじまる。取材先は穢れ封じ御筥様という新興宗教の教主、さきほどの分類でいえば霊能者である。所属する教団はなく、他人の不幸を取り除くとこと、救済を目的としている。その活動にたいし具体的な苦情が警察や弁護士などに屆けられた事実はない。信者はかなり多く、救われたという者も少くないという。こういうことなので今、糾弾摘発すべき状況にはない。しかし後から説明する事情でこの霊能者の摘発を行ないたいという。場所は三鷹、町工場を改修した剣道場のような建物にある。教主自身は不可思議な能力を持っているということはなく、不可思議な霊力を秘めた筥を奉っている者という。建前上は筥が本体であり、教主はその信者。他の信者に自分と同じように筥を信心することを説くことはしない。教主は主に生活態度の改善と穢れた財産の喜捨を指導し、その際に京極堂がいう秘密の解明がなされる。そのうえで改善がなされない場合に加持祈祷が行なわれる。いずれも無償である。関口がここで首をかしげる。不浄の財産を喜捨しないと幸せは来ない。穢れた財産は教主が預かるというもの。教主は出せるだけ出せという。これに安心して喜捨する。しかしもともと不幸な信者は依然として不幸である。また出せるだけ出す。生活のため稼ぐから余剰が生じる。するとまた出す。これを繰り返すので信者はどんどん貧乏になる。信者は悲惨な状況になるという。関口は放置すべきでないと怒るが、京極堂がいう。幸せはすぐれて主観的なものである。それでも幸せと感じて生きている信者がいる。今、仮に御筥様のペテンを暴露したとする。すると生活の基盤を失ない途方にくれる人間を作ることになる。信者の方から内部告発があったり、批判の声が高まったりするまでは第三者の不用意な介入は避けるべきだという。京極堂が鳥口がまだ摘発するという理由をいってないだろうという。鳥口がつづける。

八月二十二日、月刊實録犯罪の編集室に電話で情報の売り込みがあった。清野と名乗る男から穢れ封じ御筥様の信者の名簿を購入した。住所氏名、六月、七月の二箇月分の喜捨の回数、金額が記載されていた。そこにたぶん清野が調べた事実が書き加えられていた。それは信者の身辺調査である。それによると喜捨額がすくない信者に不幸が起きている。清野は喜捨額を釣り上げるため不正な工作があったと力説した。金額はこだわらないといい、ぜひ記事にしてくれといった。一万円で購入した。信者への取材を考えているうちに一週間が経った。関口がその時期は武蔵野連続バラバラ殺人事件がはじまったころだと思った。京極堂が関口に同行を求めて相模湖に行ったことを皮肉った。鳥口はそれはともかく、バラバラ事件の方に集中したので御筥様の方はほおっておかれた。関連があるので、まず、バラバラ事件を振り返ることとなった。京極堂が次のようにまとめる。

1) 八月二十九日、大垂水峠で右腕が発見された。見つけたのは相模湖付近に住んでいる材木屋の主人である。トラックで踏んづけて気がついた。
2) 翌三十日、地元の釣り人が左右の大腿を釣り上げた。前日の右腕と同じ持ち主のものだった。ちなみに左腕はまだ発見されていない。
3) 七日経った九月六日、右脚が八王子で発見された。
4) 翌七日、同一人と思われる左脚が調布で発見された。
5) 十日、左腕が二本まとまって昭和町で発見された。鑑定の結果、第二と第三の被害者のものと判明した。被害者が三人となり、ここから武蔵野連続バラバラ殺人事件と喧伝されることとなった。
6) 十三日に車返で三人目の右腕。
7) 十六日に田無で右腕、これで四人となる。
8) 十九日に田無近くの柳沢で左腕、四人め。
9) 二十一日に多磨霊園で左脚、たぶん三人め。それから右脚がまた田無で発見、たぶん四人め。

鳥口が首も胴体も発見されていない。四人とも身元の確認ができていない。これが関連の糸口となったという。ここで京極堂の奥さんがお茶を出す。話しが再開する。警察で性別、年齢、死亡推定日時、失踪時期、家出人リストなどから被害者を十二、三人に絞りこみ、家族にも確認した。これで二人め、四人めはほぼ確認できた。その過程でこれらの娘たちはまったく共通項が見つからなかったという。関口が鳥口が警察情報に詳しいのに驚く。京極堂が連続殺人事件という見方は当たらないのではないかという。鳥口も同意し、最初の被害者はトラックに轢かれたり水に浸かっていたりするので判明しない。二人目と四人目が鉈のような同一の形状の凶器で切断されていたこと、二人目の左腕と三人目の左腕がまとまって同じ場所から出たことから、二人め以降は同一の犯人の犯行であると考えられるという。四人めは川崎の写真館の娘、売春で検挙されたことがある不良少女、二人めは飯能の小学校の先生の娘である。鳥口がここで公言を憚るがといって鞄の中から警察内部資料である失踪少女の一覧を見せた。四人目の不良少女は柿崎芳美という。父が国治、母が貞である。そこで御筥様の信者の名簿を見せる。そこに柿崎貞と記され、写真館経営者の妻、経営状態は不良、喜捨額が低いためと思われる。遠からず不幸が訪れる。娘が危い、云々と付記されていた。これから二つの名簿に共通する名前を点検することとした。鳥口の話しがつづく。

まづ、今年に入ってから失踪者が七十三件、うち御筥様の信者名簿と共通するのが十件だった。バラバラ事件の被害者と推定されるのが十三人である。これと信者名簿が共通するのが七人である。これで鳥口は実行犯であるかどうかはともかく、教主がバラバラ殺人事件の犯人であると考えたという。詳しい話しをきこうという京極堂にたいし、鳥口は悔しそうに潜入取材に失敗した。これ以上詳しい話しができないという。関口は特ダネを逃すと惜しという気持になった。今ある情報で記事にした方がよいという。慎重な鳥口や京極堂にたいし、事件の重大性を梃子に記事にすることを主張する関口との間に論争がつづく。京極堂が資料の信憑性、とくに清野の資料の信憑性の裏が取れていないことを鋭く指摘する。まだ、打つべき手があるといったうえで、鳥口の失敗した潜入取材の詳細をたずねる。

まず信者個人より御筥様を取材することとした。警察の一覧を入手、捜査状況を聞き出したのが二十日の午後、御筥様との関連に気づいたのですぐ三鷹に向かった。看板が出ていたのですぐわかった。板張の道場に入ると女性がずらっと並んで正座をしていた。奥から三十歳ぐらいの女性が出て来た。女子事務員のかっこうだった。用をきかれたので、ここのところ体調も悪く会社も潰れそうなので教主様にお見立てをお願いすると口からでまかせをいった。京極堂がすかさず、連絡先をきき、予約することとなったろうという。いったん引き下がった。関口がじれったがって、月刊實録犯罪の編集部の電話番号を教えたのかという。鳥口は下宿先の支那蕎麦屋だという。翌日すぐ来るようにと電話があったのですぐに出かけた。奥の間に通されると女性が出て来た。十分間ほど会話を交した。順番が来て、隣りの八畳の間に通された。奥に雛壇のようなものがあり、ハコがたくさん置いてあった。その前に白装束、兜巾の男が座っていた。その正面に座り、女性は鳥口の斜め後ろに座った。いきなりえいっという気合の後に、偽りをいうな。北国の生れでなく若狭であろうという。他人の不幸をネタに稼ぐ不埒な仕事だ。実録犯罪という雑誌だろうといった。鳥口はぐうの音も出ないまま、ほうほうの体で退散したという。京極堂が鳥口に確認しながら種明かしをする。鳥口は三鷹からすぐ下宿先に連絡した。編集室に田舎のお姉さんから電話があった。荷物を送るという。京極堂がその荷物は屆かないという。御筥様の女性が面会したときすこし待てといい、鳥口が待っている間に連絡先の下宿に電話した。それから編集室に電話した。それで身元が割れたのだという。さらに二人で組んで行なうトリックについても説明した。鳥口の疑問は解消された。京極堂が筥は丸い帽子を納めるようなものをいうが、それがなかったかときく。ないという。しばらく迷っていた京極堂がつづける。

鳥口に御筥様の教主の個人に関する情報、氏素性、心霊術を会得した経緯、生い立ち、前職、家族や先祖などを調べてほしいという。次に御筥様の能力、奇跡の種類。お祓いならそのやり方、呪文、祭具。そして何を祓うのか。教義の概要も知りたいという。関口には、警察に情報を流すことを指示する。関口が木場に流してよいのか躊躇していると、監察医の里村に流すよういう。京極堂が名簿を見せて、事前に見ておくようにいった。そこに久保竣公と記されているのを発見した。小説家。第二回本朝幻想文学新人賞を受賞、喜捨をした形跡はないと付記されていた。

5

九月二十四日、小金井である。木場は下宿にいた。八月に起きた木場の命令無視にたいし一ヶ月間の謹慎処分が下された。加菜子を捜し、陽子の敵を倒すために警察を辞めなかった。木場は事件発生から神奈川本部に拘束されていた。石井は大島捜査一課長にたいして公務執行妨害を執拗に主張した。大島はこれを無視して木場を引き取って立ち去った。それから三週間が何事もなく経過した。木場が事件発生当時を回想する。

美馬坂が大声で警察を非難する。陽子は呆然としていた。石井が加菜子を見た最後の目撃者であった。不可解なことに頼子が喜こんでいるようだった。雨宮が美馬坂と入れ違いに部屋を出て行ったらしい。そのまま失踪した。警察のその後の様子はただ混乱だった。木場はベッドに近寄った。周囲に変化はなかった。下をのぞいた。加菜子の上に掛けられた白い上掛けが落ちていた。点滴装置はそのままの状態だった。ベッドの上を見た。枕が頭の形に窪んでいた。まだ体温で温かかった。ベッドは種も仕掛けもない簡単な構造だった。シーツはほとんど乱れていなかった。木場が顔を上げると美馬坂が木場から眼を逸らせた。須崎は腰を抜かしていた。しかしいつの間にか部屋から消えていた。外部の警官の目撃談によれば持って来た小箱をそのまま抱えて、大急ぎで階段を下りていったという。時間の経過である。

加菜子が消えたのが午後六時ころ、非常事態発生を知り外部で待機していた警官が現場に駆け上がってきたのが六時十八分。木場たちが応接室に入ったのが六時三十分である。須崎は六時十八分までの間に消えたことになる。須崎は第一発見者であった。しかし遺体で発見された。雨宮が誘拐殺人の容疑で全国に指名手配された。加菜子消失のからくりはわからない。雨宮以外に該当する犯人はいそうもない。技師の甲田も含める必要があるのか。午後八時、警官たちは本来の機能を果すようになった。午後九時鑑識が到着した。応接室の様子である。

福本はあまりの状況に行動が正常でない。陽子が雨宮のことをきいた。木場が美馬坂が入って来たときに出たという。陽子はすこし安心したような反応だった。木場が加菜子は自分が取り戻すといった。陽子の反応が鈍かった。福本が場違いな発言をした。いきなり頼子が加菜子は死なないといった。加菜子は生きながら天人となった。羽化登仙した。加菜子は歳をとらない。死なない。そんな加菜子を殺そうとした黒い服の男はとんだ間違いを犯した。でももし天人になる準備の終る前に人間として死んだらと心配だった。加菜子は死なないでしょうと陽子にいう。返事に困る陽子。頼子は木場を見て笑った。少女の発言にとまどう木場に加菜子を捜しても無駄といった。陽子がいう。

こうなってしまった以上、もう木場にも福本にも何もできないのではと率直にいう。石井では無理だという木場にたいし、木場なら見つけるかもしれないと認める。じれたように木場がこんなことをしたのは誰かと見えない敵を捜す。陽子の唇はそれは木場だという動きをした。呆然としていると、美馬坂が部屋に入って来て、須崎が殺害されたと知らせた。そして木場の出番だといった。木場は何故わざわざ美馬坂が登場したのか、木場の陽子への詮索をおそれてのことではないかと感じた。須崎の死の話しである。

陽子が急に取り乱して加菜子は大丈夫かときく。それまでの態度が急変したようだ。須崎発見の経緯である。いったん自室に戻っていた美馬坂が須崎のことが心配となって建物の外に出た。気がついた警官には大丈夫だから中を警戒するようにいった。ついて来た警官が建物の裏手で倒れている人物を発見し大声をあげた。遺体は美馬坂によって確認された。死因は後頭部の強打による脳挫傷。凶器は角のあるこん棒状のもの。未発見である。時間は七時三十分。美馬坂が応接間に知らせに来たのが七時五十分である。応接室の美馬坂がいう。本当に加菜子がさらわれ、須崎まで殺された。どうしようもなくなったといった。陽子が悲鳴をあげ、木場に加菜子を捜してほしいというと木場にすがりついて泣いた。木場は心の中で陽子を守ると決心した。その後木場は神奈川県本部の監視下に置かれ、大島警部により解放された。回想が終る。階下に客のようである。

青木がバナナが持ってやって来た。相談があるという。そのかわり神奈川県の捜査状況を教えるという。陽子が八月三十一日の午後二時ころ、研究所の裏の森を散策中に黒衣で手袋をした男を見たという。新証言である。木場は思い出す。いつものように研究所に着いて、すぐ裏手の焼却炉に回った。だからそれは嘘だという。石井もそう考えているようだが、木場がいるので警備の警官を置いていなかった。それで明確に否定ができなかった。青木が誘拐予告状の複写を見せた。木場がその経緯を話す。三度見舞いにいっている。八月二十一日、小金井の事故の六日後に見舞いにいった。加菜子には会えなかった。二十三日、二度めは加菜子に会えた。増岡が来ていた。二人で加菜子を見舞った。三度めは二十五日であった。二階の応接室に入った。陽子しかいなかった。驚いて振り向く。左手に封筒を持っている。右手から手紙が滑り落ちた。木場がそれを掴み上げた。陽子の手がその拳に乗った。複写の手紙の話しである。

印刷された活字が切り貼りしてある。「加菜子を預かる。云々」とあった。青木が封筒が見つからないという。たしか雨宮が手紙は玄関のドアに挟まっていた。しきりに悪戯だといっていたことを思い出す。終りが欠けて未完成だったという。青木は神奈川本部は狂言誘拐であると判断したという。しかし誘拐が起きたという木場にたいして、そのとおりだが、犯人を探せば陽子、雨宮の共謀という結論になる。予告をするのは不可解。加菜子の命を危険に晒すのもわからない。断定しかねる。青木が途方にくれている神奈川本部は本気で解決しようとしていないという。木場が馬鹿馬鹿しいほどの警戒態勢を思い出した。問題にする。青木の説明である。

あれは財界大物との関係を重視した神奈川本部上層部の取った措置である。それが誰かは不明だが、石井が降格されたことからも相当の大物である。狂言誘拐も納得できる。大物だから金が引き出せると陽子が仕組んだ。加菜子との関係を知った担当の石井が本部に駆け込み大袈裟な警備体制を敷いた。大物への配慮を示し、あわせて犯行の抑止効果も高められるということである。石井としても点数稼ぎとなる。おそらく大物が派遣した誰がが視察に来てるはずという。木場が増岡を思い浮かべた。神奈川本部は身内のごたごたが原因だ。事件は起きないと見ていた。本当に誘拐事件が起きて驚いた。固定観念に縛られた発想から、まず陽子を疑った。木場とは別に陽子を拘留したが一週間で解放した。それをきいて木場はこの三週間、何をしていたのかと後悔した。そこで陽子の新証言が出たという。木場が雨宮の足取りをきく。おそらく人目のない裏手に回り、そこから徒歩で逃走したのだろうという。青木が木場の出番だ。あの変った仲間がいるとけしかける。さらに美馬坂近代医学研究所の噂を話す。戦争中は軍の施設だったようだ。ここには何ヶ月おきかにけだものが送られてくる。猿とか狒狒らしい。あの研究所に入った病人は二度と戻らないという。これで青木の情報提供は終った。木場が青木の相談は何かきく。

青木が武蔵野連続バラバラ殺人事件の概要を説明する。木場がひとりの人間が短期間にそれだけたくさんの人間をよくも殺せるものだという。また、連続か、別々の事件ではないかという。連続である。二人めと三人めの腕がいっしょに出たこと、二人めと四人めの切断に使用された凶器が同一と思われることを説明する。一人めの脚が箱に入っており、それ以降もすべて箱に入っているという。箱に入っていることは新聞発表されていない。発表は伏せてあるという。青木が関口や敦子に相模湖で会った話しをする。木場は美馬坂近代医学研究所で三人に会ったことを思い出す。箱はどんなものか。最初は鉄。以降は桐箱である。箱に入っていなかったのは最初に見つかった腕だけだ。箱の出所は判明していない。手足は土に埋まっていたのもある。また石垣と塀の隙間にはまっていたのもある。胴体はどうかきく。一人めについては骨盤と背骨が出ている。湖底を浚っているときに発見された。箱は発見されていないという。被害者の身元をきく。ほぼ解った。四人めが川崎の写真館の娘である。二人めが埼玉の教師の娘、三人目が千住の会社員の娘とみられる。一人めが不明。被害者相互の関係がない。ただやっと解ったのがその母親が同一の宗教に入信している。重要視している共通点があるという。写真館の娘、千住の娘、ここに黒い服を着て手袋を嵌めた男と歩いていたという証言が得られたという。木場は頼子も陽子も真実の証言をしていたのかと驚く。加菜子も被害者なのかと考える。木場はようやく冷静な刑事の眼で事件の捜査に取り組む決心をした。九月二十四日だった。

木場は九段に向かった。そこで警察の監察医である里村に会った。加菜子が武蔵野連続バラバラ殺人事件の被害者の可能性があるかきいた。即座に否定する。加菜子の血液型はB型である。それは最初、八月の二十九日、三十日に発見された手足がそうである。それ以外は別の型である。加菜子はその当時は誘拐されていなかったという。バラバラにするという切断について、被害者の何人かは生きているうちに切断されたという。通常のバラバラ事件のように殺害した結果、死体処理に困って切断するような時間をおいたものではない。まるで切断するために殺した印象を受ける。実験でもやっているようだ。しかし切断の手際が悪い。ただし徐々に手際がよくなっているという。木場が美馬坂幸四郎のことをきく。天才と謳われた外科医だった。もとは免疫学を専攻していた。あまりエキセントリックな研究をするので学界の中央から疎まれた。戦後は不死の研究をしていたらしい。バラバラ事件のことで関口がやって来たという。

意外な人物の名前にその事情をきく。穢れ封じ御筥様という新興宗教の信者の名簿を持って来て、そのうち何人かの信者の娘が行方不明となっている。たしか十名である。それとバラバラ事件の被害者が関係するのではないかという。話しをきいたので大島捜査一課長にでも話そうと思っていた。そういって名簿を木場に手渡した。その名簿に目を通す。そこに楠本君枝の名前を発見した。里村医院を辞去し、中野の関口のところに向った。

稀譚社の編集者小泉珠代から関口への九月二十日づけの手紙の内容である。そこで久保竣公の匣の中の娘前編を同封送付して感想を求めている。さらに、短編集の作品の掲載順について、意見を述べている。

6

九月二十四日、神田である。榎木津はいつになく機嫌が悪かった。昨日、元子爵の父から電話を受けた。柴田耀弘という財界の大物が縁を頼って榎木津に探偵を依頼してきたという。傍若無人な父の依頼で不承不承引き受けた。柴田は柴田製糸の創業者であり、柴田財閥の創始者である。秘書の出すコーヒーを飲んでいると扉を開ける音がした。名刺を見た。弁護士増岡則之とあった。早速、人を捜してほしいという。珍妙な榎木津の発言が飛び出す。映画を見た。三四郎。女優の美波絹子だ。たちまち増岡が榎木津の能力を認めた。この娘を捜してもらいたいと加菜子の写真を出した。それは十四歳となった美波絹子の娘であるという。本名柚木陽子が十七歳のときの娘である。依頼者との関係を話すという。

耀弘は裸一貫から財を成した傑物だが、家庭に恵まれなかった。妻トキを関東大震災でなくした。嫡男の弘明は昭和四年に死亡。一人息子の弘弥が唯一の血縁、相続者であった。弘明の妻も昭和八年に死亡した。弘弥もサイパンで戦死している。耀弘の莫大な財産の行方が注目される由縁である。これからのことは秘密だと断って話しをつづける。昭和十二年、弘弥はある女性と恋に落ちた。道楽息子とまではいえないが歌舞演劇に熱を上げ、パトロンとして名前が知られていた。横浜の劇場でモギリをしていた陽子と出会い恋に落ちた。陽子は当時病身の母を抱えて苦境にあった。昭和十二年八月十五日、二人は駆落ちをした。出会ってわずか一ヶ月後のことである。翌日発見され連れ戻された。陽子は妊娠した。当然耀弘との間に悶着があったが、陽子は姿を隠し密かに出産した。陽子はいわゆる手切れ金といった金を受け取ることを潔しとしなかった。耀弘は冷血漢ではなかった。次の約束を取り交した。

1) 加菜子が十五歳になるまで養育費を支払うこと。
2) 陽子の母、柚木絹子のため医療費を支払うこと。
3) 上記以外の金品は要求しないこと。
4) 弘弥とは生涯会わぬこと。過去の経緯は一切口外しないこと。
5) 以上の条件の正確な執行のために第三者の監察を許すこと。

陽子は母の名前から芸名を美波絹子としたという。監察の役は社員の中から雨宮という者が選ばれた。当時二十二歳だった。戸籍上加菜子は陽子の妹とされた。昭和十五年母が死んだ。耀弘側からの香典を受け取らなかった。約束は厳密に守られた。昭和十六年弘弥に結婚話が持ちあがった。そこに元愛人と称する女が登場した。女性によれば弘弥は駆け落ち当時、この女性を愛人としていたという。この元愛人との間には金で示談が成立した。事の真偽は不明のままである。縁談は棚上げされ、弘弥は出征し、あっけなく戦死した。戦時中は陽子母子は雨宮とともに信州に疎開して無事だった。弘弥死亡後も養育費は支払われつづけた。そこで言葉を継ぎ、今年の七月である。

耀弘が脳溢血で倒れた。九十二歳だった。ここで陽子、加菜子のことを口走るようになった。柴田側では既に養子を迎えている。死の床について財産のすべてを加菜子に譲るといいだした。当然一悶着があったが耀弘の意志のとおり加菜子に相続されるよう手配された。そこで、榎木津はその箱は何だと発言する。無視して増岡がつづける。一部から強硬意見か出た。相続の執行は弘弥の実子と確認されてからであるという。とりあえず陽子に確認した。弘弥という。しかし陽子は加菜子に父親のことは話していない。さらに遺産の相続を拒否するという。しかし法律上、加菜子本人の意志確認が必要である。増岡が確認することとなった。しかし陽子側の抵抗は強い。増岡はやっと一度会っただけだった。榎木津が加菜子とはもう会えなくなったのかときく。増岡がだから捜してほしいといった。加菜子の話しがつづく。

八月十五日、事故に遭って瀕死の重傷を負った。一応自殺とみなされている。しかし名医のお蔭で一命はとり止めた。あとひと月もすると意識が明瞭になるはずだった。しかしその半月後に誘拐された。榎木津が木場かと突然の発言。榎木津がすべて了解していると勘違いして話しを切り上げようとする。珍らしく慌てる榎木津に説明をつづける。まず警察のお粗末な対応を非難する。予告状が届いていた。警備体制を整えていたのに誘拐された。柴田側は遺産相続問題があるので公に批判できない状況だ。たしか二十五日、神奈川本部の本部長が柴田家を訪問し加菜子との関係ときいた。頼みもしないのに大袈裟な警備体制を敷いた。増岡が現地を訪問するはめになった。現在、警察は予想外の展開に呆然自失である。耀弘より加菜子が先に死亡すると相続の件は消滅する。耀弘が加菜子より先に死亡すると所在不明の加菜子への相続が執行されなければならない。そこで増岡がついに耀弘が二十二日死亡したといった。あらためて榎木津に捜してほしいと依頼する。

陽子を疑っている警察は役に立たない。榎木津は小康状態を保っていた耀弘がポックリと亡くなったのかという。加菜子の事故があった後の一週間はまあ元気だった。予告状の来る前から危篤になり、その後、ずっと同じ危篤状態だった。榎木津がこのことは陽子には伝えたのかときいた。そのとおり。榎木津にはっきりしない男の顔が見えた。雨宮かと考える。増岡が警察の協力も得た資料を渡す。調査の期限は一ヶ月といい、探偵料なども説明し、最後に秘密厳守を依頼し辞去した。

九月二十四日、京極堂で、榎木津は秘密だといって、増岡からの依頼の件をすべて喋った。呆れる関口を前に話し終えて座卓に足をつっこんで仰臥する。関口が回想する。鳥口は昨日穢れ封じ御筥様を取材したらしい。関口は一昨日京極堂から帰宅すると稀譚社の編集者小泉から手紙とともに久保の作品のゲラが届いていた。主人公は箱執着者というより極度の空間恐怖症あるいは閉所愛好症という性格設定だった。箱を扱った作品はグロテスクでバラバラ殺人事件を連想させた。昨日は信者名簿を一日筆写した。今朝里村を訪問した。用事を済ませ鳥口と中野で待合せ京極堂にやって来た。先客に榎木津がいた。冒頭の榎木津の話しに戻る。榎木津に京極堂が何故ここに来たのかきくとそれが解らないという。鳥口、関口、京極堂の会話となる。関口がバラバラ殺人事件より、こちらの方が取材価値があるというと京極堂が美馬坂近代医学研究所には手を触れるなという。眠ってしまった榎木津を置いて、関口が今朝の首尾を話す。京極堂が里村の解体するために殺したという見解に興味を示した。つづいて鳥口による御筥様の話しとなる。

教主は寺田兵衛という。年齢は四十五、六歳である。寺田家は江戸時代は宮大工だった。当時は京橋に住んでいた。三鷹には明治のはじめに転居した。もっともまだ三鷹という地名ではなかった。三鷹では大工というより木工職人だった。兵衛の祖父の代には数人の弟子を持つ親方として工場を経営していた。兵衛の父の代には寺田木工製作所という看板を掲げた。父の腕は祖父より落ちたので製作所はさびれた。そこで大正の終りころ人形を入れる箱の製作をはじめた。箱専業となって寺田家は安定した。父は腕は悪くとも人が良いという人柄で箱屋のチュウさんと呼ばれた。息子の兵衛は普通の若者だった。町工場に就職し旋盤や溶接の技術を習得した。箱屋が軌道に乗り工場を辞めて家業を継いだ。兵衛は父と違い腕の良い職人だった。二十五、六で結婚した。父は昭和八年に病死した。母もその数年前に他界していた。木工所は兵衛が継いだ。旋盤、溶接の技術を生かした鉄製の箱を作りはじめた。大学や軍隊からかなりの注文があった。兵衛の作る箱は設計図どおり、すこしの狂いもない箱であった。木工の箱の製作も継続した。通いの職人を使いながらこちらも完璧な箱を作った。戦況の悪化にともない仕事も減った。本人も召集された。復員後、ひとりで箱屋を再開した。妻と息子がいたはずだが家にいない。消息不明である。もともと近所付き合いが下手な兵衛は戦後はますます付き合いをしなくなった。穢れ封じ御筥様が誕生するのは昭和二十六年のことである。

これは隣りの風呂屋からきいた話しという。風呂屋が昭和二十五年の暮れに大掃除をしたとき、押し入れの天井裏から風呂敷包みを発見した。中を見ると手紙が入っていた。先代が隣りの寺田家から預かったものらしい。兵衛の祖母は当時霊能者として近所で評判だった。手紙によるとどこかの偉い先生がその能力の鑑定にやって来たという。ところが兵衛の祖父はそれが気に入らなかった。大変な剣幕で追い返した。先生はそうそうに退散したが、その際、ひとつの箱を忘れていった。祖母はその処理に困って風呂屋に預かってもらったということらしい。京極堂がそれはたぶん福来友吉助教授だ。中に入っていたのは千里眼鑑定セットだという。桐の箱に壷が入っている。その壷に文字を書いた紙が入っているという。そこにある文字は何かときく。魍魎という。兵衛はそれを見て、何かを感じたらしい。壷に紙を戻し蓋をして風呂屋に帰れとだけいったという。年が明けて二月ころから信者が出入りするようになった。しかし箱も作っていた。夏ころ新しい常連ができて大きな木箱をたくさん作ったという。改装がはじまり八月末に完了し、十月にはひっきりなしに信者が訪れるようになったという。京極堂が最初に誰の悩みをきいたのか知りたいと鳥口にいう。京極堂がさらに兵衛は何をするのかときく。

特に何もしない。惱みをきき、訓話を垂れる。清く正しく生きましょうと説く。ただし兵衛は悩みをきく途中に信者が兵衛にいっていないことを当てる。それで信頼を得る。京極堂がそれはことさらに秘密にしていることではなく、たんに兵衛にいっていないことかと確認する。

教えは、簡単なものである。まず囲いを作るなという。家でも町でも風通し、水捌けの悪いところにはよろしくないものが湧く。心も同じだ。心の場合は金銭欲、物欲が不浄な財産を貯めるもととなる。財産が貯まると執着が生じる。これがさらに心を悪くする。だから不浄な財産を喜捨せよと説く。関口がそれは教義というより道徳だ。それでよく信者が熱狂し身上を持ち崩すほどにお金を出すものだとすこし呆れる。京極堂がそのような簡単な教えのほうが効き目があるという。しかしそれだけでは信者に訴える力が不足だろうという。鳥口が御筥様では心や家の吹き溜ったところに魍魎が湧くという。京極堂が不可解な顔をするが、やがて膨大な蘊蓄が語られる。

榎木津が起き上がり、鳥口とともにそれは何かときく。関口が魍魎は化け物の総称だろうという。京極堂が魑魅魍魎といったときはそのとおりだ。それを個別に見ると、魑は山の神、魅はすだま、歳を経た精霊だが、魍魎は、罔両、方良、罔象(もうしょう)と同じで両者の違いがはっきりしない。魍魎は中国に起源がある。そういって江戸時代の絵師鳥山石燕が描いた画図百器夜行を取り出す。日本の化け物は中国に起源があることが多いが、世界各国で独自に、しかし同じようなものが発生したと考えざるを得ない場合がある。人間は根源的な妖怪原形というものを持っている。暗闇、自然現象にたいする畏怖心というものがある。遣ろか水という妖怪がいる。遣ろか、遣ろかという呼びかけに、くれるならくれろ、と返事をすると、いきなり鉄砲水が発生して呑まれてしまう。これは呼びかけと返答という呪術的儀礼を媒介として妖怪が出現する形である。自然現象への恐怖心、畏怖心そのものではない。そこからの乖離がある。そこに形と名が与えられてはじめて妖怪が成立する。関口が難解だという。さらにつづく。

その地域では怪異として認められていないものが名前だけが輸入される。そこで混乱が生じ、まったく新しい性質を付与される場合もある。魍魎がそうか。そのとおり。江戸期に本朝三奇とのひとつとして北国の魍魎があげられている。四国には魍魎信仰があるという。これは言葉が先行して形がない。中国の場合はもうすこしはっきりする。漢字の形からある程度意味が知られる。魍は山川の怪神、魎も山川木石の精というがどうもすっきりしない。罔両なら荘子に影の周りにできる薄い影のことである。罔象なら淮南子によれば水の怪である。古事記では伊邪那美命の尿から生まれたのば罔象女神(みずはめのみこと)である。すなわち罔象はみずはである。さらに折口信夫の考証、日本紀の考え、大和本草の考えと紹介する。魑魅魍魎が妖怪の総称となった説明になった。さらに司馬遷の史記、述異記とい文献の紹介とつづく。結論は不明という。さらに神話の話しとなる。

黄帝の曾孫の子どものひとりが魍魎だという。人間の三歳児くらいの大きさ。目が赤く耳が長く身は赤みがっかった黒、頭にはしっとりした黒髪を持つ。説文解字、山海経、和漢三才図絵の話しとなる。これらから魍魎はけだものになる。画図百器夜行にある魍魎は藪の中から毛むくじゃらの小鬼のようなものが半身を出している姿に描かれている。魍魎は死骸を食べている。まだつづく。方良は塚の穴に湧くとされる。節分のとき追儺の方相氏はこれを駆逐する役目である。まだある。火車は地獄から悪人を連れに来る妖怪だ。悪人が死ぬとどこからともなく燃え盛る車が現れ死骸を取り去る。取られた死骸はバラバラに刻まれてばらばらに撒かれるという。これに乗っているのが魍魎だという。茅窓漫録にある。これに耳袋とい文献の話しがつづく。京極堂が魍魎はよくわからない。困ったものだと溜め息をつく。関口が何故困るのかときく。

御筥様は魍魎退治の霊能者を名乗っている。これが信者に訴える点である。なのに魍魎がわからない。仮に対決したとするとどう論破すべきかわからないという。榎木津がわからないのは今の自分と同じだという。京極堂が鳥口にさらに話しをきく。信者の話しである。兵衛は魍魎が見えるらしい。祈祷は金曜日の夜、まとめて行なう。それで駄目な場合は個人的に祈祷する。鳥口が入った奥の部屋か兵衛が出張して祈祷する。いずれも無償である。道具は背負子に入れた御筥だけである。本人は白装束、兜巾の山伏のような姿である。どうやって祈祷するのかときく。鳥口が東京通信工業が試作した携帯用テープ式録音機を持ち出す。昨日これで録音したという。録音された内容である。

アマツカミノミオヤ教エ詔リシテ曰ク、
モシ痛ム処有ラバコノアシノウツボナル、
シンピノ御筥ヲシテ、
ソテナテイリサニタチスイイメコロシテマス
シフル、フル、 ユラ、 ユラ、シフル、フル、
サレバ此ノ地、此ノ処ニ魍魎退散ノタメ御筥ヲ
以テ向カワン!
エイ、
ハッ

京極堂が大いに喜こぶ。鳥口に、兵衛は三鷹生れ三鷹育ちである。伊勢、北九州の築上に親戚はいないということを確認した。鳥口と関口に、御筥様の背後には必ず影で糸を引く第三者がいる。真実御筥様が犯罪に関与しているならその第三者こそ摘発すべきだ。京極堂が鳥口に最初の信者の調査をあらためて依頼し、関口には信者名簿から次に被害者が出そうな家庭を調査することを提案する。榎木津が加菜子の友人である頼子のところに行くつもりだとわって入って、関口に同行を求める。迷惑がる関口を横に京極堂が警察の資料から頼子の情報を探す。楠本君枝の名前が登場する。関口が信者名簿にその名前があったことを思い出す。京極堂が名簿に付記された記載を見る。収入は低く、困窮していると思われる。条件は整っている。危険。云々、とあった。この調子だと奴がすべてに関係していることになりかねない。大変よくないという。そこに木場が登場する。

何がよくないのかときく。京極堂が後味の悪い展開になりそうだといって、木場がたぶん一番肝心な情報を持っている。話しをきけばほぼ全体構造が解るといった。

7

九月二十五日、小金井である。小金井に向かう車の中で関口が昨日のことを回想する。京極堂が木場とだけ話そうとする。関口も木場も不満を持った。関口には後で必ず説明するといった。木場には皆んながいる前で情報交換しようとすれば木場が謹慎となった理由に触れないわけにゆかない。皆んなが持っている情報は京極堂が木場に伝えるといった。別れ際に榎木津に加菜子はたぶん見つからないといった。榎木津はそれをきいて上機嫌となった。京極堂に追い出された形となったさんにんは、鳥口は調査続行、関口と榎木津は楠本家の調査に向かうこととした。二十七日に京極堂で会うことを決めて別れた。冒頭に戻る。

関口は楽しそうにをハンドルを握っている榎木津に何故京極堂がさんにんを追い出しのかきく。榎木津は陽子を好きになった木場の気持に配慮したのだという。関口は昨日京極堂に名簿を渡した。そのとき、久保の原稿を忘れてきたことに気がついた。君枝の家に着いた。勝手口に回った。閉まっていた。叩いても返事はなかった。喫茶店で時間を潰すことにする。名曲喫茶「新世界」という店だった。空いてる席に座った。女店員が注文をききにきた。榎木津はまったく答えない。関口がコーヒーを注文する。榎木津は立ち上がった。後の男の席の前に立つ。榎木津は失礼、自分は探偵であると断ってから、あなたは加菜子を知っているのですかときく。知らないという男に、ではその窓からのぞいているような娘は誰かときく。知らないという。関口が榎木津の脇に立つ。見ると久保だった。睨み合いの時間が過ぎて榎木津が加菜子の写真を見せる。久保は怪訝そうにそれを受け取る。白手袋である。この子が加菜子というのかという。関口が見覚えがあるのかときく。久保は動揺を抑えて、この写真を貸してほしい。すこしばかり心当りがある。探してあげるという。関口がもうすこし事情をきこうと思ったが、榎木津はさっさと席に戻る。榎木津が小声で、あの人はちょっと変な人だ。野趣溢れるマタギ料理をする人か、アステカの神官かという。小一時間が経過する。気まずい雰囲気の中で先に喫茶店をあとにした。榎木津はあの人は待ち合わせをしているといった。

楠本家に戻ると勝手口のところに少女が立っていた。頼子だった。関口が木場の名前を出す。お母さんに会いたが留守なのかときく。いるはずという。木場から頼まれて加菜子のことをききに来たのかと警戒を示す。即座に否定した榎木津がお母さんは変なことをする人だというが怒らない。約束があるのでここで失礼するといって立ち去った。榎木津はどうしてあの靤が解ったのかという。また、学校を休んで誰に会いに行くのかという。今は木曜日の正午だった。榎木津が久保はここに住んでいるのかときいた。突然、扉が開いた。女性が立っていた。屋内は電灯の灯りがなく真っ暗だった。目が慣れるのに時間がかかった。部屋の隅に人形の頭が刺さった俵のようなもの、中に彫刻刀、擂鉢などがあった。榎木津は無言、君枝も無言だった。関口がどうして頼子を中に入れなかったのかきいた。榎木津が君枝は自殺するつもりだったと指摘した。娘が行ってしまってからと考えていたが、ふたりが来たのでという。関口がでは立ち去ったら死ぬつもりだったのかというと、さあ、よく解りませんがという。榎木津が関口にたいし、君枝が自殺を中断して会ってくれたのにさっさと話しをきけと非難する。なおも無言でいると榎木津が、この鴨居はだめた、君枝の体重を支えきれない。榎木津はぶら下った帯を渾身の力をこめて引っ張った。自殺を止めるか方法を変えないとこの家が壊れるという。君枝がそれは困るといった。君枝の身の上話がはじまる。

君枝の父は有名な人形師の末弟子だった。父も腕がよく若くして独立した。貧しく博打好きだった。借金がかさみ、借家も追い出され、一家は離散した。君枝は十五歳だった。榎木津が聞き役だった。話しはこの順序でなく、ばらばらで、面白くないと思うとさっさと切り上げた。関口がこのようにまとめた。十九のとき結婚した。越後出身の渡りの板前だった、地味だが金回りがよかった。最初の一年は何不自由なく幸福な毎日だった。だがそれは長くはつづかなかった。昭和十三年に頼子が誕生した。仲のよい夫婦に子どもが誕生すれば幸福の絶頂ともいえたが、君枝の場合は夫が子どもを異常に嫌った。子どもが泣くのも声をあげるのも嫌うだけでなく烈火のごとく怒った。君枝が自分の育て方が悪いのかと夜は子どもを連れて外に出た。それが煩わしいと機嫌を悪くした。仕事に出なくなった。家にいるときは木枯らしが吹き荒ぶ外に子どもとともに出た。そんな暮らしに夫はますます機嫌を悪くした。ついに子どもに被害が及びそうになった。離婚を決意した。即刻認められ住む家をなくした。その後君枝は何人もの男に騙され辛酸を嘗めたが頼子を手放さなかった。戦争中は古い縁故を頼って父の兄弟子のもとに身を寄せた。兄弟子は君枝にも頼子にも親切だった。郷里が福島だったのでそこに疎開し人形作りを教わった。父よりも年上だった兄弟子は親切の代償に身体の関係を求めた。君枝はそれを受け入れた。君枝は雌豚、泥棒猫といわれその家を追われた。兄弟子は同情したのか仕事の世話をしてくれた。こうして半ば成り行きで人形師となった。東京に戻った君枝の話しがつづく。

ひとりの香具師に出会った。いくつかの名前を使い分けるあやしげな男がふたりめの夫だった。興業に出るより博打を打っている日の方が多かった。この男は家を持っていた。借家で一家離散したり、子どもをかかえて路頭に迷った経験を経て、君枝は男でなく家と結婚するという賢明な選択をした。男は酒癖が悪く、君枝の稼ぎを頼りにしたが、ときには大金を持って帰ってきた。コンビーフやチョコレートを山のように抱えて来ることもあった。しかし頼子はこの男が嫌いだった。榎木津があの男は誰だと兵衛のことをきく、君枝はこの家を喜捨せよといわれたという。榎木津は娘が夫婦の営みを見ていたという。家にこだわり男と頼子の折り合いをつけることに苦しんだ君枝は頼子を魍魎と勘違いしたという。ある日家を出た男は二度と帰らなかった。そのかわり、手紙がきた。大変な失策で家に戻れなくなったという。その後、離婚届と土地家屋の権利書が送られて来た。各所に相談し正式に離婚が成立するとともに土地家屋も手に入れた。こうして君枝は念願の我が家を手に入れた。話しが現在に至る。

それから何年間か働き詰めだった。一見平和に見えたが家に執着して、寄って来る男も家目当ての気がして心の休まることはなかったという。家に執着していることが不幸の根源とわかっているが、兵衛のいうように家を手放すことができないでいるという。榎木津はこんな家はさっさと捨てて娘とやり直せばいいという。そのとおりという。娘は自分を嫌っている。自分はいくら働いても幸せにならないのは娘のせいと思うようになった。魍魎だと思い込んだ。でもそれは自分が魍魎である証拠だと思う。だからこの世からいなくなるのが娘のためになると思うという。関口が御筥様の信者になった経緯をきく。

笹川という人形師の知人の女性が信者だったので、頼んで連ていってもらったのがはじまりという。何故かときく関口。榎木津は娘さんと仲直りがしたかったからという。それで奥さんは幸せになった。それならもう帰るという。関口が御筥様に入信して君枝は不幸になったというと、そんなことはないという。しかし自殺しようとしたというと、娘のためという。それで娘が喜こぶかというと喜ぶという。御筥様はインチキだというと、そんなことはないという。でも暮らし向きは芳しくないでしょうというと、そうかもしれない。しかし、それを不幸と感じることが君枝が至らない証拠だという。しかし借金してまで喜捨してるでしょうというと、必要以上に不浄な財産を稼ぐ、貯め込むことがいけない。自分はばかだから限度がわからない。稼いだお金はぜんぶ喜捨した。だから暮らしに必要なお金もなくなって借金したという。今は働いてないので喜捨もしていないという。ではもう教えに十分従っているというと、まだ持ち家があるという。だけどそれは手放せないという。関口は君枝に信心を止めさせることはできないと諦める。頼子の話しとなる。

最近の頼子の様子をきく。知らない。会っていない。外泊するのかというと、すこし間があって、急に様子が変ったようだという。いつ頃か夜中に外出するようになった。咎めてもきいてくれなかった。そのうち事件が起きた。しばらく家から出さないようにしたが、半月ともたなかった。教主にも来てもらった。それが今月になって態度が急変した。明かるくなったといえないが活発になったという。関口はそれは加菜子の誘拐事件と関連があるのかもしれないと思った。榎木津は君枝に我々のような見ず知らずの人間に無警戒に話すものではないと注意する。つづけて、まず自殺はよくない。後始末も大変だ。それから娘が帰って来たらもう外に出さない方がよいと助言する。なぜかという質問に、頭のイカレた人殺しに狙われている。奥さんは好きなものを信ずればよいが、娘の命は別物だという。娘は殺されるのかときく。そのとおり。御筥様では効き目がない。我々、御亀様(おんかめさま)はあなたの危険を予知したので警告に訪れた。御亀様は他の宗教に入っている人は救わない。あなた自身で娘を守りなさいという。信じかねる君枝に榎木津は最初の夫と二度めの夫、兄弟子の容貌をつぎつぎと指摘した。君枝はしばらく呆然としていたが、頼子、頼子と名前を呼んだ。

小金井の女学校の門前である。福本巡査が頼子のことを女子生徒にきいている。今朝に戻る。木場が福本を訪れ、頼子の同級生に天人五衰、屍解仙、羽化登仙という語句を学校で習ったかをきいてほしいと頼んだ。懲戒処分を受けた福本はためらったが結局引き受けた。生徒とのやりとりに戻る。頼子は何か変な人だった。あまり目立たない人だったが最近は対抗意識が強くなった。最近は学校にあまり来ない。喫茶店に出入りしているようだ。加菜子から教わったようだ。加菜子が死んで自分が加菜子になった気になっている。話しがまだつづきそうだったのでメモを出して木場に頼まれた事項を確認した。習ったことはないという。

木場が陽子の自宅に向う。京極堂との会話を回想する。福本に女子生徒に確認するよう頼んだのは京極堂からの依頼だった。京極堂が木場にバラバラ殺人事件と加菜子誘拐事件は別物である。武蔵小金井の事件もたぶん別だといった。京極堂は陽子に会うよう何度も勧めた。陽子の話しに戻る。裏口から入り、縁側に出された座布団に座った。陽子は自分の身の上は知られてしまったと察知した。木場が耀弘の死を承知していることを確認した。断り切れずに座敷に上がった。仏壇に二枚の写真、加菜子とたぶん母親のものがあった。陽子が回想する。

雨宮は昭和十三年に耀弘に命じられてやって来た。当時は陽子の住む長屋に一部屋を借りて住んでいた。ここの家では別の部屋に住んでいる。雨宮は母の病院に通い、加菜子の子育てを手伝い、疎開の際にも尽力してくれた。女優になってからは付き人のようなことをしてくれた。木場が引退の理由をきくと、加菜子のことがあったとあいまいな返事だった。弘弥とはその後一度も会っていない。恋の逃避行は陽子への同情からだという。弘弥の同情と陽子の現実逃避の結果の妊娠だった。木場がどうして加菜子を生もうとしたのかというと、生みたかったのだという。木場が何故相続を拒否したのかときくと加菜子に真実を知られるからという。自分はたくさんの嘘をついてきたと泣く。木場は京極堂の言葉を思い出すが、このままでは済まされないと自分にいいきかせる。陽子のためにという当初の目的が薄れ、自らの意地に動かされて行動していることに気づいていない。

美馬坂とはどのような関係かときくと、古い知人という。どのような縁かときくと、父からの縁という。父も医者だった。何故母娘を追い出したのかときくと、父母の間がうまく行かなくなったからという。母の病のせいという。重症の筋無力症だったという。どうして放り出すようなひどいことをしたのかときくと、患者として接するのと家族として接するのは違うからという。木場には不審の感が残る。美しかった母が表情を失ない、醜く変化して行く姿は耐えがたいものだった。父の気持は良く解るという。木場は陽子の気持をおもんばかるのがだんだん辛くなってきた。増岡の話しとなる。

増岡は加菜子の死亡が一ヶ月のうちに確認されなかった場合に陽子を代理人と見做して相続の交渉を再開するという。木場がそのときはどうするのかときくと、加菜子が戻れば元の状態となる。戻らなければ遺産を相続する。一ヶ月過ぎて、もし加菜子が戻れば治療費が必要となるからという。ほんとうははじめから必要なお金だったのかもしれないと後悔の涙を流す。さらに出生の秘密を知ってしまったかもしれないという。木場はそれが自殺を図った原因かもしれないと思った。神奈川の警察の話しとなる。木場がその無能さを非難するとともに陽子の嘘を見抜けないという。何故嘘をついたのか。外に目を向けたかったから。頼子の証言に影響されたこともあるという。陽子がまだ事件にかかわるのかときく。木場はこれは自分の事件だといって立ち去った。

(つづく、あと一回で完結する)
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