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謎解き京極、狂骨の夢その2 [京極夏彦]

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この連作の趣旨、体裁は「謎解き京極、姑獲鳥の夏」で説明した。

あらすじ2

5

12月2日、警視庁である。木場が美馬坂近代医学研究所における事件で謹慎処分をうけ、捜査一課の最長老、長門の監視下で勤務してた。新聞記事で面白い事件を発見した。9月23日付、逗子湾で浮遊する黄金髑髏が目撃、25日付、海岸に漂着、通報があったが行方不明。11月半ば、同じ場所で髑髏目撃。さらに肉片と髪の毛が付着した髑髏が目撃。11月27日付の記事だった。12月1日付、生首が漂着。担当は美馬坂近代医学研究所の事件を担当した石井警部だった。長門は木場をさそって大森に出むいた。

9月20日、二子山で男女の集団自殺事件があった。その中の女の身元確認だった。元中学校教師高野をたずねた。写真をみせたが、きめかねた。しかし写真中の男が高野の教え子山田らしいと判明した。山田は真言宗の僧侶だった。21年2月に来訪した。その翌日、娘が失踪したとわかった。木場は長門にわかれて神田の榎木津探偵事務所にむかった。

先客に関口と敦子がいた。榎木津に宇多川の件を依頼していたが、いやがった。木場も話しをきいて、最後に長野の事件を調査することとなった。榎木津はいやがる関口を随行させることにした。

6

12月、逗子である。宇多川朱美が回想する。自分の中に二人の女がいる。頭が混乱する。雨戸をあけて庭をみた。切り通しに邪魔されて西陽がとどかない。まだ夫は帰らない。昨日は隣家の一柳夫人がきてくれた。三度目の殺害の時、教会からかえった後の四度目の時もきてくれた。昨日午後にでた夫はまだもどらない。今は夜の7時だ。玄関に人の気配がした。

7

12月、逗子である。降旗は朱美がかえってから不安神経症を発症した。4日後白丘にあい、その告白をきいた。子どものころの話しである。白丘は石川県の羽咋の出身だった。そこの豊財院にまつわる話しから骨が怖くなった。さらに夜、鍵取明神で神秘的な神人に出あった。骨をみせられ脅された。後に西行法師の反魂の術をしった。それは骨をあつめて人をつくる術だ。神人たちがやろうとしてたことだと思った。後日譚があった。昭和20年、鎌倉名越の切り通しで神人に出あった。首はどこだとうわ言をいって倒れた。白丘はこれで自分の正しさを確認したといった。白丘がよいつぶれたところに、葉山署から警官がやってきた。白丘に9月23日と24日の行動をききたいといった。

8

12月3日、逗子である。夕方5時、伊佐間が旅館にはいった。玄関ホールのソファに復員服の男がいた。部屋で女中の話しをきいた。今、金色髑髏の噂でもちきりだ。隣りの寺のことをきいた。お経の声はたえないが、15年間、葬式をだしたのをみたことがない。お寺にいった。聖寶院文殊寺という。境内から本堂にはいった。須弥壇の上に本尊があった。住職だった。怖くなって旅館ににげかえった。食事の時、復員服の男は一月以上宿泊してる。寺のこと、夏前、一度だけ葬式があったことをしった。寝た。午前3時に目がさめた。隣りの寺から明りがもれ読経の声がきこえた。4時出発した。寺の明りがきえてた。田越川ぞいに海岸にむかった。対岸に復員服の男がいた。警察の車が朱美の家の方にはしっていった。刑事と、女、朱美がおりてきた。戸板にのせられた死骸がはこばれてきた。宇多川崇であった。12月2日の晩の犯行という。

おことわり

京極作品を未読の皆さん、どうかここを不用意にのぞいて将来の読書の喜びを損なわないよう、よろしくお願いする。

文庫版 狂骨の夢 (講談社文庫)

文庫版 狂骨の夢 (講談社文庫)

  • 作者: 京極 夏彦
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2000/09/05
  • メディア: 文庫





再度の警告。本文にはいわば「ネタバレ」が溢れている。未読の方には勧められない。では本文である。

謎解き京極、狂骨の夢その2


5

十二月二日、警視庁である。刑事の木場は美馬坂近代医学研究所における事件で命令に従わず謹慎処分を受けた。それ以来、要注意人物となった。今は捜査一課の最年長の長門五十次と組んで仕事することとなった。木場の興味を惹くような事件がない。いつしか資料室に入り古新聞を読むこととなった。そこにはいくつか興味を惹くものがある。神奈川で発生した金色髑髏事件とでも呼べるものである。九月二十三日付け記事である。逗子湾で金色に光る髑髏が浮いているのが目撃された。金色の髑髏は二十五日付で浜に打ち上げられた。近在の住民が通報している間に行方不明となった。十一月半ば、三度目同じ場所で髑髏が発見された。今度は金色ではなく普通の髑髏だった。四度目は髑髏が複数の者により目撃された。今度は肉片と髪の毛がついていた。最後は海中に没したという。これが五日前の記事である。はじめ金色の髑髏だったものが普通の髑髏になり、次に肉片、髪の毛をつけた生首と変化してゆく、一連の事件としては不可解である。木場はおそらく神奈川県において担当している石井警部が羨ましかった。木場は研究所の事件で管轄外を主張し立入を拒否した石井と激しく対立した。石井はこの事件の不手際により降格されたが、その原因の一端は木場にもあった。さらに生首が発見された。

十二月一日、逗子湾で生首が浜に打ち上げられた。記事の末尾には石井警部が担当と記されていた。長門がこの新聞記事を見せてくれた。長門が大森に事件の関係者の身元確認に行くという。木場もついて行く。事件とは次のとおりである。九月二十日午前葉山署に山歩きをしている者から二子山山中で大勢の人間が死んでいるという通報があった。調べると男五人、女五人が円座を組んで集団自殺をしていた。死後数日経過していた。女性は全員阿片を飲まされていた。宗教がらみと思われた。身元調査は難航したが行方不明女性のリストから手掛りが見つかった。自刃に使用した短刀の柄には菊花紋がついていた。大森区入新井の高野宅を訪れた。

男が出てきた高野八重の父、唯継といった。高野は定年退職した中学校の元教師である。長門が今年七月に失踪した本郷の酒屋の娘が偶然に事件の自殺者の一人と判明したといいつつ、写真を提示した。高野夫妻はどちらとも決めかねた。さらに長門はその他の者の写真も見せたところ夫人が、唯継の教え子の山田春雄ではないかと気づいた。山田は出家して春真と名乗るようになった。夫人が当時、春真が熊沢天皇の出現に憤慨していたことを思い出した。熊沢天皇は戦後の混乱の中で南朝の系統を引く正当な天皇であると主張し外国にまで報道された人物であるが、全国に宣伝活動を展開していたがいつの間にか消息不明となった。同意を求める夫人にたいし高野は自信なさげであった。ようやく真言宗であること、二十一年二月にやって来たこと、八重がその翌日に失踪したことを思い出した。ふたりは高野宅を辞去した。中途半端な時間となった。木場は一課には帰らず神田の榎木津の探偵社に向った。

探偵社には意外な先客がいた。関口と敦子が榎木津にさかんに頼んでいる。榎木津はそれは京極堂に頼め、自分は嫌だと駄々を捏ねている。秘書がやって来て木場に仕事を引き受けるよう説得してくれという。関口が宇多川の依頼を説明しようとしている。そんな首なしの骨がだんだん身をつけて、亀みたいに首を生やして生き返るようなお化けは退治できないと榎木津がいう。また冬の逗子は嫌いだという。木場は一連の髑髏の事件、逗子という場所に係わりを感じた。ふたりに話しをきいた。きいてから後悔した。警察が扱うことのできる事件とは思えなかった。榎木津が陽気な声で解ったという。双子だ。反論をうけて、四つ子という珍説を提出した。他人のいうことを最後まできかない榎木津に、敦子がいう。実際に起きた八年前の殺害事件を解決してほしいという依頼を持ってきたのだという。木場が長野で実際にあったのなら長野に照会すれば情報は入手できる。八年も前に起きて未解決の事件が榎木津に解決できるのかと疑問を呈する木場に敦子はむしろ適任かもしれないという。榎木津がお化けが出てくるなら京極堂に頼めといったがそうでないなら引き受けるという。木場が京極堂にききたいことがあると気がついた。榎木津が立ち上がり、長野に行く。嫌がる関口を無視して随行するようにいった。

6

十二月、逗子である。宇多川朱美が回想する。ここ数日自分は安定している。海で育った女がひっきりなしに何かを主張している。この女もやはり自分である。自分には二つ過去があるようだ。頼れる夫がいる。首は切ってしまったが教会には行ってない。夫は今年でいくつになるのだろうか。自分には年齢というものがよくわからない。皺や皮膚のたるみ、白髪に気がつくが、それで年齢がいくつなのかわからない。細かなところはわかるが人間の全体というものがわからない。いろいろな記憶の断片が浮かぶ....それは大事なもの。借りるだけといったから。あれだけでは足りない。父さんはすこしもよくならない。頼む。いや。離せ。どちらの女の記憶なのか。申義さんはあの女でなく私を選んでくれた。そう思ったからあんなことまでした。それが違っていた。だから。いえ、殺すつもりはなかった。そう最初は殺すつもりはなかったと考える。

きっと何かの弾みだ。何故首を切ったのか。蘇えった申義の首を切ったのは復活を阻止しようとしたからだが、八年前に切ったのはわからない。それがわかると、もう蘇えらないとあの教会の相談員はいった。私は恐怖のあまり首を切ってしまった。また記憶の断片が浮かぶ。神主が見ていた。私がその場を離れた瞬間に出現した。あの人を追っていたのは憲兵だけではなかった。申義が蘇えりさえしなければ今のままで生きてゆける。閉じきっていた雨戸を開けて庭を見る。既にほの暗い、切り通しに邪魔されて西陽が入らない。昨晩、夫は戻らなかった。どんなに遅くなっても帰るといっていたのに。昨晩は遅くまで一柳夫人がいてくれた。今日も来てくれて今し方までいてくれた。

一柳家は隣家である。夫婦二人暮らしである。昨夜は深夜までつき添ってくれた。気持の悪い自分の告白をきいてくれた。一柳夫人は自分の異変に気がついていたらしい。隣家との堺の切り通しはほとんど壁ように薄く、海側では消滅している。十日前、八年前を含め三度目の殺害の時、縁側の障子が蹴倒され隣りまで大声が響いたのだろう。翌日たずねてくれた。教会から戻り四度目の殺害の時も翌日たずねてくれた。外泊した夫を詰り暴れた。それを一柳夫人がなだめてくれた。自分は身の上話をした。夫人は動揺した。しかし親身になってきいてくれ、申義をひどく怖がる自分に、そんなに嫌っては可哀そうだといった。自分の中に申義を怖れる気持とひどい目に会わされたと怨む気持がある。さらにその昔は強く申義を愛していたのだと思う。昔のことを思い出して気持の整理がついたのでもう申義は蘇えらない。自分は大丈夫だという気持となった。まだ戻らない夫のことが気になる。

昨日の午後に家を出た。今は夜の七時である。納屋にある蝋燭を取って来るため庭に出た。庭に血痕がある。納屋の中の鉈と鋸にも血痕がある。思わず大声をあげた時、井戸に何かを投げ入れたことを思い出した。混乱した記憶が蘇える。お前は大恩あるお方のところに修行に行く。売られてゆくのではない。あたしんちには箱に入った高貴な髑髏がある。いよいよ時が来た。髑髏を本尊にして、七年後に。その首をお返し。頭が混乱する。玄関ががたがた鳴る。戸が開いた。待たせたな朱美。ひどい目に会った。また殺さなくてはと思った。

7

十二月、逗子である。降旗は宇多川朱美が帰った後、極度の不安神経症を発症し、三日間自室に閉じ籠った。四日目に空腹に耐えかねて食堂に出てきた。食事を済ませて白丘を捜して裏庭に出た。声をかけ謝った。白丘は降旗がいったことは本当のことだから謝る必要はないといって、食堂に誘った。白丘は甘蔗酒を勧め話しがはじまる。宗教心理学のことをきかれた降旗はその分野の学者、著作を引き合いに出しひととおり説明した。学問は外側をなぞるが中身はない。しかし外側をなぞるとすこし楽になる。それは降旗もそうだろうが白丘もそうだという。さらに内容についてきく。回心、神秘体験、宗教的情操、宗教的な人格の達成度などがあるという。白丘がそれをきいて面白そうな学問だという。さらにユングやフロイトを説明する降旗に、その苦しみが理解できるというようなことをいう。白丘も同類だという。甘蔗酒を飲み干して、降旗の子どもの頃の思い出に触れ、自分の思い出を話しだす。

自分は骨が怖かった。降旗や朱美の髑髏の話しをきいて、骨への怖れが自分の信仰に影響していると気がついた。白丘は石川県の羽咋の出身である。そこに豊財院とい古刹があった。そこの鐘にずいぶん怖い話しがあった。江戸時代の話しである。大工の吉兵衛という男が女房を残して江戸に出た。そこで情婦を作った。嫉妬に狂った女房は吉兵衛の喉を噛み千切った夢を見た。胸騒ぎがする女房は江戸に向う。その途中長野の善光寺で箱を持った女に出会った。それが江戸の情婦であり箱は吉兵衛の骨箱だった。ふたりは出家し供養の鐘を鋳造した。それが豊財院に残っている。子どもの頃、何度も祖母からきかされた。その頃は女房が江戸の夫を殺したと素直に信じていたのでどこが怪談なのかわからなかった。また目が覚めた女房の口に血糊がついていたところとか、喉を噛み千切ったところでなく、箱の中に骨が入っているところが怖くてしようがなかった。そのため蓋のついたものを開けると骨が出てきそうで、怖くてしようがなかったという。鐘の音がきこえると骨が浮かできて怖い。また仏教寺院も不気味なところとなった。話しがつづく。

これが仏教に立ち入ることを忌避する遠因となった。しかし本当は骨が原因だという。十歳の頃、親戚に不幸があった。その家に家族で手伝いに行った。寺で通夜が行なわれた。しかし白丘は寺も通夜も嫌いだったのでひとりで親戚の家に帰ることとなった。とぼとぼと夜道を帰った。その辺は不気味な話しがある場所がたくさんあった。自然に早足となった。丁度神社に通りかかった。神社は墓場がなく、お祭りもある。陽気なイメージがあった。そこは鍵取明神という由緒正しい神社だった。そこに白く浮かびあがる人影を見た。神人が四人いた。引き寄せられるように境内に入った。相談している声がきこえる。ここでもない。ここでもなかった。やはり善光寺か。そこの彦神分神社だろう。善光寺は不吉な骨箱を思い出させたという。下乃郷では。生島足島。後の世に祀られた諏訪神社にはなかろう。やはり足跡をたどらねばならない。出雲の清手(せいしゅ)から出発している。越後の知賢さまにはお骨があったぞ。骨があったときいて白丘は衝撃をうけ、声が漏れた。気づいた神人たちが近寄ってきた。殺そうかという話しも出たが、神人は箱を開けて中の骨を見せて、他言しないことを誓わせた。また、誓いを破るとたちどころに天罰が下るときかされて解放された。心配した親類に発見されて家に戻った。ろくに口もきけなかった。長じた後もこのことは誰にも話したことはないという。さらに話しがつづく。

この夜の神秘体験はずっと尾を引いた。何か理由がある。考えつづけた。神人たちは骨の足りないところを捜していた。箱の中には人体の骨のがそろっていたが、頭蓋骨がなかったのに気づいた。降旗が何故かときくと西行法師の反魂の術だという。あの有名な歌人の西行は高野山で骨を一揃い揃えて人を造るという話しが撰集抄に載っていた。それを十六の時に見つけて昂奮したという。その骨は同一の人間でなくともよい。これが神人の不可解な行為の説明だという。これが仏教とまた神道とも決別する最大の契機となった。しかし信仰なしで生きたゆけなかった。怖かった。これが基督教新教の牧師になった顛末だ。自嘲気味に話した。降旗が天罰のことをきく。

白丘に他言したから神人がいった天罰が下るのではないかというと、もう大丈夫だという。これには馬鹿らしいつづきがあるという。牧師となった白丘は戦争を通じて宗教者として屈辱と敗北を味わった。無力感に苛まれていた昭和二十年、鎌倉の名越の切り通しを歩いていた。すると曼荼羅堂の坂から男が降りてきた。男は切り通しの本道に着くやいなやよろめいて蹲った。慌てて助け起した。それはあの神人だった。神人は重そうな風呂敷包みを背負っていたのでそれを外そうとした。物凄い抵抗をした。それでその中に骨の入った箱があることに気がついた。神人はうわ言のように首はどこか。首はどこかといっていた。白丘は自分の考えが正しかったことを確認できたと思った。酔いが廻った白丘はそこで卓子につっ伏した。白丘を寝室に連れて行った後、降旗は考える。

白丘は真面目過ぎる。白丘は信仰を通じて救いを求めている。すがるべき信仰を確信するため劇的な神秘体験を捜し求めている。そこで神人たちの神秘的場面に出会った。それ以上の神秘体験を求め、今もそれが得られないで苦しんでいる。降旗は神人の持っていた骨はどうしたのだろうと思った。まだ話しの落ちをきいていないような気がした。気がつくと午後八時となっていた。扉が開いた。三人の男た立っていた。神奈川県本部の石井警部と葉山署の二人であった。葉山署のひとりが高圧的に白丘に話しがききたいといった。できないと断わると悶着が起きた。石井が金色髑髏の話しをする。海岸に髑髏が打ち上げられた。海岸で不審な人物を見かけた。どうもそれが白丘のようだ。事情を白丘にききたいという。九月二十二日と二十四日の行動についてききたいという。降旗は明日葉山署に出頭するよう伝えるといって帰ってもらった。

8

十二月三日、逗子である。伊佐間が再び逗子を訪れた。夕方五時であった。すぐ近くの好みの宿を捜した。桃囿館、素泊り百二十円と記された看板を見つけた。扉を開けて玄関に入る。玄関ホールのソファーに復員服の男が座って新聞を読んでいた。受付の老婆が、料金前払い、食事なし、炊事場あり、風呂は九時で終了と案内した。二階の四畳半に案内された。しばらくすると女中がやってきた。よく喋る。今逗子は金色髑髏という噂でもちきりである。町の中は警官がうろうろしているという。女中の去った部屋で朱美の先夫の首が利根川を流れ、海に向うところを想像した。逗子には田越川が流れている。それはどこに流れてゆくのだろう。さてどうしようかと思った。隣りの古寺が気になった。また女中がやって来て夕食をどうするかきいた。用意がないというと自分の食事の余りをくれた。照ごまめが入っていた。隣りのお寺のことをきく。有名な寺ではないが変った寺という。お経の声は絶えないが葬式をしているのを見たことがないという。十五年は出してないという。伊佐間は照ごまめを食べ終えて、傘を借りて外に出た。門前に立った。聖寶院文殊寺とあった。境内の様子である。

けっこう広い。正面に本堂、塔がある。本堂に近寄ってみるが、賽銭箱がない。蔀戸はしっかりと閉じられていた。左側にお社がある。幾本もの鳥居が立っていた。お稲荷さんである。鳥居を潜り出ると賽銭箱があった。小銭を入れ柏手を打った。そこからさらに本堂の裏手に回ってみる。裏も広い。左手の森が切れたところから桃囿館の建物がのぞいた。裏手には群生する植物が広がっていた。元に戻り、本堂の右に行った。僧坊があった。陣屋造りとういのか左右の門柱に提灯が取りつけられていた。全体を見渡した。鐘撞堂がない。墓場もない。本堂に戻り靴を脱いで上がった。縁側を右に行き左に折れて行ききったところで一番手前の板扉を開ける。蝶番がきしんで大きな音がする。中は暗いが灯りがあった。須弥壇の上に灯明が灯っていた。抜き足差し足で本尊に近寄った。どなたかと本尊が喋った。住職であった。驚く伊佐間に微動だにしない。本尊はないのかという問いにないという。伊佐間は急に怖くなって逃げ帰った。桃囿館の玄関である。

女中が泥足に文句をいいつつ拭いてくれた。今日は伊佐間と復員服の男だけという。食事がまだと知ると、老婆がいた部屋に案内しそこでお握りをくれた。女中がいう。それはあの男がくれた米で作った。男はひと月以上宿泊している。ろくに口をきいたことがない。ときどき外出をする。今日も外出した。帰るかどうかわからないという。伊佐間がいつもあの復員服かときく。ここに来て十日くらいあの恰好だった。別の時もある。寺に行ったといったらさんざん叱られた。思い出したがあの寺で夏前に一度だけ葬式があったという。風呂に入り九時に寢た。午前三時目が覚めた。

隣りの寺から明りが漏れている。読経の声も漏れている。出立の支度を終えて四時、もう一度寺を見た。明りは落ちていた。田越川に出た。川に添って行けば海岸に出る。朱美の家も近い。対岸に人が見えた。桃囿館の復員服の男だった。風が強く海が荒れている。ここでの釣りを諦めて葉山に行こうかと思った。橋を渡りきれば朱美の家は近い。騒がしい。警察の車が通りすぎた。車は朱美の家の方に向っている。切り通しの上から警官が駆けおりてきた。声がきこえる。本当だった。通報から一日が経ってしまった。伊佐間は野次馬のひとりにきいた。何だか豪いことらしい。また車が来た。上から刑事と女が下りてきた。声がした。逃げも隠れもしないから押すな。痛い。刑事が野次馬の存在に気がついて着ていた外套を被せようとした。要らない。明日になれば新聞に顔が載る。朱美だった。伊佐間の口から朱美の名前が出た。朱美が笑ったようだ。朱美を乗せて車が去った。復員服の男が呆然と見送っていた。切り通しの上から何かが運ばれてきた。戸板の上の白布がかけられた死骸だった。さらに上から警官、その後から髭剃り跡の濃い男が下りてきた。伊佐間が思いきって事情をきいた。あの女、宇多川朱美が夫の宇多川崇を殺した。一昨日の晩という。

(つづく、あと一回で完結する。)

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