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謎解き島田、透明人間の納屋 [島田荘司]

* 0100 はじめに
壮大な構想と迷路のような複雑な筋で読者を幻惑し、最後に感動の結末を与える島田荘司さんの「謎解き島田」を提供する。中身はいわゆるネタばれに溢れてる。本作品を未読の方にはすすめられない。

* 0200 旅する地球
** 0201 旅する地球
F市の干し浜(ほしはま)、夜。真鍋さんがいう。太陽系は時速100万キロで宇宙をすすんでる。干し浜は真っ暗、ただ波の音。太陽は琴座のヴェガにむかってる。ぼくらはおおきな球の上にのってる。太陽が東の空からのぼって西の地平線にしずむ。それは自転。自転と公転の違いは。うん、わかる。太陽も月もたくさんの星も、東の空からのぼってゆっくりと西にうごいて、しずんでく。そのスピードは太陽とおなじ。へえ。昼でも星はある。太陽のまわりには星がある。しかし太陽があると空があおくひかる。だから見えない。この星も太陽とおなじスピード。その時、太陽をおいこしたりしない。一定の距離をたもつ。これは空がうごいてるのではない。ぼくらのほうがうごいてる。

* 0300 ふたたび警告
この後に、ネタばれの内容がつづく。本作品を未読の方に閲覧をすすめない。

透明人間の納屋 (ミステリーランド)

透明人間の納屋 (ミステリーランド)

  • 作者: 島田 荘司
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2003/07/30
  • メディア: 単行本


* 0400 旅する地球(つづき)
** 0401 空はうごかず、ぼくらがうごく
でも、うごいてる音がきこえない。そうだね。でも何でもうごけば音、たとえばこの水も。砂浜によせる波。それは摩擦。ぼくらがうごいていることをしること。とても大事。科学にとっても人間にとっても。だってそれに気づくのに何千年もかかった。ずっと空の方がうごく。ぼくらがのった平らな地面の周りをまわってる。天動説だね。そう。でも真実は迫害された地動説の方。これは大事。物事は見る角度をかえれば別の面が見えてくる。そして皆んながちがうといいそうならたいていそっちが真実。考え方を反対にすれば見方をかえれば別の顔が見えてくる。ぼくはだまってた。それが一番大事。皆んなとちがう方向から見ること。それもいろんな方向から。よくおぼえておいてね。うん。あれは昭和52年(1977)の夏。ぼくが9歳。いつも真鍋さんと一緒だった。彼の印刷工場にいった。仕事の手伝いをした。それから一緒に食事、散歩。こんなふうに真夜中までいいることも。そうはいってもあの夜は特別だった。真鍋さんが今夜は夜中に家をでておいでとさそってくれた。

** 0402 螺旋をえがいて宇宙を旅する地球
ぼくは母子家庭。母はいつも2時過ぎにもどった。汽車で一駅隣りのバーではたらいてた。いつもタクシーでかえってきたようだ。当然ぼくは眠っている。だからこの8月12日の夜は母親のことを心配不要だった。夜中ちかくに干し浜にいった。流れ星がたくさんという。もうすぐ12時。真夜中にこっちの南にむくと太陽はこっち側にある。海の方をふりむいていう。太陽はこっちの、地球の真裏にある。地球は北半球から見るといつも左側に見て公転軌道をまわってる。自転はこちら。で、あの東の空、あっちが地球の進行方向だ。それは公転。そう。ふうん。太陽の進行を考えると地球は螺旋をえがきながら宇宙空間をすすんでる。

** 0403 流星群、彗星のかけら
太陽の周りをまわってるのは地球、惑星のほか彗星も。そのおおきな彗星が地球の公転軌道で交差してる。スイフト・タットル彗星というが、これは自分がすすんだ道に星屑をまきちらしてる。星のかけら。そう、霧になってのこってる。実体はガス、岩石。地球がこの彗星軌道の交差点を通過。それが今夜。8月12日。交差か。そう。危険では。地球は今から星屑の中にはいって、その霧の中を通過。それが見える。あの見張り塔の上あたり。流星が沢山。ぼくは見張り塔を。あれはF市の商工会議所の人たち、印刷所の取引関係の人たち。一緒に去年の夏つくった。真鍋さんが提案して、市役所の資金援助で。真鍋さんは大工作業が得意だ。ぼくも手つだった。当時、昭和52年(1977)ころはまだ街の明かりが邪魔しなかった。星がよく見えた。

** 0404 星のかけらに飛びこむ地球
ほら。あ、本当だ。しろく尾をひいて星がながれた。一つ、二つ、三つ。四方八方にながれた。今、地球はあの流れ星の中心にむかってる。時速10万キロのスピードですすんでる。星屑が雪のかけらみたいにとんでくる。でも本当はぼくらが雪の中にむかってとんでる。ぼくはこれが物事を反対から見るということだと思った。彗星のかけらが地球の大気にとびこんで、空気と摩擦して、あんなふうにもえてる。へえ、もえてるの。そう、そしてきえる。それが流れ星。そう。あの夜のことは印象ぶかい。地球がものすごいスピードの宇宙船だと実感した。

** 0405 孤独なぼくが真鍋さんに会った
ぼくらは自動車事故にあう。そんなふうに地球もおわる。あるかときいた。ぼくらが生きてる間はない。しかしいつかきっと、おわるといった。ばくは当時、自分がこの世界に適合してないと感じてた。ところが真鍋さんを見つけて、これが生きてる理由だと納得した。真鍋さんは、ぼくにとって完全、この上ない人だった。学校は全然面白くなかった。母親はいつも不機嫌だった。ものごころついたら父は家にいなかった。真鍋さんの影響を全面的にうけた。不機嫌な母親の顔と四六時中つきあうのがぼくの人生だと思ったから、友だちをもとめなかった。母にどうして父がいないのか、きく発想がなかった。それは彼がいたからだろう。

** 0406 おとなの世界
ひとつのものを別の角度から見れば全然別の顔が見える。これが皆んなにきらわれそうなら。それは真実だ。こんなことをきいたのは、この夜がはじめてだった。ぼくは大人の世界をはじめてのぞいた気持になった。もうずいぶん昔のこととだ。

** 0407 宇宙はこわい、ウイルス、透明な宇宙人
きれいだったろうと真鍋さんがきく。うん。宇宙空間には未知のウイルスや怪物がうようよしてる。こわいところだ。えっ、そうなの。そんな空間を突進する。だからあたらしいウイルス性の病気がやってくる。へえ。それどころか、宇宙人も何人もはいりこんでる。それ皆んなしってるの。しらない。透明なんだから。宇宙人は透明なの。そう。ところでぼくらはまだ幸運だ。本当にすごい病原菌にはあってない。えっ。もし出あったら。全員がおもい病気になる。未知の病気。人類は死にたえる。いつか。いつかはね。さあかえろう。星屑とぶつかった交差点はもうすぎた。まだ。かえりたくなかったのできいた。地球はおおきなボールなの。そう。どれくらい。しばら考えてからいう。あの地平線をごらん。ふうん。ちょっと見えにくいが弧をえがいてる。ふうん。あの曲線はおおきな円をつくる。その中心にぼくらがいる。そんなものだ。

** 0408 地球のおおきさを見る
よくわからないか。うん。じゃあ、あの水と空の境の線、どれくらいの距離。わからない。5キロだ。ちょうど隣町のG市くらい。ちょうどヨウちゃんのお母さんがはたらいてるお店くらいだ。そうか、たいしたおおきさでないと思った。またいう。水平線に船が見える。それを双眼鏡で見る。いきなり船の全体は見えない。まずマストの先、それから煙突、客室、最後にやっと全体だ。これは地球が丸いから。はじめにマストが見えた時、それはおよそ10キロ。ぼくらから水平線の距離とマストから水平線までの距離は同じだから。そう。あとで円をかいて考えればわかる。地球はそんなにおおきくない。だって簡単に外国にいける。ええ、そうなの。そう。

** 0409 銀河系を旅する太陽系
あの星は北極星。あの下に大陸がある。中国、朝鮮半島。ちいさな船で簡単にゆける。本当に。そう、大人になればわかる。ぼくも外国に。ゆける。へえ。今度一緒にゆこうか。本当。そう。約束。約束をした。でも北極星には絶対にゆけない。ロケットにのっても。そう、今見えてるあの星は430年前にでてきた光だ。へえ。徳川時代がはじまった頃。光の速さで430年。光は1年間に9兆キロなのに。すごい。でもぼくらの銀河系のほうが。直径10万光年。全体が回転してる。太陽系もこの渦のうごきにのって回転。それが時速100万キロ。そう。よくおぼえてた。学校の成績もいいんだろう。さあ。とにかく、ものすごいスピード。そのスピードでも、宇宙ができて銀河系ができて、太陽系はその銀河系の周りをまだ20周くらいしかしてない。そう。

** 0410 宇宙のいのち、真鍋さんの夢
ぼくがきく。宇宙は何年前にできた。百数十億年前と。どうしてできたの。ビッグバンという大爆発のせいと。じゃあ、その前は。何も。へえ。くらい空間は。ない。空間も。ない。へえ。時間も。ビッグバンが空間も時間もつくった。ほう。真鍋さんはどうしてそんなに宇宙のことをしってるの。子どもの頃からすきだった。そんな仕事がしたかった。へえ。そう、宇宙旅行の本ばかりよんでた。でもロケットはミサイルにも。すると広島のように原爆をよその国にうちこめる。それでやめた。そうか。ヨウちゃんもおおきくなって、人をころす研究はしちゃ駄目。人をたすける研究をするんだ。

** 0411 ぼくの後悔
あの頃は従順な子どもだった。と思う。真鍋さんの前ではそうありたかった。あの優しさに何があるのだろうと考えなかった。青春の時期にはまだとおく、その毒をまだもってなかった。真鍋さんの優しさにあまえてたのだ。しらずしらずに傲慢になってた。何故ぼくにあれほどひどいことができたのか。あんなに献身的だった真鍋さんにぼくは本当にひどいことをした。とりかえしのつかない罪をおかした。子どもにだって毒がある。そんな毒が。

* 0500 透明人間の作り方
** 0501 周囲に透明人間がいる
もうひとつ真鍋さんがぼくによくしてくれた話しは、宇宙からきた透明人間。不思議な話しだ。とても上手にはなす。証拠も沢山。いるということがだんだん。これまでは、そんなことない。でも知識がふえる。世の中にはいろんな人間が。科学で説明のつかない現象。星の数。そうきいてぼくは自分が盲目だったと思った。真鍋さんにいろいろおしえてもらった。その最大がこの透明人間。真鍋さんは透明人間はずっと昔からいた。透明にする薬も。とっくにできてる。だから透明人間はこの地上に存在、あちこちをあるいてる。でも気がつかないだけ。この街にも。いると真鍋さん。見た。否、だって透明だから。だけど絶対にいる。この日本という国には透明人間はとてもおおい。透明人間は自分がそうといわなければ誰にもわからない。そしてもし秘密をいったら、大変なことに。仲間だって危険になる。だから透明人間がこの世にいることは、いまだに誰にもしられていない。

** 0502 透明人間の秘密の任務、世界を幸せにする
でも真鍋さんはどうしてしってるの。秘密。君にだっていえないこと。へえ。透明人間は秘密の任務をもってる。重大な任務だ。え、どんな。それは全人類を幸せにする任務。たとえば極貧の人、飢餓の人、病気でお金のない人、自分の子どもをうってお金をえる人。こんな人をこの世からなくす任務。すごいね。だから大人になったらやってね。でもぼくは、やっぱりいないといった。それはヨウちゃんがまだ世の中をしらないから。何も理由がないのに突然もえてしぬ。そんな人が世界には沢山いる。きいたことない。うん、あった。そうだろう。それから全然手もふれない。でも毎月腕、額から血をながす人。うつぶせになった他人の背中においたフォークを全然手をふれないでくるくるまわす人も。うん、見たことがある。ランプのコードを手でつかむ。ランプがぽっとともる人。モーターの電線をつかむ。まわりだす人。ぐっと念じるだけで時計の針をとめる人。しばらくだったら空中にうかべる人。ね。だから透明人間がいても全然不思議でない。

** 0503 薬をのんで透明になる
どうやって透明人間になるの。地球人の場合は細胞を透明にする薬をのむ。すると地球人も宇宙人になれる。この薬はずいぶん前に完成してる。それはどこで。アメリカで。否。皆んなアメリカばかりがたいした国だと思ってる。暴力、人種差別、お金持ちはどんどん金持ち、貧乏人はいつまでも貧乏人。こんなことが何年もつづいて、今はたいした国でない。ふうん。また女の人もしいたげられてる。女医はほとんどいない。いい仕事につけない。えらくなれない。夜、いけないことをしなければ生活できない女性がおおい。世の中が矛盾だらけ。お金だけがものをいう。平等も希望もない。駄目な国だ。ふうん、でも面白い映画が。ハリウッドでごまかしてる。国家がハリウッドにお金をだしてる。国のイメージをよく見せてる。見せかけだけの嘘。本当はその国の内側は腐敗。あの国は本物の発明品はできない。

** 0504 透明薬はソ連、アメリカでない
念力でフォークをまわしたり、空中にうかんだりする人は中国やソ連におおい。透明人間の薬もソ連で発見された。アメリカ人はまだしらない。えっ、発見、発明でなく。そう発見、発明でもある。モーター、しってる。うん。あれはパリ万博で間違って発電機に電気をとおした時、まわりだした。それで発見された。でも発電機は発明品だから、それとおなじ。へえ。透明人間の薬も半分が発明、半分は発見。

** 0505 ぼくは一人でたべる夕食がいやだった
ぼくの名前はヨウイチ、母親は千鶴。一人っ子。F市のはずれの、周囲は一面畑という一角、2DKの平屋住まい。F市は隣りのG市おまけみたいな街。畑、田んぼ以外は何も。ふる ぼけた商店街が駅前に50メーターくらい。それですべて。冬になると日本海からつめたい風がふきつける。これが沢山の雪をはこぶ。だから商店街の両側にはずっと屋根がついていた。季節にはここはトンネルになる。

家の庭には柿の木といちじくの木。いちじくは床下から家をもちあげてた。真鍋さんにきってもらった。家の中はどこもかもくらかった。特に台所の板の間。冬は寒々として、ここでの食事が嫌だった。だから学校からかえって家にはいるのが嫌で隣りの敷地の真鍋印刷で毎日すごした。陽がくれてからかえれば誰もいない寂しさを別にしたら、一人もそうわるくはなかった。蛍光灯をつけたらよその家とかわらに。口うるさい親がいないよさもある。そこで宿題をして、ちょっとテレビをみて、あとはねるだけ。

** 0506 真鍋印刷で宿題をしたり夜おそくまでいたことも
昼間、印刷機がやかましい。そのそばで宿題をすることもあった。印刷所の隅には真鍋さんが依頼者とはなす応接セットがあった。そこでよく宿題をやった。窓がおおきくとってあって、中はあかるかった。ぼくは印刷機のインクとオイルの匂いがすきだった。その頃、大人になったらなんとなく印刷屋になろうかと思ってた。真鍋印刷は商工会議所がだしている新聞やG市の業界紙などを毎月印刷してた。それにくわえてあちことから単発の仕事もあった。毎日印刷機がとまることはなかった。夜おそくまで機械の音がしてる日のほうがおおかった。真鍋印刷は順調で真鍋さんはそれなりに豊かだったと思う。

いついっても嫌な顔をされたことがなかった。ウヅキ君というアシスタントが一人いた。ぼくのためにお菓子や漫画雑誌をおいてくれてた。不思議なことに、あの口うるさい母が何もいわなかった。真鍋さんが毎日ぼくに食事をおごってくれたり、お金をつかってくれてたのに。ウヅキ君をかえすと真鍋さんはF市の商店街につれていった。洋食屋のカレーライス、おでん屋の屋台。海沿いの熱した石でとれたての魚をやいてだす店。でも一番おおかったのは印刷所でとる店屋物のカツ丼か親子丼だった。

** 0507 母は真鍋さんがいると笑顔になった
いつも、真鍋さんとぼく、時にはウヅキさんをいれた3人でたべた。彼はほとんどしゃべらない。これがいつもの夕食だった。母は夕食前にでかけた。朝食は母とたべたが、睡眠不足を口にした。母はぼくを嘲笑した。そんな時だけわらう。つきあってわらったが本心は嫌だった。二人の時はわらわなかったが、真鍋さんがいるとニコニコした。なのでできるだけ真鍋さんをくわえるようにした。母は真鍋さんと懇意なように気軽にはなした。しかし真鍋印刷の敷地にははいらなかった。いつも垣根か門のところでの立ち話だった。普段面倒をみてもらってるお礼か、母は真鍋さんを朝食に招待した。そんな時は食卓がいっぺんにあかるくなった。そういう日、夕方、真鍋さんと二人になるとぼくにちょっとした秘密をおしえてくれた。たとえば、母は父とわかれた。お酒をのむ人だったとか。

** 0508 真由美さんがくると真鍋さんが不機嫌となった
そんな話しを母からでなく、真鍋さんからきいた。真鍋印刷にいると辛島真由美という人がきた。幼馴染だそうだ。ぼくがソファにいると、はなれて真鍋さんとはなす。またあの子がいるといった。この時、真鍋さんは不機嫌となった。もうくるなという大声が機械の音にまじってきこえた。あの子はあの性悪の千鶴の子。わかってるといった。これにはびっくりした。真由美さんが母の知り合いとは。お兄ちゃんはだまされてるともいった。真鍋さんは真由美さんをひきずるように外にでた。ぼくはもうかえろうかと思った。ウヅキ君も外の声を気にしてた。真鍋さんがもどってきた、ごめんといった。真由美はライバルだから。へっ、何の。ウヅキ君によばれた。

** 0509 納屋にはぼくのすきなものが一杯あった
もどってきて、ぼくをつれて納屋にいった。カバン錠をはずして扉をあけた。中はぼくがすきな場所だった。秘密の工房だ。中央のデスクの上にくろくておおきな機械。地球儀、天球儀があった。この機械は何するものときいたが、こたえてくれなかった。壁に何故か人体の解剖図。壁際に何段もの棚。沢山の模型飛行機。プラモデルの船、機関車、自動車。ちいさな骨格模型、人体模型。あとは沢山の本。雑誌、鉄道模型、映画の趣味。戦闘機、外国の自動車の写真集。その頃、真鍋さんはいそがしくなって、こういう趣味の時間がなくなってた。工場が暇な頃はよくここでプラモデルをつくってた。ぼくはそれにひかれて、毎日真鍋さんのところにいりびたるようになったのだ。

** 0510 真鍋さんはいつも左手に手袋
真鍋さんは何故かいつも左手に手袋をしてた。冬は革の、夏はグレーの布。昔ちょっとした事故で左手がうごきにくくなった。そのためエンジニアの仕事をあきらめたという。だからあつい日でもワイシャツ、右手だけを腕まくりしてた。なのにすごく器用な人で大工仕事も本職なみ、模型作りも上手、頭がよくて、学校の先生よりも教え方がうまかった。真鍋さんを尊敬してた。子どもの頃はロケットの技術者か発明家になりたかったそうだ。

ぼくが納屋にはいれば、どんな時でも機嫌がなおることをしってた。この日はつくりかけのエンジン付き模型飛行機を見せてくれた。出来たら干し浜でとぼそうといった。ベッドとパイプチェアがあった。ここで寝泊まりすることもあるそうだ。真鍋さんがいった。

** 0511 意地悪な真由美のことをあやまる
真由美のことごめん。うん。あいつはひどい。子どもに罪はないのに。横をむいた顔に憎しみの光があった。ころしてやりたい。うん。ヨウちゃんのお母さんに嫉妬してる。あの人はお母さんの知り合い。G市でお母さんとおなじリンドンではたらいてる。お客のとりあいとか。こんなことわかるかな。皆んな生きるため必死なんだ。取り合いしたの。ううん、そうでもないが。真由美は篠崎という人のところにお嫁いりしたい。篠崎はリンドンのお客。篠笹というチェーン店の居酒屋の息子。へえ。店がはやってる。だから真由美は必死。ふうん。その篠崎はお母さんのこともすき。で、真由美がおこる。でもそれは仕方ない。美人だから。ふうん。真由美は本当に馬鹿な奴だ。邪魔してやりたいが、あいつも気がつよい。そしてちいな声でいった。こわしてやりたい。あいつは裏切り者だ。あんな結婚、堕落だ。絶対に駄目だ。

* 0600 透明人間の争い
** 0601 もう一人の男、真由美・真鍋さんの口喧嘩
ある夕刻、印刷所にいったらウヅキ君が一人。真鍋さんはときこうしとしたが、突然、機械がうごきだした。あきらめて納屋にいった。カバン錠がはずれてた。隙間から中をのぞいた。二人の男の背中。あのくろい機械の前で熱心に話しこむ。機械がうごきだした。その音が工場の印刷機と一緒。二人はこちらを見た。真鍋さんともう一人。何度か顔を見たことがある。すぐ真鍋さんがやってきて、ソファでまてといって、扉をしめた。建物の角の壁にもたれていると、真由美さんの叱声がとんできた。大人の仕事の邪魔、勉強を。宿題は。もうやった。予習復習は。ぼくの反論に立腹したらしい。生意気だ。わたしはえらい。えっ。宇宙からきたかぐや姫。へえ。そう。もう自分の家にもどれ。ぼくは家に。真由美と真鍋さんの声。子どもにあたるな。関係ない。ないわけない。あの女の手だ。否、どういうことか。わたしたちを仲たがいさせる手。馬鹿な。目さまして。お兄ちゃん。利用されてる。否。

** 0602 男と真由美
無給の子守りはやめろ。あきれた。理想はどこに。金、金、自分の損得。金つかんで日和たいか。関係ない。なら、この子もほっとけ。ある。わたしの闘い。じゃあ外で、自分の家か店で。ここは俺の家。否、あの女の家。へえ。どういう意味か。この裏切り者。自分の都合ばっかり考えて。ちかよってなぐった。いたい。真由美さんがズボンの下あたりをけった。何度も。あの性悪女、ここまでやるのか。おい、俺だ。わかってるか。あの人じゃない。金切り声でわらって、あの人、貴婦人みたいに。もうやめろ。おまえ はもう必要ない。どこかにきえろ。きたくてきてない。お兄ちゃんのため。もう二度とくるな。ぼくは足がふるえた。そこであの男がでてきた。一瞬、冰ついた真由美さんはさっていった。

** 0603 真鍋さんと一緒にお芋をたべた
ぼくはいそいで家にもどった。部屋の窓の曇りガラスをたたく音。あけると真鍋さんがたってた。お芋があるとさそってくれた。越後屋の奥さんからもらったという。真鍋印刷との境目の石の上でならんですわって、たべた。真由美のこと、ごめん。夜の仕事をするようになって頭がくるった。涙をふいた。泳ぎにいかないのか。うん、大人と一緒でないと駄目といわれてる。じゃあ日曜日。そうかお母さんが家にいるか。友だちは。学校があれば。気のあうのはいないか。いない。じゃあ夏休みはあまりすきでない。すきだけど、とっちでもいい。ヨウちゃん、孤独なんだ。

ぼくは考えた。時間があるの連中は、うんざり。そうでないのはガリ勉、塾がよい、共通項もないし、時間もない。さびしいのとはちょっとちがうと思った。真鍋さんがいう。自分も子どもの頃はそうだった。おなじ年頃の子どもは相手にならない。今に見てろと思ってた。ヨウちゃんはそうか。ぼくは首をかしげた。ヨウちゃんは一人ぼっちか。

** 0604 真鍋さんがなぐさめてくれた
ぼくはヨウちゃんのことがすきだ。いい子だから。いつもわすれたことがない。何かこまったら、いってくれ。力になる。うれしかった。夕食にいかないか。もうたべたし。真由美さんのこともあった。すると干し浜にゆこうとさそった。あるいて7、8分だった。10人くらいいた。ラーメン屋がでてた。いい浜辺だと真鍋さん。

** 0605 干し浜に赤座のこと、透明人間のことをはなす
自然はすごい。誰にたのまれたわけでなくこんな綺麗なものをつくる。そのよさは人間にもわかるんだ。見張り塔にむかった。ねえ、真鍋さん。あの男の人は誰。あれ赤座。ふうん、仕事の知り合い。商工会議所につとめてた。今はG市のスナックやってる。あやしげなものだがとわらった。赤座さんは真由美さんの知り合い。そうみたい。だがよくは。ふうん。あんな女、興味ない。見張り塔に到着。あがった。鍵をまわし扉をあけた。海側の窓により、あおり板をもちあげた。去年の夏につくったばかりだ。

透明人間とぼく。えっ。パイプ椅子にすわった。透明人間てかなしいんだ。一艘の船が水平線の間際に見えた。誰にも見えないということは誰にも認識されない。どんなよいことをしても評価されない。

** 0606 透明人間の不幸
人は顔と名前に評価をあたえる。透明人間には両方ともない。最初から名前ないの。いや、最初はね。でも透明になったら名前がきえてしまう。なった時から透明人間という名前だけとなる。でもまたもとにもどれるのでしょう。一度だけなら。ふうん。薬をのむ。地球人なら。透明になる薬。うん。ならどうやってもどるの。5時間くらいでもどる。自然に。それは1回だけ。個人差がある。2回のんでまた見える人も。でも透明のままの人も。こわいんだ。そう。こわいね。あれは誘惑だ。だって何だってできる。でもこれにまけて2度薬をのんだら、もうもどれない。もどれなくなったら。それはそのまま、くらしてゆく。一生、透明のまま。

** 0707 みじかい寿命
地球人の 場合、ながくは生きられない。えっ、どうして。しりたい。うん。あの薬はある種のウイルス。ところでインフルエンザはしってるね。うん。これは宇宙からくる。へえ。そう。宇宙空間とはそういうところ。これはもと宇宙をただよってる生物。太陽風にのって地球にふきよせられる。ふうん。地球の磁気にひきよせられて、北極にふってくる。ええ、それはもえつきない。流れ星のように。あれは物体。これは、ふわふわ落下。もえない。へえ。だからインフルエンザは太陽の黒点がふえると大流行。これが北極圏で渡り鳥の雁の体内に。それから地球のあちこち。香港の近く、アヒルとか豚の体内に。それから人の体に。インフルエンザという病気をおこす。雁から直接人体には感染しない。何故。

** 0708 5年の寿命
もともと人体に、はいれない。宇宙人にならはいれる。それが豚にはいりDNAの一部が豚のものと交換される。それで人間に感染できるようになる。ふうん。北極圏にふってくるウイルスは沢山。インフルエンザだけでなく、肺炎、それらの中に人間の細胞を透明にする酵素をもつ生物がいた。それをとりだして純粋培養、遺伝子の組み換え、透明化の作用をつよめる改良をする。これが透明人間にする薬。ふうん、宇宙からきたのか。そう、薬は宇宙から。でも人間には病原体の一種。だから地球人にとっては危険。最後には高熱がでて発熱でしぬ。えっ、いやだ。そう、絶対のんじゃ駄目。でもしばらくは大丈夫。しかし徐々に衰弱。2年、3年。ながくて5年。こわいんだ。透明人間はおおきなリスク。絶対のんじゃ駄目。でも1回は大丈夫。1回はね。風邪だって自然になおる。あれとおなじ。子どもは。駄目。抵抗力がない。それに透明にならないですぐ死ぬ。

** 0709 水死体に
死んでも透明のまま。死んだら見える。でも裸でしょう。うん。じゃあはずかしい。透明人間は必ず水にはいって死ぬ。何故。猛烈な高熱。だから水に。それでたいてい海で死ぬ。細胞が水にとけやすくなってる。ほどける。そうしたら魚がよってくる。結局骨だけになって海の底にしずむ。まあそうなる前に海にただよってることもおおい。そうか。だから薬をのもうなんて思ったら駄目。

* 0700 透明人間の蒸発
** 0701 蒸発女の事件、事件の概要
それからあの大事件がおこった。G市の蒸発女のミステリーという名で全国的に有名となった。ぼくが学校できいた噂はこうだ。真由美さんは自分は宇宙人なのだと以前からいってた。ある日宇宙から指令がきて20日の夜に、おまえをけすといわれた。分子に分解してUFOに収納し宇宙につれもどすという。真由美さんはこわがり、なきつづけてた。この話しをきいた人、ないてるのを目撃した人がいるという。ぼくは真由美さんからかぐや姫といってるのをきいた。宇宙人が誘拐するアメリカ産の連続テレビドラマが放映された。子どもたちも興味をもった。この事件は大人のもの、子どもは興味をもってはいけないとの雰囲気があった。それで身近な事件だが内容について、くわしくない。この事件をとりあげた小説家、松下謙三、当時有名な推理作家だった。文芸JSとう小説雑誌にノンフィクションの短編としてのった。以下に引用する。

** 0702 ホテルの一室で発生、謎にみちた事件、蒸発の婚約者
日本海の海べりG市のホテル・エルシノア401号室でおこった女の消失事件はミステリー愛好家としては不可解で面白い。401号はこのホテルの4階の端、廊下の奧まった角部屋。きえた花嫁の婚約者は篠崎太一。地元越後で最近あたってる篠笹という居酒屋チェーンの一人息子。31歳の独身。リンドンというスナックのようなちいさな飲み屋で辛島真由美という小悪魔的なホステスとしりあった。遊びからふかい関係、女の要求で結婚を約束した。ほかにねらってた女がいたらしい。太一の実家は調査したところ、福岡の出身、両親ともに死別。親戚、兄弟もない。後くされがなさそうと承諾した。男の家には両親がいた。女の安アパートは手狭。G市の海べりのエルシノアというホテルをよく逢引きにつかってた。G駅からは徒歩で小一時間。建物は4階建、全体がしろいタイル張り、1階には魚料理のレストラン、ラウンジ式のティールーム。二人は毎週末まるで婚前旅行のようにここにとまってた。

** 0703 ホテルで毎週密会、8月20日夜8時半、大型のバッグで
部屋はいつも401号、眺望がもっともよく、ここだけカラオケ・セットもおいてあったから。ここには少人数のパーティならひらけるようなスペースがついてた。ソファが大型、多数。10人弱が利用できそう。冬などは海と雪の景色が絶景。海までへだてる建物がない。篠崎家は土地の名士、優先的利用が可能だった。眺望は絶景だが外にヴェランダはない。窓は嵌め殺し。あかない。ビルの足元にはブロック塀があり、路地がはしってる。これは海までつづく。窓の外はビルの壁面、絶壁。8月20日の話しである。

8時と8時半頃に別々にホテルにはいったらしい。まず太一、つづいて真由美。部屋で落ちあう手順。到着時刻の差はだいたい30分。真由美は膝上丈の薄茶のワンピース。サンダルふうの足指あたりは革ひものハイヒール。髮はゼミロング。一緒の時、二人はよく1階のレストランで食事。それから部屋に。だが、この日は、いきなりあがった。これは太一もホテルのフロントもそう証言。太一は書類がはいった、かかえるタイプの小型のバッグをもってた。真由美は手提げ式のハンドバッグ。やや大型。真由美は寿司の折りをもってきた。これは太一の好物である駅前の寿司屋のもの。寿司にしたの。部屋でお茶をいれて二人でたべる。冷蔵庫にはビールも。

** 0704 おびえた真由美、ずっと一緒
ここからは筆者が太一にあってきいた内容。真由美は非常におびえてた。普段はおくゆかしいが、この時は部屋にはいるなり自分にだきついた。今夜は一刻もはなれたくない。体はふるえてた。本人は誰かに誘拐されるといった。太一はそんな危険が切迫してるとは思えなかった。大丈夫といって元気づけた。褥にはいってもずっとだきついて、はなれなかった。はなさないでというので、そうした。真由美の体はずっとふるえてた。何度なぐさめても効き目がなかった。真由美は自分がトイレにたつ時もついてきて外でまってた。冗談のようでわらった。

** 0705 なきやんだ真由美を安心させ、愛情交換、空のベッド
しばらくしてなきやんだ。おきたら二人で寿司をたべる。カンディーズとタイガースのカラオケ大会をやろうといった。真由美はミキちゃん、太一は沢田研二ににてたらしい。約束よと指をからませた。ここは密室である。拉致の心配はない。嵌め殺しの窓も他の窓も心配はない。4階の高み、周囲にビルはない。入口のドアは中からきちんとロック。ホテルの従業員ならあけられるかも。あいたらむろん自分にはわかる。それにこのホテルには従業員も、客も大勢。誘拐は無理。だから自分の警戒心はとぼしかったといった。

当時は連日の御前樣で睡眠不足。ビールもはいる。真由美との愛情交換がおわれば短時間、前後不覚にねてしまう。この時もおなじ。ねむりこけて、真由美は自分にだきついてた。ふと目があいたら11時前。隣りの真由美を見た。ベッドがもぬけの空。名前をよんだが、返事がない。あわてておきた。テーブルの上に寿司の折り、2つ。ひとつはあけられトロがひとつたべられてた。カラオケの機械の下の棚からは歌の本がぬきだされて、キャンディーズのページがひらかれてた。それで太一は真由美は部屋にいると安心。

** 0706 寿司折り、ぬぎすての服、靴
部屋に備えつけの小皿がテーブルの上、中に醤油。この折りにはいってた金魚型の容器。この中身。割り箸も、ひとつはすでにわれてた。そばには湯呑み。中には番茶。真由美が一人で寿司をと太一は苦笑。真由美は自分をおこそうか思案。醤油の小皿、番茶、割り箸、真由美のものだけでなく自分のも用意されてた。トイレにいった。ノック。返事はない。ドアを。いない。ふと見ると ベッドサイドにぬがれた真由美の服、かるくたたまれてる。靴まである。風呂か。で、いく。ところがドアがあいてる。中はがらんと。タイルの床はぬれてもない。湯船にも湯をはった形跡がない。そもそも浴室全体が冷え冷えしてた。

** 0707 フロント、部屋の各所、廊下、非常階段をのぞく、なし
ここで仰天。用具入れ、ベッドの下。洋服箪笥をひらいた。どこにもいない。フロントに電話。真由美とは顔見知り。それと気づく。このホテルは小振り。フロントの前をとおらずに表にでる。それはむずかしい。真由美が誰か不審な男と一緒に。そんなことないか。きいたがないという。太一は服をきて廊下に。非常口から表に。そんなことか。たしかめる。ここからが奇怪千万。

廊下の突き当たりのリネン室のドアがあいて、中で従業員の女性2人がシーツにアイロン。たたんで棚にしまったりと作業中。そしてその手前、401号室、リネン室間の廊下には客室のドアがならんでいるばかり。エレベーターも非常口もない。リネン室までいってその従業員にきく。ここにずっと。然り。どのくらい。2時間以上。だから太一らが部屋にはいっていったのもしってる。では401号室から真由美がでてきたか。ない。たしかか。然り。リネン室はエアコンがきかない。ドアはあけっぱなし。様子はわかる。他の部屋からの出入りはあったが、401号室は。誰もはいってない。でてない。ドアはひらかなかったか。一度あったよう。音もなくしまった。人もでなかったという。

** 0708 ドアがあいたリネン室に確認、なし
リネン室はL字形となった角にある。そのドアから401号室の正面が見える。エレベーターのドア、非常階段にでるドアも401号室からみるとリネン室のところのL字を左にまがった先にある。そこまでゆくのに必ずリネン室の前をとおる。太一は、401号室までの廊下をさし、きく。ではあれらの客室に、今空き部屋はあるか。それは真由美が401号室のドアをでて、すばやく隣りの空き部屋にはいる。この可能性を確認。今日の4階は満室。それに空き部屋でも必ず施錠。また401号室までの廊下ならドアがあけば見えるという。もっともと思った。また真由美はこの結婚に命をかけてた、いなくなるわけない。

もしそうなら。彼女の意志にはんした拉致。拉致目的の者が隣りに部屋をとる。そこにつれこむ。あり得る。しかしその人間がどうして401号室にはいる。不可解。かりにつれだしたとして、ドアがひらけば、この従業員から見える。さらにこの廊下の客室のいずれかにつれこむ。でもいずれはドアをあけて廊下にでる。見つかるのはおなじ。難問がもうひとつ。真由美の服。部屋にあるから裸。めだつ。また結婚に命をかけてた。声ひとつたてない。あり得ない。

** 0709 非常階段、フロントを確認、警察に連絡
何はともあれ、今一番の可能性。これらの部屋のいずれかにいれられてる。ならここからださない。廊下にしか出口はない。これらのドアをしっかり見はってくれとたのんだ。ホテル側の責任は重大と念押し。人間がはいりそうなおおきな袋。大型トランク。など不審な事があったら連絡。自分は警察に連絡。401号室かフロントあたりにいるとつげた。

太一は廊下をすすんで非常階段へでるドアをチェック。しっかりと施錠。エレベーターにのって一階におりる。フロントの真ん前でドアがひらく。ところで階段つかっておりたとする。フロントのすぐ横におりる。いずれもフロントの目にはいる。太一はフロントに部屋から婚約者がいなくなった。誘拐と思われるからすぐ警察に連絡とたのむ。従業員に4階の部屋の点検をたのめるか。警察でないと無理。また警察でも中の住人の承諾が必要だろうという。しかし4階の客のチェックアウトには注意、警察にも連絡。部屋にもどるよういう。で、もどった。

不可解、理由が不明。結婚したがってた真由美に自分の意志できえるか。ない。では当人の意志に反して。これは誘拐。するとあやしいのはこの階の別の客室。

** 0710 トイレ、浴室の窓をチェック
ふと思いついてまたトイレ。ここにも窓が。あけても手前にたおす形。この隙間は握り拳。次に浴室。ちいさな窓。あけると網戸。しっかりはまってる。その枠にふれる。容易にはずれない。網戸とアルミの窓枠に蜘蛛の巣を発見。これはあいてない。窓をしめた。この4階からおりれるわけない。茫然とする。辛島真由美はホテル・エルシノア4階の密室から裸のまま、煙のようにきえた。

* 0800 透明人間をつくる機械
** 0801 8月20日、納屋で謎の機械にふれる
真由美さんが失踪した昭和52年8月20日はぼくにとってもわすれられない日。この日昼食をたべ、母がでかけてから隣りに真鍋さんをさがしにいった。母は土曜日の勤め。店の女性の大半はやすんでた。印刷所の機械の音はしてたようだが、しずかだった。何かがかわってた。ぼくの耳はかすかな耳鳴りがするように。母の様子もかわった。真鍋さんの態度もわずかに変化。納屋の前にゆくとカバン錠がはずれた。扉の隙間の前でそっとたった。納屋はひっそりとして、今日は誰もいない。あのくろい機械をうごかせばどうなるのか。好奇心がわいてきた。機械にちかづいた。 上蓋をもおちあげようとした。すると、あぶないと声。大丈夫かと真鍋さん。ぼくの指のあたりをいじった。うん。ヨウちゃん、この機械はあぶない。さわっては駄目。手を見せて。ティッシュで指先をぬぐった。この中の薬がつかなかったね。うん。ごめん。いい。もうちかづかない。

** 0802 機械の秘密をきく
漫画をよもう。もうよんだ。真鍋さん、今日おしえてよ。何の機械。どうして危険。毒。毒ならまだいい。どうしておしえてくれないの。駄目だよ。ぼくらは友だちだよね。そう。おしえて。ぼくのために、何でもするといった。そう。ヨウちゃん、世の中にはしらない方がいいということもある。これは危険、処分しなくては。秘密の機械。秘密なの。そう。世界中がひっくりかえる。だらだまってて、もうすぐここからうつす。あちこちにはないの。ない。日本中でこれ一台。秘密をまもるから、おしえて。まもれるか。うん。男の約束するか。する。命をかけて。約束する。

** 0803 透明をつくる機械
じゃ、おしえる。機械の 上蓋をあけた。竹ヒゴをこの中にいれた。しろい紙をとって、竹ヒゴをぬき、その先っぽで紙をつっついた。すると紙のそのあたりがみるみる透明となった。真鍋さんがきく。ぼくがずっと手袋をしてるのは何故か。ええ。これは透明人間をつくる機械。紙が透明になったが、人間はもっと。といって、右手の指が左手の手袋にかかる。つまむ。ぼくは昔この機械の中の薬にうっかり手をつけた。手袋をぬきとる。たかくかかげた左手には手首から先がなかった。しろいワイシャツの袖口から先は何もない。ぼくは放心し真鍋さんはわらった。

** 0804 真鍋さんの左手首が透明だった
左手をゆっくりとさげる。手首は機械の陰に。さっきとは別のしろい紙が空中にうかんでる。左手をぐいとふる。空中にうかんだ紙もひらひらした。ぼくの左手はこんなふうに透明に。真鍋さんがどすんとベッドに腰掛ける。ゆっくりと手袋をはめた。その左手にあはいつものようにグレーの手袋があった。この機械にはちかづかないで。うん。

** 0805 警察の捜査、不審事項なし
(以下短編の引用)
ホテルからの通報で警官が2人やってきた。4階の客室をしらべた。片側のみに3室あった。説明し各客室の浴室、トイレ、ベッドの下、用具入れ、すべてをしらべた。不審な様子はなかった。リネン室の二人にたずねた。401号室のお客にいわれたので廊下をずっと注意してたが。でてきた人はいない。つづいて他の4階の客室もすべてあらためた。これらの部屋からも不審なことは発見されなかった。最後に401号室をあらためた。異常はない。真由美はこの部屋からでてないというのが彼らの結論だった。寿司は鑑識にもちかえる。湯呑みはかすかにぬくもりがあるといった。

** 0806 警察が篠崎をうたがう
テーブルの上の歌の本を。ひらかれたページ。キャンディーズの歌のタイトルと機械でこれをならすための数字。説明をもとめられた太一が約束のことをはなした。太一は考えた。真由美はお茶を。小皿をふたつ。金魚形の容器から2人分の醤油。ページをひらいてあれこれ考えながら、トロをひとつ。そこできえた。あるいはけされた。

** 0807 警察が尋問する
警官がきく。真由美が本当にここにいたのか。狂言をうたがってると思った太一が、何故そんなことをしなければと反論。自分は結婚するつもり。さられたら親戚知人の手前赤恥。段取りもくるう。真由美が自分の意志ででていった可能性は。心当たりは。ない。彼女は結婚をつよく願ってた。自分より彼女が熱心。だからない。かりにそうならリネン室の女性たちが気づく。フロントにも確認してくれ。一応納得。では誰かにねらわれてたか。

自分がしる限りない。部屋でおちあった時、何かに非常におびえてた。警官はフロントにおり客の住所、職業、年齢などを宿帳からひかえた。不審な点はなかった。非常階段。2階からしかでられない。2階なら地上におりれる。これは引き上げてある梯子をおろす。しかし地上から非常階段の2階にはのぼれない。2階のフロアから非常階段にでることは客はできない。これは施錠されてたから。おなじく階段側から2階のフロアにはいることもできない。これは2階、3階、4階とも条件はおなじ。普段は緊急避難用にあいてるが、従業員の手違いか、この日はたまたま各階の非常階段へのドアはすべて施錠。

** 0808 階段、屋上をしらべる
さらに外部階段の4階から屋上にでるには、もう1枚のドアをあける必要。これも施錠。1階から4階、各フロアからの非常階段へのドアの鍵は共通。しかし非常階段最上部から屋上のドアは、これだけ別の鍵。つまり誘拐犯が、何とか2階にのぼっても屋上にでられない。警官は屋上にでた。そこは四方を手すりが。真ん中に大型のプレハブ小屋。このドアにも鍵。これは資材置き場として。この周囲はしめった泥がうすくおおってた。わずかに靴跡。これは最近つけられたものでなかった。401号室の真上。浴室の窓とトイレの窓がある。トイレの窓の脇に雨樋がさがってる。かなりの距離、特に浴室の窓から4、5メーター。

ここに洗濯物をほすかとホテルマンにきく。業者にだすか、ホテル内。なかなら乾燥機。だからない。小屋は資材置場としてだけ。それも工事の際の資材ばかり。普段つかうものはない。だからまずあがる用事がない。今夜ここに9時から11時の間にヘリコプターが降下したことは。ない。警官は4階に。太一のところに。これで終了。警察にもどって寿司の分析。身代金のような動きがあれば連絡を。

* 0900 真由美さんの行方
** 0901 20日夜、ぼくは母の小言と真鍋さんの溜息をきいた
その夜、眠むれなかった。外で女の人の声。あの女何とかしてよ。世の中のゴミ。ぼくは母さんと思った。おやすみ。真鍋さんの声だ。窓の隙間からその姿が。納屋にはいっていった。壁をへだてた廊下で足音が。ぼくは布団の中にもどった。

** 0902 その後、自転車が駅の自転車置き場に、全国の話題に
(以下短編の引用)
誘拐犯、もしそうだとしたら、何もなかった。その後警察がつきとめた事実はすくなくない。寿司から薬物をはじめ何の異常も発見されなかった。なくなっていたのはトロだけ。真由美所有の自転車が駅の自転車置き場に鍵をかえておいてあった。リンドンへの通勤につかうもの。アパートの自転車置き場あるいはリンドンの脇にあるはずのものだった。

G市では神隠し、宇宙人の誘拐、生体実験などと憶測話しがとびかった。テレビや雑誌の記事から全国にひろがり、マスコミがG市におしよせた。

** 0903 天井裏の点検、真由美アパート、不審事項なし
天井裏には配管のダクト。人があるけないことはない。あつく埃りが。あるけば確実に足跡がのこる。痕跡はなかった。401号室に天井裏にあがれる入口はない。女に親兄弟、親類縁者の類がない。親身にさがす者はいなかった。太一、両親ともテレビカメラをさけホテルにとまった。警察は彼女のアパートにいった。あみかけのセーターがテーブルの上に。冷蔵庫にはたっぷり食材が。長期不在は思ってもいなかったようだ。自転車の鍵は部屋になかった。本棚の上には太一ととった写真。

** 0904 干し浜の岬で女の腐乱死体が漂流
それから5日ほど。第2の事件がおきた。G市から国鉄で一駅のところにF市というちいさな街がある。ここに干し浜という。砂浜。浜から海にむかって左手に岬。佐多の岬という。これの先は崖、足元はけわしい岩場。ここは昔からよい漁場。8月25日、F市の干物屋の親父がボートでやってきた。夢中で釣りをやっていたら、浮遊する人間の腐乱死体にでくわした。おどろいたが、すぐ警察に連絡した。それには服がなかった。髮がながかったのでたぶん女。
(引用おわり)

** 0805 20日夜、女の人を見た
20日夜、うとうとしてた。何かぼくの上にのしかかってる。気がくつくと足元に仏像のようにすわってた。

* 1000 真由美さんの死体
** 1001 死体の検証
(以下短編の引用)
かけつけた警察が死体を回収。体は腐乱がすすみ、魚にたべられ、波にゆさぶられて、ばらばらになった。手は骨ばかり。足首から先は骨肉ともにない。頭部からは肉がおおいにうしなわれてた。頭髪はかなりのこってた。目、鼻、口など人相を形成する要素がすでにない。頭髪、骨格などから女のよう。この時点でも辛島真由美の可能性はたかかった。材料不足。だが腹部が回収。胃や消火器系の内容物はしらべられる。死体各部がG医大の解剖室にはこびこまれた。

世間の関心がたかく、記者会見。女性である。骨も歯もほぼ完全に。ミトコンドリアDNAも採取可能。血液型も判明する。しかし辛島真由美のデータがない。照合のため今後医療機関に調査が必要。翌日の記者会見で、寿司のトロと考えられる内容物。真由美の可能性がたかまる。死亡時期は。トロをたべて間もなく、すくなくとも30分程度で。それ以外は特定困難。殺害場所はホテルか。不明。死体に衣服がなかったのは。海水にもてあそばれて衣服、下着までぬげる。その結果とも。報道陣は太一の行方をおった。

** 1002 報道は太一をおう
必死におった事情である。二人は午後8時半に合流。太一がめざめたのが11時前。太一がねむりについたのは9時。太一は真由美も一緒にねむって、めざめるといってた。なら11時ちかくにめざめる。で、彼女は10半あたりにトロをたべる。その30分後に死亡。真由美は部屋をでてない。なら、太一はこの時の秘密をしってるはず。という訳。さらにマスコミの調査は周辺におよぶ。4階のほかの宿泊客には不審者はいない。リネン室の2女性もたしかな人物。ホテルのスタッフの素性もたしか。篠崎家、篠笹もいわゆる犯罪組織とは無関係。他方である。

** 1003 真由美と断定、殺人事件
太一の評判はなかなかわるかった。夜遊び、すてられた複数の女性。時に横柄、約束をたがえる。太一の言をしんじるなら、真由美がきえる理由はない。しかしリネン室の女性の言をしんじるなら。太一が嘘を。これがマスコミ一流の推理だった。

G署とマスコミのやりとり。真由美は非常に健康、G市の病院に、この5年はかかった形跡がない。病院のカルテは通常5年で焼却される。ところが歯科医の診察記録は入手。それにより真由美と断定。これで殺人事件として捜査。死体は予想外の場所。F市の佐多の岬はG市の隣町、距離がある。何故G市でなくF市か。何故そんな距離をうごいたか。おおきな謎。その死因は。佐多の岬先端から岩場につきおとされた。あるいは自殺。しかしおおきな骨折はない。刺殺あるいは絞殺の可能性は。刺殺後、あるいは絞殺後に投棄は。ある。でも判定不能。では毒殺は。ない。

** 1004 移動の方法を推理
太一について見解は。被害者。これ以上の言及はさけた。ここまでは一応順調。その後、進展がない。20日夜の目撃者。なし。これは不可解。両地点間はかなりの距離。ホテル・エルシノアからG駅まで徒歩なら1時間。列車にのった。とすると10分。F駅。干し浜ませは徒歩で10分。しかし先端までなら30分。都合、2時間。目撃者なし。これから徒歩はなし。では、車。ホテル・エルシノアから岬まで50分。そこからは徒歩。そこで寿司のトロがでる。部屋でたべた。そこから30分以内に到着の方法はない。

ならば、車中で殺害。となるがこの目撃者もない。その日は土曜日、飲酒運転の検問。不審車なし。で、のこる可能性は。ホテル・エルシノアの渚から殺害。海中に投棄。海流がF市の佐多の岬に。5日後の発見。あり得る。しかし、これにも問題。ホテル・エルシノアの付近の浜は海水浴客で夜でも人出。そこでの殺人は考えにくい。船をつけ死体をはこぶ。としても目撃者の問題が依然ある。ところで、そうして投棄したとする。海流の向きは。反対。F市の反対側のK市となる。捜査は停滞し暗礁にのりあげた。

* 1100 犯人
** 1101 8月21日、26日のテレビ
八月21日朝。夜の夢に不快感がのこった。

26日、昼食後、母は台所、ぼくはテレビ。G市商店街のアーケード。太一さんがうつった。報道陣がきく。どうして質問にこたえないのか。話すことはない。辛島真由美さんがいなくなったこどだけか。そのとおり。でも部屋からでてないと。そのとおり。密室、誰も見てない中で。そのとおり。あなただけがしってる。何も見てない。ない。どうして。ねてたから。すぐ隣りでねていた。見てないですか。ない、事実だから。すぐ隣り。見てないですか。見てない。篠崎さん、何か見てるのでは。話しては。日本の皆んなそう思ってる。

心証がわるくなる。ない。本当にしらないのか。ない。でもそれではとおらない。子どもでもわかる。作り話ならもっと上手に。見てない。本当ですか。いい加減にして。被害者。では、なんでにげる。いい加減に。にげなきゃ、おっかけない。どうしてインタビューにおうじない。これがインタビューか。真由美さんはきえたか。しらない。本当に最愛の人か。どういう意味か。ずいぶん沢山。どこ。G市の夜の巷。へえ。リンドンに。言葉につまる。真由美さんの猛烈アタックに辟易したのでは。ヨウちゃん。テレビをきって、勉強を。した。テレビをきって。ぼくはきった。

** 1102 26日、干し浜で、篠崎さんは犯人じゃない
篠崎さん気の毒と真鍋さん。ぼくらは干し浜の砂の上。彼は犯人とうたがわれてる。へえ、そう。夜遊びがすぎたから。飲み歩き、いけない。すぎたらね。篠崎さんは犯人じゃないの。ヨウちゃんはどう思う。わからないけど、ちがうような。どうして。あんなこと、人間ではできない。うん。ねえ真由美さんは宇宙人って本当。どうして。だって自分でもいってたし。しばらく沈黙。ただしいよ。え、宇宙人。そう。お母さんは真由美さんに死んでほしかったとぼくはつぶやいた。

** 1103 お母さんも犯人では
真鍋さんはおどろいたよう。どうしてしってるのか。でもお母さんが犯人ではないと真鍋さん。じゃあ誰。さあ。でもきっと報いをうける。必ず報いをうける。それ人間。さあ。でも、どうしてホテルからきえたの。さあ、不思議なことだね。あれは人間じゃできないよね。ぼくがいう。誰にもわからないよう部屋からだしたり誰にも見られないでとおくの岬まで移動させたり。じゃあ、誰がやった。人間じゃないならと真鍋さん。宇宙人かな。そうだなあ。宇宙人とか幽霊とか。目に見えないがすごい力を。あれは人間にはできないよ。

** 1104 幽霊が犯人か
そうかと真鍋さん。警察につかまるかなあ。ヨウちゃんどう思う。つかまらない。うん。どうしてきえたのか、謎はとける。ないだろう。永久に。そう。うん。とける者なんかいない。世の中って本当に不思議なことあるねえ。そうヨウちゃん。そう。ぼくは夜、すごく不思議な経験をしたけど、こわかった。どんな。ぼくは外の出来事はいわないで、布団の中で見えない手で布団におしつけられたことを話した。ふうん、不思議な体験だね。うん。でも、そういうのきくと、幽霊が真由美を誘拐したのかなあ。あれは幽霊なの。さあどうかな、わからない。ヨウちゃん、この話おわりにしたい。うん。

** 1105 真鍋さんが外国にさそう
外国にゆきたいといってたね。うん。じゃあ、ぼくとどっか外国にいこうか。どんな国。すごく清潔で理想の国。何するのにもお金をとる国でない。皆んなタダだ。へえ。病気、医者、重病、タダ。子ども、年寄、皆んな健康。ふうん。食べ物もタダ。教育も。就職したら給料は平等。お母さんみたいに夜にはたらいて男の人に酌する必要がない。ふうん。いけないことをしてる女の人はいない。お金持ち、乞食、貧富の差はでない。差別もない。皆んなでたすけあって仲良くくらしてるよい国。そんな国あるの。

** 1106 お母さんも真鍋さんも一緒
うん、本当。理想郷、盗み、殺しもない。他人の財産をうばったり、貧乏人を動物みたいにこきつかう。そんなことない。犯罪者なんていない。日本も将来はそうなるだろうが。へえ。日本もそういうやり方にきづく。この国の皆んなはやさしい。ここのテレビみたいに意地悪じゃない。ふうん。ゆきたくないか。ぼく、いける。勿論。誰だって。でもお母さんは。勿論、一緒。子ども一人では無理。真鍋さんは。勿論、一緒。本当。そう。うん。一緒にゆかないか。花がさいてる。ああ、国中に。お母さんがよろこぶね。花が大好きだから。そう、よろこぶ。いかない。うんいいよ。ああ、でも言葉は。日本語とよくにてる。すぐおぼえられる。ふうん。お母さんがいいといったら、いくね。うん、真鍋さんとずっと一緒なら。勿論。死ぬまで一緒。

** 1107 もう幽霊は見ない
ぼく夜、すごくこわかったよ。ああ、あれからはもうおきない。えっ、本当。でも真由美さんのことみたいなこわいこと。おきない。ない。あれが最後。そう。あれでおわり。でも、謎はとけない。そうだねえ。あの謎がとけるとしたら、ヨウちゃん、君だけだ。

* 1200 真鍋さんが犯人か
** 1201 8月31日、篠崎逮捕のテレビ、ちがうと真鍋さん
二学期始業の前日、太一さんが逮捕。彼の自動車の後部座席から紙袋にはいった登山ナイフが発見。そのナイフから血液。これが真由美さんの血液型、DNAと一致。ぼくは真鍋さんをさがして納屋に。中をのぞくと、あの機械はない。印刷所のすみのソファにすわってテレビを見てた。ぼくはその横にすわってテレビのニュースをみた。ナイフのことは警察に通報があったという。篠崎さん、やっぱり犯人だったのかとぼく。ちがうと思うと真鍋さん。えっ。どういうこと。間違いだ。犯人じゃない。ええっ、じゃ大変だ。だってヨウちゃん、人間ではできないのだろう。

** 1202 外国にゆくかと、真鍋さんが確認
篠崎さんは死刑にならない。ないだろう。でも刑務所にははいる。彼は犯人にされた。え、誰に。わるい人にだ。ぼくはびくりした。真鍋さんがいう。明日から学校だろう。うん。たのしみか。ううん、ちょっと。準備は。宿題は。やったよ。そうか、優秀だ。外国にいっても頭角をあらわせる。外国。うん、ヨウちゃん、いくだろう。ぼくと一緒に。ああ、うん。ぼくは夏休みの旅行でない。いったらもどれない。そう感じたら不安となった。

** 1203 母にきく、いくという言葉にショック
どうした。ヨウちゃん。元気なくなった。ぼく日本人でなくなる。その国の人になる。ふうん。嫌かい。ううん。でもお母さんにきかないと。あとできいてみたら。刑務所にいくわけじゃないよ。

ぼくは家にもどった。そしてきいた。ねえ外国にいくの。それもいいかなって。母がそんなことをいうなって。おどろいた。ヨウちゃんは嫌。いやじゃないけど、その国の人になるの。そうね。遊びにいくのじゃないの。そうね。あの保守的な母が外国にいってよいとは。その国の人にならないといけないの。そこでながくくらす。ならその国の人に。だからどうしてもそこでくらさないといけないの。ヨウちゃんはここがすき。そんなにすきでは。外国がどんなによくても、ここがいい。花がいっぱいさいてるって、真鍋さんが。それでもここがいい。ぼくにはわからなかった。病気になったら不安よね。いつまでも夜の仕事できないし。ここにも花はさいてるとぼくはいった。

** 1204 9月1日、真由美さんの顔写真に気づく
始業式の朝、納屋にいってみた。いたら挨拶しようと思った。いなかった。夏休みの寝坊から早起きとなった。無理したせいかお腹の調子がわるかった。持ちこみ禁止の週刊誌に皆んながむらがった。そこには例の女性消失事件がのってた。ふりがなのない記事はよむづらかった。ページを見てるうちに眩暈を感じた。ふらふら自分の椅子にもどった。真由美さんの顔写真だった。風にふかれて髮がみだれてた。突然いままで脳の中でねむっていたものが、あばれだした。ものごとは別の角度から見れば。あの真鍋さんの言葉がよみがえった。材料はすべてそろったのに、それをつなぎあわせるのをさけてた。

** 1205 犯人を思いつく
あの恐怖の夜、ぼくの布団の足元にいたのは真由美さんだった。あのなかばすきとおってた女の人。気がつくと授業がはじまってた。くるしくなり、保健室にいった。今朝たべたハムがわるかったかもと保健室の先生にいった。担任が教室にもどった。すこし調子がよくなった。母の言葉、真由美をころしてとの言葉を。外国にいくという、およそ母らしくない言葉。真由美さんをどなり、頭をなぐってた真鍋さんの言葉。二人のこういう仲のわるさ。そして透明人間の薬。これらを思いだした。

** 1206 真鍋さんがあやしい
真由美さんは裸でホテルからでた。死体が海でみつかった。筋肉はとけかけてた。真鍋さんは篠崎さんが犯人でないと断言した。何故というぼくの問いにこたえてくれなかった。それは真鍋さんが犯人をしってるから。G市のホテル・エルシノア401号室からきえた。まるで透明人間みたいに。こんなこと真鍋さんしかできない。真由美さんはあの夜部屋からきえた後、ぼくの部屋にきたのだ。ころされる直前に。ぼくの目の前で真鍋さんに頭をなぐられた。それでぼくをうらんで、やってきた。ぼくをころそうとした。これらをすべてつなぐ。一貫させる。謎をきれいにとく。その方法をしってるのはぼく一人だ。それを考えないようにしてた。

** 1207 学校から帰宅
ぼくはこれからどうしよう。母はこれらのことをしってるのか。担任の先生が顔をだした。どうだ浦上。はい。具合は。いい。お家にお母さんがいるか。はい。じゃあ今日はかえれ。はいとうなずいたが、嫌な予感がした。

* 1300 外国にいかない
** 1301 9月1日、母と真鍋さんの密会
午前中なのに家にもどる。自室でランドセルをおいて、母をさがした。隣りの敷地にいった。印刷所には真鍋さんはいなかった。納屋の隙間から中をのぞいた。そこに思いがけないものを見た。ベッドの脇にたってる女の人の背中。向こうに男の人、真鍋さんらしかった。真鍋さんの手がスカートからしろい下着にかかった。息がつまった。母だった。こちらをむいた。二人のおどろいた顔。ぼくはかけだした。ヨウちゃんと母の声。真鍋さんがぼくの二の腕をつかんだ。痛い。ごめんよ。学校は。早引け、気持わるくてはいた。お腹こわしたのか。いい、ほっといて。お母さん、ヨウちゃんのお母さん。ヨウちゃん、ぼくは。お母さんにあんなこと。ごめんよ。ぼくはヨウちゃんのお母さんが。すきなんだ。嘘。嘘じゃない。だから真由美さんをころしたの。真鍋さんは絶句した。

** 1302 真鍋さんを非難、透明の薬による犯行と
どうして。お母さんにたのまれたから。ぼくはわかった。あれは真鍋さんのしわざだ。無言。信じてたのに。えっ。真鍋さんは20日の夜、あの薬をのんだ。透明人間になる薬。ホテル・エルシノアの401号室にいった。そして部屋にはいってねてる真由美さんをおこした。薬をのませ、透明にした。おどろく真鍋さん。そして部屋からつれだし、裸で。これならホテルの従業員にもお客にも見えない。そうする以外にあの消失事件はおきない。二人はF市にやってきた。そしてしばらく真由美さんははぐれた。お互いに見えないから。真由美さんは一人でぼくの部屋にきた。ぼくにのしかかってころそうとした。

** 1303 外国にいかないという
でもころさなかった。それから真由美さんを佐多の岬につれていって、ナイフで刺殺した。そして下の岩場につきおとした。沈黙。もうもどるとぼく。ヨウちゃん。なんて頭がいいんだ。それなら外国にいっても。いかないよ。え。いかない。真鍋さんと外国にいかない。かなしげな顔。だけど、どうしてぼくが真由美を。それは、にくんでたから。どうしてそう思った。だってぼくの前でなぐった。それはヨウちゃんにひどことをいったから。え、ぼくのため。そう、お母さんのためでない。ね、外国にいく。いかないよ。お母さんもいかない。ぼくのこと、きらいか。きらいだ。もうすきじゃない。真鍋さんはお母さんのことも、ぼくのこともすきじゃない。そういうのか。毎日こんなに君たちのことを考えてるのに。真鍋さんの目に涙。君たちのことを考え、敵からもまもろうと。真由美が君の悪口をいう。母親がにくいから。いくらそうでも罪のない子どもの悪口をいう。ゆるせなかった。だからといってころすことは。

** 1204 真鍋さんは自分の都合で外国にと、わかれ
ころしたらお母さんが警察に。だから外国にゆく。警察からにげるため。その時、一人じゃさびしい。だからお母さん、ぼくをつれてゆく。本当にすきでもないのに。自分のため。涙が頬をつたわった。溜息をついた。そうだな、たしかに、あるな。さらにいった。これも天の声か。ふうん。ありがとう。ぼくはずっとまよってた。これで決心がついた。お母さんはヨウちゃんがいいならといった。これで決心がついた。ぼくは君たちのことをふかく愛してる。もう、かえるよ。そう、それがいい。もどってゆくと。声。これでお別れだ。ぼくは一人でゆく。どこへ。外国だ。お母さんを大事にしてくれ。印刷所は。人にうる。たのしかったよ。何にもない街で君たちとくらして幸せだった。ぼくはずんずんとおざかった。あんなことをいえばぼくが決心をかえれると思っていってる。もうふりむかなかった。

* 1400 わかれ
** 1401 9月1日、お粥、9月3日、真鍋さん出発
ぼくは自室の布団でねてた。母が外から声。お腹へらない。ない。学校ではいた。うん。台所で一人で洗い物。昼食の用意。お粥をぼくの枕元に。その翌日。母は真鍋さんとゆっくりあったふうでなかった。ぼくには自分のしたことがどんなことか当時はわからなかった。2日後、土曜日。お昼過ぎに帰宅。台所の食卓の前に母。ああ、ヨウちゃん。どうしたの。母は涙をながしてた。別に。沈黙。やがて。真鍋さんが今日外国にゆく。えっ。印刷所は。うったよう。金田さんという人に。どうやって。船で。G港から。あと40分ででる。ヨウちゃん、どこに。ちょっと隣りに。印刷機はすべてとまってた。

** 1402 納屋にメッセージ、駅に
納屋に。扉の表にピンでとめた紙。伝文。ヨウちゃん、ありがとう。納屋のプラモデル、飛行機、全部あげる。お母さんをよろしく。真鍋平吉。ぼくの瞼に涙があふれた。ぼくはここで真鍋さんにいった。何かあたらしいのつくった。それが毎日の楽しみだった。毎日あってた。駄目だ。もう生きていけないという気持になった。ヨウちゃんと母の声。全力ではしった。背中で母の声をきいた。駅のホームにおりベンチに腰かけた。涙に汗がまじった。何てことをしたんだろう。はげしく後悔した。気動車がきた。のった。窓から日本海が見えた。G駅の改札口をかけぬけた。港にいそいだ。息がくるしかった。ぼくは真鍋さんにあやまらなければならない。港が見えた。そこの建物の裏手から埠頭に近道した。

** 1403 船の上の真鍋さんに手をふる
しろいおおきな船。衝立みたいにたちふさがる色とりどりのテープ。船がうごいた。汽笛がひびく。真鍋さんの姿は。ぼんやりと手すりにたってた。真鍋さあん。駐車してるトラック。荷台にとびのって叫んだ。笑顔で手をふってくれた。船が角度をかえ、真鍋さんの姿が見えなくなった。

* 1500 犯人は赤座
** 1501 帰宅、母がないた、9月4日赤座が偽札事件で逮捕
切符代がなかったのであるいた。ぼくは真鍋さんにあわせてくれた神様に感謝した。帰宅したらくらくなってた。母のはげしい叱声がひびいた。港で真鍋さんを見送った。母はないた。ぼくをだきしめて、しゃくりあげてないた。母は、ぼくが真鍋さんと一緒に船にのったと考えた。それにおびえてたらしい。でも当時はそんなことはわからなかった。

翌日、戦後最大といわれる偽札事件が報じられた。東京近郊のC市の競馬場。偽札を大量につかおうとする人物が逮捕された。テレビに顔写真がでた。それは納屋で見た赤座さんだった。赤座さんは東京都下のH市在住だった。おやG市でないと思った。それから篠崎さんが釈放された。それからさらに大ニュースが。赤座さんが辛島真由美殺害を自供したという。

** 1502 真由美殺害を自供
人間消失、つづく殺人事件の犯人がわかったといえ、発表は名前だけ。動機、方法、消失の謎は何もかたられなかった。赤座さんは殺人はみとめたが、その後1年のうちに殺害場所、方法、いきさつはすっかり自供。しかしホテルの部屋からの消失については不知。また自分の殺人は正当防衛といった。また松下健三さんの文章である。

** 1503 干し浜見張り塔で真由美と赤座が待ち合わせ
(以下短編の引用)
赤座と真由美の待ち合わせ場所は干し浜の見張り塔。これは女の方から。二人のつき合いはながく、10年来。真由美は結婚をひかえこれを最後にしたい。そんなとり決めがあったらしい。空にはあかっぽい満月があった。見張り塔は施錠。二人とも鍵をもってた。それは去年の奉仕活動の時に入手。約束の午後9時にすこしおくれて赤座がやってきた。上にあがりノック。あけてくれた。窓のあおり戸はあいており、裸で髮がなびいていた。おそいわ。仕事がながびいた。男はG市でスナックを経営してる。

** 1504 真由美を殺害、岬に投棄
苦労して施錠。鍵は砂にかくした。女の死体と一緒に海の中にはいった。死体をひっぱって佐多の岬の突端の岩場までおよいだ。赤座は水泳が得意だった。岩の間に死体をうかべて、いそいで見張り塔にもどった。体をふき、服をきた。さらにソファの下にあった女の服、靴、ロープなどをもってG市の家にもどった。店で購入していたモーターボートにブロックや針金をつみ、今度は佐多の岬にもどった。死体をひきあげ、両足にブロックを針金でまきつけ、岩場にしずめた。店にもどり、明け方まで片づけをした。

** 1505 太一を犯人と密告、偽札で逮捕
何日か後に太一がマスコミにさわがれだした。女の服を処分しナイフはすきをみて太一の車にかくした。そして警察に太一が犯人と密告した。こうして太一は逮捕された。赤座はスナックの権利を売却し、G市から東京都下のC市に引越した。そこで偽札を大量につかったとして逮捕された。

** 1506 真由美殺害を自供
警察の取り調べ中に真由美殺しの余罪が発覚した。ホテル・エルシノアでの消失については、一切しらないとこたえた。このとおりだから、殺人の犯人は判明したが、消滅の謎はおおいなる謎である。また、赤座は待ち合わせ時間は9時という。太一は9時なら真由美はホテルにいたという。同時刻に2つの場所に存在という謎。これは不明のままである。また何故裸だったのかわからない。油断をさそう計略だろうという。ついでにいうと、偽の千円札と一万円札は戦後最高といえるものだった。この点を警察が追及したが不知といいはった。どうやら外国製らしい。精巧なだけでなく、簡単な透かしもはいってる。磁気センサーのついた自動販売機さえもつかえるよう、磁気インクをつかって印刷されてた。金にこまった犯行のようだ。もっと地味につかってれば、ばれず、それがなければ真由美殺害もばれなかっただろうに。

文芸JS、10月号

** 1507 真鍋さんを犯人と誤解、反省、透明な真由美さんの失踪を推理
赤座さんの裁判は15年にわたってつづき無期懲役が確定した。これは、正当防衛との主張があったものの、偽札使用、真由美さん殺害の隠蔽、篠崎さんへの罪の転嫁、さらに以前の覚醒剤の不法所持。婦女暴行の前科。これらの総合的判断だった。ぼくはこの記事を小学校6年生の時によんだ。真鍋さんの殺害が間違いと気づいて愕然とした。さらに真鍋さんにわるいことをしたと後悔した。しかし、謎はまだのこってる。部屋からの消失。干し浜見張り塔への移動、裸の動機は不明と小説家の松下謙三さんがいってる。

ぼくは透明人間の薬をしってる。真由美さんは透明人間になって干し浜までいった。薬の効果がきれてもきる服がなかったのだ。もしかしたら予定よりはやくきれたのかも。透明のまま赤座さんを殺害。透明がやぶれて、そのまま犯行、反撃の後、殺害かも。部屋からの消失は以前いってたように真鍋さんが透明にしてつれだした。ただし、おなじ20日夜のぼくの体験だ。ぼくは透明の真由美さんにおそわれた。小説家の文章がただしければ死人がやったことになる。真由美さんは9時すぎ、10時までに殺害されたようだ。ぼくのは深夜0時すぎと思う。これはぼくにとってとけない謎となる。

** 1508 母と多摩川が見える蒲田に引越し
真鍋さんがいなくなってから、夕食を母と二人でたべる。いやだった。印刷所にちかよるのもいやだった。母に笑顔がきえた。母も真鍋さんの連絡先をしらない。おしえてもらわなかった。ぼくらと真鍋さんの連絡はまったくなくなった。真鍋さんからもらったプラモデルなどは、その年の冬、焚き火をした時、すべてもやしてしまった。ぼくが中学校にあがる時、親戚をたより東京の蒲田に引越した。新居は2DKのふるい賃貸マンションだった。そこは多摩川の土手がちかかった。母とも友だちとも散歩した。母は、また夜の仕事についた。友だちとのおしゃべりはたのしかった。母がいないので夜おそくまでできた。親類とはあまりつきあわなかった。タバコもバイクも女性もシンナーも、ちかづかなかった。夜の歓楽街をぶらつかなかった。そこには母の職場があったところ。つらそうな母をしってたから、そんなところに魅力を感じなかった。

真鍋さんの言葉、お母さんをよろしく、君だけたがたよりだ。これをいつも思いだした。都立の高校に進学し、国立の大学にすすんだ。アルバイトをして大学2年生以降は母が仕事をしなくてもいいようにした。大手の商社に就職し、和泉多摩川の土手沿いの賃貸マンションにはいった。2LDKだった。8階で、窓から多摩川がのぞめた。

** 1509 大学、勤務先をやめた母をアルバイトでささえた
大学2年生の時、不況で勤め先のスナックが店をたたんだ。母は仕事をやめた。ぼくのアルバイトがはじまった。母はアルコールで体をこわして、病院通いの生活となった。母は結局独身をとおし、たよるべき財産もなかった。時間はしっかりとすすむ。ぼくが真鍋さんとわかれてもう20年となった。小説家の松下謙三氏は故人となった。ぼくはあんなことが本当にあったのかと時々思う。

* 1600 真鍋さんの死
** 1601 脱北者徐氏から封書をわたされる
母との朝食の時、北朝鮮の12号政治犯収容所から中国をへて韓国に亡命した元警備兵が、日本のNGOのまねきで来日したというニュースをきいた。徐光鉄という人だ。彼はこの収容所は、拷問施設、事業所、墓所があり一度はいったら二度とでられないといった。彼は短髪 、やや小肥り、柔道家のような体格だった。

その後職場にいって、終業間際に受付から連絡があった。ロビーにゆくと男性がまっていた。今朝の徐光鉄氏だった。握手をかわし、何の用かたずねた。脱北は5年前、日本にやっとこれました。どなたかお知り合いが。あなたです。ええ。あなたは、1977年、F市、真鍋印刷の隣りにすんでた。はい。やはりあなたです。マーがいってたとおりだ。ここにきたのはあなたに、これをわたすため。茶色の封筒を。それは誰から。マー・ピョンギルという人からあずかった。5年前に。5年前。わたしには時間がない。その封筒の内容は見てない。もしその内容に公開すべきことがあったなら、「脱北と亡命を支援する会」におしえてください。それだけいってさった。

** 1602 真鍋さんからの手紙、事件の詳細がわかる
マンション近くの喫茶店で開封した。その文字はあの納屋にはられた文章の文字だった。以下はその内容である。

ヨウちゃん元気ですか。お母さんはどうしてますか。とおくからいつも幸せをいのってます。港への見送りありがとう。この手紙が君たちにとどくことを心からいのって、かいてます。この手紙を徐同志にあずけます。かきたいことは沢山あります。

まず、あやまります。この国を地上の楽園といいましたが、地獄です。この手紙でかきたいことは2つです。日本人拉致被害者の原田智康さんと原田みゆきさんはこの22号収容所にいます。そしてもうひとつです。

あの昭和52年夏の出来事です。その真相を君にはなしてません。それをこれからかきます。

1) ぼくと真由美、赤座は命令により日本を革命化させ、革命資金獲得を目的に日本にはいった工作員でした。ぼくは大学を好成績で卒業し理想の実現を信じ本気で邁進してました。
2) 真由美は名前をかえてましたが、実の妹です。彼女ははやく理想をすて資本主義に毒されました。生活資金にこまったので、夜の世界に身をとうじ売春、麻薬の売買、その他いかがわしいことをやって生活してました。その頃、真由美は赤座と同棲するようになりました。
3) ぼくはそれを心配しつつF市に二人でうつってきた。真鍋印刷をひらいたら、たまたま君と君のお母さんがいた。一目見てお母さんがすきになった。息子の君を見て、またすきになりました。
4) G市にうつった真由美は最初は赤座のひらいたスナックではたらいていたが、リンドンというクラブにうつった。そこにお母さんもいてライバル関係となった。そこで二人はぶつかりあい、たがいにころしてやりたいと思うくらいになりました。
5) そこに篠崎太一があらわれた。真由美は篠崎の妻の座をねらうようになった。真由美の気持がもえたのは、篠崎がお母さんに興味があったから。首尾よく篠崎と恋人関係となったが、いつもお母さんに嫉妬してた。お母さんは篠崎に興味がなかったので真由美まもなく結婚する約束ができました。
6) この真由美の状況に一つの難関があった。赤座。真由美を脅迫しだした。ぼくはこのことを把握してなかった。妹は率直に相談するようなタイプでなかった。
7) 赤座は結婚しても自分とつきあえ、自分に定期的に小遣いをよこせと約束させようとした。でないと、過去の売春を篠崎の両親にばらすといった。また真由美には覚醒剤で受刑した前科があった。ぼくにはそれを旅行ととりつくろった。赤座は両親がききいれなければ、篠笹のチェーン店の上客に告発文をながすとまでいった。真由美は泣いていたが、とうとう赤座をころす決心をしまた。
8) しかし自分がうたがわれてはいけない。そこで赤座がころされても自分と無関係の場所での出来事にする。そう考えたので篠笹をつかって自分のアリバイ工作をした。ホテル・エルシノアの401号室にはいる。篠笹はベッドにはいる。行為におよぶ。その後2時間程度ねむる。この時間を利用して赤座をころし、もどる。こんな計画をたてました。
9) ぼくが想像するに真由美は篠崎がのむビールに睡眠薬をいれたと思う。20日の夜、真由美はおおきめのバッグをもっていた。これには寿司のほか、シューズ、ズボン、先に鉤のついたロープ、指先がラバー加工したグラブなどがはいってた。真由美はこの道具をつかって壁面の降下や昇りが得意でした。
10) ぼくが思うに真由美は廊下にでて、非常階段を2階までおりる。そこで鉤ロープをつかって1階におりる。こう考えてた。これなら非常階段のドアは普段はすくなくともどこかの階はあいてる。もし、より確実をねらうなら。ドアの鍵を複製してもっていったでしょう。ところが401号室のドアをあけたら、つき当たりのリネン室ドアがあいている。中に従業員の顔が見える。これでは顔を見られる。やむなく断念したのでしょう。
11) そこで浴室の窓から脱出する。またもどる。困難なことだが真由美の技倆なら可能。窓から身をのりだす。ロープを屋上の手すりの下端にひっかける。空中にでてロープにぶらさがり、窓をしめる。その上に網戸をおしこむ。ロープをつかって屋上の手すりにとりつく。鍵ロープをはすす。手すりをつかって雨樋のところまでゆく。そこでまた鉤ロープを手すりの下端にひっかける。これで雨樋の強度をたしかめる。
12) 通常、ビル、ホテルの雨樋は鉄製のパイプ。頑丈。おそらく、しってた。雨樋をささえるステーの強度も充分なら、ロープをはずす。2階のすこし下あたりまですべりおりる。ブロック塀の上をあるいて路地にとめてた自転車の上におりる。これでG駅にむかった。
13) 真由美が網戸までしっかりしめてた。それはもどれなかった場合、廊下からどこかにいった。そう思わせたかった。ところがリネン室が2時間以上もあいてたので、真由美は部屋の中できえたと思われた。
14) 網戸のところに蜘蛛の巣があった。蜘蛛は30分で巣をはる。つまり1時間もあれば、まるで1年も前からそこにあった。そんなあついものをつくる。また蜘蛛の巣はふるびてる。この先入観がここから脱出はないと思わせた。
15) G市からF市までは列車。おそらく時刻表をしらべて計画。行きも帰りの便も設定してたろう。駅から干し浜まではちかい。赤座が見張り塔にはいれば間髪をおかずころす。そうなったら即刻F駅にもどる。列車、G駅となるはずだった。
16) G駅からまた自転車。ホテル。塀側にとめる。これを踏み台にブロック塀。雨樋にとりつく。よじのぼって屋上。手すりの外側。横に移動。401号室の浴室の窓の上。また手すりに鉤ロープをかける。ぶらさがり網戸をはずす。窓をあける。中にはいる。身をのりだし、ロープをあおって屋上の手すりから鉤をはずす。網戸を元通りしめる。窓をしめる。服をぬいでバッグにいれる。篠崎の隣りに。そこで寿司をたべながら篠崎をゆりおこす。こんなつもりだった。
17) 寿司をたべかけに、カラオケの本の中途をひらく。これは真由美がもどった時、篠崎が目をさます。そうなら、なんとかいいつくろえると考えた。一緒にいたと篠崎に証言してほしい。真由美がまさか、こんな荒技をこなすとは思わない。そこまで考えていたのでしょう。
18) 目撃者がいなかった。それは警察がホテルの周辺ばかりききこんだことと、車による移動ばかり想定したから。あの夜の検問にひっぱられた。もしG駅やF駅、列車の中をききこんだら、目撃者がでたでしょう。
19) ところが真由美は殺害に失敗、殺害。赤座が死体を佐多の岬に投棄した。この後、赤座は篠崎に罪を転嫁しようとした。ぼくは考えぬいて真相に気づいた。わるい妹だったが、その無念をはらしてやろうと思いました。
20) さてもう君も気づいてると思うが、ぼくには偽札を大量にする。大都市にばらまく。これを資金とし、日本経済を攪乱する。できればインフレをおこす。こんな作戦があった。
21) この偽紙幣の紙です。これは民間では無理、政府の調達によるもの。周到に準備し作戦を開始できるところまでいってた。札も第1陣のものは完了してた。納屋においた偽札の印刷機が君にみつかりそうになった。ぼくは透明人間の薬の製造機といいつくろった。
22) 君をごまかしまいた。あやまります。あの時、紙がすきとおたのはただ潤滑用のオイルにひたしただけ。また、ぼくの左手から手袋ごと義手をはずしただけ。ぼくには手首から先がない。そして先に紙をはさんだ針金を手首にさして手品を見せただけ。納屋はくらかったし君は子どもだった。

** 1603 結婚し3人での暮らしを夢見たが赤座をゆるせなかった
あの頃ぼくは君の母さんと結婚し3人で北朝鮮でくらすことを夢みてた。作戦を成功させたら故国の英雄になる。ところが赤座をゆるせない。やつがやる偽札犯行は予想がつく。それを警察におしえればよい。だがこれは祖国への裏切りであり、作戦の失敗でもある。そこで君に、いかないといわれた。衝撃をうけた。君のお母さんも当然いかない。ぼくはこれは天の声とうけとめた。赤座は卑劣な犯罪者、それをみすごす。これは理想の楽園であるべき祖国への冒涜でもある。また日和見主義的な不正は個人的な次元のもので、ブルジョア的横暴だ。ぼくは赤座を警察に逮捕させた。その罪を日本の刑務所でつぐなわせることにした。ぼくは真鍋印刷をすぐ人にうった。やはり総連系の人だった。赤座がこの印刷所の所在、ぼくという仲間のことを話すと覚悟した。その前に日本をはなれることとした。

** 1604 お母さんをたのむ、幸せに
もうすべて話した。君をだまして申し訳ない。あの頃ぼくは日本人でなく朝鮮人でもない。宙ぶらりの気持だった。君たちとであい、国家より大事なものをしった。今ここで考えると、あの日本海側のちいさな街にだけぼくはいる。君たちとくらした大切な日々を簡単に手ばなした。もうここから君と君のお母さんの幸せをいのるばかりです。元気で長生きしてください。さようなら。

真鍋平吉

** 1605 やっと真相がわかった、母はないた
放心。やっと透明人間の謎がわかった。彼が何故あんなに透明人間のことを話したのか。自分のことだった。日本人真鍋平吉は日本の誰にも見えない。宇宙人のことも。英語ではエイリアン。彼らは宇宙でない異国からの来訪者だった。店をでて部屋にかえった。ぼくは母に手紙をさしだした。真鍋さんから。あの人、死んだの。いや。母は自分の境遇を周囲のせいにした。時にはその怒りの矛先がぼくにういた。ついに自分の不幸は真鍋さんが自分をすてたせいだと思いこんだ。

ベッドに横になり考えた。ぼくは殺人事件のあった夜、見えない真由美さんがぼくの体の上にのしかかってきたと感じた。あれは現実でない。生まれてはじめての金縛りの体験。おきあがった。徐氏に電話してきいた。真鍋さんは生きてるのか。5年前にあった。お気の毒だが、おそらく死んでる。あなたと話せてうれしかったといった。部屋をでてリビングにもどった。食卓で母がないてた。ぼくもないた。母は今も抜け殻のままだ。

(物語おわり)

* 1700 感想
この作品の主人公は少年である。大人の不条理な都合が少年の幸せをこわした。愛にやぶれ生活につかれた母をたすけ少年は成人した。そこにとどいたのは、あの幸せの時代にあこがれ、母が愛した男性の死のしらせだった。やっとたどりついた今の幸せはあの時の幸せよりおおきくない。つまりこの物語は主人公たちがより幸せになって、おわってない。

いつも感銘をうけるが、この作者は大衆の孤独な魂にかたりかける。国家という存在と対比して個人の大切さをうったえた。政治の断面をかたり、ささやかな幸せをくっきりとえがいた。

* 1800 テーマ
ホテルの部屋からどうして女性が消失したかをあきらかにする。これがテーマ。と思うがもう一つと思ってしまう。それでさがす。
1) 不遇な少年がどのように大人になったか。あるいは、
2) 政治に翻弄される個人の不条理さ。
3) 少年の輝きがどのように大人の諦めにかわるか。
これらは推理小説のテーマとはいえないが魅力的である。もうすこし考える。

1) 母
自分の不幸の原因を周囲の人にもとめる。愚痴がとびだし、怒りが息子に爆発する。しかし最愛の人、真鍋さんをすてて息子の気持にしたがう。最後に真鍋さんを諸悪の根源とにくむが、その死のしらせに涙する。
2) 息子のぼく
不遇な少年時代をいやしてくれた真鍋さんの誘いを拒否した。母との関係を嫌悪しその真意を疑い、それが彼への怒りとなった。わかれた真鍋さんをゆるし、その思いにこたえ傷心の母をよくたすけた。
3) 真鍋さん
政治に自らを高揚させた。その思いから母、息子の二人を異国にさそった。収容所にいれられて、死ぬまで二人の幸せをいのりつづけた。

この三者ともに互いにあいいれない利己がある。しかし、それに涙をかぶせれば、ぶつかりながらも、からみあう。もう一つ、わすれていけない。

4) この作品の作者
長大な物語を複雑・高度な謎でかざる本格推理小説をかいて他を圧倒する孤高の存在となる。ところが作者にもより多数の読者を欲する利己がある。もっとも孤独をおそれる大衆の魂に作者はやさしく語りかける。

こうなると、3)のテーマ がもっともひかれる。

* 1900 評価
原理的に可能か。2) 現実にあり得るか、の点で特に問題ない。そのトリックはよくまとまってる。

ただし、物語の成立をそこなうほどでないが、すこし気になるところをみつけた。なので以下に記す。

1) 真由美が何故裸で赤座と対決したのか。もうすこし説明があってもよかったと感じた。
2) 真由美が午後9時に干し浜見張り塔とホテルにいたようにみえる。これが謎と文中の小説家松下謙三氏が指摘してる。この点についてもうすこし説明がほしかった。
3) 事件当夜の真由美がホテルから現場まで移動する。ここで車で移動する場合を推理してる(164page)。そこで車中で殺害された場合とそうでない場合をわけているが。何故この区分ができるのか、よくわからなかった。
4) 主人公は8月20日深夜に亡霊を見たという。「21日の夜」は「20日の夜」が適当でないか(167page)。26日のテレビで篠崎の報道があって後に、干し浜で真鍋さんと犯人についてはなした。そこで亡霊を「夕べ」見たといってるが、これは「夜」が適当でないか(181page)。

(おわり)

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